エピローグ


 ペットは家族とは、よく言ったもので私自身、娘が2人増えたような感覚に陥る時がある。人間よりもよく見ているというべきなのか、透明で真っ直ぐとした表情のある視線を送る彼らが愛らしくて仕方ない。


 正直なところ、犯人は分かっている。私もあの人も、よく分かっている。本人たちは上手く騙せているつもりだろうけど。


 親が子の悪事を見抜けないと思っていること自体が子供としか思えない。


 少し物思いに耽りつつ、生活を堕落させている根源を片付け始める。机に手をかけると、ふと足元に擦り寄る温かい物に気づく。


「なにー? ユキはコタツ好きだものね。でもね、これあるとお母さん仕事できないのよ、ごめんね」


 不服そうにしてはいていたものの、私が声をかけると諦めたようにホットカーペットへ背中を擦り付けて暖を取っている。

 不思議なもので、ユキは私の言葉が分かっているのではないかと思う時がある。そっとユキの背中に膝が当たるように、隣に座ってみる。


「もしかして、ユキは全部知っているの?」

 ユキは寝ころんだまま顔だけこちらに向けて、じっと私の目を見つめる。少しばかり見つめ合ったら、ユキの方から目を背け、再び腕の上へと顔を戻した。


「あの感染症ね、日本では30例くらい人への症例があるみたいよ。でもね、感染した猫を触っても手を洗ってうがいすれば、人間は感染しないらしいの。お婆ちゃんは、手洗いもうがいも1人じゃできないものね……」


 なんとなくユキと事件の話をしたくなって声をかける。やはり分かっているのか、ゆっくりと起き上がり、背伸びをしてから膝の上へちょこんと座りなおす。


 自然と見つめ合う形になる。話の続きをしてほしいのか……こちらをじっと見つめる。


「お婆ちゃんが風邪って診断される前日に、雅人がね、布団クリーニングの割引券を持ってきたの。スーツ出したら貰ったから、婆ちゃんの布団をクリーニングに出しておくってね。その時は気にも留めなかったの。でもね、その券、減らずに机の上にまだあるのよ」


 ユキは何故か、一切目を逸らさずにこちらを見ている。

「まあ、新しく貰っただけなのかもしれないけど……ただね。クリーニングから持って帰ってきた布団ね。元々うちにあった物じゃなくなっていたの」


 自然と大きなため息が出る。それでよく気づかないと思えたものだわ。自分の息子なのだけれど。


「確かに模様も生地も同じ物だったけどね。あれはね、納屋においておいた来客用の布団なのよ。最近洗ったばかりの。じゃあ納屋においてある布団がなくなってあるわけでしょ……当然気づくわよ」


「まあ、私もユキもどうすることもしないし、出来ないんだけどね」


 ユキは先程とは異なり、首をかしげ不思議そうな顔でこちらを見ている。

「何が気になるの? 言ってくれないと……」


 言いかけて分かった。この子はお婆ちゃんに会ったことすらないのだ。何があったのかすら知らないだろう。


「お婆ちゃんね、子供が嫌いなのよ。変な話でしょ? 自分は2人も産んでいるのにね……」


 初めて嫁いできた時に言われたことを思いだす。元気だった義母は、神妙な顔で「子供を視界に入れたくない」といったのだ。


「お婆ちゃんはとにかく子供が嫌いだった。だから、子供が出来ても顔を見たくないと言ったの。実際、剛士義兄さんもお父さんも子供の頃は冷たくされていた時期もあったらしいわ。変な話だけど、子供を産んでから子供が嫌いになったみたい」


 今同じことをすれば育児放棄やら虐待やらで騒がれるかもしれない。それでも私が結婚した人は、それを気にしている様子は一切なかった。だからこそ……私も甘かったのかもしれない。


「でもね、お婆ちゃんが病気になって剛士兄さんの所と私の所で交代で面倒を見ることになったの。まあ、その時子供達はみんな5.6歳よ。そう、お婆ちゃんの嫌いな子供が家に来るしかないってわけ」


 今となっては誰かに預けたりすれば良かったと思うけれど。


「そしたらね、私が見てない間にやんちゃした子供達に手をあげたり、酷いことを言っていたの。そして事件が起こったの……」


 今でも忘れない。1月の寒い日だった。

「私とお父さんは両方仕事で、学校が休みになった日があったの。子供達だけで家に居させるのは不安だったけど、剛士義兄さんが家でいるっていうから任せたの。だって義兄さんだって子供達とお婆ちゃんだけにさせる危険性は分かっているはずと思ったからね」


 話しながら数回目の大きな溜息が出る。もう20年近く前の話だっていうのにね。

「でもそれがいけなかった。剛士義兄さんはお昼ご飯を準備した後、子供達4人が遊びに行くっていうから、自分も外へ遊びに出たの。4人はバラバラに分かれて友達の家に行ったわ。そして14時ごろ忘れ物を取りに由美だけ戻ってきたの。お婆ちゃんは、薬の効きはじめでイライラしていたから大したことない事で由美を怒鳴りあげ、しまいには納屋に閉じ込めてしまったの」


 私が足を組みかえようとしているのが分かってなのか、膝からユキは一旦降りる。もう一度、膝に乗ってきて丸くなる。コタツよりも温かく柔らかい。そっとなでてやると、ユキは話の続きをせがむように、尻尾をパタパタと膝に振りつける。


「はいはい。それでね、そのまま17時半に皆が戻ってきて大騒ぎよ。友達の家に電話をかけたりしたわ。私も連絡を貰って探したもの。てっきり帰ってきてないものだと思っていたから、外ばかり探していたわ」


「そうしたら、千菜美が由美の靴が玄関にあるって言い出したから、もしかしてと思ってお婆ちゃんを問い詰めたわ。すぐに教えてくれたけどね。流石の啓子さんも激怒だったわ。真冬の納屋に、4時間近く居たのよ……体は何ともなかったけど、子供達とお婆ちゃんとの関係はどんどん冷え込んだわ」


「みんなが高校にあがる前にお婆ちゃんが体の自由が利かなくなるんだけど、それまでは酷い仕打ちを受けていたかもしれないわ。特に由美はドジが多いからその分、お婆ちゃんから1人いじめられたみたいなものね」

 

 何度も止めたし、何度も庇っていたけれど、それも私が見ていない所ではどうだったか……子供達には本当に申し訳ない気持ちになる。だからこそ、彼らを責める側には回れない。親達全員に責任があるのだから……。


「そうやって恨みが蓄積していったの。植えつけられた恐怖心や嫌悪感は大人になっても拭えなかったのよ。私も悪いのだけれど」


 この話を誰かにするとは思いもよらなかった。話している方が憂鬱になる話だ。

 ユキは、私の気を汲んだのか、そっと擦り寄ってくる。


「ありがとうね……さて、これで話は終わりよ。ユキは何かするの?」

 そっと膝の上から降りて、急に歩き出す。メイのように軽快に歩かないのは歳のせいなのか、性格なのか……。


 先日まで上がったことのなかった階段を1段ずつ上っていく。ゆっくりと後ろからついていく。階段を上ったこともなかったユキが2階へ上がろうとしているのを見ていると、愛らしい。


「どこへ行くの? 上にはもう誰もいないわよ」

 最後の1段を上り終え、2階につくと、もう誰も使わないであろう介護ベットの上へユキは飛び乗る。


 そのままごろんと横になると、ちらりと私の方をみる。誘っているのだろうか。

 誘われるままに横になり、天井を見る。特に嫌な感じはしない。亡くなったとはいえ、義理の母が使っていたベットだからか。私には恨むほどの矛先は向けられなかったからか。


 ユキはお婆ちゃんの枕の位置あたりで何度かごろんごろんと転がっている。大の猫好きだったお婆ちゃん……野良猫を連れてこられて最後に触れて良かっただろうか。ユキとメイを下で飼っている事を知っていたから、降りたかっただろうか。


 少し昼寝をしたら、メイも連れて来よう。最後は認知症も混ざって病気で苦しんで亡くなったお婆ちゃんもきっと猫ともっと触れあいたかったに違いない。


 子供嫌いで子供にだけ暴力的だったが、大人になった子供達への当たりは優しかった。

 4人が恨むなら、せめて私達だけは正しく弔ってあげなければ。


 顔だけユキの方へ向けると、いつも以上に優しい目でこちらを見つめ返していた。

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猫しか知らない犯罪 豆腐 @tofu_nato

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