第六話

「しかし、口を割るかね」

 自分達も馬車で駐屯地に向かう途中、グラムはダベンポートに訊ねた。

「聞いた話だと相当暴れたようだぞ。二人、肋を折ったらしい」

「君の屈強な部下君達の肋をへし折るって相当じゃないか。これは有望そうだ」

 ダベンポートがニヤリと笑う。

「そうは言っても、そんな奴をどうやって尋問するつもりだ?」

 グラムの表情は訝しげだ。

「クスリを使う」

 ダベンポートは不気味な笑みを浮かべた。

「魔法院でね、科学捜査局の連中が今ベラドンナを主剤とした自白剤を開発中なんだ。これをもらう。これもまあ錬金術の遺産なんだが、このクスリを使うと脳が麻痺して酔ったようになるらしい。あとは二人で尋問すれば、たぶん、喋る」

「二人って、俺もかよ?!」

 驚いてグラムが自分の胸を指差す。

「そうさ」

 ダベンポートはしれっと言った。

「僕が怖い警官、君は優しい警官だ」

…………


 なるほど、その男の顔はゴリラにそっくりだった。

 顔立ちは類人類のように眉と口元が前に飛び出している。腕は太く、胸板は厚い。鼻は平たく潰れ、まるで顔に貼りついたかのようだ。

 ダベンポートはグラムと二人の騎士を引き連れてその男のいる監獄の前に立った。

「名前は?」

「…………」

 椅子に鎖で縛りつけられた男は挑戦的にダベンポートを睨むだけだ。

 男の拘束は厳重だった。

 椅子は壁のフックにしっかりと固定され、両手はそれぞれ椅子の腕に縛りつけられている。足も同様。両足それぞれが椅子の足に縛り付けられ、到底身動きのできる状態ではない。

「まあ、いい」

 ダベンポートは男に言うと、グラムと共に檻の中に入った。二人の騎士は監獄の外に立たせ、万が一に備える。

 ダベンポートは持ってきてもらったスツールに座ると、男と向かい合った。

「とりあえず、手の甲を確認させてもらおうか」

 事前に指示しておいた通り、男の手の甲の体毛は綺麗にそり落とされていた。

 分厚い手をとり、右手の甲を眺める。二オブジェクト、三エレメント。五芒星が中心に描かれた二重魔法陣。例の魔法陣だ。

「……やっぱり。これで確定だな」

 ダベンポートは魔法陣を見つめた。

 これは、スレイフの痕跡だ。この男の姿がゴリラそっくりなのはおそらくこの魔法陣のせいだろう。鋼鉄男、トカゲ男、そして次はゴリラ男という訳だ。

 しかし、スレイフは何をしようとしているのだろう? そしてどこで?


「さて……。これがなんだか、判るかね?」

 ダベンポートは懐から注射器の入った銀色のケースと小瓶アンプルを取り出した。良く見えるように男に差し出す。

「…………」

「大変に気持ちがよくなるクスリだ。これを今から君に注射する。暴れると針が折れるぞ」

 男の上腕をゴムバンドで縛り、肘の内側を指で弾いて男の静脈を浮き上がらせる。

「……量を間違えると死ぬらしい。気をつけないとな」

 ダベンポートは注射器に小瓶アンプルから薬液を吸い上げると、ゆっくりと針を静脈に突き刺した。静脈を探り当てたのを確認してから、シリンジを押して少しずつ薬液を流し込む。

 男が気味悪げにその様子を黙って見つめる。

「さて、では喋りたくなるまで待つか」

 再び注射器をケースに納めると、ダベンポートはのんびりと腕を組んだ。


 薬が効き始めるまで五分程度。

 薬は最初、あまり効いていないようだった。男の挑戦的な目つきは変わらない。

 だが……。しばらくすると自白剤が効果を発揮し始めた。

 徐々に男のまぶたが垂れ下がり、ヒクヒクと痙攣し始める。時折瞳が上に上がり、また元に戻るという動作を繰り返す。

「……そろそろいいかな」

 ダベンポートは時計を確認し、手帳を開くとペンのキャップを取った。

「君の名前は」

「…………」

「名前は?」

「……トレバー、……トレバー・スコーン」

「よろしい。トレバー、この顔に見覚えは?」

 ダベンポートはスレイフの似顔絵をトレバーにかざして見せた。

 トレバーの目が左右に泳ぐ。

 しばらく逡巡したのち、トレバーは気だるげに首を縦に振った。

「これは、誰だ?」

「……スレイフ、さん」

「よし」

 ダベンポートが満足げに頷く。

「では次の質問だ……」

…………


 三時間後。

 自白剤の助けにより、ダベンポートはかなり多くの事をトレバーから聞き出していた。

 トレバーが港湾で荷下ろしの仕事をしている若者だという事。年齢は二十一歳で文字の読み書きは職場で仲間に教わったという事。最近になって体型が変わりだした事……

 だが、話がスレイフの居場所に迫ると口を噤んでしまう。

「トレバー、大人しく喋った方が身のためだぞ。あいつはマジで人の心が少々足りないからな」

 グラムが場を和らげ、ダベンポートが追求する。

「さて君は、スレイフ老人とどこで話をした?」

「…………」

「スレイフ老人とはどこで会ったんだ。場所は? 何を話した?」

「…………」

 ダベンポートはもうかれこれ三十分以上も同じ質問を繰り返していた。

 ダベンポートは苛立たない。

 冷静に計算しながら手を変え品を変え、淡々と尋問を続ける。まるで悪魔が乗り移ったかのような酷薄な尋問。

 だが、流石にダベンポートも停滞感を感じていた。

(もう一回クスリを打つか。だが、致死量を間違えないようにしないとな……)

 トレバーの息が荒い。狭い額は汗にびっしょりと濡れていた。

 短い顎から汗の雫が滴り落ちる。

 辛そうなトレバーを冷徹に見つめながら、ダベンポートは再び注射器を小瓶アンプルに差し込み、薬液を吸い上げた。

「待て待て待て! ダベンポート、そんな事をしたら本当に死んじまうぞ!」

 再びトレバーの腕にゴムバンドを巻こうと立ち上がったダベンポートをグラムは慌てて押しとどめた。

「お前、ちょっと疲れてるんだろう。一服してこい。上に上がればお茶がある」

 ダベンポートにだけわかるようにウィンクする。

「ふむ。じゃあそうさせてもらうかな」

 ダベンポートは立ち上がると、黙って監獄を後にした。


 ダベンポートが去ったのち、監獄には静寂が訪れた。

 聞こえるのは荒いトレバーの息遣いだけだ。

 グラムが努めて優しくトレバーを見つめる。

 俺は優しい方の警官だ。優しく、優しく。

(話しかけた方がいいのかな? こんな事ならもっと尋問を真面目に勉強しておくんだった……)

 トレバーのゴリラのような顔を見つめながら考える。

(しかし、こういう時に優しい警官はどうするんだろう?)

 トレバーは俯いたままだ。

(いまさら世間話ってのもなあ。しかし、他に話す事もない……)

「なあ、トレバ……」

 グラムが話しかけようとしたその時、トレバーの口が先に小さく動いた事にグラムは気がついた。

「…………」

「なんだ、便所か? すまないが拘束を解くわけには行かないんだ。そこで済ましてくれ」

 心から済まなそうに言う。

 本質的に心優しい男のグラムは本当にトレバーに同情していた。

 ダベンポートは人の心が少々どころか、かなり足りない。これは人の扱いとしてはあんまりだ。

「……港のそばの、貸本屋、だよ」

 トレバーがもう一度口を開いた。

(!)

 グラムの胸が思わず高鳴る。

 トレバーが何かを話そうとしている。

 この糸口を離さないようにしないと。

「貸本屋? トレバー、君は本を読むのか」

 グラムは驚いたようにトレバーに言った。

「僕は……貸本屋に、本を借りに、行っただけ、なんだ」

 トレバーがだるそうに顔を上げる。

「何の本だ?」

 グラムはトレバーに訊ねた。

「魔法の、本。僕は、もっと強く、なりたかっただけ……」

「魔法の、本……?」

 最近はそんなものまで貸本屋に置いてあるのか。例の『魔法入門上級』はもう魔法院の手で絶版になったはずだが……

「スレイフ、さんの店、なんだ」

 スレイフの店? スレイフは貸本屋になったのか?

「トレバー、君はそこでスレイフ老人に会ったんだね?」

 黙ってトレバーが頷く。

「こんな、事になる、はずじゃ、なかったんだ。僕は、強くなりたい、だけだった」

 トレバーの頰を涙が伝う。

「身体が変わる、だなんて、スレイフさんは、言っていなかった……」

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