第1話 デニングの少女


 蒸気が所々から噴き上がる。

 鉄を用いた壁で囲う家が点々と連なり、それが一つの町として機能している。

 ヌランと人間がお互いの人権を尊重し、政治国家『エルドレッド』に習い、法を整備した。

 町民は町の更なる発展と成長のための税を払い、町を治める町長とその幹部は、町民の税を使い、町民がより良い暮らしができるよう政策を行なっていく。

 ヌランと人間が共存できる町の手本として、『デニング』は今後も運営していく。


 ヌランが発行した観光文献にはこう記されている。

 事実、これを読みデニングに移住する人間はたくさんいた。

 デニングは蒸気機関車が通り、各地方からのアクセスは非常に良い。

 また、大都市エルドレッドへはデニングの駅が通り道となるため、この町を訪れる者は後を絶たない。

 デニングステーションはこの町のシンボルだ。

 その収益はデニングの大いなる発展に役立っている。

 金も、そして人も。


 今日もまた、地方から汽車に乗り、訪れる人間がいた。

 デニングステーションの所長代理、カイナの仕事は、訪れた人間を町に入れ、帰れないところまで誘導することである。


「デニングへようこそ」


 育ての親でありステーションの所長でもあるコル爺の弟子になったのは5年前、彼女が5歳になったころだ。

 整備士の彼を見て成長したカイナは、コル爺がデニングへ訪れた人間を保護し、時期を見て逃しているのをかっこいいと感じ、彼の助けになろうと弟子入りした。

 1年前、エルドレッドから視察が来るまでは。コル爺は国家反逆の罪で幽閉された。

 ヌランは彼の命を引き換えに、カイナに所長代理の任を与えた。

 勿論、監視付きだ。

 以来、彼女はデニングを訪れる人間を、ヌランの労働力へと変える橋渡しの仕事を引き受けてきた。

 9歳の少女が、たった1人の大事な人のため多くの人間を犠牲にし、壊れていく姿を、ヌランは、それは愉しそうに観察していた。


「お疲れ様、カイナちゃん。今日も沢山の人間をありがとう」

「いえ……」


 下劣な笑みを浮かべ、監視役のヌランは町の中心地へと帰っていく。

 弾けるような笑顔が印象的だったカイナの顔に、感情はない。

 虚ろな目は、何も写していなかった。

 それでも彼女は、コル爺のために頑張っている。

 心も体も壊れかけでも、コル爺が生きているという唯一の望みであり、彼女の支えであった。


「おい、聞いているか」


 カイナが駅近くの自宅に帰る途中、話し声が聞こえた。

 声のする方へ近づいてみると、監視役のヌランとエルドレッドから派遣されているヌランの騎士隊長がいた。

 ヌラン同士の会話など普段は気にしないカイナだが、この日は何故か、妙な胸騒ぎを感じ聞き耳を立てていた。


「あのカイナという娘、未だに壊れていないようじゃないか」

「へえ、なかなか心の強い娘ですね」

「やはり育ての親だというジジイがよほど大事なのだろうな」

「カイナが拒否すればあのジジイは死んでしまう、そう考えていますからね」


 カイナは自分のことを話しているのだと知り、どうでもよくなってしまった。

 自分のことをどう思っているなんてどうでもいい。

 途端に興味がなくなったカイナは、その場から離れようとする。


「バカな女だ。とっくにくたばったジジイを生きているなんて思いやがって」


 カイナの心に冷たい風が吹いていった。自分の耳を疑う。

 何かの間違えだと自分に言い聞かせる。


「まずいっすよ、隊長。もし誰かに聞かれたら」

「何、気にすることでもあるまい。もう半年も前のこと、牢獄で餓死したジジイだ。

それをまだ生きていると勘違いし、我々に与するなど滑稽でしょうがない」


 夜も遅い。

 暗闇の中に笑い声が響き渡る。

 カイナは耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ。心が闇に飲まれていく。

 頭痛が、寒気が、吐き気が彼女の体を襲う。

 ヌランの2人がいなくなるまで、叫ばないよう必死に堪えるのが精一杯だった。


 次の日の朝、カイナは自宅のベッドの上にいた。

 あの後、どうやって家に帰り、眠ったのか記憶にない。

 実は昨日の出来事は夢だったのではないかと自分に言い聞かせてみる。

 だが、手に残る雑草の臭いと膝に着いた泥が、昨日しゃがみこんだ状況を物語っていた。


「うぅ……」


 声にならない呻き声とともに、吐き気が込み上げてくる。

 トイレに駆け込み胃の中の物を戻してしまった。

 吐瀉物はほとんど液体だった。

 その臭いでさらに気分が悪くなる。


 おじいちゃんが死んでいた。

 しかも、半年も前に。涙が溢れる。

 育ての親を救えなかった悔しさ、大切な人を失った悲しさ、そして1年間騙してきた来訪者達への罪悪感で、カイナの心は完全に壊れた。


「もう、いいや」


 生気を失った目には何も写っていない。

 朝食も取らず、出勤時間より2時間も早く彼女は家を出た。

 当然、見張りもいない。

 人質という足枷を重く見ていたのか、監視の目はかなり甘かった。

 ステーションに仕掛けてある爆弾も気づかれてはいなかった。


 カイナはステーション最上階にある展望デッキへと向かった。

 コル爺に最初に連れてきてもらった場所であり、弟子入りを申し出た場所でもある。

 彼女はお気に入りのこの場所で、ステーションと一緒に果てるつもりだった。


「ありがとう、さようなら」


 右手に起爆スイッチを持ち、デッキの手すりの上に腰掛ける。

 彼女が死ぬことは償いにもならない。

 それでも、もうこの世界に希望などなかった。

 それなら、町の源でもあるこの悪魔の建物ごと消えてやろう。


 飛び降りる寸前、聞きなれた汽笛が聞こえてきた。

 見ると、一本の機関車がステーションに入ってきている。

 始発にはまだ早い。

 誰かが乗っていたらと思うと、カイナは起爆スイッチが押せなかった。

 降りてきたのがヌランなら容赦なく爆発させよう。でも、もし人間なら……。


 降りてきたのは人間だった。

 見たことのない服を着ていたが、たしかに人間だった。

 カイナの決心が鈍る。


——その者、見知らぬ衣纏いてこの地に立つ——


 懐かしい言葉が、カイナの頭に響く。


「おーい」


 下からの声で目を覚ます。

 見下ろすと人が五人、その中の一人の男がカイナに向けて話しかけている。


「ようこそ、デニングへ」


 この1年で染み付いた作り笑いと挨拶。

 もう必要ないのに、習慣付いてしまったそれは、カイナの意思とは関係なしに体が動く。

 そんな自分が気持ち悪く、殺したいほど憎らしかった。

 この後の行動だって体が覚えている。

 来訪者はデニングに着いたことを喜び、感謝する。

 カイナに何度もお辞儀し、笑顔を隠さない。涙を流す者だっている。

 その度に、カイナの心は壊れていく。


 しかし、5人の来訪者はデニングの名を聞いても納得してない顔だった。

 デニングという言葉さえ、知らないようにも見える。

 普段と違う状況に、カイナは混乱し苛立っていた。

 またも、先程の男が喋る。


「なあ、デニングって町の名前であってるのか」

「そうだよ。ここは商業の町、ヌランと人がお互いを尊重し、平等にくらす夢の町」


 平静を装いながら、言葉を返す。

 カイナは目の前の5人がなんなのかわからなくなってきた。

 本当に人間なんだろうか。

 本当はヌランなんじゃないだろうか。

 彼らは知らないふりをして、本当はカイナを捕まえに来た役人なんじゃないか。

 彼女の疑心は止まらない。

 心の壊れた彼女に、正常な判断はできない。


「そんなところでなにやってるんだ。危ないぞ」

——おい、そんなとこ登って危ないじゃないか——


 初めて聞く、懐かしい声がダブる。

 カイナはもう、疑うことを、考えることをやめた。

 風に押されるように、手すりの上から飛び降りた。

 私もそっちに行くね、おじいちゃん。



 目を開けると、青い空があった。

 腕の中に抱かれている感触があった。

 ちょっとだけ目線を横に向けると、男の安堵した表情があった。

 言い様のない感情が湧き上がってくる。

 来訪者の男は大丈夫か、と問いかけてくる。

 カイナの中に溜まっていた思いが言葉に、涙になって溢れてくる。


「なんで助けるんだよ。なんで死なせてくれないんだよ。なんで、なんで…わたしは死ぬことすらゆるされないのよ……!!」


 吐露される感情は怒り。

 自分の信じた理想は奪われ、希望に満ちた人たちからそれを奪い、支えにしてきた願いは弄ばれた。

 カイナはもう、この世界で救われることはない。

 生きていてもしょうがない。

 誰のためじゃない、自分の為に死ぬつもりだった。

 それさえも、奪われた。

 

 抱きしめられた。

 カイナを助けた男は震える彼女の体を抱きしめながら、涙を流していた。

 カイナはわからなかった。

 不器用なコル爺は、こうやってカイナを抱きしめることはなかった。

 なんでこの男が泣いているかもわからなかった。

 他人のために泣くなんて感情、彼女は持ち合わせていなかった。


「なんで……」


 そう呟きながら、カイナは男の腕の中で意識を手放した。



  目の前で女の子が突然飛び降りた。

 神由代知は、何故と考えるよりも先に、走り出していた。

 少女の落下地点に滑り込み、小さな体を抱き込む。

 鈍い音と共に激しく腕を打ちつけながらも、少女を無事キャッチする。

 覗き込むと、少女に怪我はなく、代知は安堵した。

 覗き込んだ彼女の顔は、驚きの色を示している。


「大丈夫か」

 

代知からしてみれば、少女の落下は投身自殺ではなく、不慮の事故に見えたであろう。

 だからこそ、彼女の顔が安心ではなく、憎悪に歪んでいく様は、今度は代知が驚く番だった。

 少女は叫ぶ、怒りを代知にぶつけるように。

 なんで助けたんだと。

 なんで死なせてくれないんだと。

 なんで、どうして、自分には死ぬことすら許されないのかと。


 代知は少女の言葉を遮るように抱きしめた。代知の目からは自然と涙が出ていた。

 少女の境遇を直感的に感じ取ったのだろうか。

 腕の中の少女は、なんでと呟きながら眠ってしまう。


「ごめん」


 代知は、小さく呟く。

 眠ってしまった少女にも、駆け寄ってくる他の人間にも聞こえないその呟きの真意をはかることはできない。

 大丈夫ですかと、汽車の中で知り合った皆木が後ろから聞いてきた。


「ああ、無事だ。この子の事情はわからないがこの世界について知ってるみたいだし起きるまで待ってみよう」

「待ってる時間がもったいないでしょ。さっさと起こして聞くこと聞いちゃおうよ」

「この子の様子はおかしかった。無理矢理はまずい」

「そんなこと私が知るかよ」

 

 玲子は、代知の言い分を無視し、乱暴に代知の抱えた少女を起こそうとする。

 それを代知が抵抗し、皆樹と次郎が止めに入る。

 汽車の中でも、代知と玲子の相性は最悪で、お互いがお互いに常に喧嘩腰だった。

 李久はどうしたらいいかわからず、オロオロするばかりである。


「てめえ汽車ん中でもそうやって俺に突っかかってきやがってなんなんだよおい。わりいが俺は男だろうが女だろうが関係なく殴るぞ」

「上等だこの野郎。私はあんたみたいにみんな仲良くとか、困ってるから助けたいだとか、そういう偽善で効率の悪いことが大っ嫌いなんだ。てか女扱いすんじゃねえ」

「お前ら二人とも落ち着けって。そんな大きな声で怒鳴り合っててもしょうがないだろ」

「そうですよ。その子だって起きちゃうじゃないですか」

「いいじゃねえか、そっちのほうが。おい、さっさと起きろよクソガキ」

「やめろっつってんだろ。こんな小さい子があんなとこから落ちてきたんだ。ちょっとは考えてやれよ」

「はいはい、偽善者。うるさいんだよ、そういういい子ちゃんは。それとも何か。その子に惚れたか。このロリコン野郎」

「なんだとてめえ」

「やめてください!!!」


 代知と玲子がまさにつかみ合いの喧嘩をおっぱじめようとした瞬間、二人に負けないくらい大きな怒鳴り声で皆樹が割って入る。

 その隣で、李久が目に涙を溜めて俯いていた。

 玲子は舌打ちすると、そっぽ向いて4人から少し離れる。

 代知は李久に目線を合わせると、


「ごめんな、李久。そうだよな、喧嘩してる場合じゃないよな」

「・・・ううん、大丈夫・・・」

「そっか。強いな、李久は。皆木も次郎も悪かった。これからどうするか考えよう」

「はい、代知さん。とにかくここがどういうところか調べないと」

「そうだな。代知はとにかくその子を看ていてくれ。俺と皆木で探索してみよう」


 その時だ。遠くからカツカツと、足音のようなものが聞こえてきた。

 玲子も気づいたようで、4人のもとに近づいてくる。

 その足音は人間的ではあるものの、何か自分たちとは違う、独特のリズムのように思えた。


「どうする、なんか変な足音じゃないか」

「この世界がどんなところかわからないし、なんの準備もなしに遭遇するのは危険じゃないか。ここではどこかに身をひそめるのが得策だろう」

「そうだね、じゃあとりあえずこの中にでも隠れようか」


 そういって玲子が指さしたのは、5人の近くにあった扉。

 考えてる暇はない、とにかく中に入ってやり過ごすことにする。

 中は機関車の管理室のようだった。

 5人は各々、物陰に隠れる。

 代知の腕の中の少女は、顔をゆがめたまま、目を覚まさない。

 足音はドンドン近づいてくる。

 この部屋には来るなと、5人は思うが、その願いも虚しく、足音は部屋の前で止まる。

 ゆっくりと部屋の扉が開いた。


 現れた生物を見た代知は思わず声を上げそうになる。

 背格好は大人の人間と大差ない。

 だが、その容姿は代知が見たことある生物に該当しない。

 野生の獣のようにけむくじゃらの2本の足、民族衣装のような服装の中から出た2本の腕は毛がなく筋骨隆々で鋼のようだ。

 背中には鳥のような翼が生えている。

 極め付けはその顔だ。

 骨格は人間、口は大きく、鋭く尖った長い二本の歯、いや牙がギラリと光る。

 本来なら鼻がある場所には何もない。

 耳は大きく先が尖っている。

 黄色く光る目は肉食動物のそれだった。

 髪は人間と同じで逆に気味の悪さを強調している。


 ゲームなんかに登場する悪魔を連想させるそれは、見ているだけで恐怖を感じさせる。

 無意識に体が震えていた。

 その異形の生物は、ゆっくりと部屋の中へ歩いてくる。


「おい、カイナ。いねえか。いるなら出てこい」


 ドスの効いた低音が異形の口から放たれる。

 ソレはカイナという人物を探している。

 代知の腕の中でびくりと動くものがあった。

 抱えた少女が目を閉じ、ガタガタと震えている。


「ここにもいねえか。まあ本来の出社時間はまだ先だからな。家の方にいるのか」

「アニキ、車両の中はもぬけの殻です。運転手すらいねえ」

「無人車両だと。どっちみちあの汽車ってのはカイナにしかわからねえ。とにかくあのガキを探すぞ」

「へい、アニキ」


 もう1匹、同じような異形の生物が入ってきて、アニキと呼ばれるやつに報告する。

 報告を受けたソレは、舎弟を引き連れ外へ出て行く。

 来た時同様、足音を立てながら離れて行く。

 足音が完全に聞こえなくなるまで、5人は動くことができなかった。


「……行ったみたいだな」


 戻ってくる様子がないことを確認して、各々物陰から出てくる。

 異形を目の当たりにした五人はみな思い思いに口を開く。


「なんだったんだ、アレ」

「わかりません。人間ではないです、よね……?」

「節穴かよ。あれのどこを見たら人間に見えるってんだ?」


 皆樹の言葉に玲子が乱暴に言葉を返す。

 そして、異形が去っていった制御室の扉を見てにやりと笑った。


「てかさ、なんかこの世界、ゲームみたいじゃねえか?」


 その言葉を聞いた一同の視線が玲子に集まる。

 玲子はそんな視線も意に返さずに軽薄な笑みを浮かべたままだ。


「面白そうじゃん、気に入ったぜ」

「おい、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

「なんだァ、神由。お前もしかしてビビったか?」


 宥めようとする代知に挑発で返す玲子。

 どうやら、逆効果にしかならなかったようだ。

 何か言い返してやろうかと思ったが、ふとそこで代知は腕の中の少女が小刻みに震えていることに気づいた。


「起きてるか?」

「……うん」


 少しの間を開けて少女が頷く。


「さっきまでのこと覚えてるか? 手摺の上から落ちたんだぞ、お前」

「うん、おぼえてるよ。おにいさんが、わたしの自殺を邪魔したことも」

「……ああ、そうだな」


 冷めた声音でそう言われ、頭にぴりっとした痛みが走る。

 湧き上がる感情を押し殺しながら、怖がらせないようにと言葉を選んでいると


「おいガキ、ちょっと私らの質問に答えな」


 二人のやり取りに玲子がいきなり口を挟んできた。

 少女を見下し、腕を組んだ高圧的な態度で接しようとする玲子に代知が苛立ちを募らせる。


「玲子、黙ってろ」

「お前こそ黙ってろよ。こっちはさっさと聞くこと聞きたいんだ」

「てめえ……!」


 掴みかからんばかりの勢いだった代知の眼前に、突然手のひらが突きつけられる。

 不意のことで驚いたが、その手が腕の中に納まっている少女のものだと気づいて、昂っていた代知は少しだけ冷静さを取り戻した。

 そのまま少女が代知の腕の中から出てくるのを見て、水を差された玲子が舌打ちする。

 そんな玲子の様子を尻目に、代知は改めて少女と向き直る。


「お前がカイナでいいんだよな?」

「そうだよ、おにいさん。私はカイナ。この駅の所長代理」


 そう言って、少女──カイナが頷く。

 さっきの化け物が、カイナという名前を呼んでからこの子が震え出したのだ。

 代知の推理は正しかったということらしい。


「……言いたくないなら、言わなくてもいいんだけどさ」


 少しの間を開けて、意を決して代知は尋ねる。

 腫れ物に触れるような、慎重な声音で。


「なんで、自殺なんかしようとしたんだ?」

「…………」


 カイナは無言のまま質問には答えない。


「おい、なんとか言ったらどうなんだ?」

「いいたくないなら、いわなくていいんだよね。おにいさんがそういったんだし」


 苛立ちを隠そうともしない玲子相手に、カイナは俯いたまま反論する。

 それにまた舌打ちを返してから、玲子はそっぽを向いた。

 元より、自殺の理由などには興味ないのだろう。


「んじゃ、さっきのは何かわかるか? 人間じゃないみたいだけど」

「何ってヌランじゃん。わたしたち人の支配者。そんなこともわからないの?」

「わからない、初めて見た。というか、こっちに来てから初めてばっかでいい加減頭がついていかないよ」


  車窓から見えた奇形とも言える植物たち、見たことある数十倍は大きな動物たち、そしてさっきの化け物。

 どれも、トンネルを抜ける前は見たことのない景色だった。

 それでも、車窓から見えたそれらからは恐怖を感じることはなかった。

 むしろワクワクしていたとすら言える。

 事実、さっきのを見た後でも、玲子は恐怖よりも好奇心の方が強い。


「あんな化け物よりも、私は知りたいことがあるんだ」

「何、レイコおねえさん」

「……お姉さんはやめろ。それより、私らはエルドレッドってとこに行きたいんだ。お前、行き方知ってたら教えろよ」

「おしえたらでていくの?」

「ああ、出て行ってやる」

「じゃあおしえてあげる。こっちにきて」

 

 玲子の言葉に一人納得したカイナは、5人を機関室から線路の方へと案内する。

 さっきまで乗って来た汽車は特に異変なくそこにあった。

 カイナはその汽車の進行方向にある線路を指差す。


「この線路はエルドレッド直通。せんろにつたってけばエルドレッドに行けるよ」

「なんだよ、線路があるなら汽車もあるんだろ? そいつでいけばいいじゃん」

「ヌランたちとあいのりでもいいならね」

「あ? どういうことよ」

「……今、ヌランなしでエルドレッド行きにのれる人はいない。ふつうはヌランのじょうそうぶがかくとしに行くためのしゅだんがこのきしゃなの。ゆいいつ人がのれるのはこのデニング着のみ」

「なんだよ、結局歩くしかねえのか。めんどくさいな……」

「……ちょっとまってて」


 少し考えた様子のカイナは、5人が乗って来た汽車の操縦席へと向かう。

 ブツブツと呟きながら機械をいじくり回し始めた。


「何やってるんだ、あいつ」

「所長代理とか言ってたし、汽車動かせるんじゃね? まあ、いいじゃん。どうせわからないことだらけだし、任せとけばさ」

「そう楽観視してられないだろ。さっきのヌランとかいう化け物のことだってある」

「それに、カイナは何か抱えてるようにも思えた」

「……神由、お前ホントお人好しの偽善者だな。いいんだよ、ガキの1人や2人。どうせそうプログラムされてるだけなんだって」

「じゃあ、お前はやっぱりこれがゲームかなんかだと思ってるわけだ」

「汽車の中でも言っただろ。それにあのヌランって連中もどう見たって普通じゃない。それこそゲームの敵キャラっぽいじゃん?」

「まあ、ゲームにしろ現実にしろ、俺たちが掴んでるのはエルドレッドに向かうことだけだ。簡単に行けるならそれに越したことはない」

「お、次郎さんもわかってんじゃん。なあ、神由。お人好しでロリコンなお前には悪いけど、私らだって元の世界に帰りたいんだからこんなところで道草食ってる場合じゃない、だろ?」


 ゲームなんだと言い張る玲子と、自分たちのやらなきゃいけないことがはっきりしている次郎。

 この2人の言葉には妙に説得力があり、代知は言い返すことができない。

 でも、と代知は思う。

 カイナのことをほっとけない自分がどこかにいると代知は無意識に感じていた。

 程なく、汽車の電気がついた。

 続いて、煙突から黒煙が噴き上がる。


「うごくようになった。これでエルドレッドまでいけるよ」

「お、マジか。サンキュー」

「だからはやくいって。……もう、わたしにはかまわないで」


 心底邪魔、という顔で5人を、特に代知を見てカイナは言う。

 代知は納得していない様子だが、その他の4人はいそいそと汽車に乗る。

 代知も渋々といった感じで中に乗り込む。

 汽車が動き出すと、カイナはその先を見ず、再び展望台に向かって歩き出した。



 これでいいんだとカイナは自分に言い聞かせる。

 あの汽車がどこから来たのかはわからないが設備はしっかりしていた。

 道中で何も起きなければエルドレッドまで行けるだろう。

 道中で何が起ころうが、カイナの知るところではない。

 5人の来訪者、特に代知の存在は壊れたカイナに希望を与えそうな予感すらしていた。

 だからこそ、早く消えて欲しかった。

 もう、叶わぬ希望に縋りたくなかった。

 カイナの心の中はかなり乱れていた。

 だからこそ、気づかなかったのかもしれない。



「探したぜえ、カイナちゃん」

 

 カイナの背中に悪寒が走る。

 背後からかけられた声には聞き覚えがある。

 振り向かず、足を止めずにカイナは言った。


「おはようございます、隊長」

「ああ、おはようカイナ。お前の家に迎えに行ったが、いなかったからな。随分と探したぜ」

「すこしはやく目がさめましたもので。仕事に支障がでるといけないとおもい、はやく出勤したものであります」

「今日はよく喋るじゃないか。まるであった頃のお前みたいだ。いいことでもあったか?」


 ヌランのいいことという発言にカイナの足は止まる。

 かき乱されていた心のまま、昨日のことを思い出す。

 いいことなんてない、嫌なことばっかだ。

 このまま抵抗したらこのヌランは殺してくれるだろうか。

 今度こそ、死ぬことができるだろうか。


 展望台の上から飛び降りた時のカイナならそれが出来ただろう。

 でも、彼女はすぐに判断できなくなっていた。

 死ぬのが怖い、人並みに感じたその感情は、彼女の動きを鈍らせる。

 返事のないカイナにヌランはニヤリと嗤う。


「そういえば、朝から予定のない汽車が入って来たそうだが……お前は何か知っているか?」

「いえ、なにも」

「おいおい、知らないわけないよなあ? さっきまでそこにあったんだ。あえて壊さずにな。そこから歩いて来たお前が知らないわけないよなあ?」


 カイナの心がざわつく。

 ヌランの手が、カイナの肩に乗る。

 耳元で囁いた。


「なあ、何が乗ってた?」

「……しらない」

「言えよ。内容によっちゃあれだぞ? あのジジイを解放してやってもいい」


 刹那、カイナは肩の手を払いのけると後ずさりした。

 全部知ってるくせに、それでもコル爺をダシにしてこようとする態度が許せなかった。

 ポケットから起爆スイッチを取り出す。

 どうせ死ぬなら、こいつも道連れにしてやる。


「……おいおい、なんだよそいつは」

「爆弾。駅にしかけてある。みんな、全部ぶっこわれればいいんだ」


 カイナは起爆スイッチを向け、強い口調で言い放つ。

 一方ヌランは本気にしていないのかスイッチを見てもニヤニヤと笑うばかり。

 カイナの神経は逆撫でられる。


「いっとくけど本気だからね。……一緒に死のうよ隊長」

「いいのかカイナ。逆らったらジジイは助からないぜ」


 知ってるくせに。

 なにもかもわかっていて言ってるくせに。

 カイナの怒りは声にはならない。

 叫び声とともにスイッチを押す。

 これで全て終わりだと、彼女は思っていた。

 ドカンと大きな音がなる。






「……なんで」

「いやあ、本当に可愛いなあこのガキは」


 確かに爆発の音は鳴った。

 しかし、駅も隊長もカイナ自身も傷一つ付いていない。

 爆破音も、駅から少し離れた森の中から。

 カイナの住む家の方から聞こえてきた。


「我々が気づいていないとでも思ったか。お前が仕掛けていた爆弾はもう何ヶ月か前にお前の家の横に埋めておいた。どうせ我々に対する抵抗だと考えていたからな。てっきり家で起爆するものと考えていたよ。その方が面白かったのに」


 残念そうに、隊長は言った。

 口元は、嗤っていた。


「その様子だと昨日の会話も聞こえていたようだな。当たり前だ、わざと聞こえるように言ったからな」

「なん……で……」

「決まっている、その方が面白いからだ」


 愉しそうに、本当に愉しそうに笑う隊長とは対照的に、カイナの表情は悔しそうに、そして諦めるように歪んでいく。


「じゃあ、もういいでしょ。殺してよ」

「ハア、わかってないねえカイナ。殺すわけないでしょ。お前は一生我々のおもちゃだ」


 そっか、殺してすら貰えないんだ。

 カイナの表情に感情がない。

 どうせ、人形にされる。

 おもちゃにされる。

 なら、感情なんていらない。

 ——すてちゃおうかな。

 カイナの頭は地面を見ていた。

 ヌランはその態度にほくそ笑むと


「そら、さっさとこい。とにかくあの変な車両を追いかけ……て……?」


 カイナへと手を伸ばし、無理矢理にでも連れ去ろうとしたヌランの言葉が途切れる。

 いつまでも伸びて来ない手に疑問を感じたカイナは、頭を上げる。

 2メートル近くあったヌランの体が、目の前に倒れていた。

 その後ろに、シャベルを構え、息を切らした代知がいた。

 隣には皆樹もいる。


「よかった、なんとか間に合ったぜ。怪我はないかカイナ」

「……どうしてまだいるの。まだわたしの邪魔をしたいの」


 会った時と同じような安堵の表情を浮かべる。

 カイナは努めて冷たく言ったつもりだった。でも、声が震えていた。

 そんな彼女を見て、代知は努めて優しく接する。


「ごめんな。でも、ほっとけなくてさ。俺1人でも残るつもりでこっそり列車から降りたんだ」

「僕もです。他のみんなは行っちゃいましたけどね」


 皆樹はそう言って寂しそうに笑う。

 2人を見ていたカイナは、胸の奥があったかくなるような感じがした。

 この1年、カイナは人間の優しさに触れてこなかった。

 いつも感情を殺し、来訪者たちを奴隷化させるよう、騙してきた。

 人間の優しさがどんなものかもわからなくなっていた。

 だから、胸に灯る温かさもわからない。

 気づいたら涙を流していた。


「え、えーと……その、ごめんな。泣かせるつもりはないんだって。うーん、どうすっかな……」

「……おにいさんのせいじゃない。でも、やっぱりおにいさんのせいなのかな」

「どっちだよ……」


 代知の困り顔を見て、カイナは小さく笑う。

 作り笑いじゃない笑顔なんて、いつ以来だろうか。

 カイナの笑顔を見て、代知と皆樹もつられて笑顔になった。


 その時、倒れ伏してたはずのヌランがびくりと動く。

 その顔を恐る恐る覗き込むが、目を覚ましてはいない。

 だが、その耐久性と生命力を知るカイナは焦り出す。

 その危険性が理解できてない代知はもう一発入れとこうかとシャベルを振り上げる。

 途端に、カイナが止めに入る。


「ダメ!衝撃でおきるかもしれない」

「マジかよ。じゃあどうする」

「とにかくにげよう。駅はもうダメだろうしとにかく森のほうへ」

「わかった」


 代知と皆樹は、カイナの案内のもとその場を離れ森の奥へと進んでいく。

 カイナの家はもうない。

 でも、カイナは知っていた。

 ヌランも近づかない場所が1箇所だけ森の中にあることを。

 周囲を警戒しながら進んでいく。

 代知も皆木も、カイナを信じてついて行くしかなかった。


「なあ、この先で大丈夫なのか?」

「とりあえずはこっちしかないよ。1度だけみたことあるんだけどヌランがなぜかおびえてちかよらない洞窟があるんだ」


 あの化け物どもでも近寄らない洞窟、そう聞いた代知と皆樹は若干震え上がる。

 そんな気配を感じたのか、カイナはちょっと笑って


「だいじょうぶ。わたしも中にはいったけどなんともなかったよ。むしろ町より気分がよくなるみたいなかんじがしたよ」

「そ、そうなんですね。じゃあ大丈夫なのかな……」


 カイナの言葉に、皆樹は納得して安堵する。

 代知は周囲の警戒を解いていない。

 進めば進むほど、森の道は険しくいっそうと茂っているように感じた。


 しばらくして、カイナは足を止める。

 目の前にはそれなりに大きな洞窟があった。

 警戒を怠らない代知をよそに、カイナと皆樹はずんずんと中へ入って行く。

 2人の方がよっぽど逞しいなと思いつつ、代知も後ろに続いた。

 入ってみると、ひんやりとした空気を感じたが、それほど嫌な感じじゃなかった。

 むしろ、疲れが消えて行くような変な感じがする。見ると、岩壁が青く光っていた。

 幻想的な光景に皆樹が呟く。


「ここの岩壁は光るんですね。綺麗です……」

「岩はひかるものでしょ?いつものことだよ」


 感動している皆樹とは対照的に、カイナは普通に答える。

 むしろ、驚いている2人に対して驚いている様子だ。

 認識の誤差に違和感を感じつつ、カイナは近くの壁を背に腰掛ける。

 代知と皆樹もそれに習う。

 代知がまず口を開いた。


「なあ、カイナ。まだ死にたいか」

「……わからない。わからなくなっちゃった」


 カイナはそのまま膝に顔を埋める。

 わかるわけがない。

 昨日、彼女は世界に絶望した。

 大切な人を失った悲しみ、自分のやってきた事への罪悪感、自分には何も出来ないという無力感。

 その全てを受けて10歳の少女が立ち直ることなどできるだろうか。

 死を覚悟したわけじゃない。

 死へ逃げただけだ。

 なら、何故死ねないのか。

 死ぬことが、何故今さら怖いのだろうか。


 皆樹は、そんなカイナを何もせず見ていることなんてできなかった。

 彼女の横に座り、頭の上に手を置く。

 安心させるように、彼女の頭を撫でる。


「怖いよね、死ぬのって。死にたいって思っても自分の中のなにかが邪魔をする。多分、理屈じゃないんですよ。僕だって怖い。死ぬのは怖くて涙が出る。きっと、それが人間なんですよ」


 まるで、自分のことのように話す皆木の言葉は説得力があった。

 代知もカイナも黙って聞いているだけだ。

 皆樹の目は、彼らを見ているようでもっと遠くを見ているように感じた。


「だから、自分から死んじゃダメですよ。死を覚悟するとか、死に逃げるのは人間をやめるのとおんなじです。そんなの、嫌ですよね」

「うん……」

「じゃあ、カイナちゃんも人間です。化け物でもお人形でもない、人間なんですよ」


 カイナは、自分のなにかが溶けて行くように感じた。

 皆樹は無意識だろう。

 それでも、この1年人形で、機械であろうとしたカイナの心を開かせるには十分だった。


 とりあえずさ、と皆樹は帽子を深く被り直しながら、


「ちゃんと自己紹介してなかったよね。僕は皆樹。よろしくね、カイナちゃん」

「よろしく、ミナキさん」


 皆樹が差し出した手を、カイナが握る。お互いに笑みを見せていた。


「ほら、代知さんも。自分の名前も言わないのに相手のことを聞こうなんて失礼ですよ」

「そうだな……俺は代知だ。あらためてよろしくな、カイナ」

「……うん、よろしく」


 皆樹の時とは対照的に、代知の差し出した手に対して、カイナは恐る恐るといった様子で握る。

 警戒された代知は少し寂しい気持ちにはなったが、その反面でどこか納得していた。

 これまでの代知とカイナの関わり方は警戒されて当然かもしれない。


 カイナも代知が怖いわけではなかった。

 ただ、代知に必要以上に心を開くことを躊躇っていた。

 何故そう感じるのか、カイナ自身わかっていない。


「聞かせてくれるか。カイナのこと」

「わたしのことでいいの?おにいさんたちがいた世界とこの世界ってどこかちがうんでしょ。そういうことはきかないの?」

「俺たちが別の世界から来たってわかってくれるのか」

「だって、かみあわないことがおおいんだもん。ヌランとか。この洞窟の壁だってそうでしょ」


 カイナは2人と話している間、ちょっとずつ認識に違いがあるのを感じていた。

 その考えを肯定するなら、2人がカイナとは違う世界から来たと考えるのが1番自然だった。


「その辺はまあ、カイナの話を聞きながら自分で考えてみるさ。わからなかったら聞くことになるけど」

「ふーん、そう。わかった。でも、ながくなるとおもうから覚悟してね」

「任せとけ。な、皆樹」

「はい、どんとこいです」


 覚悟を問われ、代知は笑いながら、皆樹は胸の前に両手でガッツポーズを作りながら力強く答えた。

 そんな姿勢に、カイナも気が楽になるのを感じた。

 こんなに穏やかな気持ちになるのはいつぶりだろうか。


 少しづつ、カイナは話し出した。


「じゃあ最初からはなしていこうかな。8年前、わたしはおじいちゃん、コル爺に拾われたんだ。赤ちゃんだったからそれより前のことはおぼえてないからだいたいおじいちゃんにきいた話なんだけど。そのころ、エルドレッドがヌランに陥落されて、人にとって地獄の時代がおとずれたっておじいちゃんははなしていたよ」



 8年前、この国の王都とされる西の都、エルドレッドがヌランによって陥落した。

 国王は人間の最低限の生活と身の安全を守るため、ヌランの王を名乗る者と契約した。

 その契約とは、ヌランに対する差別的な態度をとること、反抗的態度をとること、ヌラン側から人間に対し道徳的に問題がなければ、何をしてもいいというヌランの支配を完全に受け入れることとなっており、人間がヌランの支配下となることを示していた。


 当時、王妃であった女性をヌラン側に人質として囚われ、第2王女とされる王妃との間に生まれた娘は、戦争の中で殺された。

 そんな王に抵抗する気力も意思もなく、この契約は出来レースだったという。

 その後、各地方の街は、ヌランの侵攻を妨げることはできなかった。


 デニングは、そんな人間にとって希望となる場所として広まっていった。

 デニングではヌランがヌランを統制し、人間と友好的に関係を築いていき、共に成長していく街として認識されていた。

 実情は違っていた。

 人間はヌランの奴隷、死ぬまでヌランのために働く駒として見られていた。

 世間の認識に騙された人間たちを、逃げられないところまで追い込み、新たな奴隷として使役される。

 奴隷となった人間たちはそれを外に伝えることができないため、世間の認識は変わらない。

 帰ってこないのはデニングがそれだけ居心地のいいところだと、助長させる要因にしかならない。


「そんな人たちをすくっていたのがおじいちゃんなんだ」

「救っていた……んですか」

「うん。おじいちゃんはだまされた人たちの中で、特にわかくみらいのある人たちを駅についた時点でかくまって、時期をみて町の外へつれていってたの。わかい人たちだけでもっておじいちゃんはいつもいってた。そんなおじいちゃんがかっこよくてわたしはおじいちゃんの弟子になったんだ。最初はしぶっていたおじいちゃんも最後にはみとめてくれた。その時はすごくうれしかった。でも……」


 1年前、コル爺がしてきたことが明るみに出てしまった。

 ヌランは、コル爺を捕らえ、その弟子として育てられたカイナ共々殺されると思っていたという。

 しかし、ヌランは彼らを殺さず、支配することを考えた。

 コル爺を人質とし、カイナにコル爺の役目を引き継がせた。

 当時9歳の少女に、人間を騙させ、奴隷とすることを強要したのだ。


 当然、コル爺は反対した。

 自分の命など関係ない、そんなことをしてはいけないと。

 しかし、やらなければコル爺もカイナも殺されるだけだった。

 コル爺のため、そう自分に言い聞かせ、カイナはヌランの傀儡となった。


 まるで洗脳のようだと、代知は感じた。


「わたしは昨日まで、ヌランの命令どおり、人をだましてきた。全部おじいちゃんをたすけるためにやってきたの。でも、意味なくなっちゃった。昨日の夜、おじいちゃんは死んでるってきいたんだ」


 カイナは微笑みながらそう言った。

 悲しみも、憎しみも、寂しさも乗せたその笑顔を見た皆樹は、なにかを言いたくてグッと堪えた。

 カイナの話は終わっていない。

 彼女が話し終えるまで、黙って聞こうと決めていた。


「それで今朝のことにつながるの。わたしは死のうとおもって展望台にのぼった。とびおりて死のうとおもった。それをたすけたのがおにいさんたち。これでおわりだよ」


 カイナはふぅ、と息をつくと立ち上がる。洞窟の入り口に顔を向けると、


「森をぬけたところに町、そして城があって、その地下に奴隷小屋があるの。1度みたことがあるけど、人がすむようなところじゃなかったなあ。トイレもお風呂もないからくさいし衛生的にもよくないんじゃないかな。それにくらべて、わたしはお家にすめて、お風呂もトイレもあって、仕事さえちゃんとやっていればあったかいご飯もたべれて。わたしもヌランたちとおなじなんだなってわかっちゃって」


 寂しそうに、消えそうな声で呟いた。


「わたしはいきていたらいけないんだっておもっちゃったんだ」




「そんなことないです」

「え……」


 我慢の限界だったのだろう。

 皆樹は後ろからカイナを優しく抱きしめる。


「生きていたらだめなんてないんです。コル爺さんはそんなこと許してくれません。10歳の女の子が自殺するなんて、若い人達を助けてきたコル爺さんは絶対許しませんよ。これまでのことを悔いるなら、生きてその人たちのためにできることを考えなきゃいけない、死んだらなにもできないんですから」


 皆樹は強く、優しい口調でカイナに語る。

 命の大切さを。

 これからできることを。

 罪の償い方を。

 抱きしめる手を、一度離し、カイナの正面に回る。

 そして、膝をついてカイナと目線を合わせる。


「それに、悲しい時は泣いていいんです。そんな、悲しい笑顔なんてしなくていいんです。ここには僕たちしかいないんだから」

「ぁ……っ……」


 今まで我慢していた感情が、決壊したのだろう。

 カイナは皆樹に抱きついて大声をあげて泣いた。

 皆樹は、そんなカイナを優しく抱きとめる。

 耳元で、大丈夫、大丈夫と宥めながら頭を撫でる。

 代知は湧き上がる感情を抑えながら、2人を見ていることしかできなかった。


 カイナが泣き止む頃には、外は薄暗くなっていた。

 ポツポツと、雨も降ってきている。

 泣き疲れたのか、カイナは皆樹の腕の中で眠っていた。

 代知の腕の中で気を失っていた時とは違い、その顔は穏やかで、年相応な寝顔だった。

 そんな彼女を守るように、皆樹はゆっくりとカイナの頭を撫で続けた。

 代知はゆっくりと腰を上げると、傍らに立て掛けていたシャベルを手に取る。

 皆樹が声を掛ける。


「どこへ行くんですか」

「トイレだよ。……いや、本当だからそんな睨むなって」

「トイレにシャベルは必要ないですよね」

「護身用だって。大丈夫だよ、ちゃんと戻ってくるから」


 睨みつける皆樹に代知は振り向きながら答える。

 皆樹はその顔を見て、何も言えなかった。

 じゃあ、行ってくると、小雨の中代知は洞窟の外へと出ていった。

 皆樹の視界から出たと確信できるとこまで行くと、代知は走り出した。



 感情を押し殺すのがこんなに難しいと感じたのは初めてだった。

 カイナの話を聞きながら、怒りを、憎しみを抱えながら心配を掛けまいと努めてその感情を出すことはなかった。

 最後に皆樹と言葉を交わした時、果たして自分はちゃんと笑えていただろうか。


 しばらく走ると、獲物は見つかった。

 昼間に見た隊長と呼ばれる個体よりも幾分か小さい。

 歩き方も人間のそれとは違い、4足歩行の名残が残っているかのように猫背だ。 

 羽根も生えていない。


 代知は息を殺し、殺気を隠して近づく。

 隊長の容姿を思い出す。

 鼻がなかった、つまり匂いを感じないのではないかと代知は考えていた。

 カイナの話でも奴隷小屋が汚く臭いと話していた。

 特に、この雨で匂いは消え、小さな足音も雨音で聞こえない。

 難なく、獲物の背後を取れた。


 ヌランが襲われたと気づくのは、シャベルで殴られた後だった。

 代知は隊長を殴った時と同じ首の付け根目掛けシャベルを振り下ろす。

 悲鳴を上げる間も無く、ヌランの意識は途切れる。 

 その首にシャベルの切っ先を向けると、代知は垂直に突き刺した。

 大量の鮮血が噴き上がる。化け物でも血は赤いのかと、怒りに任せた代知の頭はズレた考えをもたらす。

 代知の怒りはまだ治っていない。

 腕と足を、胴体から切り落とす。

 腹を裂いて、内臓を引きずり出す。

 臓器の位置、皮の薄い箇所など急所となりえるだろう場所を探りながら化け物を捌く。

 代知の顔は無表情だった。

 

 代知が冷静さを取り戻す頃には、数分前まで生きていた化け物は、物言わぬただのモノになっていた。

 原型をとどめていないソレは、最早何であったかも判断できなくなっていた。

 代知は持っていたシャベルで穴を掘ると、ソレを埋めた。

 その顔には笑みさえ浮かべている。

 洞窟を出た頃より、雨脚は強くなっていた。


 代知が洞窟に戻ると、皆樹とカイナは肩を並べて眠っていた。

 代知は苦笑を浮かべながら、2人からちょっと離れた位置に腰を下ろす。

 油断していたのか、緊張が解けていたのか少し強く座り込みすぎた。

 岩壁に右腕を打ち付けてしまう。

 代知の口からくぐもった声が出た。


「ん……あ、おかえりなさい代知さん」

「あ、ああ。ただいま。悪いな起こしちまった」


 声を聞いてか、気配を感じてか、皆樹が薄目を開けて話しかけてくる。

 悟られまいと、代知は右腕を隠す。


「いえ、大丈夫です。それより遅かったですね、トイレ」

「え、あ、ああ。ちょっとな」


 笑顔で問いかける皆樹から冷たい何かを感じる。

 それでも、その先を聞いてくることはなかった。

 小さくあくびをすると、再び目を閉じる。


「代知さんも寝ておいたほうがいいですよ。多分、明日は今日より大変です」

「そうだな……」


 その後、皆樹の方から静かな寝息が聞こえてきた。

 代知も寝ておくことにするかと思い、目を閉じる。

 カイナから話を聞いた時に感じていた怒りやムカつきは、だいぶ晴れていた。



 そこはどこにでもある孤児院だった。

 8歳児の男の子が3歳児の女の子を抱いて、孤児院の扉を叩いた時、寮母は憐れみをもって子供達を見つめていた。

 男の子は、その顔が、目が、大嫌いだった。


「おい、あんたは2倍やらなきゃいけないんだろ。さっさと動きなノロマ」


 寮母のヒステリックな声が響く。

 掃除や洗濯を寮母は全て預かっていた孤児にやらせていた。

 働いただけ、食事が出た。

 初日、言われた通りの仕事をした兄妹の前に置かれた食事は、1人分だけだった。

 当たり前だろ、1人分しか働いていないんだから。

 寮母はさも当たり前のように言った。

 孤児に逃げ場も、帰る場所もない。

 孤児は彼女の奴隷同然だった。

 男の子は、妹の分まで働いた。

 1人分しか働けない時は、妹に与えた。

 そんな2人の姿を、寮母は面白そうに見ていた。

 ある時から、他の孤児が男の子の邪魔をするようになった。

 邪魔をした子供の食事は、その日に限り豪華になる。

 学のない孤児でも、その意味がわかった。

 それでも反抗することができない。

 親を失い、家を失った彼に残っていた世界は孤児院の中だけだったからだ。

 彼は、さらに家事を行う速度を上げた。

 練度を上げた。

 邪魔が入っても、2人分働けるほど、成長した。

 次第に、他の孤児からも、信頼を勝ち取った。

 寮母は、そんあ状況が面白くなかった。

 彼の妹が、いなくなった。


「ねえ、沙奈をしらない?」

「さあ、知らないねえ」


 寮母に尋ねても、妹の行方はわからない。

 3歳児の子が3日行方不明になっているにも関わらず、寮母は知らん顔だ。

 口元に笑みすら浮かべていた。

 男の子は疑いの目を向けるが、証拠はなかった。

 妹を探している間、働くことはできない。

 彼もまた、ここ3日何も食べていなかった。

 その夜、妹は見つかった。



「……さん。代知さん!」

「……ああ、皆樹か。おはよう」

「おはようじゃないです。うなされていたようですが、大丈夫ですか」

「大丈夫。ちょっと嫌な夢を見ただけだ」


 代知が目を覚ますと、皆樹が代知の顔を覗き込んでいた。

 隣には、カイナが心配そうに代知を見つめていた。

 代知は、握っていた手まで寝汗でびっしょりなことに気づいた。

 情けないと感じながら、心配をかけさせまいと強く笑う。

 足に踏ん張りを入れて、勢いよく立ち上がろうとした。

 しかし、皆樹が代知の肩を押さえ込み、立ち上がるのを止める。


「まだダメです、代知さん」

「大丈夫だって。夢くらいどうってことない」

「そっちじゃなくてこっちです」


 そう言って、皆樹は代知の右腕に触れる。

 鈍い痛みを感じ、思わず代知は声をあげる。

 皆樹は無言で代知の袖を捲り上げる。

 肘の上あたりが、赤く腫れていた。

 代知は顔をしかめ、カイナは悲痛な顔をする。

 皆樹はやれやれといった顔で、羽織っていた薄手の上着を脱いで洞窟の外へ出る。

 夜中より弱くなった雨で上着を濡らすと、代知の元に戻ってきた。

 腫れ上がった患部に上着を巻きつける。


「とにかく、応急処置です。冷やさないともっと酷くなります」

「……ありがとな」

「いえ。早く治してもらわないとまずいですから」


 皆樹はそれ以上、何も聞いてこなかった。

 代知も、自分からそれを言うことはしない。

 カイナだけが心配そうに代知に話しかけてきた。


「いたいの、ダイチさん」

「いや、大丈夫だよ。ありがとうカイナ」

「でも、それきっとわたしのせいで……」

「大丈夫だから。ちょっと休憩したら動けるようになるさ」


 代知は努めて明るく言う。

 カイナに自責の念を与えてはいけない。

 皆樹も、そう思って深く踏み込んでこなかった。

 とにかく空気を変える必要があると考え、代知は話を切り替えた。


「ところで、この洞窟の先って何があるか知ってるか?」

「え、ううん。ここまでしかしらないよ。この先にいこうとおもったけど時間がなかったからあきらめたの」

「そうか……」


 代知は考えた。

 この雨の中、ヌランが闊歩する街の中へ無策で突っ込むのは無謀だ。

 隊長が襲われ、部下が1人行方不明。

 さらに、多分ヌランにとって大事であろうカイナまで消えている。

 森の中ならともかく、街の中はすでに警戒網が張り巡らされているだろう。

 この洞窟だっていつ探索に来るかわからない。

 いくらヌランが恐れる場所とはいえ、他を探し尽くせばもうここしかないと考える。

 人間の奴隷だってたくさんいるというなら、そいつらを使ってここまで来てもおかしくない。

 ならばと、代知はさらに考える。

 この奥にヌランが恐れるなにかがあるのではないだろうか。

 それさえ掴めれば、勝機はあるかもしれない。


「行ってみるか、この先に」

「え、ホントに。ホントにこの先いってみるの」


 代知の言葉にカイナは過剰に反応する。

 それは行くのを咎めるものではなく、むしろ先に行きたいというワクワクを感じた。

 現に、10歳の身体は好奇心にウズウズしている。

 もしかしたら、元来の性格はこっちなのかもしれないと代知は思った。

 素の彼女を出してきているのかと思うと少しだけ嬉しく感じた。


「他に進むところもないですけど。代知さん、本当に大丈夫なんですか」

「大丈夫だって。心配してくれるのは嬉しいけどあんまり俺を惨めにしないでくれ」


 皆樹が代知の怪我を心配するのは当然だった。

 それくらい、腫れがひどかったからだ。

 それでも代知は努めて明るく言う。

 2人の足手まといになるのが嫌だったのかもしれない。

 大丈夫と突っぱねる代知に、皆樹はなにも言えなかった。


「しょうがないですね、でも無理しないでくださいよ」

「わかってるよ、心配すんな」


 代知はそう言って笑った。

 洞窟の外の雨は、再び強くなってきていた。



 洞窟の奥へと進むにつれ、入り口からの光は薄くなり、外壁からの光が強くなる。

 幸い、道幅が狭くなることはなく、人一人分の通路は余裕だった。

 先頭を歩くカイナはその洞窟をウキウキと進む。

 冒険に対する好奇心が、今だけは彼女の罪悪感や喪失感を埋めているようだ。

 自分の気持ちを全て打ち明けたことで、心に余裕ができたのかもしれない。

 後ろに代知、皆樹と並ぶ。

 代知は、カイナに聞こえないよう後ろに話しかける。


「カイナはとりあえず大丈夫そうだな」

「そうですね、いまのところはですが」

「ああ。このまま洞窟の先に進んでるだけじゃなにも解決しない。どこに繋がってるかもわからないし、行き止まりなら戻らなきゃならない。その時に、俺たちができることを考えなきゃいけない」


 代知は洞窟を奥へと進むたびに、力が湧いてくるような気がしていた。

 最初に洞窟に入った時に感じた、癒されるような感覚。

 あの感覚が、洞窟の奥から流れ出ているような感覚だ。

 この感覚が正しいなら、洞窟の奥には希望が待っているんじゃないかと、代知は思った。

 希望があってほしいと、縋るような思いだ。

 代知の後ろで、皆樹はクスッと笑った。


「代知さん、カイナちゃんのこと本当に好きなんですね」

「なんだよ、お前までロリコンとか言うのか」


 玲子に言われたことを気にしていたのか、代知は少し不機嫌な顔をした。

 皆樹は違うと首を横に振ると、


「そうじゃなくてですね。なんていうかこう、お兄ちゃんって感じがします」

「お兄ちゃん、か。そうかもしれないな……」


 代知は頷き、少し上を見上げる。

 青く光る岩肌は、ゴツゴツした場所との兼ね合いで夜空のようにも見える。


「5歳離れた妹がいるんだ。もしかしたら、カイナと重ねて見てたのかもしれない」

「そうなんですね。じゃあ、妹さん寂しがってるかもしれません。早く、戻らないとですね」

「……ああ、そうだな」


 皆樹の言葉に、代知は努めて明るく答えた。

 妹さん、可愛いのかなあ、会ってみたいなあ、という声が代知の後ろから聞こえる。

 代知はなるべく聞こえないように努めた。

 前も後ろも、無邪気な子たちに挟まれると、心にかかる靄も、あまり気にならなかった。

 玲子の言う通りではないが、自分は子供が好きなんだろうかと、代知は心の中で苦笑した。

 皆樹は、代知に聞いた。


「妹さん、なんて名前なんですか」

「……沙奈って言うんだ」


 岩肌の青白い光が、また一層明るくなってきた。



 デニング市街では、ヌランによるカイナ捜索が行われていた。

 一軒一軒、しらみつぶしに探した。

 すでに、忠誠を誓っていた人間の住民は雨の中、街の中心の広場に集められていた。

 時折、ドアや家具が壊れる音が街中に響く。

 広場中央に設けられたスクリーンには、ヌランの部隊の捜索状況がリアルタイムで映されていた。

 住民は、自分の家が乱暴に物色されるのを、ただ見ているしかなかった。


「おい、まだ見つからねえのか!」


 ヌランの騎士隊長が叫ぶ。

 昨日、カイナと謎の来訪者を逃した件で、彼の立場が危うくなっていた。

 集められた人間にも怒鳴り声をあげる。


「おい、人間ども!隠すと身のためにならねえぞ!知ってるならさっさと出せ!!」


 当然、誰も知らない。

 知っていたらすぐに名乗りをあげるだろう。

 現に、この仕打ちに逆らった男は、見せしめに殺された。

 1体のヌランが、隊長に報告する。


「隊長、民家の方は全て探しました。カイナは見つかっていません。どうやら街にはいないようです」

「チッ、めんどくせえなあ」

「もう一つ、報告です。昨夜から行方不明になっていた森を探索していた男が見つかりました」

「ああ、夜の報告に現れず、朝の集会にも参加しなかったやつか。隊の規律は絶対だ。見せしめに殺せ」


 隊長はウンザリしていた。

 カイナを逃し、部下にも舐めた態度を取られたと感じていた。

 昨日、報告に来なかった時点で、見つけ次第、殺してやろうと考えていた。


「いえ、それが。森のちょうど中心あたりに真新しい土を掘った跡がありまして、掘り返したところ、その男が出てました」

「土の中に隠れていたというのか。なかなか面白い隠れ方をするな。では、もう一度土に埋めて上から爪でなぶるのも面白そうだ」


 隊長の顔が悦に歪む。

 しかし、報告に来た部下は、


「それは無理です。その男、すでに命がありませんでした。さらに、手足が離れ、腹は裂かれ、顔はもう判別ができぬほどです。辛うじて、隠し持っていたと見られる隊員証から、隊の人間であると判断しました。……隊長、大丈夫ですか?」


 部下の報告を聞いた隊長は、身体を震わせていた。

 しかし、それは八つ裂き遺体への恐怖でも、部下の死に対する怒りでもない。


「面白い、面白いではないか。我らに対し、そのような戦いができる戦士がいるとは。これは良い、良いぞ。おい、探索部隊に伝えろ。敵は森にいると。でも、殺すな。生け捕りだ。俺もすぐに行く!」


 隊長の震えは、強者と対峙できるという武者震い。

 彼は、弱い人間に辟易としていた。

 なぶるのは愉しい。

 しかし、強者との戦いはもっと楽しく、昂ぶるものだ。

 すでに、隊長は集めた住民などに興味なかった。

 久方ぶりの戦闘に備え、武器庫に向かう。

 その顔は、獲物を見据える肉食動物のそれと同じだった。



 出発から1時間ほど経っただろうか。すでに洞窟内に雨音は聞こえてこない。先頭を歩くカイナが足を止めた。代知、皆樹もそれに合わせる。洞窟は、行き止まりになっていた。そり立つ壁の前には、小さな岩が台のように盛り上がり、その上に小さな鍵が置かれていた。なんの変哲も無い、赤く小さな鍵。壁には、なにか文字のようなものが刻まれている。代知が聞いた。


「カイナ、あれ読めるか」

「うん。でもこの文、よんだことあるよ」


 カイナは不思議そうにそう言う。なんでも、昔コル爺に貰った絵本に、全く同じ一節が書かれていたという。カイナが声に出して読み始めた。


「『その勇者、炎を司る者なり。彼の刃、炎を纏いて災厄を退ける。しかし、誤るでない。炎の本質は物を生むこと、そして葬ることにあり。担い手によって変化するものなり。善にも悪にもなるその炎は希望であり、絶望なり。決して見誤ってはならぬ』ってかいてあったんだ。一緒にもえあがってるかんじの絵もついてた」

「この鍵も一緒に書かれていなかったか」


 代知は、台に鎮座された赤い鍵を指差す。祭り上げるような古めかしい文面に、奉られたように置かれた鍵は、祭壇を思わせる。もしかしたらこの洞窟そのものが祠の役割となり、神聖な場所になっているのではないかと、代知は考えた。代知の質問に、カイナは首を横に振る。


「そういうちいさな棒はかかれてなかったよ。というよりもはじめてみたよ、そんなへんな棒。おにいさんたちはみたことあるの?」

「えっとね、これは鍵って言ってね」


 皆樹が鍵の説明をカイナにしてあげる。代知はそれを見ながら考える。この世界には鍵が存在しないのだろうか。そういえば、駅の機関室にも鍵はかかっていなかった。機関室なんて大事なところ、普通に考えたら真っ先に鍵をかけているところである。


「カイナ、昨日最初にあった時、機関室のドアが開いていたんだけど、いつも誰でも入れるようになっているのか?」

「それはそうだよ。だって城みたいな閂はつけられないし。普通の扉はみんなそうだよ」


 彼女の言うことが正しいなら、この世界には鍵という概念そのものがないことになる。いや、異世界ならそんなことがあってもおかしくはない。ただ、引っかかる。代知は考えが煮詰らず、目線を上に向ける。文字の書かれた上に、もう一つ刻まれたものが視界に入る。それを指差し、カイナに聞いた。


「その絵本に、あれと同じものは書かれていなかったか」

「あのながい棒のことならかいてあったよ」


 岩壁には、長剣の絵が記されていた。それを棒と表現したカイナは、それを知らないのだろう。鍵と同じように、剣もこの世界には存在しないのだろうか。混乱しだした皆樹とは対照的に、代知はなにかを掴めそうな気がしていた。

 ふと、鍵を見る。そして、列車の中で勝手に左腕に巻き付いてきたそれを思い出す。スマホサイズのモニターがついたリストバンド。5人全員が持っていたスマホが変化した姿で、自力で外すことは不可能。重みもなく、つけていても特に違和感がなかったため忘れていた。代知は左腕の袖を捲る。赤いリストバンドには、鍵穴が付いていた。


「そういえばそうでした。これのことすっかり忘れてましたね」


 皆樹も右腕の袖をあげる。黄色のリストバンドには、代知のものと同様に鍵穴が付いている。試してみる価値はありそうだった。


「カイナ、その絵本にはほかにどんなことが書かれていたんだ?」

「昔の伝説みたいなかんじだよ。炎の他にも、光、雷、闇、風、水みたいに合計10個の伝説と英雄がかかれてたの」

「10人、5人じゃないのか……」


 自分たち以外にも、同じような人間がいるのか、それともこのリストバンドとカイナの語る伝説は関係ないのか、代知には判断できなかった。それでもと、代知は鍵に手を伸ばす。考えてわからないなら、やってみるしかない。代知はそう思い、鍵を台座から自分の手に収める。

 その瞬間、音もなく突然岩壁が消える。代わりに、3人の周りには無数の緑が生い茂る。紛れもなく、洞窟があった森の中にいる。洞窟そのものが、そこから消えた。役割を終えたと言わんばかりに、跡形もなく。


「いたぞー!」


 ひと息つく暇もなく、3人の耳に怒鳴り声が響く。視界の端には、ヌランが5体、隊を組んで3人を呆然と見つめていた。ヌラン側も、突然現れた3人に驚いている様子だ。その中の、一際でかい個体には見覚えがあった。


「カイナ!よくも俺に恥をかかせてくれたなぁ!」


 隊長ヌランは大声で威嚇してきた。昨日のようなラフな格好ではなく、全身を金属製の鎧に包み、油断のない体勢をしている、その手には、獲物であろう大ぶりの斧が握られていた。カイナはその声に怯み、皆樹の後ろに隠れる。小さな両手で、皆樹の服をギュッと握っていた。


「まあ、いい。それよりもそこの2人だ。昨日は俺の部下を可愛がってくれたようだなあ。俺ともやろうぜえ」


 隊長の言葉が何を意味しているか分からず、カイナは皆樹と代知を交互に見る。皆樹も代知を見つめていた。代知が2人を守るように前に出る。


「部下って何の話だ?ヌラン様がたかが人間に軍隊連れてくるなんてビビりすぎなんじゃないか」

「吐かせ、小僧。これが我らのやり方よ、異世界人」


 異世界人、その言葉は代知と皆樹の正体がヌラン側に知られていることを意味していた。


「何故知っているのか、そんな顔をしているな。当然他の仲間についても全て知っているぞ」

「他の仲間だと……捕まったってのか……」

「上からは異世界人を1人、生け捕りと言われていたがな。お前らはこの俺に恥をかかせたんだ。ここで俺が殺すことにする」


 そう言って、隊長は得物を構える。ヌランの身の丈ほどもある巨大な斧。隊長はそれを片手で持ち、もう片側に盾を構える。代知たちを囲うヌラン達も、各々の戦闘態勢を取る。隊長の合図で襲い掛かる算段だ。

 一方で、代知は鍵をリストバンドに差し込むため、左腕の袖を捲り上げる。しかし、リストバンドが見えた途端、隊長の態度が急変した。


「小僧、それをどこで手に入れた!」

「なんだよ、いきなり。あんた、これが何か知ってるのか」


 代知は、隊長に見えるようにリストバンドを構える。隊長は悦びに震えていた。


「よもや異世界人がそれを持つとは。さあ、俺と戦え。炎の勇者。てめえら、手を出すなよ。こいつは俺の獲物だ!!」


 代知を無視し、隊長は吠える。戦闘態勢を取っていたヌラン達は、戸惑いながらも獲物を下ろした。


「よくわかんねえけどやってやるよ。てめえだけは俺が倒す!」


 代知は、鍵をリストバンドに差し込む。瞬間、代知の身体は炎の渦へと飲み込まれる。熱風が吹き荒れ、ヌラン達はその熱量に身体が焼かれるようなダメージを受け、一人、また一人と倒れていき、隊長以外のヌランの中に、戦える者はいなくなった。逆に、代知の側にいたカイナと皆樹は、その熱から攻撃を受けていない。むしろ、その暖かさを、心地よく感じていた。唯一、炎にやられなかった隊長は燃え盛る炎を前に笑っている。戦闘狂、その言葉が最も相応しい。


——見誤るな、今代の勇者よ。炎は生まれと滅びを司る力なり——


「ああ、わかってるよ」


 炎の中から、代知1人の声が聞こえる。決意を込めたその言葉とともに、燃え盛る炎が内側から切り払われる。

 中から出てきた代知は構える。オレンジのジャケット、黒のジーンズはそのままに、茶色の髪と目は燃え盛るオレンジに変わっている。そして、はめていた黒のグローブは鋼の鋼拳へと変わり、炎を纏っている。怪我をしていたはずの右腕は、それをカバーするように肘の上までシールドになっている。両手で拳を握り、構える。


「さあ、行くぞ。てめえの腐った魂ごと燃やしてやる!」

「こい、異世界人!!」


 先に動いたのは代知。隊長との間合いを詰めるように真っ直ぐに詰め寄る。

 人間離れしたスピードに一瞬隊長は驚くが、ヌランと比べたら並程度。見えない速さではない。

 隊長の間合いに入った代知目掛け、斧を縦に振り下ろす。予備動作が大きい。代知は左へ跳ねるように避ける。


「当たるかよ、そんな大振り」

「威勢だけはいいな、小僧」


 今度は、振り下ろした斧をそのまま振り上げた。代知はシールドで受け止めようと構えるが、勢いを殺しきれない。吹き飛ばされ、木へと打ち付けられる。


「代知さんっ!」

「おっと動くな。動いたら先にお前らを殺るからな」


 代知に駆け寄ろうとした皆樹を見ずに、隊長は言う。そして、隊長はゆっくりとした動作で代知に近づく。


「この程度か、つまらんな」

「だ、だれが……この程度だって?」


 よろけながら突き上げた代知の拳が隊長の胴を掠める。

 野生の感か、強者としての本能か。代知はダウンしたフリをしながら隊長が間合いに入るのを待っていた。

 それを察知した隊長は後ろへ飛ぶ。代知はしっかりと両足で立ち上がると、拳を構える。


「さあ、もっと楽しもうや隊長」

「不意打ちとは、なんと卑怯な……面白いな!」


 てめえに言われる筋合いはねえよ、と呟きながら代知は再び間合いを詰める。先ほどよりも距離が短く、また速度の上がったダッシュは、隊長も付いていききれず、反撃の斧を振り上げる暇はない。代知の拳を、寸で止めるのがやっとだ。代知はそのままラッシュをかける。


「避けるので精一杯みたいだな」

「やるではないか。これでは反撃の隙もない」

「だったら諦めて当たれや!」


 避けるのが精一杯、そういう隊長は余裕だった。

 代知も気付いてはいた。左に比べ、右腕の攻撃は少し速度が遅くなる。

 サポートこそ入っても、怪我をした腕での戦いは危険だった。

 それでも、そこを隙にされぬよう左腕でのラッシュ速度を上げる。

 だが、どれだけ気をつけていても隙がなくなるわけじゃない。

 隊長は強かにそれを狙う。代知の右拳を、大きく後ろへ飛び跳ねるように避ける。

 代知は、斧が来ると感じて、左の拳を一瞬止める。


 刹那、隊長は後ろへ飛んだ足をバネに、前へ一気に跳ね飛ぶ。

 隊長は、前へ飛ぶ寸前、斧を手放した。

 代知の意識は地面に放られた斧へと向かう。その一瞬の隙が、命取りとなる。

 ヌランの拳を避ける体勢でも守る準備も出来ていなかった代知の胴に、人間とは違う獣の拳がクリーンヒットした。

 再び吹き飛ばされる代知。2回、3回地面にバウンドすると、俯せに横たわる。

 しかし、左腕を軸に、辛うじて立ち上がった。


「まだ立ち上がるか。既に満身創痍だろうに」


 隊長の言う通りだ。

 膝は震え、立つのがやっとだ。破れたジーンズの隙間からは血が吹き出し、頭部からも血が流れている。

 地面に跳ね飛ばされ頭を打った時に出来た傷から流れてきたそれが目まで達し、片目は開いていない。


——おい、大丈夫かあ。力の使い方がなってねえなあ——


 どうやら幻聴まで聞こえてきたようだ。解放した時とは違う甲高い声が代知の頭に響く。

 力の使い方なんかわかるわけがない。さっき手に入れた力だ。筋力や戦闘能力、耐久力が上がったのは感じるが、それだけじゃないのだろうか。


——そいつは基礎能力が上がっただけだ。本当の力の使い方を教えてやる。心の力を高めろ。なんでもいい。味方に対する想いでも、敵に対する想いでもいい。とにかく、強い想いだ——


 強い、想い。

 代知は思考を回す。

 何故、自分は戦うのか。

 何故、自分は立ち上がるのか。

 自分は、昨日今日で何を得たのか。


——見えたな、答えが。さあ、解き放て。それがお前の戦う理由だ——


「お……れは」

「なんだ、小僧。命乞いなどつまらない真似はやめてくれよ」

「代知さん……」

「おにいさん……がんばって……」


 代知は、隊長の、皆樹の、そしてカイナの声を聞いた。

 自身の想いを、戦う理由をもう見つけていた。

 その想いを示すように、自分自身に肯定させるように吼える。


「俺は、カイナを助ける!カイナの笑顔を守る!それを邪魔する奴は容赦しねえ!!」


 叫ぶと同時に、代知が再び炎を纏う。拳だけでなく、身体全体を炎の鎧が包む。

 その炎をジェット噴射のように後ろへと飛ばしながら、代知は3度目の特攻を試みた。

 1回目、2回目を遥かに凌駕する速度に、隊長は避けることを諦める。

 斧と同じだけの大きさを誇る盾を正面に構えると、代知を迎え撃つ。


 隊長の構えた盾の前に、両足を踏み込み、身に纏う炎の全てを左腕に集中させる。

 全力を込めた左ストレートは盾の中心を捉える。


「いい拳だ。だが……届かぬ!!」


 拳はたしかに盾を捉えた。

 しかし、割れない。

 纏った炎ごとシャットダウンしたことで、隊長は勝利を確信した。


「それはどうかな」

「……なにぃ?」


 1度は消えたはずの、左手に宿った炎。

 しかし、拳に再び炎が灯る。

 燃え上がるそれを、一度盾から離すと、再び振りかぶった。


「貫け!!」


 2回目のストレートは、盾を壊し、その勢いのまま、炎が弾丸となって隊長の身体を貫いた。

 隊長は、信じられないという顔をして1歩、2歩と後ずさりすると、そのまま仰向けに倒れる。

 貫通した腹から、夥しいほどの血が流れ出す。皆樹とカイナは目を逸らした。

 いくら憎き相手とはいえ、死体に対して、良い思いをするものではなかった。


「さて、こいつは討ち取った証拠にするとして……」


 代知は横たわる隊長のそばによると、しゃがみ込んで左手で手刀を作る。それに炎を纏わせると、隊長の首を刎ねる。返り血が代知の顔を汚す。彼は、気にすることなく顔を上げた。


「あとのやつらも生かしておくとまずいよな……」


 代知は、伸びている部下のヌランの1体に近づくと、躊躇いなく顔面に拳を入れる。頭部を破壊されたヌランは、確認するまでもなく、動くことのない死骸となって横たわるだけだ。


「な、何してるんですか!?」


 淡々と行動をする代知に、皆樹は驚きを隠せなかった。

 代知は皆樹の方を向くと、何かおかしいことをしているのかと、首を横に曲げる。


「何って、こいつらの処理だよ。生かしておいたらまた人間が被害を受けるんだぜ」

「それは、そうですけど……」


 皆樹は、代知の言うことを理解はできていた。

 理解はできても、納得はしたくなかった。

 ヌランは敵だが、本当にそこまでしなければいけないのだろうか。

 皆樹にはわからなかった。答えることは、できなかった。

 代知は答えの出せない皆樹を見て、少し微笑むと再び作業を開始した。

 ものの数分で、そこに生きていた獣は、物言わぬ骸へと姿を変えた。


「こんなもんか……」


 代知はパンッパンッと、両手を叩き埃を払う。

 皆樹は結局、最後まで代知を止める答えが見つからなかった。


「皆樹、気にするな。お前がきっと正しくて、俺が間違っているんだと思う。でも、俺にはこれしか方法がないから。ごめんな」


 代知は、皆樹とカイナを見ずに言う。

 皆樹もカイナも、その言葉に対する答えを持っていない。

 ごめんの意味も、理解できない。


 突然、代知は糸が切れたかのようにその場に倒れこんだ。

 炎が代知の体から抜けるように舞う。

 カイナと皆樹は慌てて駆け寄ると、代知は目を閉じて突っ伏していた。

 息はしている。髪の色は元に戻り、両手には布の黒いグローブをしていた。

 リストバンドから鍵は抜けていた。


『心配するな、寝てるだけだ』


 カイナと皆樹は、頭上から聞き覚えのない声を聞く。

 上を向くと、小さな赤い虫が飛んでいた。

 いや、よく見ると虫じゃなく人間のそれに近い。

 ボロ布を纏い、これまたボロボロのつばの広い三角帽子を被った子供が宙を舞っている。

 カイナは驚いたように、


「もしかして、精霊……?」

『おうよ、嬢ちゃん。俺はそのカギに封印されてた使い魔。先代勇者の相棒だな』


 使い魔を名乗る精霊は帽子を外してお辞儀をする。

 カイナと皆樹もつられて頭を下げる。

 使い魔は顔を上げると、倒れた代知の方を向く。


『俺の名前はエンマ。よろしく』

「えーと……カイナです」

「皆樹です。ところで精霊っていったいなんですか」


 皆樹の問いは、カイナもはっきりとは答えられなかった。


「わたしがきいてる精霊は昔は人といっしょにくらしていたけど、ヌランがあらわれてからは姿がみえなくなったって」

『そのヌランってのがさっきの奴らだろ。あいつらはなんか臭かったからな。そいつが原因じゃねえか。まあ精霊本人である俺もよくわかっちゃいねえがその土地独特な俺みたいな生き物って感じだ』

「きいた伝承だと火とか水みたいな元素にわかれているんだって」

『で、俺が火ってことだ。先代の勇者と戦ったときは大活躍だったんだけどな。争いの種になるとかで俺はこのカギを守るために一緒におねんねってとこよ』


 エンマは屈託のない笑顔で説明した。そんなエンマに誘われてか、森のあちこちから彼と同じ色の小さな光が一つ、二つと出てきた。子供の頃見た蛍に似ている、そう皆樹は感じた。


『ほらな、隠れてただけじゃねえか。この土地はもともと火の精霊が管理していた土地だ。みんな火を司ってるんだよ」


 現れた精霊たちは、倒れた代知の周りをぐるぐると飛び回る。規則的なその動きは儀式みたいで言いようのない不安がよぎる。

 心配するなと、エンマは言った。


『こいつはさっき炎の勇者として覚醒した。力の根源は俺たちと一緒なんだよ。だからこれは回復の儀式みたいなもんだ。この土地を救ってくれた礼みたいに考えてくれればいい』


 痛々しく見えた代知の傷は、少しずつ塞がっていく。顔色も良くなっていき、生気を取り戻していた。エンマの言う通り、問題はなさそうだ。

 代知の身体がピクリと動く。両腕を軸に、ゆっくりと起き上がった。周囲を飛んでいた精霊たちは、代知の動きに合わせてそこから離れる。最初に声をかけたのはエンマだった。


『よう、起きたか』

「ああ、なんとかな。てめえがあれか、精霊ってやつか」

「わかるんですか、代知さん」

「寝てる時にな、先代勇者ってやつが夢に出てきたんだ。起きたら小憎らしいハエみたいなやつがいると思うがそいつが精霊ってやつなんだと」

『あの野郎、そんなこと言ってやがったか』


 代知の言葉に、エンマは声を荒げる。怒りをぶつける相手がいないというのは悲しいものだ。

 代知がエンマを若干憐みを含んだ表情で見ていると、カンナが代知に近づいてきた。


「ありがとう、おにいさん」

「……ああ」


 ニッコリと笑うカイナに、代知は素っ気なく返す。カイナの顔が、妹と被る。妹の笑顔など、見た記憶もないのに。

 代知は皆樹の腕を借りて立ち上がった。戦いで疲弊していたはずの身体に不自由はなく、戦う前となんら変わらない自分に安堵した。


「さて、多分一番強い部隊を仕掛けてきてるはずだよな」

「ううん、これがデニングの最大戦力だよ。町にはまだちょっとはのこってるとおもうけど、隊長の首をみせたらにげるとおもう。それだけ、隊長のワンマンチームだったから」

「ならこのまま町ごと救っちゃいましょうよ。一気にやっつけちゃいましょう」


 カイナの言葉を聞いて、皆樹は俄然やる気になった。代知も特に反対する気はなかった。他にやれることもないし、このまま放っておいても変わらない。

 ただし、代知も2つ、懸念事項はあった。それについての解決策もまだ、見つかってない。それでも、前に進むしかないと考えていた。

 3人と1匹は、戦利品を持ち、カイナの案内の元、町へと向かった。




 町に残っていたヌランは、カイナの予想通り、隊長の首を見せると散り散りになって逃げていった。町の中央に集められていた人間たちは、代知たちを英雄のように讃える。膝をつき、拝むものまでいた。

 一方で、隅には隠すことのできない惨状があった。無残にやられた人間の死体が、痛々しく並べられている。そんな状況をいつまでも見ていることができず、代知たちは王城へと足を進めた。



 王城にはすでにヌランの姿はなかった。1人、格式の高そうな服装に身を包んだ老人に声をかける。


「あんたが、この町の王か」

「勇者様であらせますか。いえ、私は王などではございません。あくまでヌランと人間とを取り持つだけの存在。この王城も支配される前の形を残しているだけのものでございます」


 老人はそう答え、町の人と同じように代知たちを拝んだ。代知はうんざりしたように


「やめろ、俺はあんたに拝まれるようなことはしてねえ。それよりも、この2人になんか食い物でも分けてくれ。昨日から何も食べてないんだ」

「なるほど、それはいけませんね。ヌランどもの食料庫にはなっています」

「あいつらとおんなじもんが食えるのか」

「ヌランも我々と同じものを食べていました。すぐに用意しましょう」


 老人はすぐさま使いのものをよこした。何人か、人間も城に住んでいるようだ。代知はカイナと皆樹を部屋に残すと、エンマとともに外へ出た。2人にはトイレに行くと言ってある。


『おい、どうしたんだよ。てかどこ行くんだよ』

「ヌランは奴隷制度を設けていたらしいんだ。そいつらも助ける」

『だったら別に1人で行かなくてもいいんじゃねえか』


 エンマの言葉に答えることなく、代知は足を止めることなく進んでいく。王城の地下へと繋がる扉は重く、頑丈だった。中からの異臭で鼻と目がやられそうだった。


『くっせえな。これを見越して1人できたのかよ』

「それもあるけど……この先で起こることを黙っててくれるか」

『ああ、いいけどよ。お前、本当に何する気だ』


 階段を降りていくと、ボロ雑巾のような格好の男が1人蹲っていた。歳はまだ、代知とそう変わらなく見える。ハエがたかっているにも関わらず、それには関心を持たず、光のない目で、ただ遠くを見ていた。

 おい、と代知が声をかけるとビクッと体を動かして代知に目を向けた。ヌランでは無く人間だとわかると、その顔は憐みの色を浮かべる。


「なんだ、あんたも捕まったのか。もう逃げられねえよ、この地獄から。恨むならあの女を恨みな……」

「やはり、カイナを恨んでるんだな」

「なんだよ、冷静じゃねえか。そういえば看守のヌラン様がいねえなあ。なんかあったのかあ」

「答えろ、お前らはカイナを、駅にいた少女を恨んでいるのか」


 代知の気迫に圧倒されたのか、困惑の表情に変わる。男はボソボソと喋り出した。


「俺たちはあの女に騙されてこの地獄に来たんだ。恨んで当然、そう思うだろ」


 代知はこの答えを予測していた。だから、1人で来た。本来、助けるべき大事な命だ。でも、カイナに害をなすなら……


「半年前なら、恨んでたかもしれねえな」

「……どういうことだ」


 まさに今、手をかけようとしたところで、男がまた喋り出した。


「半年前、ヌランが1人の爺さんを連れてきたんだ。ヌランは爺さんに、お前の娘はよく働いてくれているぞと嬉しそうに言っていたな。そのまま爺さんを放ってヌランは出ていった」

「爺さんは俺たちの前で頭擦り付けながら土下座したんだよ。俺のせいだ、申し訳ないとな。この床にだぜ。こんなきったねえ床にしゃがんで土下座しながらすまねえ、すまねえって。恨むなら俺を恨め、でもあの子はカイナは、頼むからってよ」

「そのあと、爺さんは俺たち一人一人の前に来て、何度も何度も土下座して頼むんだよ。全員の前で土下座して、また皆の前で土下座して。それで出ていった」

「そのあと、あの爺さんは死んだって言われてな。ここにきた2日後くらいだ。もしかしたらあの爺さんは俺たちより辛い状況にあったのかもしれない。そう思うと、あの爺さんの頼みを無かったことになんてできねえよ」


 そういうと満足したのか、男は代知から目を離しまた何もない宙を見つめる。代知はあったこともないコル爺が尊くて仕方なかった。


「……この町のヌランは消えた。もう、お前たちが奴隷である理由はない」


 そう告げると、男は飛び上がった。嘘だろと、目で訴えかけてくる。


「その中で、お前らを助けようと頑張ったのはカイナなんだ。だから、頼む。どうかカイナを」

「ばかやろう、恨んだり蔑んだりなんかしねえよ。爺さんにも頼まれた。俺たちも救ってくれたんだろ。もし、あの子に手を出そうなんてやつがいたら俺がぶっ飛ばしてやる」


 男は立ち上がると他の奴らにも伝えてくると言って奥に消えていった。代知は、声をかけず、地下室を後にする。


『おいおい。お前いい奴だな』

「うるせえ。俺はなんもしてねえ」


 道中、エンマが茶化すように言ってくる。代知はそれを適当にあしらった。何もしてない、いや何もできてない。本当にすごいのは死の淵でもカンナを思い行動したコル爺の方だった。


「もう一つの懸念事項を片付けなきゃいけないが、そっちに関しては全く解決策も見つかってない」

『なんだよ、懸念事項って』

「隊長の死、人間によるデニングの解放は逃げていったヌランによりエルドレッドに伝わるはずだ。所詮、一時の安息にしかならない」


 これは隊長を倒した時から考えていたことだ。大部隊で仕掛けられたら、代知1人では対応できないだろう。時間も残されていない。

 だが、深刻な顔の代知に対して、エンマは澄まし顔で答えた。


『なんだ、そんなことか』

「そんなことって。お前には解決策があるのかよ」

『まあ任せとけって。精霊の力ってやつを見せてやるよ』



 あまりにも自信たっぷりに言うエンマに、代知は言葉が出なかった。





 その夜、町の中心地では大規模な宴会の席が設けられていた。ヌランが貯めていた食料は代知たちの世界のものと共通していた。代知もまた、久しぶりに厨房に立っていた。


「代知さん、おかわりください!」

「いや、いいけどよ。もう5杯目だぞ」

「カレーは別腹です!」


 代知前には白く炊かれた米と、日本カレーの入った寸胴が置かれていた。その向かいには大皿を構えた皆樹がいる。


「にしてもよかったです。奴隷にされていた人たちも、町で使役されていた人たちも、皆カイナちゃんを受け入れてくれました」

「なんだ、気づいてたのか」


 2人分のカレーをよそった後、代知は鍋に蓋をして椅子に座った。皆樹は、少し離れたところで町の人たちに囲まれ、笑顔を浮かべるカイナを見ながら言った。


「代知さんなら、もしかしたら奴隷の方々を何人か脅してでもって思いましたけど。大丈夫だったみたいですね」

「……いや、俺じゃねえんだ。コル爺がさ」


 代知は、地下室であったことを皆樹に話す。皆樹は、聞き終わると、ちょっと涙ぐんでいた。


「コル爺さん、すごいですね」

「ああ、俺には多分できねえ。だから、俺にできることをやることにした」

「それって、なんですか」


 代知はすぐに答えず、代わりに懐から何かを取り出した。それは、少し古びた、整備士用のゴーグルだった。縁のところに『KAINA』と記されている。


「さっき王城の監禁室で見つけた。多分、コル爺の形見だ。あの人はきっとカイナが、みんなが幸せになれる世界を夢みてたんだと思う」

「そうですね、きっと……」

「だから、俺が代わりに叶えるんだ。俺のやり方でしかできないけど、この世界を救う」


「じゃあ、それはおにいさんがもっててよ」


 いつのまにか、カイナは2人の前にいた。代知の手元のゴーグルを指差している。


「これは、お前のなんだろ。きっと、コル爺がお前のためにって思って持ってたやつだ」

「だったら、世界をすくうまでかしてあげる。それに、わたしにはまだおおきいもんね」


 たしかに、カイナが持てるようになるにはまだ、大きかった。代知は頷くと、ゴーグルを首から下げる。ズシリと、重みを感じる。


「うん、にあってるよおにいさん」

「ありがとう。絶対、世界を救って返しにくるからな」


 カイナの頭を撫でる代知を、皆樹は嬉しそうに見守っていた。



 翌朝、代知と皆樹は早い時間に駅にいた。カイナは、それよりも前に駅で、一台の列車を整備していた。先頭からひょっこりと顔を出す。


「おはよう、整備おわってるよ」

「ありがとう、カイナ。こっちもさっき結界を張り終えたところだ」


 今、デニングは見えない薄い膜に覆われている。エンマと、この町に隠れていた精霊の力、それと炎の勇者の力を合わせ、ヌランが進行できないよう結界を作ることに成功した。10年前にはなかった勇者の力が合わさって、初めて成功したことだ。

 代知と皆樹は、列車に乗り込む。もちろん、カイナも先頭車両に乗ったままだった。


「やっぱり降りないか、カイナ」

「やだよー。昨日、いっぱいはなししたじゃん。絶対おりないからね」


 昨夜、カイナは一緒に行くとせがんできた。当然、代知も皆樹も反対だった。この先は危険な場所で、危険な戦いだってわかってもらいたかった。代知としては、皆樹も置いていくつもりだった。


「代知さんだけだと絶対無茶しますから。1人でなんか絶対行かせませんよ」

「汽車の整備なんて2人にはできないでしょ。わたしがいないとエルドレッドまでなんかいけないよ」


 先の3人はいいのかというツッコミは聞いてはくれなかった。結局、代知が折れるまで寝ることはできなかった。おかげで若干寝不足だ。小さくあくびをする。


「眠かったら寝てていいですよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 代知は隣に座る皆樹の方に頭を預ける。眠気で頭の回らない代知は、そのまま意識を手放す。突然の状態に、皆樹は処理が追いつかなかった。


 先を行った3人に遅れること2日、代知と皆樹もカイナを連れエルドレッドへと向かう。この先、3人の待つ運命はどのように進んでいくのだろうか。



To be continued……


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リレーション・ブラッド 雌黄 遊夜 @Silent4423

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