第七話

 翌朝、早朝五時。

 いつもよりもずっと早い時間にリリィの作った朝食を食べた後、ダベンポートは一旦自室に戻るとリリィに気取られないように静かにクローゼットの引き出しを開けた。

 一番上の段の右の奥。

 上に被せていた衣類をめくり、下から黒いホルスターと中折れ式の拳銃を取り出す。

 ホルスターをベルトに通し、ジョイント部分で折った回転式拳銃の弾倉に六発の弾丸アモを装填する。箱から取り出した一握りの弾丸は上着のポケットに放り込んだ。

 少し腰のあたりが膨らんでいるが、薄型の拳銃だ。あまり目立たないだろう。

 ダベンポートは拳銃をホルスターに収め、上着で見えないように隠してから階下に降りた。

「旦那様」

 階下に降りると、リリィはコートを持ってすでにダベンポートを待っていた。

「ああ、ありがとう」

 リリィに手伝ってもらいながら黒いインバネスコートに袖を通す。

「旦那様?」

 コートを着せた後、ふとリリィはひどく気遣わしげにダベンポートを見つめた。

 大きな青い瞳が潤んでいる。

「ん?」

「今度の事件は、危ないのですか?」

 リリィの声が震えている。

「リリィ、なぜそう思う?」

 なぜ判ったのだろう? 不思議に思ってリリィに訊ねる。

「旦那様が拳銃を携帯するなんて初めてです……」

 リリィはダベンポートが思うよりもはるかに観察力が確かだった。

「お腰の辺りが少し膨れています。わたし、旦那様が拳銃をクローゼットにしまっているのは知っていました。わたしはハウスメイドです。このうちの事で知らない事はありません」

「大丈夫、危ない事はない」

 ダベンポートは無理に笑顔を作るとリリィに気休めを言った。

「ですが……」

 リリィが組んだ両手を握りしめる。

「旦那様、くれぐれも危ない事はなさいませんよう。旦那様に万が一の事があったら、わたし困ります」

「ああ、それは僕も困るな」

 ダベンポートは微笑みを見せた。

「大丈夫だ。ちょっと遅くなるかも知れないが、ちゃんと帰ってくるよ。では行ってくる」

 そうリリィに言いながら玄関のドアを開ける。

 背後にリリィのすがるような視線を感じる。

 今振り返ってはいけない。ダベンポートは感情に流されそうになるのを無理に我慢して歩き始めた。

 ダベンポートを見送るリリィの姿は心細げだった。

 今振り返ったら、リリィを抱きしめてしまうかも知れない。

「行ってらっしゃいませ、旦那様。くれぐれもお気をつけて」

 言葉はいつもと同じ。だがリリィはいつもよりずっと長く、ダベンポートの姿が完全に見えなくなるまでその姿を見送っていた。

…………


 グラムの功績のおかげで、スレイフの居場所が特定できた。

 港にある貸本屋は多くない。グラムはその後もトレバーと親しく話し、貸本屋の位置を特定した。スラムの裏手、ちょうど街と港湾が交わるあたりだ。

 襲撃計画は昨夜のうちに策定されていた。十六人の騎士で店を取り囲み、別働隊の八人が一斉に店の中を襲撃する。

 最近このあたりを騎士団がうろうろしていたのは幸いだった。もう街行く人も騎士団の青い制服を見慣れてしまったようで、騎士が歩いていても誰も注意を払わない。

 グラムは兵員輸送馬車を港の外れに停めさせると、自分が乗ってきた囚人護送馬車のキャビンに小隊長を呼び集めた。ダベンポートも当然一緒だ。

「スレイフの店はここにある」

 グラムは小机に広げた地図の上につけられた赤い四角を指差した。

「小さな店だ。通路が二列、その奥にカウンターがあってどうやらスレイフはそこにいるらしい。カウンターを越えると奥は階段になっていて地下室と二階に繋がっているそうだ。突入は第二小隊に任せる。第三、第四小隊は店をそれとなく取り囲め。万が一店から逃げ出した奴がいたら躊躇なく拘束するんだ」

 グラムが太い腕を組む。

「だが、殺すなよ」

「はい」

 腕を組んで地図を覗き込んでいた小隊長達が各々頷く。

「第一小隊は待機だ。自分達の馬車で待っていてくれ。何もないとは思うが、万が一信号弾が上がったら応援に来て欲しい。赤い信号弾だったら店の外、青い信号弾だったら店の中だ」

「了解」

「よし。突入は〇八〇〇時とする。言うまでもないが、スレイフに気取られるなよ。各員、配置につけ!」

「はい!」


 八時ちょうどまであと五分。

 ダベンポートはグラムと共にスレイフの貸本屋の向かい、煉瓦造りの建物の影にいた。

 ここからなら店の様子がよく見える。一方、建物の影になっているため、店の中からこちらはほとんど見えないはずだ。

「気配がないな」

 建物の影から店の方を覗きながら小声でグラムがダベンポートに言う。

「シッ」

 ダベンポートは唇に人差し指を当てた。ポケットから懐中時計を取り出し、秒針を凝視する。

「……時間だ」

 ほとんど同時に第二小隊が動き出す。

 どこからともなく現れた八人の騎士達は店のドアを蹴破ると一列になって店に突入した。

 それまで汽笛と船の音しかしなかった街が突然騒然となる。

「よし、僕たちも行こう」

 ダベンポートがグラムを促して建物の影から歩み出たその時……

「グワッ」

 悲痛な悲鳴と共に騎士団の一人が砲弾のように店のドアから飛び出してきた。

「グフ……」

 さらにもう一人。

『怯むな!』

 中から小隊長の声がする。

 飛んできた二人は口元から鮮血を垂らしながら石畳の道路の上に無残に転がった。

 まるで馬車にはねられたかのようだ。

「おいっ、何が起きた?」

 グラムは血相を変えると全速力でスレイフの店へと駆け込んで行った。 

 …………


 店の中はまさに乱闘の真っ最中だった。

 本棚が並び、狭い通路になっている店内は騎士には不利だ。剣を横に払えないため、思うように戦えない。

「ウォーッ」

 店の奥で大男が暴れている。長く太い腕、分厚い肩、樽のような体躯。

 身体はゴリラのようだが、肩の上に乗っている茶色い髪の頭は人間のものだ。

「全く、朝からなんだね?」

 二階から杖を突きながら降りてきたスレイフがカウンターの奥で眼鏡を光らせる。六人の騎士に囲まれても怯む様子はない。むしろ、楽しんでいるかのようだ。

 その間にも騎士団は次々と犠牲者を出していた。

 一発のパンチで屈強な騎士が簡単に膝を突く。

「どれジェイコブ、その無粋な青い服の連中には早くお引き取り願うんだ。これじゃあ店が開けられない」

「はい、スレイフさん」

 テノールの良く通る声。ジェイコブと呼ばれた大男がスレイフに頷く。

「おらあッ」

 三人の騎士が一斉にジェイコブに剣を突き立てる。だが、剣が通らない。

「暴れるのはやめていただけませんか?」

 ジェイコブは腕の一振りで簡単に三人を薙ぎ払った。

 三人の身体が宙を舞い、飛んだ先の本棚が音を立てて崩れ落ちる。

「これジェイコブ、店を壊すんじゃない」

 スレイフがのんびりとジェイコブをたしなめる。

「すみませんスレイフさん。ちょっと力を入れすぎてしまったようです」

 ジェイコブが長い腕で頭を掻く。

 部下達の危機に、グラムは自分の剣を抜いた。

「お前達は下がれ! 外の連中を介抱するんだ。信号弾で第一小隊を呼べ!」

 上段に剣を構え、油断なくジェイコブを睨んだままグラムは部下に命令した。

「はいっ」

 店の入り口を塞ぐように注意しながら、残った三人が失神した仲間を抱えてジリジリと後退する。

 三人が自分の両側を通り過ぎたところでグラムは剣を構え直した。

「こいつは、硬いのか?」

 小隊長に訊ねる。

「剣が通りません」

「お前の剣がナマクラなだけなんだったらいいんだが、なッ!」

 そう言うなり、グラムは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。

 肩口から斬り込んで右腕を狙う。

 だが、グラムの剣は簡単にジェイコブの片手で止められてしまった。

「危ないですよ、隊長さん」

 グラムの熟練の攻撃に、ジェイコブの手のひらが大きく切り裂かれる。しかしそれ以上は刃が通らない。毎日研いでいる鋭利な剣であるにも関わらず、グラムの攻撃は手のひらの骨を断ち割る事ができなかった。

「!」

 まるで何か硬いものを叩いてしまったかのように、グラムの腕がジーンと痺れる。

「隊長さん、やめませんか? 無駄ですよ。今ならお引き取り頂ければそれで結構だと主人も言っております」

「クソッ、なんだこれは?」

 さらにもう一発。今度は反対側から。

 しかし剣が通らない。

「どうなっているんだ?」

 グラムの頭が混乱する。

 ふとその時、グラムはダベンポートが後ろからゆっくりと近づいてくる事に気づいた。

「グラム、剣では無理だ。そいつの骨は鋼鉄だよ」


 パンッ。


 軽い音とかすかな硝煙の香り。

「あれ?」

 驚いたようにジェイコブは自分の肩にあいた穴を見た。


 パンッ。


 さらにもう一発。

 拳銃だ。

 眉ひとつ動かさず、ダベンポートが片手で拳銃を構えている。

 ダベンポートの瞳の光が昏い。

「魔法には魔法で対抗しよう。どうだ? これなら効くだろう?」

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