つみ

「あなた方よく見てください。ほら、私も皆さんの仲間です。千恵を出してください。娘に会わせてください」

 下野千恵の父親は無精ひげを涙に濡らしながら、ゴルフボールをバリバリ咀嚼している。その狂態に言葉を失っていた僕の肩を、万代老人が後ろからいきなり突き飛ばした。

「何をするんです」

「あんたのせいですよ」

 老人は興奮に血走った瞳で、僕の顔に年老いた息を吐きかけた。

「この人をよく御覧なさい、坂本さん。これはあんたがやったんですよ。最初にあんたが学校の野球ボールを盗んだせいで、その話を聞いたお嬢ちゃんもたまっころに目覚めた。そしてニュースでも話題になったあの画像、お嬢ちゃんがバスケットボールを食べる様子を見せられて、この人も自分がたまっころであることに気が付いたんです。ねえ、坂本さん! いいですか! あんたはもう、二人もの人間をこっち側の世界に引きずりこんだんです。だから自分だけいい子ぶって、人間の立場にいようなんて思わんことです」

「いい子ぶるですって?」

 カチンと来た。でも、怒れなかった。老人の言うことは間違っていない。目の前で人目も憚らずおいおいと泣き崩れる男性を見ていると、僕の胸にもドス黒い痛みがしみてくる。そうなのだ。僕が引き込んでしまったのだ、この人の娘を。

 ――しかし、僕だって好きでこうなったわけではない。そう叫びたくても叫べぬのは、胸をふさぐ罪悪感のためなのか。

「万代さん、コイツどうします」

 ウォンの冷たい声に、いささか興奮していた老人もハッと気づいたらしく、ドアがきちんと閉ざされていることを確認してウォンに向き直った。

「そうですね。あなた……ええと、ニュースでは下野祐輔さんと出てましたね。祐輔さん。一つ質問に答えてください。そうしてくれたら娘さんに会わせてあげますよ」

「ほ、本当ですか」

 男は顔を上げた。涙まみれで、口からは食べかけのゴルフボールと涎が零れている。

「何でもお答えします。けれどその間に、娘に会わせてください。娘はここにいるんですね」

「質問はこっちが先です。いいですか。あなたは何故、ここに娘がいると知ったんです。誰かに教えられたんですか」

「言われました。ここにいると聞いたんです。さあ、娘に会わせてください」

「まだです。誰に教えられたのか、そこまで答えなさい。出来ればそいつがどうやってこの場所を知ったのかも教えて欲しいんですがねえ……」

「娘はここにいるんですか」

「しつこいですね。いますよ。すぐに会わせてあげるから答えろと言っているんです」

 老人が珍しく荒い声をあげた一方、男は急に静かになった。

「そうですか。やはり娘はここにいるんですね。あの奥のドアの向こうですか。あのドアも頑丈そうですね」

「そうですそうです。だから早く答えなさいよ。出なければあのドアを開けてやれませんよ」

「わかりました。なら娘は安全ですね」

 男は急に立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。またゴルフボールを出すのかと思いきや、取り出したのはゴツゴツとした楕円形のものだった。

 手榴弾だ。

「あんた!」

「死ねっ化物!」

「おい馬鹿、やめろ!」

 止める間もなくピンを抜き、天井近く放り投げた。くるくる回る手榴弾。もう間がない。老人とウォンがテーブルの下に隠れた。

 僕は跳んだ。ピンのない手榴弾もまぁまぁ丸い。爆発する前に食ってやる。たまっころはボールに対しては無敵。きっと食える。

 ジャンプの狙いも正確で、口の中に牙が生える。いける。もうすぐ届く。

 もうちょっと――。

 轟音。

 それから火が見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る