第3話「弥縫策」

 山城は自身の睫毛の長さについて、芳江からも言葉を受けた。


 美容関連の職に就く芳江が他人の外見の細部にまで着目するのは、至って自然なことだ。出会って三度目のデイトで、仙川せんがわの喫茶店にて珈琲を飲んでいたときのことだった。普段なら不快にさえ感じるその言葉を芳江から聞いたとき、山城は少しも嫌な気がしなかった。それどころか、嬉しいとさえ感じた。自分でも不思議だったが、芳江との結婚に踏み切る決意ができたのはこの一件があったからであった。

 

 芳江の睫毛は短く、化粧の際は、特に睫毛の増強と両目の拡大に精を出した。

 アイシャドウやらビューラーやらペンシルアイライナーやらといったわけの判らない化粧道具を駆使して、小さい目を少しでも大きく豊かに――また二重のごとく――見せ、短く貧相な睫毛にヴォリウム感を与えて華やかな印象を付帯させようという手の込んだ装飾をするのである。 


「どうして、そこまで念入りに化粧をするんだ?」

 結婚して三年ほど経ったあるとき、山城の口からふとこぼれた。

 

 間の抜けた質問だと、言った直後に後悔する。

 そんなこと、聞かなくともわかっている。決して優れていない容姿を少しでもましに見せ、客に不快感を与えないようにするためのやむを得ない努力だ。もともと均整のとれた顔立ちであれば、そこまでする必要はない。

 山城に言わせれば哀れな弥縫策びほうさくだが、しかしその甲斐あってか、芳江は店内でも上位の売り上げ成績を誇っている。見た目はいまいちだが、社交的でなおかつ鷹揚おうようさも備えているので、接客販売の職は確かに向いているだろう。

 山城は、でも芳江がそんなふうに装うことに名状めいじょうしがたい違和感や居心地の悪さを覚えている。


「女として、手を抜くわけにはいかないからね」

 少しの沈黙ののち、微笑をたたえて言った。

 今度は、山城が黙る番だった。その簡潔に要約された言葉の意図するところはおおむね予想どおりだったが、その中の“抜く”という単語がやたらと耳につく。無意識のうちに、山城は人差し指で左目の睫毛をいじっていた。


「もっと綺麗に生まれたかったなぁ」

 芳江がひとりごつようにつぶやき、鏡台きょうだいに向き直って化粧を再開した。

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