#3 何となくだけど大丈夫


 「友達」の定義が分からない。

 ひとそれぞれ自分なりの「友達」の距離感があって、ひとそれぞれ異なる半径の円をもっているから、それが食い違うことなんてしょっちゅうあるんだろう。だから、気にしすぎるのはよくない。そう思ってはいるけれど。


 このことについて考えるようになったのは、大学生になってからだ。中高生のころは、たとえ上辺だけの関係であっても、それでもきっと友達だった。

 近くの席で同じ講義を受けているこのひととは、共通の友達がたくさんいて、みんなでごはんを食べて、ぼんやりと存在するまとまりのなかにもいて、でも、一対一になったときにはたして今みたいに隣に座ることはあるのかとか。そんなひとが二年目になってもちらほらいる。

 「友達」と「友達と友達」と「知り合い」の境界線は、どこに引かれるのだろう。


 なんて書いているけれど、しっかりと「友達」だって言えるひとはもちろんたくさんいる。

 大学の友達は、おもしろいひとがほんとうに多い。

 頭空っぽになって「好き」を伝えたり、急に真面目になって考察をはじめたり、天を仰いだり涙を浮かべたり。世界にやさしくて、甘くて、寛容で、感謝していて。かと思えば突然戦争を起こすから、飽きなくて、止まらなくて、楽しいのだ。


 このひとたちと笑っていたら、何となく大丈夫な気がする。大丈夫じゃなさそうなことも、大丈夫にしてしまいそうな予感がする。すごいひとたちだ。

 前世はヒーローか何かかもしれない。今もヒーローみたいなところはあるけど。


 だから、大丈夫だ。

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