第6話「会議の後で」

 最終的に長い長い回り道をした後、十人会議の結論はほぼ議会の承認で話された内容になった。


 議論を終えると、王は玉座から部屋に戻り、その他の会議出席者もすぐに姿を消してしまった。


 ビックマザーであるソルスはロクスレイと話したがっていたようだが、これから忙しくなるロクスレイを労り、「たまにはダークウッドの森に顔を見せるのじゃよ」と言って西へ帰っていった。


 残されたロクスレイは、正式な辞令を外務大臣のサトクリフ大臣から受け取る手はずになっていたため、しばらくしてからサトクリフ大臣の執務室へ出向いた。


「おお、ロクスレイ君。ちょうどいい。入り給え」


 偶然にも執務室の前でサトクリフ大臣に出くわし、ロクスレイは彼と共に部屋に入った。


 中はノッディンガム宰相ほどでないにしても本棚は多く、小綺麗にされている。自分の肖像画を張るのも忘れず、ノッディンガム宰相に比べれば飾り気のある執務室であった。


 ところで、部屋にはサトクリフ大臣とロクスレイが入る以前に人がいた。それは女性であった。


 女性は騎士団の制服を完璧に着こなし、黒百合の紋章をしたマントを羽織っていた。


「黒百合騎士団……」


 ロクスレイは軽く顔をしかめた。


 何故なら黒百合とは臭いのきつい花である。それと同じく黒百合騎士団は、自分達を泥臭くするのを義務としているような、訓練によく励んでいる乙女の騎士団だ。


 そのくせに、実戦経験が薄く、実際の実務は訓練と傭兵との契約ばかりだと聞いている。そのため世間からは、鼻つまみ者なのにお飾り騎士団だと馬鹿にされている。


 ロクスレイはお飾り騎士団なら、お飾り騎士団らしく美しく咲いていればいいのに、と話を聞くたびにそう思ったものだ。


「ロクスレイ君に紹介しよう。こちらは私の三女の娘、ミリアだ。ミリア・サトクリフ。覚えてやってくれ」


「私はロクスレイ・ダークウッドと申します。第二書記局局長の外交官をしています。よろしくお願いします」


 ミリア・サトクリフは赤い光の混じったブロンドの長髪を揺らし、目は磨いたグロス銀貨のような鋭い輝きを放っている。ロクスレイと同じ薄橙色の肌をしており、なまいきにもロクスレイよりも長身であった。


 ミリアは何か気に食わぬ顔で、ロクスレイを睨んでいた。


「ミリア・サトクリフよ」


 ミリアはそう、短く名乗った。


「ところでな武官のミリアをここに呼んだのは、派遣に対する条件についてなのだよ」


「条件、ですか。確か十人会議でも言っておりましたが」


「そうだ。今回の新世界への派遣。このミリアを本使として第二書記局に配属したい」


「――本当ですか?」


 本使とは実質大使や特使のことを言うため、できる仕事が異なる。本使は外交条約や国家間の契約締結を行う権限を持つのに対し、副使、つまり外交官にはその権限はない。代わりに実際の交渉や雑務の仕事を副使である外交官が行うことが多い。なので本使は外交の顔、副使は実務担当なのだ。


「私が言うのも何だが、サトクリフ家は王族にも近い家柄だ。王やマザー達ほどではないにしても、見知らぬ国家と相対するならば身分の高い者でなければ相手方から拒絶される恐れがある。分かってくれるな」


「……ええ、それは良い判断です。私も賛成です」


「とはいえ、実務の方は局長である君が上だ。ミリアはその特別顧問という形で書記局に配属しようと思う。分かったな。ミリア」


 しかし当人のミリアは不服そうな顔をしている。副使であるロクスレイにとっては条約締結の権限をもつ本使は羨ましい。少しは嬉しそうにしてもらいたいものであった。


「では正式な辞令は追って文面にする。ロクスレイ君は後で会議の辞令と追加の辞令を受け取りに来てくれ。下がっていいぞ、二人とも」


 サトクリフ大臣に言われ、ロクスレイとミリアは同時に執務室を後にした。




 ロクスレイは執務室を出た後、話のきっかけをつかむために、改めてミリアへ挨拶をすることにした。


「これからよろしく頼みますよ。ミリアさん」


 ロクスレイはそう言って、握手を求めた。


「他人行儀でなくていいわ。ミリアと呼んで」


 ミリアは先ほどの不機嫌な顔とは打って変わって、にこやかにロクスレイの手を取った。


 そしてミリアは渾身の力でロクスレイの右手を握りつぶしたのであった。


 ロクスレイは笑いながら顔をしかめた。


「この程度で音を上げるようでは弱い男ね」


 ロクスレイもかなり鍛えているつもりだが、ミリアの握力は相当なものだ。しかしまさか、こんな子供じみた嫌がらせを受けるとは考えてもみなかった。


「……不機嫌なようですが、何か気に障ることを言いましたか?」


 ロクスレイが尋ねると、ミリアは右手の圧を解いて、こっちに来いと手招きをした。


 ロクスレイは手招きをされるまま、ついていくと。十分執務室から離れたところで、ミリアが口を開いた。


「何もかも気に入らないのよ! 弱い男も、なよなよした外務の仕事も、黒百合騎士団を馬鹿にする奴も、全部ね」


 どうやらロクスレイが黒百合騎士団と聞いて渋い顔をしたのは気づかれていたようだ。


「父の命令とはいえ、書記局に配属されるため私は強制的に騎士団から退団させられた。何がもっと世界を知れよ。一生独身でいるつもりがそんなに悪いワケ? どれもこれも私の邪魔ばかりするのね!」


 ロクスレイは何となく理解した。ミリアはただロクスレイに八つ当たりをしているだけなのだ。自分の父に本音をぶつけることもできず、かと言って独り立ちすることもできず、不満たらたらな気持ちをぶつけてきているのだ。


 だからと言ってロクスレイも言われっぱなしになるつもりはない。


「失礼ですが、文官ごときと考えているなら書記局での仕事を舐めすぎですよ。外交官は常に遠方に飛ばされ、何日も馬で走らされる体力勝負なんです。それに情報収集する頭脳と洞察力だけでなく、情報を秘匿し脅しに屈しないための精神力も必要なのです。ミリアのように与えられた任務に難色を示しているような人では、この実務に耐えられるものではないですよ」


 ミリアはむっとして反論しようとするも、ロクスレイは言葉を畳みかける。


「とは言っても、実務は副使である私の仕事です。ミリアは本使として軽い神輿になっていただければ、こちらとしては不都合ありません。御分かりで?」


「な、な、ななな!」


 ミリアはぷるぷると震えて怒り心頭である。このままでは殴りかかられても文句が言えないため、末尾にフォローすることも忘れなかった。


「で、ですが。お互いにまだ実力なんてわかりません。ここで言い合うよりも、まず仕事の中で真価を見せていただきませんか?」


「……そうね。気に食わないけど私も言い過ぎたわ。まず仕事を見てから不平を言うことにするわ」


 意外にも、ミリアはかなり物分かりが良かった。頭の切り替えも早く、そこに鋭敏な知性を感じた。きっと育ちの良さが原因なのだろう。


「黒百合騎士団は実力主義、例え意見が合わぬとも。力ある者が正しいのよ。ここでも、私なりに書記局というものを評価してあげるわ」


「お手柔らかに。マイレディ」


 ロクスレイとミリアはこうして一時和解したのであった。




 ロクスレイは正式に辞令と親書を受け取って王城を出ると、さっそく旅の準備を始めた。


 まずは自分の領地宛てに私信を送るため、手紙を書いた。


 手紙の中には自分の領地の管理についての指示、他にも送金してほしいお金の額や荷物など必要な項目を書き連ねた。金銭については、経費で落ちるにしても財布の中身が空では仕事に支障をきたすのだ。


 外交官というのは非常にお金がかかる仕事だ。旅の支度、必要に応じて交渉相手やその側近へのチップ、手紙を送るために渡す手間賃、見栄えを良くするための宿代や服の代金など、数えればきりがない。


 今も手紙を確実に領地へ届けるために、旅の商人に一レクトーンを払い。手紙を託したのであった。


 更にロクスレイはミリアを連れて酒場に向かった。ミラー達と合流するためだ。


 ロクスレイが酒場の扉を開けると、陽気な声や談笑の洪水が耳に流れ込んできた。昼間だというのに酒の臭いが漂い、ちりちりに焼かれた山羊肉や香ばしい香辛料の臭いが鼻腔をくすぐる。


「昼間から酒場に来たことなんてなかったわ。楽し気な場所ね」


 家柄からこの喧騒に眉をしかめるかと思いきや、ミリアは街角の少女のようにぱっと明るい顔を咲かしていた。まるで見る物全てが新鮮であるかのように、あちこち見回している。


「こちらであります。外交官殿」


 酒場で騎士団の制服を着た女連れというのは目立つ。ミラーはすぐにロクスレイの姿を発見した。


「そちらのお嬢さんは誰ですかい? まさか外交官殿に恋人ができましたでありますか?」


「馬鹿を言わないでください。仕事中ですよ。まずは報告を」


 ロクスレイはミラーを急かして喋らせた。


 ロクスレイ達が集めたのはほとんど噂話であったが、複数の証言から東も絶理の壁が消失していることが確認できた。また、噂では南の絶理の壁消失は見られていないらしい。


 他にも真実の有無が怪しい、怪物の話、亜人の話も加わり、どの情報を取捨選択するかロクスレイはしっかりと判別して情報を吸収していった。


「よし、では私たちはこれから西のシラテミス王国を通って新しい地へ赴きます。護衛の人たちは準備をお願いします」


 ロクスレイは護衛達に二レクトーン金貨とグロス銀貨を少々手渡し、その間につかの間の休息を取ろうとした。


「あ、ロックの兄貴。兄貴じゃないっすか」


 そんな時に声を掛けてくる人物がいた。ロクスレイがそちらを見ると、見慣れたボサボサの黒髪が目に入った。


「ミラーの旦那も一緒なんすね。兄貴、飲み代の代金を立て替えてくれないっすか。お、そちらのお嬢さんはべっびんだね」


 男は左目を布で覆った隻眼。残りの目は茶色で、ロクスレイやミリアと同じ薄橙色の肌をしている。背はミリアよりも長身で、いつも口にくわえている枝は依存性のあるものだ。


「久しぶりですね。ウィル、こちらの女性はミリア・サトクリフです。ミリア、こちらはウィル・ダークウッド。私と同郷の部下です」


「へー、サトクリフ大臣のとこの。そいつは良いとこのお嬢さんじゃないっすか。兄貴もいい女を掴みましたね」


 ウィルがそうおどけていると、ミリアは心底嫌そうな顔で反論した。


「私はロクスレイと先ほどあったばかりなの。恋人でも何でもないわ」


「そうっすか。それは良いことを聞いた。ところでそのお嬢さんがどうして兄貴と一緒なんですか」


 ロクスレイは今日付けでミリアが書記局の特別顧問になることを伝えた。それとミリアが正使となり、ロクスレイ自身は副使に回ることを、隠すことなく話した。


「ってことはロックの兄貴は引き続き裏方ですか。俺達と一緒っすね」


 ウィルはそれを聞いて何故だか嬉しそうにしていた。


「格式さえあれば、別に誰が外交の表舞台に立ってもいいのですよ。それよりもウィルは先月から西の担当だったはずですよね。何かいい情報は持ってるんですか?」


「あたぼうですよ! 新鮮な情報、仕入れてますぜ」


 ウィルはそう言うと、懐から金貨と銀貨を取り出した。それはテムール大陸で出回っている貨幣ではなかった。


「ここにはないですがテールラント大金貨ってのもありまして、それでこちらがムナル小金貨っす。それで銀貨はマラクーダ銀貨。向こうのターリア大陸ではこの金貨と銀貨が流通しているようっすね」


 ウィルによると、大金貨は小金貨の六倍、小金貨は銀貨の十倍となっているそうだ。銀貨一枚がどれくらいかと言えば、酒を三杯頼んで豪華な食事がとれるほどあるらしい。


「となると銅貨もあるのですね」


「あったりー。しかし手に入りませんでしてね。ただ銀貨はボロス銅貨の六倍って聞きましたぜ。参考になるといいですが」


「十分です。仕事をしましたね。ウィル」


「兄貴のお役に立てて光栄っす。しかし話はまだ終わらない。これを見るっす」


 ウィルは懐から紙切れを出した。その紙にはテムールの世界にそっくりな、それでいて別の地形が描かれていた。


「まさか! もう向こう側の地図を手に入れたのですか?」


「ご明察。ついでにテムール大陸と隣接している部分も大まかに描いたっす」


 地図を見ると、シラテミス王国の西にタルーゴという共和国があり、更に西には最も大きな大国、アルマータ帝国というのが存在する。大きさからして西の大陸の大国とはここだろう。


 その二国は三日月のような山脈の内側にある。そして、他にもところどころに国があるようだ。


「やはりシラテミス王国と接していましたか。それにしてもこの山脈、鞣革山脈と接続してますね」


「どうもそうらしいです。流石に山越えまでしませんでしたが、この通りタルーゴ共和国の中で貨幣と地図を仕入れてきたっす。どうですか、やるでしょう」


「お手柄です。飲み代分以上の仕事をしましたね」


「いやー、俺ってすごいっすね。そこのお嬢さんもほめてほめて」


 ウィルが調子よくそんなことを言っていると、ミリアはウィルの胸ぐらをつかんだ。


「私の名前はミリアと言うの。さっきからお嬢さんお嬢さんとばかり呼んで、失礼と言うものをしらないのかしら!」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。ミラーの旦那だって、お嬢さんって呼んでたじゃないっすか」


 当のミラーは今、ロクスレイの陰にこそこそと隠れている。


「言い訳は無し! このお酒は私がもらうわ」


 ミリアは怒りに任せてか、ウィルの持っていたジョッキを奪う。すると、ミリアはジョッキを抱えて、中身の麦酒をぐびぐびと一気に喉へ流し込み始めたのだ。


 その飲みっぷりは、周囲の客も唖然として見物するほどであった。


「っぷはあああ。たまにはお酒もいいものね。嫌なことが全て吹き飛、ゲフッ」


「あら、お下品っすね」


 ウィルがそう茶化すと、ミリアはジョッキをドンと酒場のカウンターに置き、ウィルを睨みつけたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る