Quartet I : Distance(s)

山根利広

四重奏曲第一番「距離(たち)」

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<na:4>夜道。ノックスという名の残像……ディスタンス――夜を――



<na:1>『20歳の誕生日、おめでとう。今さら何を、みたいに思うかもしれないけど、もしそうだったらごめんね。でも、この手紙を読んでくれたら、ほんとうに嬉しいです。あたしたちが出会ったのって、いつか思い出せる? 多分、思い出せるよね。2年前、あたしが、好きです、って、言った。あなたがオーケーの返事をくれたから、それがあたしにとって最高のプレゼントだった。しかも誕生日まで同じで……お互い最高の誕生日だったね。大学に入ってからすぐだったけど、なんであたしたち、すぐ仲良くなれたんだろう? わかんないや(笑)。



<na:2>彼女と出会ったのは、18歳のときだった。少しだけ鼻が高くて、天使のように澄んだ声をしていた。


<na:3>ねえ知ってる? 彼女は言った。何を? と答えた。おかしいことに、彼女はううん、なんでもないよ、と答えた。


<na:2>偶然同じ席に座った俺たちは……というより、俺から声をかけ<na:4>午後10時を過ぎた街は閑散として<na:2>た。これまで気になる人がいても声をかけることなど無かったのに、どうしてだろう。よっぽど、その時に見た彼女が魅力的だったのだろう。6月上旬だったと思う。どちらからも好きという言葉を出さないまま、<na:3>花火、なかなか上がらないね、と彼女は言った。そんなもんだよ、と俺は答えた。周りには人が集まり、俺たちと同じように、花火が上がるのを今か今かと待ち構えていた。次の<na:2>俺たちは交際に至った。今にして思えば、不思議な男女関係だったと思う。最初のデートで、初めてお互いに愛情を持って街を歩いた。確かショッピングモールに<na:4>朧に街灯に映し出される幾何学模様の地面――ノックス……その実体。<na:2>行って、トレンディな服や雑貨を漁った。そこで、不意を突くように、彼女は、俺に好きだといった。俺は、ありがとう、俺もお前が好きだよ、と言った。その時の彼女の笑顔を<na:4>郊外に出ると砂塵が舞い<na:2>忘れることができない。その日は偶然にも、俺と彼女の誕生日だった。俺にとって、生まれて初めての素敵な誕生日だった。それから、その日はもうひとつイベントがあった。近くで花火大会をやるというので、彼女と一緒に花火を見に行くことにした。<na:3>瞬間、竜のように宙へ昇天する光。閃光。文字通り、火の花が月天一杯に広がっ<na:4>――静寂、夜の耳を澄まして、<na:3>た。わあっ……と童心に帰ったような、おっとりした声を発する彼女。咲いては散る花火の余韻が、そして彼女の声が、何度も心の中で反芻される。すごいね、と彼女は天に呟いた。俺はただ、ああ、と答えるだけ<na:1>何を書けばいいのか、正直なところよく分からないけど……もし、もうあなたが大丈夫だったら、あたしの誕生日も<na:3>だった。俺は彼女の肩を抱こうとしたが、なによ、もう、という彼女の愛らしい声に怯んでしまった。結局、肩は抱かずにふたりで次の花火を見上げた。その時彼女の心中は<na:1>祝って欲しいな。まあ、単純に返事くれるだけでも十分嬉しいんだけどね。2回目の七夕は、ふたりで午前零時にメール交換したよね。別に午前零時じゃ<na:3>全く分からなかった。分かるはずが無い。俺も彼女に便乗して、すごいね、とか、綺麗だね、とかいった言葉を並べてみた。かなり緊張していたので<na:1>なくてもよかったんだけど(笑)。<na:2>花火はとても綺麗で、……それしか思い出せない。確か、何か重要な言葉を彼女は発していた、と思うのだけれど、どうしてだろう、それを思い出せない。その後手を繋いで、帰り道の分岐点までそのままでいた。最後、それぞれの帰路に分かれる前に、彼女は俺をぎゅっと抱きしめた。彼女の温もりが<na:1>なんかもう、この手紙、思いつきでどんどん書いてるみたい。でも割に上手く文章が書けてるんじゃなかなという自己満(え?)。変だと思っても気にしないでね(笑)。んー……。そうそう、<na:2>俺の身体を包み、俺も彼女を抱き返した。まるで小さな頃に母親から抱かれたような感じ<na:4>残された夜。小波のように押し寄せる風と、それにつられて舞い込んでくる砂塵が<na:2>だった。それから何度かデートを重ね、彼女のことをよく知るようになってから、彼女が心臓病を持っていることを知った。それから3日後、彼女は突然デート中に倒れ、救急車<na:4>降り積もる。砂丘になる。研ぎ澄まされた砂、それから風が風紋を形成する。<na:2>病院に搬送された。そこで知らされた事実――5年生存率20パーセント。きっと夢でも見ているのだ、と<na:3>ありきたりな言葉しか出てこなかった。<na:4>砂はさらさらと流れ街を覆っていく。夜の<na:2>自分を騙そうと努めたが、結局無駄だった。彼女は安静を保つ為、入院することになった。<na:3>もしさ、と、盛り上がっていく花火を見つめ<na:2>1ヶ月を経て、病院に行くしか彼女に会えない、という事実と、<na:3>ながら彼女は言った。もし、あたしが突然いなくなったら、どうする? その言葉の意味は<na:2>もうすぐ彼女がいなくなる、という焦りとで、どうしていいか分からなくなった。あの日、食堂で声をかけていなければ……という後悔に苛まれた。そして俺は決心した。突然世界が終わるなら、むしろ自分の意思で世界を終わらそうと。<na:4>砂丘はやがて街を飲み込み、最初の豊穣に帰着しようとする。夜、<na:2>あまりにも、悲しすぎた。そして俺は決意を胸に病院へ向かい、彼女に、さよならを言った。彼女は<na:3>まだ分からなかったけれど、とりあえず、探すんじゃないかな、<na:2>ずっと、一緒にいてほしかった、と彼女は言った。俺は泣きながら、ごめん、ごめん<na:3>と言った。彼女はごく小さな声で、ありがと、と返した。<na:1>多分あたしたちはもう2度と会うことができないだろうけど、<na:2>と繰り返した。二度と彼女に会わない、と今いちど覚悟を決めた。<na:1>あたしたちがお互いにあたしたちを想い続けてるっていう事実は、多分あなたが生きている限り、揺るぎないものになる、そう思います。忘れないよ。あなたがあたしを抱きしめた時の温もり。<na:4>それに内包された荒涼の街――。<na:1>花火大会の夜に繋いだ手。だからあたし、決めたんだ。いつでも、どこでも、あなたのことを忘れないようにって。<na:2>半年間、耐え続けた。彼女からのメールも、電話も、無視することにした。気が狂いそうなときもあった。いっそのこと、死んでしまおうかと思うこともあった。が、自分の率直な感情に逆らうということは俺にとっては不可能だった。再び、七夕の夜が来る。彼女の誕生日だった。忘れられるはずがない! いつもいつも、いつもいつも、彼女のことを考え続けていた。まだ彼女は無事だろうか? 堪りかねた俺は彼女に、お誕生日おめでとう、のメールを送った。その後で、受信メールを見てみると、彼女からのメッセージが溢れるほどにあった。<na:1>あなたがあたしを忘れても、あたしはずっとずっと、あなたと描いた未来を信じているから。あなたがいてくれたから、あたしは幸せだった。だからこれからも、あなたのことを信じていくよ。たとえ、二度とあなたと会えないとしても。そうだよね、そうでしかあなたと一緒にはいられないから。<na:2>俺はすぐに病院へと向かった。あともう少し早ければ、彼女を看取ることができたかもしれない。既に彼女は事切れており、安らかな顔に純白のガーゼが被せられるところだった。俺はその場に崩れた。彼女を拒絶する理由など、どこにも無かったのだ。ケータイが震えていたので開いてみた。<na:1>この手紙があなたの心に届くことを信じています。最後に……<na:2>お誕生日、おめでとう。あなたに、会えて、幸せでした。画面にはそう映し出されていた。




<na:4>街の建造物は全て白い砂に埋もれてしまった。月が照らし出す風紋。まるですりつぶした人骨のように、軽い砂――ディスタンス。距離。ノックス。夜。月にはやがて天に浮かぶ砂が降り注ぐ。火花のようにキラキラとした、綺麗な砂が月を侵食し、

<na:2>1年後、また七夕が廻ってきた。その夜、誰かが届けたのか、茶封筒が投函されていた。封筒には宛先も差出人も書かれていなかった。だがそれを開封して、1枚のルーズリーフを取り出すと、筆跡と、書いてある内容で、すぐに彼女だと分かった。



<na:3>ねえ。花火大会が終わって、彼女は言った。あたしたち、どれだけ<na:1>ずっと傍にいるからね。<na:2>彼女からの手紙を読み進めていくうちに、水滴が紙に滲みを作っていった。<na:3>離れていても、ずっと一緒にいようね。<na:1>愛しています。ずっと。』<na:3>好きだよ。そうして俺と彼女は手を繋いだ。<na:2>悲しみと嬉しさの奔流に涙が止まらず――<na:4>砂丘の砂を拾い、だがそれはすぐ風に流されノックスの風紋の中に<na:3>ずっとそのままでいたかった。ずっと、ずっと……


<na:2>外に出た。雲ひとつ無い快晴の夜だった。遥か彼方に、花火が見えた。もしかしたら、もしかしたらあそこに彼女が待っているかもしれない。力の限りを脚にこめて走り出す。



<na:3>ずっと……


<na:2>きっと……待っているから。



<na:4>消えていく――ディスタンスィズ――夜……








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