最終話 海の彼方 空の彼方

 海に来ていた。

 傍らには自身の愛機バイクSRX400。朝方ここで遥か彼方、海と空の境界を眺める。もはやそれは柊悟にとって大切な日課となっていた。


 あれから二か月———

 結局、一連の事件は高名な政治家の失脚を狙った養女誘拐事件として処理されており、警察は掴まえた八人の黒装束の男たちの供述を元に主犯格である『翁』と呼ばれていた老人と長身の実行犯リーダー『大伴』の行方を今も追っている。そんな中、自分の立場をかなぐり捨てて、娘を救おうとした多治嶋みゆきさんはその勇気と行動を讃えられ、みごと衆議院議員に当選していた。先日、末次さんから聞いた話だと、右手の怪我はもう問題ないらしい。


 五つの祭器に関しては、柊悟が真実を話した父・碌朗と祖父・音治郎が文七やその息子で先日、助手の七種未英也さえぐさまあやさんと婚約した桧垣准教授の力を借り分析を続けているが、全容を摑むにはかなりの時間が必要らしい。


「そろそろ行かないとな」

 柊悟はそう呟くとゆっくりと腰をあげる。

 午後から始まるUFEAウェファ東京でのサッカーの練習トレーニング。月末に予定されているU-17日本代表との試合が近い事もあり、今日からは実戦形式のメニューが多くなる。しっかりと腹ごしらえをしてから向かわないと体力的にも厳しいだろう。おそらく家に帰れば、最近やたらと包丁を握りたがる妹の四葉が、出戻りの七菜香と一緒に朝食を作っているハズだ。


 柊悟は堤防から降り、文七から貰った『柾』のペンダントをひと撫ですると、ポケットから一枚の写真を取り出した。

 先日、カメラメーカーの主催する写真コンテストで大賞を受賞したミヤケンが自己最高傑作というその写真。賞の影響は大きいらしく、来年発売するモデル・風子が出す写真集のカメラマンは、ほぼミヤケンに決まっているらしい。


 ――― 写真に写る自分自身と真咲の姿


「おやおや、いい写真だねぇ」

 ふいに掛けられた声に驚き柊悟が隣を見ると、そこには写真を覗き込むひとりの老婆の姿。

良い表情かおしとる」

 まるで真咲を知っているような口ぶりに一瞬戸惑ったが、もしかしたら年寄りにありがちな勘違いかも知れないと思い、柊悟は老婆に向かい笑顔を向ける。


「ボクの彼女なんです」

「おやまぁ! あの子はこんなイケメン良人を捕まえたのかいっ!」

 照れくささもあり、柊悟はただ静かに頷き、『必ず見つけ出す』の言葉を飲み込んだ。


あんさんは優しくて芯の強い、人を護れる良い男の顔をしとる。こりゃあ、竹取の乳母おうなもお役御免かのぉ」

 どこか満足気まんぞくげな笑顔を浮かべている老婆。


「あの子もじき此処ここに着くかと思うからのぉ。ちくと待っといて下さい」

「 えっ⁉ 」

「あの子は『柊』の物を身に着けていたからのぉ。そんでとがが剥がれて、赤子に戻る呪縛から解放されたんじゃ」

 柊悟を半分無視するかのように老婆の独り言は続いてゆく。


「たぶん、来るのは富士があるから南側かのぉ」

「えっ⁉ 南? 富士山があるのは西側じゃあ……」

 慌てて南の方角に首を向けるが、そこには見慣れた海以外の何もない。


 ――― 鳥飼さん、私の可愛い赫夜かぐやを…… 月のまことの姫である『真姫まさき』をお願いしましたよ。


 隣から肩を軽く叩かれる感触と共に聞こえた老婆の優しい声。振り返ると不思議な事に隣にいたはずの老婆の姿はそこにはなく、残っていたのは吹き抜ける浜風と潮騒の音。


「まさか……」


 ――― ねぇ、このバイクあなたの? 乗せてくれない? 

 

 背後から聞えた覚えのある台詞と声。柊悟が振り向くと、目の前には濡れ烏色の髪に鳶色の瞳を持つ少女の姿。胸元には潮風に揺れる『柊』のペンダント。


「シートが小さくて、二人乗り二ケツには向いていないバイクだけど構わないか? 」

 問いに対して、柊悟はそう返す。少女は嬉しそうに頷いていくれた。


「おかえり。真咲」

「ただいま。柊悟」


 海の彼方、空の彼方。そして、遥かなるその境界。それらが見つめる中、ふたりは静かに歩み寄り、そっと唇を重ねた。



   ≪ 青の絶界・完 ≫

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青の絶界 松乃木ふくろう @IBN5100

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