第13話    動

 ミステリアスムーンが新年最初のライブを終えた直後、まだ上り詰めたボルテージから解放されて間もない楽屋に、その恰幅のいい男は突然現れた。

「お疲れのところ申し訳ございません。また突然の訪問、お許しください。わたくし、こういう者です」

 ライブハウスにはおよそ似つかわしくない風体をした男は、丁寧に頭を下げると、メンバーの誰にともなく名刺を差し出した。

「えーっと、どちら様でしょう?」拓人は立ち上がると、男が差し出した名刺を覗き込んだ。「えっ、レーベルの人!?」

 名刺には、『オータムレコード 広報部長』の肩書が書いてある。

「えっ!!!」太陽と康介は同時に驚きの声を上げると、お互いに顔を見合わせた。

「はい。わたくし、オータムレコードの阪上と申します」阪上はにっこり微笑むと、楽屋をぐるりと見まわし、メンバー一人一人に顔を向けた。「本日は弊社の社長の意向で、こちらの方に伺わせていただきました」

「オータムレコード?」拓人は腕を組むと、記憶を探るように首を傾げた。

 太陽と康介も同じような仕草を見せる。

「で、そのオータムレコードさんが何の用でしょう?」太陽は名刺を受け取ると、訝し気な顔で阪上を見つめた。

「はい。実はですね、弊社は昨年立ち上げたばかりの会社なんですが、弊社の社長が少々拘りの強い人でして……。純国産の、純粋無垢な生粋の本物の音を常日頃探しているお方です。。日本の音楽界に旋風を巻き起こすというのが口癖でして……。そこで去年でしたか、ロサンゼルスの方で活動されている水野様に紹介を受けまして、今回お伺いさせていただいた次第です」

「は? その水野って……誰ですか? もしかして、春人? ですか?」太陽はロサンゼルスという言葉を聞いて、春人以外に思い当たる人物がいなかった。

「そうだよタイちゃん。あいつ、水野って苗字だよ」すかさず康介が割って入る。

「そうですそうです、水野春人様です。実は去年、弊社の社長自ら水野様に契約の打診をしたのですが、ロサンゼルスの活動の方を優先させたいということで、話がまとまりませんでした。その水野様が、今の日本国内のインディーズシーンの最高峰だと言い切ったのが、あなた様方のバンド、ミステリアスムーンです。ですから今日は……」

「ちょっと待ってくれ! それはどういうことだ?」太陽は阪上の話を遮ると、瞳に怒りの色を見せながら話を繋いだ。「春人の紹介? 確かに春人は知り合いだけど、レコードレーベルを紹介される筋合いはねぇな。だいたい紹介ってなんだよ。そんなもの頼んだ覚えもねぇし」

「いえいえ、紹介と言っても、水野様から情報を頂いたと言いますか……、逆にお叱りを受けてしまった次第で……」阪上は恐縮すると、バツの悪そうな笑顔を作った。


 春人が相沢との面談に応じたのは、姉の退院を祝うために来日した日から十日程経ったある日のことだった。

 都内、といってもほとんど隣県に接する街の一角にたたずむ、およそ立派とは言い難いビルに相沢の会社はあった。 

 階段で四階まで上り入り口を入ると、そこは二十畳ほどの空間に、四つの机と一組の応接セットがあるだけの部屋だった。

「いやぁ水野君、きっと来てくれると信じてたよ!」入るなり現れた相沢は、満面の笑みで康介に握手を求めて来た。「さ、どうぞ座って座って」

 この建物には似つかわしくない、とても高級そうなソファに腰かけると、恰幅のいい男がコーヒーを運んで来た。

「あっ、こちらね、広報を担当している阪上君」そう言うなり、相沢は阪上になにか資料を持って来るよう伝えた。

 部屋の壁には、最近リリースされたのだろうか、所属していると思われるアーティストの、販売促進用のポスターが貼ってある。ポスターの雰囲気や字体を見る限り、パンク系のアーティストなのだろう。

 阪上の他には、パソコンに向かって難しい顔をしている女性が一人いるだけで、こちらを客とも思っていないのだろうか、春人は部屋に入ってから一度もその女性と目を合わせてはいない。

「いやぁ、お恥ずかしい限りなんですが、レーベルと言っても、まだ一組しかアーティストを抱えてない会社なもんで。こんな粗末な事務所で申し訳ない。一応ね、お客様やアーティストの方々を迎えるに当たり、座っていただくところだけは良いものをと……」相沢は、ソファのひじ掛けを撫でながら白い歯を見せた。

 そこへ、阪上が紙の束を持って現れ、相沢の隣に座った。

「とりあえず……、こんなものはまぁ、後にして……」相沢は受け取った資料を机の傍らに置くと、満面の笑みで話を繋いだ。「それにしても、いつ来日したの? 私もまだ先週戻ったばかりだよ。連絡をくれれば空港まで迎えに行ったのに」

「俺も先週です。ずっと入院してた姉が退院したんで、そのお祝いを兼ねて帰って来ました」コーヒーを一口すすると、春人も笑顔で答えた。

「ほぉ、そうでしたか。それはおめでとうございます。水野君はお姉さん想いなんだねぇ。家族がみんな仲の良い家庭なのかな? ウチにも娘が一人いるけど、一人っ子なもんで難しい気質の子に育っちゃったよ」相沢は頭を掻きながら照れ笑いを作った。「あっそうそう、うちの娘もね、ギターをやってるんだよ。お恥ずかしながらウチの場合はコミュニケーションが取れてないから、私は一度も演奏を聴いたことがないんだけどね」

「へぇ、女のギタリスト……。いいじゃないですか。結構ちゃんとやってるんですか?」

「そうねぇ……。さっきも言った通り、私は演奏を聴いたことがないんでなんとも言えないんだけど……。でも、レスポールなんて、あんな重たいギターを愛用してるくらいだから、結構ちゃんとやってるのかな?」

『レスポール?』春人の頭の中で小さな閃光が奔った。

「へぇ、女でレスポールですか。珍しいですねぇ。レスポール使ってる女性アーティストって俺、一人も頭に浮かばないですよ」

「そう言えばそうだねぇ……。レスポールって言ったら、古くはジミー・ペイジとかエアロスミスのジョー・ペリー……。あとはジョニー・サンダースだな。日本人だとB’zの松本孝弘……。うーん、そうねぇ、レスポール使ってる女性って、有名人じゃいないかもねぇ……。いや、考えたこともなかったよ」

「もしいたとしても極少数でしょうね。でも実は、俺の知ってるバンドに一人だけ思い当たる女がいます」

「ほぉ、それは貴重な存在だ。わかってる人から見たら相当なインパクトだろうねぇ。で、その人はどのくらいれるの?」業界人の質なのだろうか、相沢は先程とは違う目付きで尋ねた。

「そうですね、単刀直入に言うとかなりのレベルです。タイプとしては……、俺に近いところがあるかもしれない。感性重視っていうか……」

「ホント!? そりゃぁ大発見だ! いやぁ、是非とも一度観てみたいなぁ。ちなみにそのバンド、どこで活動してるの?」

「U駅のNが本拠地じゃないかな? しかも、まだ先週初ライブをしたばっかりの、出来立てホヤホヤのバンドです。たまたま俺、そのライブ観ました」

「おぉ、それで? そのバンド自体はどんな感じなの? ジャンルとか構成人数とか、あとは完成度は?」相沢の目付きは、業界人のものというよりは、少年のようにキラキラしたものへと変わって行った。 

「相沢さん、そういう人材とかバンドを発掘するのが、こういう業界の人達の仕事じゃないんですか? それにNなんて、ここから電車乗ったらすぐじゃないですか。あそこは毎週末ライブやってますよ? ちょっと足運んで偵察するくらいのことはやった方がいいんじゃないですか?」春人は胸ポケットからマルボロを取り出すと、火を点けて煙を真上に吐いた。

「あぁ、まぁ、それは確かにごもっともな意見だね……」相沢はバツの悪い顔を作ると、頭を掻きながら言った。

「まぁいいや。とりあえずそのバンドの名前はミステリアスムーン。ボーカル、ギター、ベース、ドラムの典型的な四人編成。ジャンルはパンク系。スピードコアからポップパンクまで幅広い感じかな? んで、ホームページ作ったって言ってたから、調べればライブ予定とかはわかるんじゃないかな?」

「いやいや、ありがとう! ホントに助かるよ。是非次回のライブには顔を出させてもらうよ。おい阪上君、早速調べてみてくれ!」相沢は阪上に指示を出した。

 阪上が立ち上がると、相沢は康介に向き直り、業界人の顔で話を続けた。「さて、じゃぁ次は君の番だね。本題に入りましょうか」

「いや、ちょっと待ってください」康介はマルボロを揉み消した後、相沢の瞳をまっすぐに見つめながら話を続けた。「今日は俺、この前の話、あのスカウトの話を辞退しに来たんです」

「えっ……」相沢は言葉に詰まってしまった。「ホントに? えっ、ちょっと待って、それは……もう決めたことなの? いやだけどさ、辞退するって……。じゃぁ、今後はどうするの?」

「ロスで活動を続けます。バンドの方もいろいろといい方向に転がり始めてるんで。やっぱり俺、日本よりもあっちの国の方に魅力を感じるんですよね。二年住んでみて、心底そう思いました」

「――そうか……。まぁ、君は芯が強そうだから説得も意味がないんだろうけど、だけど残念だなぁ……」相沢は腕を組むと、それから数十秒黙り込んでしまった。

 会話が止まると、時計の秒針の音と、パソコンのキーボードをたたく音だけが浮かび上がるように聞こえて来る。

「すいません、期待に沿えなくて……」しばらくの沈黙を打破したのは康介だった。「俺のことを買ってくれたのはホントに感謝してます。自分の感性とか演奏に自信を持つことが出来ました」

「いやいやいや、君の演奏に感銘を受けたのは私だけじゃないと思うよ? どういう形であれ、君は必ず近い将来、もっと大きな舞台に飛び立てるはずだから。ま、しょうがない。人それぞれ考え方がマッチする訳はないんだし、タイミングもあるからね。まぁ、なにか困ったことがあったらいつでも言ってくれ。私に出来ることだったら何でも相談に乗るから。君は私にとって、いろいろな意味で特別な存在なんだから。それで、ロスにはいつ戻るの?」

「今日の十八時の便です」

「えぇ! そりゃまた急だなぁ。じゃぁせめて、空港まで送らせてくれないか」相沢は腕時計を見たあと、手帳を開いて予定を確認した。

「いや、大丈夫です。友達が空港まで送ってくれるんで」春人はそう言うと、静かに席を立った。そして相沢をまっすぐ見据えると、真剣な顔付きで口を開いた。「あの、最後に一つだけ伝えときます。さっきのバンドの話、ミステリアスムーンですけど……、俺が思うに、間違いなく今の日本国内のインディーズシーンの最高峰です。特にボーカル。必ず相沢さんの度肝を抜くと思いますよ」

「えっ、それはどういうことだい? ボーカル? だってさっきギターの女性がかなりのレベルだって……」

「それは自分の目で確かめることをお勧めします。たぶんいろんな意味でぶったまげると思いますよ」その言葉を残し、春人は相沢の会社を後にした。


 その次の月、相沢と阪上はNにいた。

 様々な情報を駆使し、ミステリアスムーンについて調べ上げた二人は、元プロミネンスの主要メンバーが新しく作ったバンドだと知り、少なからず興奮していた。

「まさかあのプロミネンスのボーカルとドラムだったとはねぇ。確かにあのボーカル、業界じゃ結構有名だったもんな」相沢は路上にたむろしている若者を眺めながら、遠い記憶を呼び覚ますような口ぶりで言った。

「そうですねぇ。確かプロミネンスは、Sレコードと契約寸前まで行って、メジャーデビューを嫌ったボーカルが脱退して、そのまま解散したって話でしたよね」阪上も同じように、昔の記憶の引き出しを開くように口を開いた。

「それじゃぁあのギタリストはどこに行ったんだろう。なんつったけ?彼。あぁ、日比野君だ。あのギタリスト、俺が思うに水野君と変わらないレベルの名プレーヤーだったからなぁ。是非ウチにほしいと思ってたんだが……」


 相沢と阪上は、業界大手のCミュージック出身である。

 阪上の方が一年遅れの入社だが、共に営業や広報、また企画や制作の部署を渡り歩き、それぞれ役員という地位まで上り詰めた精鋭だった。

 相沢の、利益よりも本物の音を追求した、アーティストファーストの会社を作りたいという意見に最初に賛同したのが阪上だった。その構想を約二年かけて実現させた二人は、数名の部下を引き連れて、新しい会社、オータムレコードを立ち上げたのである


「でもあれですね。水野君の言ってたギタリストって、いったい誰なんですかね。チラシにはCHIAKIって書いてありますけど、情報がそれだけしかないんじゃいったいどこの誰なんだか……。それにベースのKOUSUKEって子も」阪上は、手にしたミステリアスムーンのライブチラシを見ながらボヤいた。

「まぁ、見てみればわかるんじゃない? 元プロミネンスの二人が引っ張ったメンバーなら、まったく無名のアーティストだったとしても期待は出来るでしょ」相沢は額の汗をハンカチで拭いながら、少年のようなさわやかな笑顔で言った。「それにしても……、一つだけ気になることがあるんだよなぁ」

「気になること? いったいなんですか?」

「あぁ、そのCHIAKIって名前だよ。水野君が言ってただろ? レスポール使いの女性ギタリストって。ウチの娘な、実は千秋って名前なんだよ。レスポール使ってるギタリストで千秋って名前の女……、世の中に何人いるんだろうな」

「あぁ、そうか、この前言ってましたもんね。相沢さんの娘さん、レスポール使ってるって。いやぁどうだろ。このバンド、本拠地がここって話じゃないですか。相沢さんのお宅って、ここからそう遠くないんですよね? その狭いエリアに激レアな特徴が重なった二人って……、普通に考えたら別人とは考えにくいですね」阪上は慎重な顔付きになると、言葉を選ぶように話した。

「だよなぁ……。まぁ、あとはそのCHIAKIって名前が本名かどうか……。そのくらいしか別人だって言える根拠は残ってねぇだろ」相沢は苦笑いで言った。

「あっ、そうか! 相沢さんの娘さんは千秋っていうのか……。もしかして、だからオータムレコード? っていう名前なんですか?」

「はっはっは、まぁ……、そんなとこだ。おっ、入場始まったぞ!」相沢は、期待と不安を胸に、入り口の階段を降りて行った。


 それまでに出演した三組のバンドには、収穫と言えそうなものは皆無だった。

 おそらくまだ十代と思われるメンバーで構成された、ただやかましいだけのガチャガチャしたバンド、個々のテクニックだけが浮き彫りにされたバランスの取れていないバンド、そして、どこにでもありそうな、心を惹くものを何一つ見つけられないバンドの演奏を頭の隅で消化すると、いよいよ次はミステリアスムーンの出番となった。

「どうでした? ここまでのバンド」阪上は、大音量のBGMに負けないように、相沢の耳元に向かって大きな声で言った。

「あぁ、こんなもんだろ。最初っから期待なんてしてないよ。しかしまいったな、なんだこの人の数は。どんどん増えてるじゃないか」

 最後方に陣取った二人の右側にある階段からは、ミステリアスムーンのライブに参戦するために、様々な風体をした客達がどんどん降りてくる。それまでの会場の空間を考えると、ミステリアスムーン以外の出演バンドには興味がない客が多いということだろうか。

「おいおいおい、これ、入り切れるのか? まだまだ降りて来るぞ?」相沢は大声で阪上に言った。

「なんかさっき、チケットもぎりの人が定員オーバーだって言ってましたね。チケット全部売れちゃったみたいですよ? それにしても、これじゃステージがほとんど見えませんねぇ」阪上も大声で返す。

 そして大音量のBGMがやみ、その瞬間は突然訪れた。

 群衆の向こう側からドラムのカウントが響き、その直後に二つの弦楽器の、一糸乱れぬ巨大な音の塊が飛んで来た。一瞬にして心を奪われた客達が、狂ったようにビートに酔い始める。

「おぉ! これは……」相沢は独り言を漏らした。

 たった数秒、イントロ部分のほんの数フレーズで、ミステリアスムーンの完成された音は音楽のプロを唸らせた。そしてそこにボーカルの歌声が重なると、超高速で空間全体が異次元へと変わった。

「なっ!? なんだおい……。こりゃぁ……とんでもねぇな……」相沢は太陽の声に一瞬で魅了された。それは、声質、声色、声量から音の伸びといった細かいところまで、相沢の求めるイメージそのものだった。

 もちろん、相沢は過去に太陽の歌声を聴いたことが無い訳ではない。だがそれは、プロミネンス時代のCDやユーチューブなどの配信映像に限られたもので、実際の生の音を体で感じたのは初めてだった。

 会場を見渡すと、そこら中の客達が頭を振り始めている。それどころか、ライブ序盤だというのに、ステージ前ではダイブしている客が現れているようだ。隣では、阪上が大きく上半身を使ってリズムを取っていた。

 その時、ステージ右側の視界を塞いでいる前方の客達の隙間から、一瞬だけギタリストの姿が露になった。

 その一瞬を逃さなかった相沢は、瞬時にその光景を瞳に焼き付けた。見覚えのある黒いレスポール。それを操っている女性。そして奇抜なメイクをしてはいるが、その女性はやはり、彼が誰よりも知っている女性、千秋だった。

 ライブの進行に伴い、観客の群れは少しずつステージの方へ押し流されて行った。自身のボルテージの上昇と共に、客達は自分でも気が付かないうちに少しでも演者に近付きたいという想いが働き、一歩、また一歩とステージに近付いてしまうらしい。その結果、会場の後方には若干だが、ある程度のスぺースが生まれた。

「相沢さん、これでなんとか全体が見えますね」阪上は、曲の合間に相沢の耳元で大声を出した。

 相沢は阪上に視線を送ると、親指を立てて白い歯を見せながら頷いた。

 全体を見渡せるようになったミステリアスムーンのステージは圧巻だった。ギターのテクニックやベースのアクション、そして破壊的とも言えるドラムのパワフルさが、視覚と聴覚を通してダイレクトに入って来る。そしてやはりボーカルのステージングは、相沢の知っているそれとは比べ物にならない程の、天才的という言葉が最も似合う別次元のものだった。その声は観客の心臓をぶち抜き、表現力は意識を獲り込み、そしてその瞳は完全に観客のすべてを引き込む。

 不世出の天才。相沢の太陽に対する評価はその言葉以外にはなかった。そして彼の脳裏には、太陽と春人が大きなステージで共演している姿がありありと映し出されていた。


「いやぁ、予想以上でしたね! もう十分あれで完成されてる感じですよ!」阪上は興奮を隠すことなく、汗だくの額を光らせながら言った。

「あぁ、何もかも予想以上だな。ここまでのバンド、そう簡単には出て来ないぞ? 少し大袈裟だと思ってたけど、水野君の情報は寸分の狂いもなかったなぁ」相沢も同じように興奮気味の口調で答えた。

 ライブ終了後、二人はNから少し離れた路上にいた。

 熱気に包まれたライブハウスからやっとの思いで外に出ると、背広を脱ぎながら互いの意見報告のために街灯の下まで歩いた。

「で、相沢さん。やっぱり、あのギターは娘さんでした?」阪上は額の汗を拭いながら聞いた。

「あぁ、間違いなくウチの娘だったよ。いやそれにしても、俺の知らないうちにあんなすごいギタリストになってたなんて、まったく夢にも思ってなかったよ」相沢は煙草に火を点けると、満足そうな声で答えた。

「いや、ホントに素晴らしいギタリストでしたね! 私の目から見ても欠点がまるで見当たらない。それどころか誉めるところしか浮かんで来ないですよ。さすが音楽の鬼、相沢さんの娘さんですね!」

「はっはっはっ、なんだそれ、音楽の鬼って。でもしかし、ウチの娘は別として、他のメンバーも相当なレベルだったな。さすが元プロミネンスが主体なだけある。水野君が言ってた通り、本当に日本のインディーズシーンの最高峰と言っても過言じゃないな。このバンド、間違いなく売れるよ。しかもバケモノ級にな」

「私もそう思います。どうします? 動くなら早い方がいいと思いますが……。おそらくまだ楽屋にいるだろうから、名刺だけでも渡しときましょうか」

「いや、今日のところはやめとこう。そうだなぁ……。まぁ、間違いなくモノにしたいバンドだけど、あと二、三回ライブを観ときたいな。ほら、娘との関係もあるから、少し段階を踏んで行きたいんだ……」

「はぁ、段階……ですか……」阪上は歯痒い思いを噛み殺しながらも、社長の意見には従うしかなかった。


「千秋、ちょっと話があるんだが……。たまには飯でも食いに外に出ないか?」ある休日の朝、久彦はリビングで顔を合わせた千秋に声を掛けた。

「えっ? それは……、二人でってこと?」突然、何の前触れもなく父親に話し掛けられた千秋は、まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で答えた。

「あぁ、たまにはそういうのもいいんじゃないかと思ってな。どうだ? まぁ、なんか予定があるなら話は別だけど……」

「何の話? それによるかな……」千秋は少し俯きながら抑揚のない声で答えた。

「音楽の話だよ。実は……この前のライブ、見させてもらったんだよ。それで、おまえがやってるバンドについて、少し話を聞かせてもらえないかなと……」

「音楽の話? それはお父さんにとっては仕事の話ってことじゃないの?」

「そうだな。正直に言って半分はそうなのかもしれない。だけどそれだけじゃないんだ。俺は……、ただ純粋にミステリアスムーンのファンの一人として、バンドの話をいろいろ聞きたいんだ。一応俺も、音楽に関しては誰よりも想い入れを持ってる人間の一人だからな」久彦は、少年のように瞳をキラキラさせて言った。

 そのキラキラしたした瞳を、千秋は驚きを持って見つめた。

 ほぼ四半世紀、久彦と千秋は共に暮らしている。その生活の中で、一度でも今のような瞳を見たことがあっただろうか? 

「わかった、いいよ。ちょっと午前中だけ用があるけど、昼までには帰るから」

 こうして二人は、何年か振りに二人きりで食事をすることになった。


 九月とはいえ、陽の光は真夏のそれと変わらず、街中のすべてのものにギラギラと照り付けていた。アスファルトに映るすべての影は、まるで絵を描いたようにくっきりと道路に貼り付いている

「いやいや、もうすぐお彼岸だってのに、まだまだ暑いな」久彦は出されたおしぼりで額と首の汗を拭くと、気怠そうにボヤいた。

「汚い……。首まで拭くなんて、ただのオヤジじゃない」千秋は汚いものを見るような目で父親を見ると、窓の外に視線を外した。

「はっはっはっ、まぁそう言うなよ、本物のオヤジなんだから。そんなことより、今日はありがとう、時間を作ってくれて。ホントはいろいろ忙しいんだろ?」

「いや、今日は午前中以外は空いてたから……。それで? 話って何?」

「おいおい、とりあえず何か料理を頼んでからでもいいんじゃないか? なんせ、おまえと二人で食事なんて、十年振りどころじゃないんだから」

 二人は国道沿いにある割烹料理屋にいた。話があるということで、わざわざ個室を予約したらしい。高級な造りのせいだろうか、昼時で混んでいるにもかかわらず、他の客の話し声が全く聞こえて来ない。

「さぁ、なんでも好きなものを頼んでくれ。値段なんか見なくていいからな」久彦は笑顔でそう言うと、千秋の目の前にメニューを広げた。

 それぞれ注文を終えると、最初に口を開いたのは千秋だった。「どうでもいいけど、そのデカい箱はなんなの? わざわざこんな所に持って来るなんて、なにか今日の話と関係あるの?」

「あぁこれな。関係あるっちゃあるかな?」久彦は思わせ振りな笑顔を作ると、大きな箱を抱えながら話を繋いだ。「これな、おまえにプレゼント。もうすぐ誕生日だろ?」

「へぇ、覚えてたんだ。んじゃ、遠慮なく頂くよ」そう言うと、千秋は両手で箱を受け取った。「何これ、重たいじゃん」

「はっはっはっ、開けてみてのお楽しみだよ。開けたらわかるけど、その瞬間、おまえには軽いと感じるはずだから」

「何それ、全然意味わかんない」そう言いながら、千秋は丁寧に箱を開けた。そして次の瞬間、彼女は十数年振りに父親に対して笑顔を見せた。「――確かに……、これは軽いね」

 久彦からプレゼントされたのは、ボディが木目調の、ギブソン社製のレスポール・スペシャルというエレキギターだった。

「まぁ、おまえが今使ってるレスポールとは、ボディの素材もピックアップも違うから、たぶんサウンド的に少し違和感があると思うんだが、軽い分、いろいろメリットもあると思うんだ。俺なりにいろいろ考えた結果、今のおまえにはこれが一番いいんじゃないかと……」久彦は照れた顔を見せながら白い歯を見せた。

「うん、あたしもそう思う。――ありがとう……」千秋は素直に嬉しさを口にした。「でもこれ……、結構な値段するんじゃないの? 実はこれ、あたしも気になってたギターでさ……」

「あぁ、いいんだ。おまえのあの演奏を聴いたら、これくらいのギターじゃないと釣り合わないからな。それにやっぱり、あのレスポール・スタンダードは女の子には重すぎる。かと言って、おまえはあれをちゃんと使い熟してたけどな。状況によって両方を使い分ければ、もっと幅が広がるんじゃないか?」

「さすがに音楽のプロだね。確かにその通りだよ……」千秋は心底そう思った。


 その後、運ばれて来た料理を食べ終えると、久彦はタバコに火を点けながら、静かに口を開いた。「おまえは……俺の仕事についてどう思う?」

「はぁ? 今さら何言ってんの? 出来立てホヤホヤの弱小レコード会社の社長でしょ?」千秋は、窓の外に視線を向けたまま、抑揚の無い声で答えた。

「はっはっはっ、弱小で悪かったな。まぁ……、確かにそうだな。いやそうじゃなくて、仕事の内容についてだ」

「内容? そうねぇ、まぁ、大変そうだとは思うけど、ちゃんと考えたことないからわかんないよ」

「まぁそうだろうな」久彦は煙をため息のように真上に吐くと、ゆっくりと話を繋いだ。「俺の仕事はな、一言で言ったらお百姓さんだよ。世の中の人みんなが美味しく食べられる米を作る。そのためには人一倍の努力と、甚大な労力を惜しまない。手を抜けば必ずどこかにしわ寄せが来る。稲が病気に掛かったり、害虫に蝕まれたり。立派な米になるまでは何一つ手を抜けないんだ。まぁ、これはどんな仕事にも当てはまるんだけど……」

「ふぅん。で? それは、俺は頑張ってるんだぞ的な、そういう話?」千秋は冷ややかな視線を久彦に向けた。

「そういうつもりはないんだけどな。まぁこれは……、俺がやりすぎちゃった話。俺はさ、前の会社に入社した時、一番尊敬してた先輩に百姓になれって言われたんだよ。だからなったさ、死に物狂いで。その結果、俺は信じられないくらいのスピードで出世したよ。あっという間に先輩を追い越して、気が付いたら、俺が上司って呼べる人間はほとんどいなくなってた。だけどな……」久彦はタバコを揉み消すと、突然、千秋に向かって頭を下げた。「千秋、おまえにお母さんがいないのは……俺のせいなんだ。本当に申し訳ない……」

「えっ? ちょっと、何やってんの?」千秋は驚きで固まってしまった。

 後にも先にも、自分の父親に頭を下げられたことなど一度もない千秋は、突然起こった目の前の出来事を対処することが出来なかった。

「ちょっと、やめてってば! 何やってんのよ!」

 しばらく頭を下げ続けていた久彦は、静かに頭を上げると真剣な顔付きで口を開いた。「俺が仕事に明け暮れたばっかりに……、俺が何よりも仕事を優先したばっかりに、あいつの居場所を失くしてしまった。連日の出張で家にはほとんど帰らず、たまに戻っても営業やら接待で朝まで帰らない。せっかく生まれた新しい命に向き合うこともしないで、俺は自分の事だけを考えていた。気付いた時にはもう遅かったよ。俺が家庭と向き合おうと思った時には、もうあいつの心は違う方を向いてたよ……」久彦の瞳には光る物が浮かんでいた。

「そんなの今さら言われたって……」

「あぁそうだ。何を言っても今さらなんだよ。俺は雪乃と千秋、二人の人生を台無しにしたんだからな。だから……俺がこうやって何度頭を下げたとしても許されないのはわかってる。だけどおまえのことだけは、例えどんなことがあっても見守り続けて、守って行かなきゃいけないんだ」そこまで言うと久彦は、千秋に向かってもう一度頭を下げた。

「だからもうやめてってば!」千秋のその強い言葉に、久彦はゆっくりと頭を上げた。

「あたしさ……、別にもう、なんとも思ってないし……」千秋はラッキーストライクに火を点けると、話を繋いだ。「なんかさ、あたしなりにはお父さんの事、いろいろ認めてたから……。だから……、わだかまりみたいなのは空気みたくなっちゃってたよ。ただ、きっかけみたいのが無かっただけでさ……」

「お前は……優しいんだな……」顔を上げた久彦の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「やだ、やめてよ。娘の前でそんなの、こっちが恥ずかしくなるよ!」

 久彦は両手で涙を拭くと、笑顔を作って言った。「恥ずかしいことなんてないさ。素直な感情の現れなんだから……」

「そんなの……、あたしにはわかんないよ」千秋も同じように笑顔を作った。

 その瞬間、二人の間に約二十年間続いていた、氷のように冷え切った空気に柔らかい温もりが戻った。それはきっと、心のどこかでは親子という、切っては切れない絆をお互いに忘れなかったからなのだろう。

「だから……、これは罪滅ぼしっていう訳じゃ無いけど、おまえのバンドを、ミステリアスムーンを、もしよかったら俺にプロデュースさせてくれないか。責任はすべて俺が持つし、もちろん保証もする。俺のこの長年の経験と勘が言ってるんだ。間違いなく成功するってな」久彦は、真剣な顔を千秋に向けると、再び頭を下げた。

「それは……」千秋はタバコを灰皿で揉み消すと、顔から表情を消し、強い意志を示すような口調で言った。「それは悪いけど、断るよ」

「えっ? それは……どうしてだ? あのバンドだったら、おまえのその腕と、あのボーカルのパフォーマンスだったら、間違いなく確実に大きく売れるのに。ちょっと待てよ、何も俺は一人一人じゃなく、バンドとしてそのままの音でプロデュースしたいと思ってるんだ。そこまで完成された音なんだよ、おまえのバンドは」想定していた言葉を覆された久彦は、いろいろな想いが重なり、自分の欲を前面に出した言葉を発してしまった。

 その微妙な言葉のニュアンスを見逃さなかった千秋は、さらに自分の意思を貫き通す言葉を吐いた。「たら? のに? 悪いけど、そういう言い訳染みた話を聞くのはあんまり得意じゃないの。それは結局、お父さんの会社の利益も考えての事でしょ? あたしはね、自分の実力と、あのバンドの音だけで勝負したいの。あのバンドの音がどれくらいのものかって事くらい、自惚れてる訳じゃ無いけどわかってるつもり。確かにね、あたしだって小さなライブハウスでやってる現状よりも、次のステップに進んで、大きなホールとか、スタジアムとか、そういうところで演りたいっていうのが夢だよ。だけどさ、コネとか、そういうのだけは自分自身、一番避けたいんだ」

「いや、利益とかそんなのは……。それにコネとか、そんな風に考えなくてもいいんだよ。俺はただ、一人の音楽プロデューサーとして、おまえのバンド、ミステリアスムーンに惚れたから言ってる話で……。父親という枠じゃなくて、もう少し切り離して考えてくれないかな」

「それは、やっぱりちょっと無理かな……」千秋は悲しみの色を瞳に写すと、静かに話を繋いだ。「やっぱりさ、あたしが知ってるお父さんは、音楽のプロっていうのが大部分だから……。お父さんが……業界人じゃなかったら良かったのにね……」

 窓の外には、真夏にも見劣りしない、青く濃い空が広がっていた。


「という訳でして、水野様が出国する際、このバンド、ミステリアスムーンのことを教えてくださったのです」阪上は背広の襟を正すと、メンバー全員を見渡しながら言った。

「って言うか、えっと、阪上さんだっけ? なんでそんなに腰の低い喋り方なの? なんかどっかのひつじみたい。こっちが恐縮しちゃうよなぁ」

「おいおいおい、そりゃぁ執事だろ? おまえ、バカ丸出しだな」太陽は、拓人の間違いを冷たい視線で正した。

「わたくし共はアーティストの方々に支えられてる身でして、言葉遣いには常日頃気を配っております。少々固いとは思いますが、どうかご容赦ください」

「んで? 今日は結局あれですか? 春人に言われたからスカウトに来たってことなんでしょ? 悪いけど、紹介とかそんなのは、オレのポリシーにはまったく反するんで、問答無用でお断りしますよ」太陽は椅子に座り直すと、つまらなさそうな顔で言った。

「いえいえ、これだけは申し上げておきますが、断じて紹介されてここに来た訳ではありません。実は、わたくしはあなた様方のライブを拝見するのは三回目です。確かに最初は水野様の情報で伺った訳ですが、その初回ですでに弊社の社長と意見が一致しまして、弊社の方でプロデュースしたいという方向でまとまりました。社長とわたくしの目で見る限り、このバンドは必ず大きく成功します。そういう訳でして、本日はご挨拶に伺ったという訳です」

「はぁ、必ず大きく成功ねぇ……。なぁ太陽、この人、嘘言ってるようには見えねぇぞ? そんな邪険な態度しないで、話くらい聞いてもいいんじゃねぇか?」拓人はタバコに火を点けながら言った。

「そうだよタイちゃん、これってチャンスじゃんか! ちゃんと話聞いた方がいいって!」康介は目を輝かせると、期待を込めた声で太陽に懇願した。

「まぁ……、そうだな。確かに別にマイナスな話って訳でもねぇし。んで? えっと、阪上さんか。阪上さんがスカウトのトップって訳?」

「そうですね。一応、肩書としては広報部長となっておりますが、スカウトの方も兼務しております。なにせ、まだ出来て日も浅い会社ですので……」阪上は苦笑した。

「確かに、スカウトが得意って感じじゃないもんな。んで? プロデュースって言うけど、このバンドのまま、このバンドの音でってことでいいんだよね? それ以外の条件だったら即刻退室してもらうことになるんだけど」

「もちろんです。先程申し上げた通り、社長もわたくしも、このバンドの完成された音に感銘を受けた訳でして。まぁ、最終的にリリースするまでの工程で、多少のアレンジくらいはあるかと思いますが……」

「わかった。別に断る理由もねぇし、前向きに考えさせてもらうよ。これはオレの直感だけど、阪上さん、いい人そうだしな」太陽は笑顔を作ると、阪上に右手を差し出した。

 だがその直後、今まで一言も言葉を発していなかった千秋が、自分の意思を貫き通すような強い口調で言葉を放った。「ちょっと待って、あたしは反対だよ!」

 その声に太陽が振り向くと、千秋が腕を組み、氷のような目付きで阪上に視線を向けていた。

「阪上さん、何も聞いてないの? あたしはこの件、きっぱりと断ったはずだけど」斜に構えた千秋の言葉には威圧感があった。

「えっ、いや、特に何も……。えっ、それはいったい……どういうことでしょうか? この件で一度、お嬢様は社長とお話になったのですか?」阪上は事の経緯が呑み込めず、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。

 それは他のメンバーも同じで、千秋に視線を向けて固まったまま、口をぽかんと開けている。

 だが、なにか思い当たる節があったのだろうか、康介は短い静寂を破るように口を開いた。「えっ、じゃぁオータムレコードっていうのが、千秋さんのお父さんの会社ってこと? あっ、そうか、言われてみれば同じ苗字だもんね。あっちで春人をスカウトしたのも、確か相沢さんっていう人だったし」

「なるほどな、そういうことか……」太陽は立ち上がると、相沢の目の前に立って話を続けた。「阪上さん悪いけど……、なんだか断る理由が出来ちまったみたいだ。そういう訳で、この話はこれで終わりってことで」

「えっ、いや、あの……、ちょっと……」

 ドアの外からは、太陽に押し出されるように楽屋を出た阪上の声が、まるで遠くからの声のように小さく響いていた。


「まったく、それならそうと最初っから言ってくれればいいのに。まさかお前の父ちゃんがレーベルの社長とはねぇ……。それで? おまえのオヤジさんはなんて言ってたんだ?」太陽はバーボントニックを一口呷ると、正面に足を組んで座っている千秋に向かって言った。

「さっき阪上さんが言ってたまんま。このバンドの音に惚れたんだって」千秋はつまらなさそうな顔を作ると、大きくため息をしながら言った。

 ライブ後の片付けを終えた後、メンバー四人と夏妃はラウンジAにいた。

 ミステリアスムーンにとって初めてのスカウトを蹴散らした太陽は、他のバンドからの打ち上げの誘いを断り、メンバーとの話し合いをしたいと考えたのだった。

「そうか……。でもそれだったら……、別にオレ達にとってマイナスなことはねぇんじゃねぇか? オレ達の音を気に入ってのことなんだろ? オレもコネとかっていうのは好きじゃねぇけど、おまえのオヤジさんの会社だからって、別にその力を利用してって訳でもないと思うし……」太陽は腕を組みながら言った。

「あたしにとっては十分コネだよ。いい? このままあの会社からリリースして、奇跡的に売れたとしたって、結局は父親のコネでデビュー出来たのねって思われるだけだよ? そんなのあたしは絶対許せない。あたしはね、一から十まで完全にこのバンドの力だけで勝負したいの」千秋はまっすぐ太陽を見据えながら言った。

「その気持ちはまぁ、わかんないでもねぇけど……。だけど、例えば全く同じ話を違うレーベルの人間が持って来たとしたら、それはOKってことなんだろ? おまえのオヤジさんにしたって、さっきの阪上さんにしたって、レーベルとしてオレ達に魅力を感じたんだろうから、それはちゃんとこのバンドの力ってことなんじゃね?」

「レーベルとして? 悪いけど、あたしにはそうは思えない。確かにあたし達の実力は認めてるんだろうけど、それはあの人の中では半分のこと。もう半分は結局、親なんだから娘に対してなんとかしてやろうって気持ちに決まってるんだから」

「はぁ? なんだそれ。おまえはなんでそんなにひねくれてんだ?」腕を組んでじっと二人の会話を聞いていた拓人が、瞳に怒りの色を浮かべながら口を開いた。「そんなの親からしたら当たり前の考えだろ? どこに子供の成功を考えない親がいるんだよ。それにおまえの言ってることはたぶんの話じゃねぇか。それとも『おまえの事がかわいいからウチの会社からデビューさせてあげるよ』なんて直接言われたのか? たぶんで結論付けてんじゃねぇよ。だいたい、おまえの個人的な感情で左右する話じゃねぇだろ? 一人でやってんじゃねぇんだから。おまえにはどうでもいい話でも、俺等にとっちゃチャンスの話なんだよ!」

 まわりに客が少ないせいだろうか、拓人の強い言い回しにその場は少しの間静まり返った。BGMの音だけが、それぞれの思考の裏側で静かに流れている。

「まぁまぁ、拓人さんもそんなに熱くなんないでくださいよ。確かに俺もこの話は嬉しくない訳じゃないし、もちろんチャンスなのはわかってます。だけど何て言うか、何の障害も無く自然と流れて行く方が、このバンドにはいいんじゃないかって思うんですよね」康介はジントニックを一口飲むと、腕を組みながら言った。

「は? おまえ頭おかしいのか? おまえの言う、その自然の流れでスカウトされたんじゃねぇか! 俺達がなんか特別なことしたか? 普通にリハやって、普通に全力でライブやって、その結果スカウトされただけじゃねぇかよ」

「いや、そうじゃなくて、メンバー同士の意見が自然な方がいいって話で……」

「あのなぁ、この世の中、意見がピッタリ合うヤツなんてそんなにいねぇんだよ。ましてや四人だぞ? どう考えたって障害なしって訳にはいかねぇじゃねぇか。だいたい、意見が分かれることを障害って言葉に位置付けちゃうのもおかしいだろ? 意見がぶつかることは、そんなに悪いことでもねぇんじゃねぇか?」

「それはそうですけど……。でも俺は、なるべくなら平穏に、何事もなく普通にやって行けたらと……」

「甘いんだよ!」拓人は康介の話を遮ると、グラスのレモンサワーを一気に飲み干した。「わかってねぇな、おまえは。意見がぶつからなきゃ未来もねぇんだよ! 一方通行の意見で全員が納得出来んのか? 民主主義だぞ?この国は! 悪いけどな、俺は一回経験してんだよ。意見が一方通行じゃ、バンドなんて簡単に潰れちまうんだよ!」

 拓人の放ったその言葉は、その場にいる全員を凍り付かせた。特にプロミネンス崩壊の引き金だった太陽は、あまり触れられたくない現実を告げられたことで、俯くことしか出来なくなってしまった。

「あぁ、じゃぁあのさ、多数決なんてどう? 昔から意見が割れた時には、みんな当たり前にやってたでしょ? それにほら、拓人さん今、民主主義って言ってたじゃない? それなら公平なんじゃないかな」凍り付いた空気を打破するように、夏妃は明るい口調で言った。

「おぉ、そりゃ確かに正論だな。さすがは夏妃ちゃんだ。やっぱりあれだな、こういう時に外側からの意見、第三者的な眼っていうのはありがたいよな。俺等だけだとほら、どうしても自分の考えにかたよるじゃん? よっし、んじゃ、多数決ってことにしようぜ。太陽、それでいいか?」

「あ、あぁ……、オレは構わないけど……。康介と千秋、それでいいか?」

「えっ? あぁ……うん、わかったよ……」康介は少し上目遣いで、太陽と拓人を順番に見ながら言った。

「そこまで言われちゃったらもう何も言えないじゃない。まぁ……、しょうがないか。でもどうせ、あたしの意見なんて通んないんでしょ?」千秋は不貞腐れた顔をしながら渋々承諾した。

 その結果、太陽と拓人が肯定派、千秋と康介が反対派となった。だがこの多数決という公平な結果に対し、やはりこの男は異論を唱えるのだった。

「おいおいおい、康介おまえ、さっきはチャンスだって言ってたじゃねぇか。嬉しい話だとも言ってたぜ? なんで反対なんだよ!」新しく運ばれて来たレモンサワーの約半分を一気に飲んでしまった拓人は、まるで相手を敵と見做みなししたかのような目付きで康介を睨んだ。

「いやあの……、確かにチャンスだと思うし、嬉しい話だとも思いますよ? でも……、少なくとも認めてくれるレーベルが一つでもあるってことは、他にも同じように認めてくれるところがあるんじゃないかと……。もう少し見極めてからでも遅くはないんじゃないかなって思ったから……」

「そうだよ。別にあたしの親のところじゃなくたって、レーベルなんて他に腐る程あるじゃない。別に急ぐ理由もないでしょ?」

「あのな、俺だって太陽だってもういい歳なんだぜ? 早いに越したことはねぇんだよ。そんなことより、偶数で多数決やること自体問題なんじゃねぇか? たかが四人しかいねぇんだから、こうやって割れるのはある意味必然的だぜ?」

「そんなのしょうがないじゃない、最初っから四人って決まってるんだから。だいたい多数決にしようって言ったの拓人君でしょ? 後からつべこべ言うのはどうかと思うけど?」千秋はそっぽを向くと、足を組み直して話を続けた。「じゃぁ……、四人がダメなら五人にすれば? せっかくここに夏妃さんがいるんだから」

「えっ、アタシ?」まさか自分に話が振られると思っていなかった夏妃は、手にしたグラスを危うく落としそうになった。「ダメだめ、何言ってんの!? アタシ、メンバーじゃないじゃない! しかも、バンドのこの先を決めるような、そんな重要な事に係れる訳ないじゃない!」

「おぉ、そうか! 夏妃ちゃんがいたよ。夏妃ちゃんならすでにマネージャーみたいなもんだし、投票する権利があって当然だよな」拓人は驚きと笑顔の中間の顔を作ると、両手をパチンと叩きながら言った。

「ちょっと待ってちょっと待って、むりムリ無理! だからダメだって! アタシには荷が重すぎるよ!」

「いや、いいんじゃねぇか? おまえは最初のライブからずっとこのバンドを見て来た訳だし、今の話だって全部聞いてただろ? オレも投票権がある方に一票だ。ほら、これで三人意見がそろった。康介だってたぶん、異論は無いと思うぜ?」

「うん、いいんじゃない? なんだかんだ、俺も夏妃さんはプロミネンスのスタッフっていう認識だったし。って言うか、これを機にマネージャーなりスタッフなり、完全に位置決めすればいいんじゃない?」

「ちょっと勘弁してよぉ。別にマネージャーやるのは構わないけど、これってさっき言ってた一方通行じゃないの? アタシの意見はどこ行っちゃうの?」

「いや、多数決の言い出しっぺはおまえだろ? すでに四対一だぜ? つぅか、そんなに重たく考えなくたっていいんだぜ? たまたまおまえの一票が最後になっちまっただけでさ、別にどっちに転んだって誰も文句は言わないよ。たぶんみんなもそう思ってるだろうし……」太陽はそこまで言うと、ポールモールに火を点けた。

「なによそれ! たまたまとかたぶんとか、他人事みたいに言わないでよ! だいたい、この状況でタバコ吸うのもおかしいでしょ? アタシを追い詰めるのがそんなに楽しいの?」

「おいおい、誰も追い詰めてなんていねぇよ。おまえが正式にスタッフになるっていうのがちょっと嬉しかっただけじゃん。何をそんなに怒ってんだよ。せっかくみんながおまえのことを認めてくれたっていうのに……。だいたいな、おまえはちょっと怒りっぽい所があるんじゃねぇか? そんなんじゃこの先、バンドのスタッフとして……」

「ねぇ康介……」頭に複数の疑問符が浮かんだ千秋は、康介の耳元で疑問を呟いた。「太陽君がタバコを吸うとなんかあるの?」

「あぁ、タイちゃんはね、なんでか知んないけど、いいことがあった時にしかタバコ吸わないんだよね。それにしても、仲がいいなぁ、この二人は……」


 結局、夏妃は拓人や太陽と同じく、肯定派に一票を投じた。

 その結果、ミステリアスムーンはオータムレコードと契約することになるのだが、その先にはまた再び、大きな問題が待ち構えているのだった。










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