#2 好きなものがまたひとつ


 朝起きたその瞬間から、何もかもだめという日があった。


 18分の寝坊。行方不明の食欲。まとまらない髪。いつも以上にかわいくない鏡のなかの自分。やむことのない腹痛。交通渋滞。大きく遅れてくる電車。座れない電車。ひとの多い電車。遅刻ぎりぎりの日に限って遠い教室で行われる講義。


 電車に揺られている間、何度も帰ろうかと考えた。

 必修の講義は特にないし、あったとしても1日くらい休んでしまってもどうにかなる。ならば、今からでも家に帰っておふとんに包まれるほうが、よほどにんげんとしてしあわせな日を過ごせるかもしれない。


 それでも引き返さなかったのは、意地だとか負けたくなかったからとかそんな格好のついた理由じゃなくて、また1時間半以上の時間をずっと電車のなかで生きるのがいやだったからだ。人間が自分の行動を決める理由なんて、案外そんな単純なものばかりなんだろう。


 チャイムの音と同時に教室に入るくらいにはぎりぎりだったけれど、何とか講義には間に合った。でもその半分ほど机に突っ伏してやり過ごしてしまっていたことについては、今回ばかりは許してほしい。


 そんなこんなで講義は終わり、昼休み。あまり食欲は戻っていなかったものの、食べないほうがこのあとつらいのは何となく分かるので、友達と学食に向かう。

 そしてそこで、大きく宣伝された「ティラミス」の文字を見た。見てしまった。


 悩みに悩んだ末に、学食sideの策略にまんまと乗ってティラミスをトレーに乗せてしまった。友達の「これは運命だよ」という力強い後押しは、改めて振り返ってもちょっとよく分からないが、その言葉に踊らされた感じは否めない。


 とかくこのような経緯で、食欲ないねー、なんて話したそのわずか数分後には、ごはん、おみそ汁、野菜の小鉢、鯖の生姜煮、それに加えてティラミスと、驚くくらいしっかりとした献立の昼食をとっていた。

 デザートがある分、量を考えても値段を考えても、むしろいつもより食べている。このあたりから自分のことが信じられなくなった。


 そして肝心のティラミスは、それはもう期待を遥かに超えるおいしさだった。

 それまで充電27%くらいの省エネで活動していたのが、およそ89%まで充電がひとっ飛びに復活するほどには。もう少し弱っていたら、涙が零れていてもまったくおかしくなかったと思う。ほんとうにおいしかった。おいしい、おいしいねって、両の手じゃ足りないくらいに言ってしまった。


 こうして、私の好きなものリストに「学食のティラミス」が名を連ねる運びとなった。

 あのティラミスの白いところ、たぶん永遠に食べていられるんじゃないだろうか。ぜひ試してみたい……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る