第4話「悪癖」

 睫毛を抜くときの感触を、山城は気に入っていた。

 やや伸びた爪先を沿わせ、指に適度な力を加えて引っ張り、狙いどおりに抜けたときの一瞬の感触が心地よかった。特に、抜くときのプチっという間の抜けた音も、山城に安心感をもたらした。


 その一連の行為の中で、快感や恐怖や自責といった様々な感情が入り乱れ、しかし抜ける瞬間が訪れると、それらは収束して心地よさに昇華される。

 

 心地よく感じるのは一瞬だけだった。指についた一本、あるいは二、三本の睫毛を目にして、山城はいつも落胆する。その瞬間を享受するために行っているのだと感じる一方、自身の悪しき面をいっそう歪めてまでそんなことをして、いったい何になるのだろうと冷静に絶望することも、週に一度か二度ほどはある。抜いた睫毛を口でふいて床に落とすと、しばしば芳江にごみ箱へ捨てるようにと注意された。


 山城が鏡でまじまじと自分の顔を眺めるのは、歯磨きやひげ剃りをするときを除けば、睫毛を抜いたあとの目の状態を確かめるときだけである。芳江と比べて縦には短いものの糊代の多い顔も、結婚してから数年で以前より目立つようになった二重顎も、清涼感に乏しい猪首いくびも、進んで視界に入れたいものではなかった。

 せっかく長くて品のよい睫毛をしているのにわざわざ抜くべきではないと、結婚当初は芳江に言われたものだった。しかし、山城の行為が一過性のものではなく、長年にわたって培われた改善の見込みのない悪癖であると理解したとき、芳江は室内のごみ箱の数を増やした。


 山城の目は、たとえば喫茶店で向き合うぐらいの距離で互いに目を見て話すような状況であれば、よほど無頓着でない限りは数分以内には気付くであろうと思われるほどに、違和感で溢れていた。

 一部分、たいていは瞼縁けんえん上部の中央付近に数センチ、剝落はくらくした箇所が生じていることが多い。それは自然に抜け落ちたのではなく、誰が見ても意図的に引き抜いたと判るほどのものであった。


 鏡で確かめるのは一日一度、就寝前と決めていた。

 異様な目を眺めて満足するわけでも、あるいは毎日確認しなければ気になって寝つけないというわけでもなかった。満足などせず、むしろ抜く一瞬を経たあとは後悔の念さえ感じることも少なくなかった。それでも山城は毎日、無意識的に睫毛を抜いては、それをその日の最後に視覚的に確認した。

 

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