第六章

第六章

蘭は、作戦を決行するため、マーシーを自宅に呼び出すことにした。こういう時には、どこかで離すよりも、自宅へ呼び出したほうが、後で後悔しないで済む。レストランとかだと、どうしてもほかの客に考慮しなければ行けなくなって、肝心の要点が話せなくなってしまう。

スマートフォンは、呼び出し音を鳴らしている。マーシーは音がするのに気が付いただろうか。音楽をしている人であれば、音に対しては敏感なはずだから、すぐ出るだろう。どうか、いち早く伝わってくれますように。お願いだ、頼む、出てくれ!と、蘭は呼び出し音を聞いていた。

「はい、高野ですが。」

間延びした声が聞こえてきた時、蘭は、やったと思った。

「あ、僕だよ。蘭だ。」

初めに、なにも関係のないようなふりをして、蘭は電話を切り出した。

「なんだ、お前か。先ほどのレッスンで忘れ物でもしたのか?」

マーシーはいつもと変わらない声で電話に出ている。蘭は、こういう口実があったほうが、話すきっかけは作れたかなという気になった。それなのにいきなり電話をするのはやっぱりおかしいと思われる。

「いや、そういうわけじゃない。ちょっと話したいことがあって、電話したのさ。あのさ、」

蘭は一生懸命頭の中で口実を考えながら言った。でも、何も思いつかない。教室に忘れ物をしたという覚えもないし。

「ちょっと、聞きたいことがあってさ、電話では、ちょっと、言いづらいことなんで、僕の家に来てもらえないだろうか?」

「はあそうか。聞きたいことって、なんだ?電話では言いにくい事なのか?」

大体の人は、質問何て電話で済ませてしまうことがほとんどだ。だからマーシーも怪しむだろうか。直接会って話したいなんて言ったら。

「うん、できれば、お前の顔見ながら話したいよ。時間作ってこっちへ来てもらえないかな。電話だと、本当に言えないんだよ。お願いしたいんだ。頼むよ。」

蘭は、仕方なく本当の気持ちを話した。もしかして、現代人であれば、こういう重たい付き合い方は、断ってしまう人が多いのではないかと思われるが、、、。

「いいよ、お前の家に行くよ。本当にお前は、考えすぎるくらい考える癖があるから、そういう風になるんだよ。それだけの事だよ。」

と、マーシーは、そういってくれた。よかった、断られないで。蘭はとりあえず第一関門は突破したとほっとする。

「じゃあ、いつ来てくれるか?お前が開いている日を教えてくれれば、」

「いいよ。蘭。今日の午後は三時以降はレッスンがないから、それ以降でよかったらお前の家にいくよ。道順は、お前の住所さえ教えてくれれば、こっちで調べて、其れで行くから。」

マーシーは、蘭のことはわかっている様な口ぶりで、そういっている。蘭は、なんだか自分のことはマーシーに読み取られている見たいで、嬉しいやら照れくさいやら、複雑な気持ちだった。

「じゃあ、最後の生徒さんが終わり次第すぐにお前の家に行くから、ちょっと住所を教えてくれるか?」

マーシーに言われて、蘭は急いで自宅の住所を言った。マーシーは笑いながら、それを復唱した。なんだか、金持ちは単純だなあと思っているような笑い方だった。蘭は、それに反発する気力もなかった。

「じゃあ、暫く待っててくれよ。準備できたらまた連絡するから。ちょっと待っててな。」

マーシーはそういって、電話を切った。蘭は、とりあえず約束を取り付けたからよいのかなと思ったが、来てくれるかどうか、不安にもなった。

時間つぶしにテレビを付けたが、テレビはこういう時に限って、なにも面白い番組をやっていないのだ。蘭がただ、馬鹿馬鹿しい芸をしながら観客を湧かせている、お笑い番組を見ていると、外で人が歩いてくる音がした。あ、もしかして、と、蘭は、急いで玄関先へむかう。やがてインターフォンがなる。

「おーい蘭。あ、すみません。伊能蘭さんのお宅はここでよろしかったでしょうか。」

と、一人の男が、そういっている声が聞こえてくる。

「そうだよ。入ってきてくれ。」

蘭は、マーシーの声だとすぐにわかって、玄関にむかってそういうと、わかったよと言って、マーシーがガチャンとドアを開けた。

「お邪魔します。」

マーシーは、靴を脱いで、蘭の家に入った。蘭は、彼を居間まで案内した。

「理屈めいた挨拶は抜きだ。今日はすぐに要点をいう。そこへ座ってくれ。」

マーシーは言われた通り、食堂の椅子に座った。蘭も客人お茶やお菓子を出すことも忘れて、すぐに、マーシーと向かい合う格好になった。

「実はな。お前が覚えているかどうか不詳だが、難儀している奴がいるから、そいつにちゃんとよくなるように言ってほしいんだ。それをお願いしたくて、ちょっとお前を呼び出させてもらった。」

「難儀している?誰の事だ?」

マーシーは、蘭の話に首を傾げる。やっぱり覚えていないのだろうか。

「お前、あいつの事覚えているか?あの、すごい美少年と言われていた、右城水穂、現在の姓は磯野水穂だ。」

蘭はこう切り出した。

「ああ、あのピアノが得意だった右城君の事ね。実は僕も彼についてはひそかにあこがれていたんだ。」

と、マーシーは答える。

「その右城だが、今、特殊な病気にかかっていて、ずっと寝ている生活を強いられているんだ。でも、其れは、本人の努力さえあれば、きっと治る可能性だってあるんだよ。今は医学だって、十分進歩しているんだし。出身地がまずいからと言って、病院にかかろうとしないんだよ。そりゃたしかに、彼は被差別民として、差別的に扱われていた事もあったかもしれないけど、これからは、倫理教育が之だけ充実しているんだし、差別的に扱えば逮捕するという法律だって、整備されている。それに、あいつが、いくらとんかつで拷問されたとしても、それを乗り越えれば、またピアニストとして人生をやり直せるさ。だけど、あいつは決してその一歩を踏み出そうとしない。そこを乗り越えれば、又充実した人生が送れるぞとお前の口から言い聞かせて、説得してもらえないだろうか。お前は、たしか僕が覚えている限りでは手に負えない位の不良少年だったよな。それが、立派に更生して、今はお前は立派なピアノ教師じゃないか。それを、あいつにも伝えてやってくれよ。人生は、なんぼでもやり直せると、努力すればなんでも叶うんだという事を、知らせてやってくれよ。お願いだ。頼む!」

蘭は、最後にはそう頭を下げてマーシーに、懇願した。マーシーも始めはびっくりしていた様であったが、いつの間にか蘭の話をしっかり聞いている。

「そうだねえ、蘭。」

と、マーシーは言った。

「きっとね、右城君は、僕たちと同じ生活をするのも怖いのではないかなと思う。だって、あの人は僕たちと明らかに違うだろ?僕、見たことあるよ。右城君が立ち入り禁止の区域から出てきたの。」

「立ち入り禁止の区域?」

と、蘭は聞いた。

「そうだよ。僕が、そこから出た人物にあったと言えば、すぐに汚い匂いを取るために体を洗ってきなさいとか、そういう事をいわれるだろうね。右城君は、そういわれていたんだよ。あんな綺麗な人だけど、汚い地域から来て、嫌ねって、学校の親御さんたち、みんなそういっていたじゃないか。僕らは子どもだから大人のしている事に逆らうことは出来なかったよね。学校の先生だって、いじめをやめましょうとは言って置きながら、立ち入り禁止区域から来ている右城君に対しては、差別することを何も言わなかった。だから、みんなが差別して当たり前なんだよ。それが寧ろ当たり前のような日常担っているだけの事。だから、そこから抜け出させてやるなんて言ったら、彼は罪悪感を覚えてしまうんだ。其れは、しょうがない事だ。蘭がいくら言っても、彼は変わりはしないさ。それに、覚えていないのかい?彼をいじめろと率先して言っていたのは、君のお母さんだろ?其れは紛れもない事実で、本当の事じゃないか。其れもあるから、右城君は君の助けを拒否する事もあると思うよ。」

「その指摘はたしかにそうだ。僕のお母さんも、ワンマン社長と言われていただけあって、其れは本当にきつい人だった事はある。だからこそ、僕は、水穂に謝罪をしたいと心から思うのに、それが水穂には通じないんだよ!」

蘭は、終いには涙目になってそういったのであったが、マーシーは冷静なままであった。

「いや、通じなくて当たり前だと思うよ、君のような大金持ちで、何かあった時にすぐに安全なドイツへ引っ越してしまうことが出来るくらいの余裕があるような家はそうはないからね。みんな、辛い気持ちを抱えながら、其れと戦いながら生きている。休んでいる暇なんて何処にもないんだよ。其れだから、助け合うなんて誰にも出来やしないさ。そんなのは、偉い人たちのきれいごとだよ。みんな、自分

の満たされない思いを叶えるために精一杯で他人の事なんか、見向きもしない。それが今の世のなかだ。だからいくら蘭が何とかしてやろうと呼びかけても、反応する人なんか誰もいないんだよ。この定義だって教えてくれる人は誰もいないさ。自分で本来は学ぶんだから。だからお前は、みんなからそういう事を教えてもらって、ありがたいと思わなきゃ。右城君なんて、一層そうなんじゃないか?だって、助けを求める何処ろか、生きてることだって否定され続けて生きてきたんだぜ。元気になって、世のなかに戻るってことは、また否定され続けて生きることを強いられることになるんだぞ。」

「しかし僕は、水穂を何とかしたいんだ。助けてやりたいんだ。其れはいけないことか!」

蘭がそういうと、マーシーは、しずかにこう返してきた。

「蘭がしてやりたいことは、助けることじゃないよ。余計なおせっかいであり、右城君にとって、又同じ苦しみを味合わせる世界に戻そうとしている。蘭、よく考えてみろ。散々くるしんできた世界に、無理矢理引き戻されて、右城君は嬉しいと思うか?」

「そんなこと、、、。」

蘭の目に又涙が浮かぶ。

「そういう事なんだよ。蘭。よく考えろ、この世はお前ひとりだけで生きている訳ではないんだよ。お前のように、右城君の事を思ってくれている人は、そうではないということを考えろ。それだよ。」

マーシーはそれを打ち消すように言った。蘭は、暫く黙り込んで、何も言えないままだった。

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