【22】衰弱して見える理沙と狂い始めた仲間

 煌々と輝く満月の光に照らされたジャングルに、夜行性の動物の鳴き声が響く。傾斜面を登っていた類たち三人は立ち止まって、周囲を見回した。どこを歩いても旅客機の墜落現場を見下ろせそうな場所に出られそうにない。この先をまっすぐ進んでも険しい道が続いているだけのように思えた。


 選択を誤った……。


 突き進むことに反対していた純希はふたりに言う。

 「引き返そうぜ。もう無理だし、くっそ疲れた」


 明彦が類に言う。

 「俺も疲れたよ」


 類はまだ諦めない。

 「もう少し進みたい」


 純希が類に言った。

 「これ以上、進んでも意味ないよ。マジで浜辺に戻れなくなるぞ」


 「いや、大丈夫」


 「なんの根拠があって大丈夫なんだよ」


 「根拠はない。野生の勘」


 「野生の勘ってなんだよ? ふざけるなよ」


 「ふざけてない」


 類は真面目に言っているようだ。しかし、このまま進んでも純希が言うように意味がないと思った明彦は、大地に腰を下ろした。ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、画面に表示されている時間を見た。


 <8月1日 火曜日 20:55>


 「もうそろそろ落ち合う時間だ。引き返すのはあしたにしよう」


 安堵した純希は、大地に腰を下ろした。

 「戻るに決定」


 類は納得いかない。

 「なんでだよ! 諦めるの早すぎじゃん!」


 明彦が言い返す。

 「早すぎなんかじゃない。頑張りすぎた。もしかしたら墜落現場を見下ろせる場所に出られるかもしれないっていう希望に賭けたけど、もう無理」


 純希は類を見上げた。

 「というわけでだ、諦めろ」


 文句を言う類も、大地に腰を下ろした。

 「お前らの勇気のなさにはがっかりだ」


 純希は、これ以上、無駄に歩きたくない。

 「勇気よりも体力がない」


 明彦は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 「体力馬鹿への挑戦は無謀だったよ。やっぱり俺は頭脳派みたい」


 類は子供のように唇を尖らせた。

 「どうせ俺はお前ほど頭よくないよ」

 

 明彦は念のために類に確認した。

 「あした引き返すけどいいよな?」


 類はふて腐れ気味に返事した。

 「わかったよ」


 明彦は言った。

 「じゃあ、学校に行こう」


 今夜は晴天。簡単に意識を集中できる。三人は膝を抱えて瞼を閉じた。数秒後、瞼を開けると、真っ暗な倉庫の鏡に手をついて、こちら側を見つめる理沙の姿が見えた。


 鏡に歩み寄った三人は床に腰を下ろした。そして、類が理沙に到着を知らせた。

 《おまたせ!》


 理沙は、目の前に現れた類の文字に笑みを浮かべた。

 「類! やっと来た」


 《あいたかったよ》


 「あたしも」


 咳払いする純希。

 「はい、イチャつき禁止」


 純希に目をやる類。

 「いいじゃんか、ちょっとくらい」


 「そうだなぁ、ちょっとだけな」純希はしかたなく許可する。「でも、たまには独り者に気を使ってくれると嬉しいかも」


 会話の途中で「元気だったか?」と、後方から斗真の声が聞こえた。振り向くと、浜辺で待機している一同が勢ぞろいで立っていた。


 「久し振り」


 類が冗談を言った直後、由香里が斗真を押し除け、床に膝をついた。鏡に両手をついて、理沙の顔を覗き込む。


 理沙に生気が感じられない―――


 蒼白な顔。別人のように痩せこけた頬。虚ろな双眸。


 いったい何が起きたのか―――


 ひどく衰弱した理沙の顔に衝撃を受けたあと、室内が異様に暑いことに気づく。窓もドアも閉めっぱなし。八月の東京の気温を考えると、室内は蒸し風呂状態のはずだ。だが、正午に訪れたときは適温だった。


 驚いた由香里は、冷静になろうとした。ゆっくりとまばたきして、もう一度、理沙を見た。不思議なことに、いつもどおり元気な理沙だった。室温もとくに気にするほどではない。

  

 「…………」

 (あたし……やっぱり疲れてるのかな?)


 斗真が由香里に訊く。

 「どうしたんだよ?」


 由香里はいま見えた信じ難い光景を伝えた。

 「理沙がびっくりするくらい衰弱して見えたの。生気がない……まるで……ゾンビみたいだった。それに、ここもすごく暑かったの」


 一同は由香里の発言に驚いた。鏡に映る理沙は元気そのものだ。室内も適温。斗真は由香里の体調を気遣う。

 「お前、浜辺にいるときからへんだぞ。大丈夫なのか?」


 由香里は理沙を見つめながら言った。

 「あたしは大丈夫……だと思う……」

 (いまのはいったい、なんだったんだろう……)


 類は斗真に訊く。

 「浜辺で何かあったの?」


 斗真は発見した容器の話はせずに、類に言った。

 「みんなと意見はくいちがうし、考えがまともじゃない」


 類は、由香里の体調を心配した。

 「大丈夫?」


 「うん……」返事した由香里の声に元気はない。「平気……」


 類は言う。

 「無理するなよって言っても、この状況がもう無理ってかんじだよな」


 「まあね……」


 鏡に文字が現れないので、寂しくなった理沙がこちらに話しかけてきた。

 「みんなだけでずるい。仲間に入れて」


 類はこちら側の会話を理沙に教えた。

 《おまえの顔がゾンビに見えたって由香里が言ってた それにくそ暑いって》


 理沙は言った。

 「ひどい、ゾンビって最悪じゃん」


 由香里は念のために理沙に訊いてみた。

 《大丈夫? 暑くない? 由香里》


 理沙は笑顔で答えた。

 「大丈夫だよ。ぜんぜん暑くない」


 《具合悪くない?》


 「由香里は相変わらず心配性だね。あたしの取り柄は体が丈夫なこと。風邪を引いても、お祖母ちゃんに教えてもらった特製のお茶を飲めば治っちゃうんだから」


 理沙が元気そうなので由香里は安心した。

 「やっぱり、あたしの目の錯覚だったのかも」


 類が由香里に言った。

 「だから理沙は元気だって言ってるじゃん」


 綾香が由香里に言った。

 「疲労困憊ってところかな? 環境は厳しいし、本当に疲れちゃうよね」


 浜辺での綾香の言動に恐怖を感じた。綾香を信用してよいものなのか、迷いがあった。由香里は返事せずに、理沙に風邪に効くお茶について訊いてみた。

 《健康茶の作り方を教えて》


 ホットオレンジジュースの上をいくかもしれない。興味津々の明彦。

 「俺もぜひ作り方を知りたいよ」


 「誰にでもできるよ」理沙は自信満々に教えた。「あのね、緑茶に梅干を入れるの」


 全員があんぐりした。“ババくさい” と思う。


 期待していた明彦も苦笑いする。

 「まぁ……よく聞くけどね」

 

 綾香も苦笑いしながら言った。

 「うちのお祖母ちゃんもよくやる」


 理沙のお茶の話で場の雰囲気が和んだ。このとき、由香里は機転を利かせた。類たち三人に、浜辺で容器を発見したことを伝えようと考えていたので、よい機会だ。この機会を逃したら伝えるのは難しい。


 ひとりに言えば伝わる。類、純希、明彦、誰に言うべきか……。リーダー的存在の類か……いや……やはり、しっかり者に言うべきだ。


 「理沙が衰弱して見えたのは目の錯覚かもしれない。どっちにしても体調はよくない」と言った由香里は、明彦に顔を向けた。「医者の卵にでも診てもらおうかな」


 明彦は由香里に言った。

 「診てあげたいけど、まだ医者じゃないから俺には何もできないよ」


 「熱中症の診断だけでもできない?」

 

 「そのくらいならできるけど」


 「気分転換に廊下に出たい」


 「いいよ」


 そのとき、斗真が由香里の耳元で小声で言った。

 「絶対に……言うなよ……」


 斗真の目が怖い。うなずいたあと由香里は、綾香たちにも目をやった。こちらを凝視する目に威圧感を覚えた。


 みんないつもとちがう。


 それとも……疲労が原因で神経が過敏になっているだけだろうか……。


 「行こうか」明彦が由香里に言った。「治療はできないけど」


 由香里と明彦は、意識を集中させた。非常灯と火災報知機の赤ランプの光が漂う廊下へ瞬時にワープした。由香里の目的は熱中症の診断ではない。一同との距離が近いため、ここで伝えるのは危険だと判断した。


 「場所を変えたいの」

 

 「どうして? ここでいいじゃん」


 「本当はね、体調を診てほしいわけじゃない。伝えたいことがあるんだけど、みんなに口止めされてる。だからここだとマズいんだよ」


 「口止め?」


 「うん。みんなの様子がおかしいの」


 「そうかな? いつもどおりにしか見えないけど。疲れてるから精神的に不安定になってるだけなんじゃないの? 取り越し苦労だよ」


 「だといいけど……」


 「だけど、みんなの様子は別として、口止めされている話の内容は気になるかな。どこに行く?」


 「うちらの教室」


 意識を集中させたふたりは、二年三組の教室内にワープした。窓に歩み寄った明彦は、窓越しに広がる夜景を眺めた。島では見ることがない煌びやかなネオンの光が恋しい。


 「いつになったら現実世界に戻れるんだろうか……」と呟いてから由香里に顔を向けた。「話を聞かせてよ」


 一同に口止めされている内容を、真剣な面持ちで伝えた。

 「浜辺で漂流物を見つけたの」


 「また?」明彦は驚く。「どんな漂流物を見つけたの?」


 「クリーム入りの容器だよ。それもかなり大きい」


 「ずいぶんと変わった漂流物があったね」


 「そうだよ……あれは漂流物。それなのに……コップも鍋も、そして容器も、漂流物じゃなくて死神が置いた置物だって言うの」


 「死神が置いた置物?」


 「あたしは釈然としないし、考え方が頻繁に変わりすぎる。何ひとつまとまらない。それどころか、まとめようとしていない気がする」


 「それは推理してるんだからしかたないよ。そのときに応じて考えが変わるものだ」


 「みんなもそう言ってた。だけど、あたしが否定すると綾香が口を塞いできたの」


 「綾香が? そんなことするわけないだろ?」


 「表情もふつうじゃなかった。疲れているせいかもしれないって思ったけど、やっぱりみんなおかしい」


 「そうかな? 気のせいだよ」


 「あたし……あたしね、デスゲームが起きるんじゃないかって不安なの」


 「起きるわけないじゃん。俺たちは固い絆で結ばれているんだ。ありえないよ。俺からしてみれば綾香よりも由香里の想像のほうが怖い。デスゲームなんて正気の沙汰じゃない」


 「綾香の言動を異常だと感じたのが、あたしのかんちがいだったとしても、漂流物を死神が置いた置物だなんて、あの綾香の台詞とは思えない」


 突然、明彦は無言になった。

 「…………」


 「何? どうしたの?」


 目の焦点が合っていない。

 「そうだ……漂流物と思っていたものは、すべて死神が置いた置物だったんだ……さすがは綾香……」


 「明彦?」

 (様子がおかしい……)


 「奇妙な展開だ……推理だからいろいろな展開がある」独り言を呟く。「あれは……あれは、そう、置物だ。死神の……置物……」


 「どうしたの?」

 (何をブツブツ言ってるんだろう? なんだか気持ち悪い……)


 「駄目だ……解くな……解きたくない……危険な終焉……」


 意味深長な独り言に不気味さを感じた。

 「危険な終焉? どういう意味?」


 「解きたくない……解いてはならない……」


 「解きたくない? カラクリのことじゃないよね? まさか、カラクリを解く気がないの?」


 正気に戻った明彦は、由香里に質問に答えた。

 「そんなわけないだろ? 俺たちは新学期を迎えたいんだ。カラクリを解かないと現実世界に戻れない。俺たちはつねに真実の中にある現実を探してるんだ」


 「だったらいま言った、解きたくないってなんのこと?」


 「俺はひとこともそんなことは言ってない」


 「やっぱり、へんだよ……みんなも明彦も……」いつもの明彦なら否定する質問をあえてしてみた。「綾香の意見が正しいって言うの? 綾香はまともだと思うの?」


 「綾香は正しいしまともだ。由香里のほうがへんだと思うけど」


 新学期を迎えたい気持ちはみんな同じ。それなのに……なぜ? 

 「ねぇ……明彦。現実世界に戻りたいんだよね?」


 「当たり前じゃん。由香里はあの島にずっといたいの?」苦笑いする。「ずいぶんと物好きだね」


 しつこいかもしれないが、大事なことなので漂流物について追及しようとした。

 「あたしだってさっさと島から出たい。だからこそ、綾香の意見に納得できないの。死神の置物だなんてありえない。よく考えてみてよ、明彦!」


 「しー、落ち着いて……」明彦は、由香里の唇に人差し指を添えた。「俺はよく考えてる。納得するんだ……由香里は疲れているだけだ……」


 やはり、いつもとちがう。怖くなった由香里は後退った。

 (いったいどうしたっていうの?)


 「そうだ……俺からも知らせなきゃいけないことがあるんだ。周囲を見渡せる場所に出たくて坂道を登ってみたんだけど失敗した。浜辺からだいぶ遠ざかってしまったみたいなんだ」


 「無理そうだったら引き返すって言ってたのに……。どうして、そんな無茶をしたの?」


 「類がどうしても進みたいって言うから、その意見に賛成した。類の考えに賭けてみたんだ」


 「純希も同じ意見だったの?」


 「いや……引き返したがっていた」


 「純希の意見を聞いていたら、いまごろ浜辺だったかもしれないのに」


 「浜辺に引き返しても、けっきょくは旅客機の墜落現場に向かわないといけないんだ」


 「かしれないけど……」


 「大丈夫、心配いらないよ。あしたは浜辺を目指すから」


 「わかったよ……」


 「それじゃあ、倉庫に戻るよ」


 「容器のことはみんなには言わないで」


 「もちろん。口は堅いほうだから安心して。類たちにも内緒にしておく」


 「類たちには言ってもかまわない。むしろ伝えてほしいかな。とくに……純希には」


 「純希……言う必要ない」


 「でも……」


 穏やかな表情を一変させて、顔色を変えて怒号する。

 「しつこい!」


 驚いた由香里は身を強張らせ、目に涙を浮かべた。こんな明彦は見たことがない。

 

 (ほんとにどうしちゃったの?)


 すさまじい形相の明彦は教室から姿を消した。明彦もみんなもふつうではない。おそらく、まともなのは純希だけ。伝えるべき人物を誤まった。純希に言うべきだった。後悔してもいまさらだ。


 この先、どうなってしまうのだろうか?


 あたしは一刻も早く現実世界に帰りたいのに。


 みんなは、カラクリを解くふりをしているだけ? 


 明彦は、危険な終焉だと言っていた。


 まるで……最後を知っているようだった。


 まさか……デスゲームのように恐ろしいことが起きるとでもいうの?


 だって……終焉ってそういうことでしょ?


 どういう意味なの?


 明彦は何を知っているの?


 もしかして……あたしと純希以外はカラクリの答えに気づいている? 


 だけど、そんな馬鹿なことあるはずない。


 何がどうなっているのか……。


 カラクリの答えはひとりひとりが理解しないと意味がない―――小夜子は何を言いたかったの?

 

 三十年前、何があったの?


 デスゲームで殺し合ったの? 


 だから小夜子は、鏡の中に幽閉されたんじゃないの?


 この無料ツアーはいったいなんなの?


 死神の遊戯『ネバーランド 海外』の結末に何があるって言うの?


 あたしたちはカラクリを解いて現実世界に戻る。それがあたしの望んでいる結末なのに……。


 どうしていいのかわからないよ……。


 頭がおかしくなっているのは、疲労でまいっているあたしだと思いたい。そう思ったほうが気持ちが楽だ。


 「みんなといるのが怖いよ」泣きながら頭を抱えた。「どうしよう……」


 ずっとここにいては怪しまれるので涙を拭った。現在の状況は、臆病で小心者の由香里にとってかなりの恐怖だ。


 (戻らなきゃ……平静を装うしかない……)


 由香里は覚悟を決めて目を瞑り、倉庫に意識を集中させた。その直後、雑談する声が聞こえた。ひとりひとりがいつもどおりだ。教室で怒鳴り声を上げた明彦も落ち着いた様子で座っていた。


 床に腰を下ろした由香里は、壁にもたれた。


 (超疲れた……。精神的に限界だよ)


 心配した美紅が由香里に話しかけた。

 「大丈夫? 顔色が悪いよ」


 頭が混乱しているのだ。顔色だって悪いはずだ。

 「体調が優れないの」


 美紅は言う。

 「肉体がないのに言うのもへんだけど、少し休んだら?」


 「そうさせてもらうよ」その前に由香里は、理沙とやりとりしている類を冷かしている純希に目をやった。「ねぇ……」


 純希は由香里に顔を向けた。

 「どうした?」


 “みんな頭がイカれてる、純希だけがまとも” と遠回しに伝えたつもり。

 「純希は最高だよ」


 だが、純希にわかるはずもない。

 「当たり前じゃん、いまさら。お前、密かに俺のこと好きなんだろ」


 類が純希に言う。

 「ガキか」


 由香里は「大好きかもね」と言ってから、膝を抱えて顔を伏せた。


 純希は首を傾げた。

 「由香里のやつ、本当に大丈夫なのかな? 俺ですらクタクタだからしかたないか」


 類は純希に言う。

 「目覚めたらまたジャングルを歩くんだ。情けないこと言うなよ」


 由香里は一度伏せた顔を上げて、類を見据えて訊いた。

 「本当にカラクリを解こうとしてる?」


 類は信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。

 「カラクリを解かないと現実世界に戻れない。リアルに理沙と逢いたいのに何言ってるんだよ?」


 明彦が言った。

 「俺も訊かれた」


 類は由香里に訊き返した。

 「どうしてそんなことを訊くの?」


 由香里は恐る恐る答えた。

 「だって……カラクリの答えを探そうとしていないみたいだから……」


 由香里の言葉のあと、類の顔から笑みが消えた。由香里は、類から一同に目を転じた。全員が同じ表情だ。浜辺で綾香に口元を押さえつけられたときと同じだ。


 だが、純希だけはちがった。笑い声を上げて類の肩を軽く叩いた。

 「どうしたんだよ? みんなマジになりすぎ。顔が怖いぜ」


 ふたたび全員が笑みを浮かべた。


 類が言った。

 「由香里がへんなことを言うから、つい……」


 明彦も言った。

 「さっきから本当に様子がおかしいから心配になっちゃうよ」


 切羽詰まった表情を浮かべた由香里は、純希に目で伝えようとした。

 (へんなのはあたしじゃない! みんなのほうだよ! 気づいて純希!)


 純希は、由香里の気持ちに気づかなかった。

 「休んだほうがいいよ」


 「そうだね……」

 (純希の鈍感!)


 由香里は重苦しいため息をついて顔を伏せた。そのあと明彦が、浜辺から大幅に道を逸れた話を一同にしていた。ジャングルを歩く三人を心配する声も聞こえたが、会話には参加せず、伏せ続けた。カラクリを解く会話に加わっても無駄。純希以外の全員がおかしい。


 (あたし本当に現実世界に帰れるのかな?)


 不安を感じた由香里の目に涙が浮かんだ。下を向いていると涙が零れ落ちそうだったので、顔を上げた。そのとき、衰弱した理沙の顔が目に映った。鏡に頭をつけてもたれている。息遣いも荒い。具合が悪そうだ。室温も高い。だが全員が気づいていない。


 (気が狂ってしまったのはみんなじゃなくて、やっぱり、あたしのほうなのだろうか? だけど、純希にも見えれば、あたしはまともだ……)


 純希は鏡に面して横向きに座っているので、理沙の顔が見えていない。だが、たとえ幻覚だったとしても、いまの理沙に声をかけずにはいられない。膝を抱えていた由香里は、四つん這いになって身を乗り出し、鏡に息を吐きかけて素早く文字を書いた。


 《しっかりして! 大丈夫?》


 由香里が書いた文字を見て、類は訊く。

 「大丈夫って何が?」

 

 純希も、由香里が鏡に書いた文字を見た。その瞬間、視界に理沙が映った。衰弱した理沙の姿に驚き、息を呑んだ。それに室内も異様に暑い。


 だがそれは……一瞬のできごとだった……。


 まばたきをするといつもの理沙の顔に戻っていたので、純希は目の錯覚だったと思い込む。

 (俺、疲れてるのかな?)


 そして、その数秒後に由香里も元の顔に戻った理沙を見る。

 「理沙の顔……生気を感じないゾンビみたいだった。どうして?」


 類は、理沙を見つめる。いつもどおり可愛い顔だ。

 「どうしてって、こっちが訊きたいよ。お前どうかしてるぞ。理沙はピンピンしてる。どこからどう見ても元気そのものじゃん」


 純希も由香里と同じことを言う。

 「いまはふつうに見えるけど、俺にも理沙がひどく衰弱してるように見えたんだ。ガチでビビった」


 類は驚く。

 「純希まで?」


 純希は言う。

 「ああ。それこそ……生気を感じないくらいに……」


 一同はざわめいた。


 明彦が由香里と純希に言う。

 「ここで少し休んだほうがいい。ジャングルなんかより、よっぽど落ち着くだろ?」


 「そうさせてもらうよ」由香里の隣に移動した純希は、腰を下ろし、横になった。「お前も寝っ転がったほうがいい。環境も過酷だしマジできついよな」


 由香里は純希に返事した。

 「うん……」

 (純希にも見えたってことは、あたしの頭はまともなんだ。でも……どうして理沙の顔が衰弱して見えちゃうんだろう……)


 類はいまのできごとを理沙に伝えた。

 《ゾンビかと思ったらしい》


 理沙は訊く。

 「また、あたしのこと?」


 《うん》

 

 一度ならまだしも二度目ともなると、理沙は不快に思った。ゾンビみたいだと言われて嬉しい女の子はいない。

 「たしかに少しだけ痩せたけど、それは言いすぎじゃない?」


 《暑さと疲れのせいだ》


 「つぎは本当に怒るからね」


 綾香が鏡に息を吐きかけて文字を書いた。

 《あたしにはフツーに見えるよ》


 「だって、あたしはふつうだもん。ゾンビなんかじゃないし」


 《元気そう》


 「もちろん。みんなを支えなきゃいけないのに疲れなんかいられないよ」


 《みんな? 類でしょ?》


 「みんなのことも考えてるもん」


 由香里は横になりながら理沙の様子を見る。本人がふつうだと言っているように、見慣れた元気な理沙だ。


 それなのになぜ……あんなにも衰弱した姿に見えたのだろうか……。


 一度なら目の錯覚かもしれないが、二度目ともなると不気味としか言いようがない。


 これもカラクリを解くための重要なメッセージだとしたら……どんな意味があるのか……。


 いっそうのこと、純希とふたりでカラクリを解いてゲートを通り抜けてしまおうか。そんな薄情なことできるわけない。


 みんなと一緒に新学期を迎えたい、それだけなのに―――


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