第七章

第七章

「どうして?」

と、蘭はマーシーに尋ねる。

「どうしていけないんだ。僕がしている事にどこか間違いがあるというのかい?水穂を何とかして良い方向に連れ戻そうとするのが、どうしていけないんだ。どうしてそれが余計なおせっかいになるんだよ。」

「よく考えてみろよ、蘭。」

と、マーシーは答えた。

「右城君がこれまでされてきた人種差別を考えてみろ。蘭がしていることは、その人種差別のある世界に連れ戻そうという事だ。ほら、僕らも知っているじゃないか。右城君が一人で学校に残って勉強したり、ひたすらにピアノを弾いて、指が折れそうになるまで練習したり。あれは家が貧しいから、二度と人生をやり直すことは出来ないという事を知っているからだったんだぜ。蘭は、それをもう一回痩せようとすることになるんだよ。それでは可哀そうだろ。」

「そんな事、止めるように呼びかければ、周りの人だって、少し考慮してくれるのではないか?そういう過去があって、そういう生き方をしてきた人間だって分かれば、少し周りの人も考えてくれるのではないかな。」

急いで蘭が反論する。

「蘭は期待しすぎだよ。」

と、マーシーは言った。

「それではいけないさ、さっき言った通り、みんな自分の事しかみない時代なんだから、他人の事なんて見ることはしないよ。それに、蘭。もう一回いうが、特別扱いすることこそ、究極の人種差別だぞ。そう思わないか?」

「究極の、、、。」

そういわれて蘭は思わず言葉に詰まってしまう。

究極の人種差別。

そんなこと言われたって、、、。

「理論的に言ったら、右城君という人は、日本から脱出でもしない限り、しあわせはつかめないよ。其れははっきりしている。だから、そのままにして置くのが一番楽な方法な訳。其れに、何処が悪いの?」

「ああ、免疫の異常なんだって。混合結合病とか言う、特殊な病気にかかってしまっているらしい。」

マーシーに聞かれて、蘭は、とりあえずそう答える。正確な名前を言えなくて、蘭はちょっと恥ずかしい気持になった。

「なるほどね。」

と、マーシーは腕組をした。

「僕、その病気の人に会った事あるよ。うちの教室の生徒さんの親御さんだった。あれ、膠原病を合わせても、一割程度の人しかかからないというが、かかってしまうと本当に重篤になるんだよな。中には、安楽死を希望するほどだそうだ。そりゃそうだろう、体も動かなくなって、家族に迷惑をかけることも多いからな。その前にっていう人多いらしいよ。」

「で、結局、その人はどうなったんだ?日本では安楽死は違法だぜ。だから家族に見守られて、」

「ぜんぜん違うよ。その病気であると宣告されて暫くしてから、自殺したよ。もともと膠原病でかなり家族から文句を言われていたらしいんだ。だから、それ以上酷くなって、娘さんたちに迷惑は掛けられないから、それでもう自殺してしまった。でも、娘さんたちは、それでよかったのだと言っている。僕も話を聞いて、ちょっと残酷すぎる話だなと思ったが、其れは今の時代であれば、止むを得ないなと思い直した。今時家族に見守られて死ぬなんて、あり得ない話だよ。其れよりも、迷惑をかけないように、自分で処理をしておく方が正しいんじゃないかな。」

「それで良いって、、、。嘘だろ。そんなの。」

と、蘭は、また涙をこぼした。

「やっぱり人が死ぬってことは悲しくないのかい?」

「そうかなあ。」

と、マーシーは言った。

「むかしはそうだったかもしれないが、今は違うと思うよ。代理の人だって金を出せばいくらでも出来る時代だから。それに、蘭が言った、その病気、さっきの人が自殺した理由を考えなよ。全身の免疫がおかしくなって、自身の内臓を破壊することによって起こると言われているが、それを、ストップさせる薬は今は何もないんだよ。出来る事は対症療法だけ。それで、持ちこたえるなんて無理な話だ。それに、生きていられたとしても、体が動かない訳だから、何もすることはないし、いるだけの存在にしかなれないんだよ。それでは一番いけないの、蘭もわかるだろ?ほら、働かざるもの食うべからずという言葉だってあるんだし。生きているだけで何もしない人の相手をするのはどんなにたいへんか。むかしだったら、まだ、そういう人を見ている余裕はあったかもしれないが、今は、そんな所に手を出せるほど、余裕のある人は、誰もいないから。」

「そうか、、、。今の人は、自分をどうのこうのというよりも、先ず、誰にも迷惑を掛けずに生きていくことを考えるのか。」

「そうだよ。それほど面倒なことはないだろ。他人と関わることほど。そのためにスマートフォンとかあるんだろ。面倒な口頭の会話をなくすためにさ。」

「そうか、、、。」

ずいぶん寂しい世のなかになってしまったものだ。こういう世の中だから、誰かと積極的に関わろうというのが無理な話になってしまうのも、よくわかる。そういう分けだから、障碍のある人とか、病気の人たちは、隔離させた生活を強いられることになる。

「だから、右城君の事はもう諦めてさ、蘭はもうちょっと、自分の生活を充実させろよ。それをしたほうが、もうちょっと、楽になれるのではないかと思うぞ。」

しまいにはそんな、もらいたくないアドバイスまで貰って、蘭は大きなため息をついた。

「自分の生活が充実してしまえば、他人の事を比べる必要がなくなるよ。」

「だけど、この気持ちはどうするんだ。もう心配でならないというこの気持ち。」

と、思い切ってマーシーに本音をぶつけてしまう蘭だった。

「其れはわからない。正直言うと、僕もそこまでは。其れは蘭が自分で処理しなよ。」

「へん!」

マーシーの答えに蘭は強く言った。

「どうせ、お前も、そうなんだな。偉そうな事ばっかり言って、具体的な事を求めればそういう事をして自分で解決しろという。そういうのってかっこつけているようにみえて、ただの偽善者じゃないのかよ。さっきまであんなに偉そうなことをいっていた奴が、いざ、具体的な事を聞けば、自分で考えろと言って、逃げる!僕はそういうのが一番嫌いだ。どうせ答えがわからないなら、、はじめっから変な解説はするなよな!」

「違うよ蘭。人によってやり方は違うから、一概にこうしろとか言えないんだ。それだけの話だよ。」

マーシーはそういったが、蘭はもう怒りの塊で、どうしようもなくなっていた。

「出てけ!お前の変な偽善に満ちた話はもう聞きたくない!」

「わかったよ。」

マーシーは椅子からしずかに立ち上がった。

「お前も、少しばかり頑固になったな。お母さんそっくりだ。」

そういってマーシーは玄関の方へ向かって歩いていく。蘭は、その姿を見送ろうともしなかった。マーシーが玄関を出ると、蘭は、土間中に、塩をばらまいた。

その後、蘭は、いつも通りに刺青師の仕事をして、いろんな事に悩んでいるお客さんの相手をして過ごしたのだが、どこか空虚感を感じずにはいられなかった。なぜかだいじなものを無くしてしまったような、そんな気がした。

その数日後。

蘭がよくやっているSNSに、友達リクエストが二件入っていた。蘭は、こういうSNSを余り重要視していなかった。どっちにしろSNS何て、現実の人間関係に比べると、はるかに軽いもので、すぐに関係も終わりになってしまい、親友なんて出来る筈もないと蘭は思い込んでいた。だから、特に抵抗感なく承認はするが、どうせ重い関係にはならない、すぐに終わってしまうんだろう。と、いう思いから、リクエストを承認した。

すると、リクエストをくれた田村という男性から、メッセージがすぐにやってきた。一体何だと蘭はあらためてパソコンを見る。

「承認していただきまして、ありがとうございました。本当に、ありがとうございます。私は、東京都に住んでいます、田村と申します。今は、日雇いの仕事をしています。会社が倒産して、何処にも雇ってくれる場所がなくて、しかたなく、日雇いの仕事をして生活をするしかなくて。今は、ピアノでと言っても電子ピアノですが、それでしずかにバロックのようなそういう曲を弾くことが、唯一の楽しみです。」

なるほど、世のなかにはこんな不幸な人もいるものか。もはや就職して、そのままずっと同じ会社という神話は、何処にもなくなってしまったのだ。

「そうなんですか。でも楽しみがあっていいじゃないですか。それを楽しみに生きていけば。」

と、蘭は、パソコンにそれを打ち込んだ。すると、こんなメッセージが返ってきた。

「いいえ、日雇い人夫が、ピアノというものをやって何をやっているんだと、馬鹿にされることが多いです。でも、僕はどうしても、ピアノがすきで、おかしなことに、それなしでは居られないのです。一時は、ピアノを一生懸命やりすぎて、音楽学校を目指すんだ何て事を言ったことがありました。それに向かって一生懸命練習したこともありましたが、下層市民に音楽何てやっては行けません。僕は、それによって、学歴という必要な物を失い、大手の企業に就職できなかったのです。まあ、自業自得ですよね。やっぱり、下層市民にとって、何が重要なのかを一番に考えないと。だから、それをまちがえたから、日雇いの仕事しか与えられていないんです。其れしか、ないんです。人生、間違えたら二度と、やり直しなんか出来ませんね。」

そうか。人生まちがえたか。其れは、難儀なと思うのだが、こういう時現実の人間関係であれば、蘭はそういう人の背中にお守りの吉祥文様でも入れてやったものだ。でも、インターネットではここは出来ない。それが何よりも悲しかった。

「そうですか、其れはかなりお辛いですね。僕は何も出来ないけれど、お話を聞くこと位なら出来ると思います。なんでも話してください。」

蘭はそうメッセージを打った。其れしかいう事は出来なかった。

次の日も、田村さんは、夜になると必ずメッセージを送ってくる。日雇いの、公園の掃除のしごとがきつくて、本当に辛いのだという。時には、ある詩に書いてあった、「神経までしびれる悲しい汚しかた」をしている便所を掃除することもあり、本当に辛いんだよなという時もあった。蘭は、それに相槌を打つしか出来ないのだが、田村さんは其れさえしてくれれば十分だといった。今まではピアノだけが自分を癒してくれる存在であったが、やっとこういうつながりが出来たと、心から喜んでいた。

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