第22話「壁の向こうへ」

 銀鹿騎士団特別派兵部隊は穏やかな農村を横に見ながら、なだらかな丘陵の縁をなぞるように進んでいた。


 フサール王国内を通る際には行軍を邪魔立てするような無謀な盗賊集団もおらず、入国したトーライ王国北側でもそれは同じだった。


 脅威となるモグリスタ共和国軍は、と言うと。戦線は一度、トーライ王国中部まで進んだ後、フサール王国の援軍もあってか再び南部の山脈麓まで押し戻されていた。


 そのため、ここでも敵兵の影はなく。補給も滞りなくトーライ王国から受けとり、行軍は順調であった。


 そのままダークウッドの森に入ると、進軍はやや遅れる。それは単純にうっそうとした森のせいで荷馬車が苦労しただけであった。


 荷馬車を操るのは兵士ではなく、従軍作業員だ。従軍作業員は兵士二千名に対して三百人。補充したロクスレイの護衛三十人に比べれば十倍の人数だ。


 銀鹿騎士団特別派兵部隊は森の中をのたうつ蛇のようにして、ダークウッドの森を突き進んだ。


 そんな風にやっとダークウッドの森を抜けても、更に闇のように濃い緑が続いている。


 そのうえ、鞣革山脈を登山しなければならないのだ。勾配が少ないよう、山脈の尾根を追って徐々に昇っていくものの。足場で塵積もった落ち葉が撫でられたようにしっとりとしており。荷馬車だけではなく熟練の兵士でさえ足をとられ、行軍は難航した。


 そうして山脈の尾根が低い場所を選んで登っても、疲労は大きい。そのため、派兵部隊は一時的に休息をとることにしたのであった。


「もう山脈の尾根を越えたかしら」


「さっぱりだな。だがここら辺の地形には見覚えがある。どうやら壁の向こうにはたどり着けたようだな」


 ロクスレイ達は休息のため焚火を囲み、トマメのスープを温めて食事にありついていた。


 トマメのスープは豆のトマト煮のように、ほくほくな豆と絶妙な酸味と甘みが絡んだトマトがとろけこんでいる。それに固いライムギの黒パンを漬け込んで柔らかくしてから、皆食事に噛みついていた。


 特にメイの食欲はすごい。周りの兵士の二倍は黒パンを平らげ、木の器に残ったトマメのスープを余すことなくぬぐい取っている。


 おそらくそれは成長期のためであろう。それともこの厳しい道なりのせいだろうか。どちらにしろ小柄なメイにとって辛い行軍は、彼女の体力を多く消耗させたのであった。


 小休止にも構わず。メイは食事を終えると荷馬車の空いた場所に陣取り、小鳥のさえずりのような寝息を立て、眠ってしまった。


 ロクスレイは寝ているメイに毛布を掛けると、休憩を終えて動き出した。


「私は他の小隊長と共に行軍予定について話すわ。この深い森だもの。方向を見失えば致命的だわ。ロクスレイもどう?」


「私は斥候に出ます。ミラーもウィルも先に行ってしまいましたからね。トーマスはどうします?」


 トーマスに話題を振ると、ちょうど準備体操をして行く気はあるようだった。


「俺は北西方向に行く。ロクスレイは西方向を任せていいか?」


「構いませんよ。ただし派兵部隊が出発するまでには必ず戻ってくださいよ」


 三人はそうして、それぞれ行動に移す。ロクスレイは言われた通り、木々を掻き分けて西に真っすぐ進んでいった。


 そんな時、ロクスレイの視界が急に晴れた。


「おっと」


 崖だ。地盤が泥状に柔らかく、近づくと、行き止まりの突端が僅かに崩れて真下の川に吸い込まれていく。


 ロクスレイは冷や汗をかきながら、開けたその場所で遠方を望む。目線の先にはまだまだ続く樹海と村のような集落が見える。どうやらこのまま西に行ければ、たどり着けるようだ。


 しかし、このまま直行することはできない。どこか回り道を探さねばならない。


 ロクスレイは一度来た道を引き返し、南に歩みを向ける。北西にはトーマスが向かっているので、南西を見て回ることにしたのだ。


 ロクスレイは深い緑色の絨毯に視線を阻まれながらも進む。するとそれは突然現れた。


 近くで小枝を折る音、湿気の含んだ葉っぱを踏む音が前方から聞こえたかと思えば、そこには人がいた。


 木の陰に隠れて発見が遅れたのだ。目の前に現れたのはクサビ帷子の上から、青く塗られた胸甲を着た、つばの広いヘルメットを被った兵士だった。


 その特徴的な格好は銀鹿騎士団の装備ではない、モグリスタ共和国の者だ。


 しかも兵士は一人ではない。


「敵しゅ……!」


 ロクスレイが叫び終わるのを待たずに、最前列にいたモグリスタ共和国の兵士がロクスレイに斬りかかってきたのだった。




 袈裟に振られた斬撃を、ロクスレイは寝転ぶように後ろへ跳び、回避した。


 その際に弓のカラクリを、背負っていた箱から取り出す。地面の上に寝転がる中、自動的に組みあがったカラクリを構えた。


 寝たまま弓を引き、前方にいた敵兵士の一人を矢で穿つ。それでも、まだ後続がいる。


「これは、まずいですね」


 ロクスレイは起き上がる暇さえない。仰向けのまま、箱から出した矢筒を腹の上に乗せ。その格好のまま、敵を迎撃する。


弓から放たれた矢は、神速のごとく敵兵士を射抜いていく。それでも、敵の殺到を食い止めることはできない。


 ロクスレイは一か八か横に転がる。敵兵士の槍や剣が地面を刺し、ローリングするロクスレイを追い続ける。


 幸い、ロクスレイは手短な木の幹を掴み。回転の慣性を乗せて立ち上がった。


「敵襲! 敵襲!!」


 ロクスレイは叫び、味方の野営に向かって横向きに走りながら、矢を投じる。


 一人、二人、三人、と敵兵士は前方にもんどり打ちながら倒れていく。しかし敵の血気は衰えず、時折木々を陰にしながらロクスレイを追う。


 ついにはロクスレイへ武器が届くほど追いすがり、敵兵士の剣先槍先が空気を裂く。


 ロクスレイは堪らず、距離を離すため下がり続けた。


 そうしていると、急に浮遊感を感じた。


「しまっ――」


 ロクスレイは不注意にも崖の先に身を躍らせてしまった。


 目の前の森が急速に上へスライドし、視界が褐色の壁に切り替わる。


 ロクスレイはありもしない地面を蹴ろうと足をもがきながら、矢筒に手を伸ばした。


「こ、のっ」


 ロクスレイは特製の矢の一本を引き抜くと、矢の柄を撫でる。そこには強化と硬化の加護が刻まれており、矢はホタル火のように光った。


 それからすぐに特製の矢を素早く上方向へ射かける。飛んでいく矢は矢羽根に風を受けて回転し、土の壁を貫いた。


 ロクスレイが放ったこの矢は鉄製の太い矢であった。更に矢には馬尾の毛で幾重にも編み込まれた、丈夫で細い縄が付いていた。そして、その縄の先はロクスレイの腕に結ばれている。


 ロクスレイは縄を手繰り寄せ、土の壁に足を引っかけて踏ん張る。縄の先の矢は限界までたわむが、折れることなくロクスレイの身体を支えた。


「たす、かりました……」


 ロクスレイは宙づりになりながら、安堵する。さて、これからどうすべきか。とロクスレイが考えていると、上からパラパラと土が降ってきた。


 崖の壁は大して固くない。泥が渇いて簡単に砕けるような、もろい土だ。それが、ロクスレイ一人を支える強度であろうはずがない。


 矢は刺さっていた周りの土ごと外れてしまい。ロクスレイは支えを失くし、再び崖の下へ落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る