第23話「ミミ族」

「運が良かったですね。本当に」


 ロクスレイは崖から落ちたものの、下を流れていた川によって衝撃が殺され、何とか生き延びていた。


 ただし川に流されて一部の装備を紛失した上に、崖の下からずいぶん離れてしまった。これでは他の者達がロクスレイを見つけるのは難しそうだ。


 ロクスレイは川岸で焚火をして、衣服や装備を乾かしていた。


 時間はかけられないため、ロクスレイは生乾きの服に袖を通す。湿った上着は川の寒さを思い出させ、ロクスレイに身震いをさせた。


 一折準備が終わると、ロクスレイは出発することにした。


 行き違いが起こるかもしれないので、崖の上に戻るのはやめることにした。そのため、もう一つの方法に頼ることにする。


 それはミミ族の集落と思しき場所を目指すことだ。


 このまま派兵部隊が西を進むのなら、集落の部族と接触しないわけがない。ロクスレイは集落で派兵部隊の報を待つため、そこへ訪れることにした。


 問題は、ロクスレイの訪問を集落の部族達が歓迎してくれるかどうかだ。


 場合によっては開口する間もなく捕まり、火に焙られて食べられてしまうかもしれない。できれば、ミミ族と言う部族が友好的であることを祈るしかない。


 ロクスレイは集落のある方向、南に流されたのを考えて北西へ向かって、進む。


 道中派兵部隊に出会わないかという微かな希望と、モグリスタ共和国の兵士に出会わないかという恐怖が渦巻き、ロクスレイは身も心も縮こまる思いだった。


 それでも今は一歩ずつ、前に進むしかない。


 しばらく進んでいると、ロクスレイは鼻をくすぐる焦げ臭さを感じた。


「集落が近いのですか。しかし、この臭いの強さは……」


 ロクスレイは嫌な予感を胸中に、先を急ぐ。


 さらに進めば、僅かに見える空が黒煙に染まり、遠くから人々の悲鳴が聞こえてきた。


「集落が襲われているのですか?」


 ロクスレイは見えてきた集落の影に気付き、集落の外の藪に隠れて様子をうかがう。


 藪の中から見えた光景は、やはりロクスレイが思い描いた陰惨な状況だった。


 姿格好から襲撃しているのはモグリスタ共和国軍、そして襲われているのはミミ族と思わしき獣人だった。


 獣人の多くは、長い耳に全身が毛むくじゃら。身体はメイよりも小さく、動物にしては大きい。くりくりの大きく赤い眼は瞼から零れる大粒の涙で濡れている。


 その見た目からして、知識がないロクスレイでもウサギを想起した。おそらくウサミミという部類に入る獣人なのだろう。


 一方的に殺戮されるウサミミの傍ら、モグリスタ共和国の兵士は物資を収奪している。どうやら軍としての目的は、物資の調達らしい。


 それだけならミミ族を虐殺する必要はないが、血の気の多い兵士の事だ。特に軍規がゆるいと、勝手な略奪や地元民への暴力が横行する。そのうえ、相手は人とは言い難い獣人だ。兵士達のタガを外すのに、人種の違いは十分すぎる理由だ。


 ロクスレイはただその光景を見ながら、隠れていた。ミミ族への横暴は確かに見過ごせないとはいえ、今は一人だ。戦力が違いすぎる。


 ロクスレイは悔しさに歯ぎしりをしていると、隠れている草むらに向かって誰かが走ってきた。


 それはウサミミの子供のようだった。


 ウサミミと隠れていたロクスレイと目が合う。その途端、ウサミミの子供は石に躓き倒れてしまった。


 倒れたウサミミの子供にモグリスタ共和国の兵士が気づく。兵士は槍を片手に持ち、ウサミミの子供のとどめを刺そうと近づいてくる。


 ウサミミの子供は涙ながらにロクスレイへ助けを求める視線を送った。


 その時、ロクスレイはメイと初めて出会った時の心象が頭をよぎった。


「私は私を救えない。お前には私を助けたいという想いと。助ける力はあるか?」


 絶望の中で自分を悲観しながら、心までは折れない力強い言葉を、メイは言った。


 あの時はすぐにメイを助ける力はなかった。だが今はどうだろうか。


 少なくとも弓は上達した。剣も扱えるようになった。外交の心得も軍事の心得も学んだ。


 何より、苦しんでいる相手を助けたいという想いはメイとの出会いの時よりも、ずっと強くなっていた。


「知りませんよ。まったく」


 自分に悪態をつきながら、ロクスレイは弓を展開させた。


 まず狙うのは槍を持ってウサミミの子供に近づく奴だ。


 葉と枝が邪魔なので、ロクスレイは身を晒しながら狙いを付ける。


「何だ? お前は――」


 その次に出る言葉の前に、男の喉笛へ矢じりが食い込む。


「森の中へ急ぎない! 早く!!」


 ロクスレイはウサミミの子供に声を掛けながら、集落の中へ侵入する。ついでに兵士の喉に刺さった矢を回収した。


 ロクスレイは身を低くかがめながら、進む。できるだけ見つからず、できるだけ多くの敵兵士を倒し、可能な限り助ける。動き出してしまった以上、立ち止まることは許されない。


 家の角で、ロクスレイは足を止める。壁を背にしてゆっくりと向こう側を覗くと、そこには身を固めあうウサミミの集団がいた。


 どうやら、モグリスタ共和国兵士に集められたらしい。周りを兵士が囲んでいる。


 集めた理由は分からないが、どうせゲスな考えだ。気にすることはない。


 ロクスレイは半身を乗り出して、胸いっぱいに溜めた弦を弾く。射かけられた矢は寸分たがわず敵兵士の右脇腹を貫いた。


 射抜かれた兵士は少しの間もがいた後、倒れた。近くにいた敵兵士は慌てつつも矢の飛んできた方向を向いて、身構えた。


 ロクスレイは小走りで近づきながら、弓を引いて次々と矢を放つ。敵兵士は全員、近接武器を装備している。間合いを完全に詰め寄られない限り、ロクスレイが有利だ。


 四人目を倒した時、他の敵兵士は逃走を回避した。おそらく援軍を呼ぶ気だろうが、今は追撃している余裕はない。


「言葉が通じるなら向こうの森に逃げなさい! 後ろを気にせず走ってください!!」


 身振り手振りが通じたらしい。ウサミミの、おそらく女子供らしき者達がロクスレイにお辞儀をして駆けていく。


 ロクスレイはウサミミ達の最後尾に付く。森までの道は安全確保できたとはいえ、ここにはまだモグリスタ共和国の兵士が大勢いる。守らなければならない。


 案の定、集落の陰から鎧の擦れあう音を響かせて人影が近づいてくる。


 そして確認できたのは、敵兵士の手に投射武器が握られていることだった。


「まずいですね。弩ですか」


 弩は弓に比べて扱いが容易で、熟練の差がなく威力は大きい。矢の装填に時間がかかることを除けば、弓と同程度かそれ以上に危険だ。


 ロクスレイの近くには今、遮蔽物がない。仕方なくロクスレイはその場で身をかがめ、弓を構える。


「矢は残り三本……まったく足りませんね」


 ロクスレイは自嘲気味ににやりと笑いながら、敵兵士を迎え撃った。


 初撃はロクスレイの弓が勝った。


 弩を構えようとした敵兵士の左胸に命中し、昏倒する。それでも、他の兵士達はひるまず冷静に石弓を構えて、一斉に射撃をし返した。


「っ……!」


 ロクスレイは濃い茶色のマントを翻し、一瞬だけ身を隠す。そのおかげで体幹に矢が命中することはなかったが、右足の甲に矢が突き刺さった。


 痛みが全身を駆け巡る。身体が硬直し、倒れそうになる。


 だがロクスレイは気力を振り絞り、続けざまに矢を射かけた。


 「残りは、これですか」


 矢は尽きた。ただし投射する残弾は残っている。それは河原で拾った手ごろな大きさの石だ。野営するついでに厳選して小袋に詰め込んでいたのだ。


 ロクスレイは矢の代わりに石を弦に噛みこませ、同じように飛ばす。石は地面を引っ掻きつつ、敵兵士の脚を砕いた。


 どうやら狙いは正確ではないものの、使えるようだ。


「これなら、まだ――」


 ロクスレイは耳に飛び込んできた別の音に気付く。それは地面を軽快に叩く、蹄の音だ。


 目の前の敵兵士に気を取られて発見が遅れた。左から騎馬兵士がロクスレイに襲い掛かろうとしていた。


 回避は間に合わない。


 ロクスレイは相打ち覚悟で弦を絞った、その時だった。


「ブオオオオオオオオオッ!」


 野獣の遠吠え、ロクスレイにはそうとしか思えない喚声を聞いた。


 ロクスレイを轢き殺そうとしていた騎馬兵士も異音に気付き、突進を止めて立ち止まった。それから敵兵士達は各々村から散り散りに消えていった。


 ロクスレイが安堵するのも束の間、別の脅威が迫ってきた。


 巨漢、そいつはトーマス以上に大きく肥満体型をしていた。肌は薄紅色で目は遠目で見えぬほど小さく、その代わりに巨木の年輪のような鼻が周囲を嗅ぎまわっていた。


 軽装な服を着た、二足歩行の巨大な豚。そうとしか表現できない巨大生物が、これまた巨大な芋虫の騎乗してロクスレイの目の前に現れたのだった。


 それも、一匹や二匹ではない。


「これは、流石に無理ですね」


 ロクスレイが異形の豚に囲まれて、生贄のように注目を浴びる。これは、逃げ切れそうにない。


 そうこうしていると、腹に傷がある一匹の異形の豚が前に進み出てきた。


「お前の活躍、遠くから見えてい、た。村の代表として感謝、だ」


 フゴフゴと鼻詰まりのような声でロクスレイはお礼を言われたのであった。

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