第43話 青の絶界

 降りきった帳が夜を深く染めていた。

 神社の敷地にCB400を停めた柊悟の目の前には境内に続く石段。登り口には『改装中につき、関係者以外立ち入り禁止』と書かれた看板が掲げられており、その脇からは入込む事を拒絶するかのように八方に張り巡らされた白と黄色のロープが伸びている。


「立ち入り禁止というより、これじゃあ結界だな」

 そう呟きながら柊悟はロープの隙間をくぐり強引に境内へと入り込む。右手には由布子より譲り受けた「火鼠の皮衣」が入った木箱。それを抱えたまま、石段を一段飛ばしで駆け上がる。社に近づくにつれ強くなる煤と御香の臭い。それはまじないの、儀式の香りだ。


 ――― この先に真咲がいる

 それを確信した柊悟は最後の石段を強く蹴り上げる。


 辿り着いた場所には大きな鳥居。その奥には社。

 灯り代わりなのだろう、四方には梵灯篭ぼんとうろうべられた薪がバチバチと音を立てて燃えている。

 その揺れる炎に照らされ映し出されいるのは石畳に描かれた月齢図。八つの月の顔である新月・三日月・上弦の月・十三夜・満月・寝待月・下弦の月・明けの三日月。それぞれ八つの各位置には黒い和服を着た男たち。で立ちこそ違うがそれが自分たちを襲撃してきた男たちである事は直ぐに分かった。


 そして、中央には背を向け佇むひとりの黒髪の少女。


「真咲っ‼」


 名を叫ばれた少女はゆっくりと振り返る。

 花嫁を思わせる白を基調とした巫女装束。いつもよりさらに線が細く見えるのは、履いている薄茶の高右近下駄のせいだろう。右手に握られているのは音治郎から譲り受けた白木の鈴で、胸元で輝いているのは真咲が生まれて時から持っていたという水瑪瑙の首飾り。額に当てている月を模した鉢金は真咲の義理の親である多治嶋みゆきさんが自身のすべてを投げうつ覚悟で渡したモノだろう。


「…… 」

 振り返った真咲はどこか悲しそうな瞳をしていた。

「帰ろう。みんなが待っている」

 そう言葉を掛け、前へ一歩踏み出した瞬間、社の奥から感じた人の気配。柊悟の背筋に何かが走る。


「祭器集めのご苦労だったな。流石『智』の藤原の血を引く者だな」

 聞こえて来た男性の声。落ち着きというよりは自尊心が高い、常に高い位置にいる者の話し方だ。

「あんたらの為に集めたわけじゃない。真咲は返してもらう」

 おそらくはこの場を取りまとめている人間。柊悟は影しか見えぬ、その声の主に向かい抑えめの声をぶつける。


「返すと思っているのか? 」

 伝承通りなら巫女と五つの祭器が無ければ、富士山の噴火を治める儀式は完遂されない。返すつもりがない事くらいは分かっていた。

 柊悟は由布子から譲り受けた阿部家に伝わる祭器『火鼠の皮衣』が入った木箱を左手に持ち、ゆっくりと火燃ひもえ盛る梵灯篭ぼんとうろうに翳す。


「あんたらが素直に返すとは思っちゃいない。だけど、返さないと言うのならコイツをこのまま火の中に放り込む」

 辺りに緊張が走り、それまで言葉を発しなかった黒装束の男たちが半歩、自分に近寄る姿が目に止まる。柊悟は足元の震えを隠す為、膝に目いっぱいの力を込め、低い姿勢を取る。


 「やってみろ」

 暗がりの中、男が小さく笑ったのが分かった。

 ――― どうぞ

 首領格の男はまるで、燃やす事を柊悟に勧めかの如く笑っている。


 眉間に一筋の汗が流れた。

 柊悟にとって、火鼠の皮衣は真咲を取り返すための切り札。それを燃やす事を相手は問題視していない。予想外と言うしかなかった。


「どうした? 私はやってみろと言っているんだ」

 嘲笑混じり首領格の声に反応し、八人の男たちが柊悟との間を詰める。

 焦りが喉の渇きを呼んでいた。背中から汗が噴き出して来たのは、梵灯篭ぼんとうろうの火の熱さのせいではないだろう。

 柊悟は策の浮かばぬまま、男たちの警戒心を上げるため、木箱を更に火に近づける。


 ――― 無駄なのが分からぬようだな

 背後から突然聞えた覚えのある声。白のカローラに乗っていた背の高い男。隧道トンネルの中で真咲に『また、咎を犯すつもりか』と尋ねた男のものだ。 


 振り返った瞬間、感じたのは身体が浮く感覚。左手に持っていた木箱が掌から離れ蓋が開き、中に入っていた朱色あけいろの衣が梵灯篭ぼんとうろうの燃え盛る火に落ちていくのが視界に映る。次に感じたのは、口の中から広がる鉄の味。それが自身が投げ飛ばされて、抑えつけられため、口の中を切ったのだと分かったのは猛烈な痛みが右手と頸部を襲ったせいだった。


「この程度のものか…… 所詮は知恵しか取り柄のない藤原だな」

 柊悟を抑え付けている男の嘲るよう声。


「真咲を返せ! 骨董品五つで富士山の噴火を抑えられると思っているなら、あんたらは頭が相当イカれてる」

「役目も忘れ、のうのうと過ごして来た藤原の一族が偉そうに」

 柊悟の挑発に対して、男は吐き捨てるように呟く。


大伴おおともの人間は長年役目を果たし、巫女を護って来たとでも言いたいのか?」

 柊悟は押さえつけられながらも今だに姿を見せぬ男を睨む。

「護って来たのではない。

「真咲を捨てておいて、何が育てるだよ。笑わせてくれる」

「あれは裏切り者である乳母の行動だ。そもそも私は大伴の人間ではない」

「言い訳探しが上手い男にロクな奴はいねーよ」

「黙れ!」

 声と共に頸と右手を締め付ける力がより強くなった。痛みのあまり、ギリギリと骨が軋む音が脳随に響き、呼吸すらままならない。


「… ツッ‼」

 声にならない叫びが上がる。


「その人を放しなさい。祭器は五つ揃いました。私も役目は果たします」

 この場に着いて初めて聞いた真咲の声が境内に響く。それはその場にいる者全てを諫めるようなものであり、同時に一切の感情を捨てたかのような冷たいものだった。


「巫女が舞を行い、富士から月への柱が立てば開放する」

「分かりました」

 社の奥に真咲は頷く事なくそう返していた。


「真咲!」

「…… 」

 柊悟の呼びかけを無視するかのように真咲は社の方を向いている。


「『火鼠の皮衣』を巫女に」

 社の奥からのその声に男たちのひとりが火箸を取り出し、柊悟の目の前で梵灯篭の中から朱色の衣と木の箱を取り出す。


 ——— ‼ 

 それを見た柊悟は言葉を失った。

 燃え盛る火の中に落ちた筈の衣と木箱、そのどちらもが火が付いていないどころか煤ひとつ付いていない。常識的に考えてあり得ない事だった。


「何を驚いている」

 柊悟の動揺を見透かしたかのような男の声。


 社の奥からのその声は続いた。


「あの木箱は月の樹々から作られたもの。当然、その時間軸は月にある。時間軸が存在しない物質が壊れる、ましてや燃える事などあろうはずもない。そして時間軸が止まった箱の中は謂わば『宇宙そら』だ。宇宙そらに在り続ければ、祭器もも時間軸が地球とズレてゆく」


 矛盾する民具。時が止まった木箱。 柊悟は音治郎祖父、そして文七の言葉を思い出す。


 火鼠の皮衣を受け取った真咲がそれを纏い、祈りを捧げるように両手を合わせこうべを下げる。


「これより、『赫夜かぐやの舞』を執り行い、月への柱を立て『青の絶界』への門を開く! 」

 朗々と儀式の開会告げる男の声が境内に響く。八か所にいた男たちが姿勢を正し、しょう龍笛りゅうてき楽箏がくそうを奏で始めた。それに呼応するように始まった大きな大地の揺れ。そして、真咲による『赫夜かぐやの舞』。


「やめろ! 真咲」

 どこか儚げな舞を続ける真咲に向かい柊悟はそう叫ぶ。


「奥にいるクソジジイ! てめえは何故止めない! 真咲はアンタの娘だろ?」

 石畳に押さえつけられながら柊悟はもがき、叫んだ。

 怒りからかの幻影か、それとも夜明けが近づいて来た為か、辺りが白んで来たように見える。


赫夜かぐやの巫女が私の子? キサマは何を馬鹿な事を言っている。巫女が 」

 そう語る社奥の男の姿が白んで来た空間と梵灯篭ぼんとうろうの灯りによって、照らし出された。深い皺の顔に頭巾頭と作務衣。目や口は線で描いたように細く、顎には白く薄い髭。


『あんたはまさか、竹取のおき―――

 柊悟がそう驚愕の声をあげた時、大地の揺れが一層強くなり、辺り一帯が白に、いや白みがかった青色に覆われ始めた。それと共に柊悟を押さえつけていた力が弱まる。


「待っていろ! 今行く! 」

 そう叫び、柊悟は押さえつけられていた身体を強引に引き剥がす。右腕がミシリと音を立てたが気にはならなかった。


「真咲! 」

 自分にとって一番大事な女性の名を叫び、柊悟は青く染まりつつある、月齢図の中心へと飛び込んだ―――



 ************************************


「突然、儀式に乗り込んでくるんだもん。せっかくの決心が揺らいだじゃない」

 音が無く、青一面の空間で真咲は笑っていた。


「約束だからな…… それより真咲のお義母さんは無事だから安心しろ」

 柊悟の言葉に両手で顔を覆う真咲。薄く震える手が受けた安心感を物語っていた。


「ここは?」

 しばらく間を開けた後、真咲の横まで歩み寄りながら柊悟は静かに問い掛ける。


「富士山と月を繋ぐ空間。海と空の境界にある世界——— 『青の絶界』」


「青の絶界」

 そう言葉を返しながら、柊悟ははじめて真咲と出会った時、似たような会話をしていた事を思い出す。


「聖域みたいなモンか? 」

 改めて辺りを見回しても青しか無く、それは海か空、いや宇宙にいる様な錯覚を起こす景色だった。


「そうだよ。巫女が帰るべき場所で、赤ちゃんに戻り竹の中で永い眠りに付く場所でもあるの。だから間違いなく聖域だよ。ここに入って来た人間なんて、今までは延暦の噴火の時に私を護ってくれた五人だけだったんだよ。単独で入ったのは柊悟が初めて」

「そりゃ光栄だな」

 真咲の言葉は石上フネ家元が聞かせてくれた『真話しんわ赫夜姫伝かぐやひめでん』が真実ノンフィクションである事を肯定していた。同時に赫夜姫かぐやひめは消えたのではなく、時間軸の影響で赤子に戻るのだという事も。


赫夜姫かぐやひめが竹から産まれたのって、時間軸や宇宙の比喩なんだな」

「そうみたいだね。竹は長寿や天を司る植物でもあるから上手い比喩だよね。竹は赫夜姫かぐやひめにとっての成長を止める胎盤みたいなものなんだと思う」

 真咲がそこでひとつ息をついた。これから何か大切な事を話したい。そんな思いが詰まった息のつき方だった。



 青しかない世界に静寂が訪れる。

 柊悟はその青の絶界の遥か彼方を真咲と共に見つめていた。



「ごめんね。ずっと騙していて」

「信じられなかったのと、騙していたのは違うだろ? 」

「そう言ってもらえると救われるなぁ。だって、信じられる訳が無いでしょ? 自分があの『かぐや姫』だなんて」

 真咲はお道化たように小さく笑う。


「だよな。俺も今だに信じられない。自分がかぐや姫とツーリングしてたなんてさ。たぶん、一生の自慢話になるな」

「なるねぇ」

 抑え気味の柊悟の冗談に真咲が笑顔を見せた。


「実は山中湖に着いて、柊悟の後輩の香澄ちゃんに挑発されたあたりで完全に思い出してはいたんだ」

 岩楠香澄が真咲に何やら耳打ちをしていた時があったが、その時の事を言っているのだろう。


「そういや、あの時なんて言われたんだ」

「『センパイは渡しませんから』って。四葉ちゃんが言っていた通り柊悟って何気にモテるよね」

「モテやしないよ」

「ふーん、どうだか」

 青が大半を占める世界の中で、それに同化するように真咲の輪郭がぼやけ始める。そんな中、拗ねたような笑顔を見せる真咲。


「でもね。マジメな話、私なら柊悟の良い彼女になると思うんだぁ。料理は得意だし、運動神経も良い方でしょ? それに四葉ちゃんとも仲良しだし!」

 微笑む真咲の輪郭がますます薄くなって来た。それを無視するように真咲は続けた。


「でねっ! 彼女になったら四葉ちゃんや園の弟妹みんな、学校の友達を連れて、柊悟のサッカーの試合を応援しに行くの。当然、柊悟はゴールを決めるでしょ? でも柊悟はシャイだからガッツポーズは控え目で目立たないと思うのよね。だから私が代わりに言うの『今、ゴールを決めたのは私の彼氏『鳥飼柊悟』よ』って」

 四葉や月の園の子たち、そして真咲の学校の友達。それに音治郎や文七を呼ぶのも悪くない。その景色を思い浮かべ柊悟は真咲に向かい笑顔を見せた。


「いいな。それ」

「でしょ?」

「ああ。最高だよ。真咲」

 輪郭さえ朧になって来た真咲を柊悟はそっと抱きしめる。


「私、赤ちゃんになんて戻りたくない。柊悟ともっとたくさんの時を過ごしたい。園のみんなや学校の友達とたくさんおしゃべりをしたい」

 真咲の声は震えていた。


「じゃあ、何故、赫夜の舞を……」

 柊悟はしまっておいたはずの言葉を投げかける。


「分からない? 私、好きなの。あなたが、そしてあなたのいるこの世界が――― 」

 その言葉に柊悟はもう一度真咲を強く抱きしめた。だが、腕の中、その感触さえも無くなってゆく。

「俺はキミの事が好きだ」

 抱きしめたまま、そう思いを告げる。


「嬉しい…… ねぇ、柊悟、もう一度私に顔を見せてくれる?」

「あぁ」

 あらためて見つめる真咲の顔。濡れ烏色の長い髪、鳶色の瞳、雪のように白い肌。柊悟にはそのすべてが愛おしかった。


「赤ちゃんに戻った私を探してね。ううん、私から必ず逢いに行くわ」

「俺も何年かけてもキミを探す」

 柊悟のその言葉に静かに頷く真咲。


「あなたに逢えてよかった」

 そう笑う真咲が青の中に溶け込むと、柊悟の視界は眩い光に覆われた。次に柊悟が開いた瞳で見たモノは倒れている黒装束の男たちと五つの祭器。ただそれだけだった。

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