第12話夜の廃墟、狗と出会いて

『霊魔というものは、言ってしまえば瘴気の塊に過ぎないんだよ』


 飄々と、場違いなほど穏やかな口調で幻覚祐一郎様が語る横を、全速力の想苗が駆け抜ける。

 踏みしめる度、ブーツの底が乾いた音を立てる。耳障りだが、現実ではない声を遠ざける程の効果は無い。祐一郎様はあくまでも静かに、喋っていらっしゃるだけなのに。


『一定量の瘴気が集まっただけ――そこに死者の情念が宿った、実体を持たない存在なんだ、元々は』

「……えぇ、そう、でしょうね……」


 一般的には、というものだ。そして世の中、例外というものはどうしても存在する、


 下級の霊魔は正しく影のよう。

 瘴気の塊であるから触れれば穢れるし、傍に長く居るのは良くないだろうが、それだけ。現実には殆ど干渉できない。


『だが、勿論それだけでは、霊魔が我々人類の大敵とは成り得ない。民間人にとっては確かに脅威だが、花守がいれば直ぐに祓える』

 、淡々と続ける。『だがそうはならない。霊魔の襲撃で帝都夕京は半壊し、民間人どころか専門家たる花守さえ痛手を負った』


 何故か、と祐一郎様が呟く。

 ――死人は足が早い故、か。

 当然だ、幻覚を見ているのは想苗自身の眼であり、であるなら、瞬きの度に位置が変わってもおかしくない。


『それは、霊魔の中にいるからだ――単なる影ではなく、現象でもなく、

「えぇ、勿論、解っていますとも……っ!」


 そうとも、解っている――彼もあの子も、解っていることしか言うことは無い。

 走りながら、肩越しに背後を確認する。その瞬間、もしや、という希望は打ち砕かれた。振り返った先には当然のように未だからだ――追ってきて、いたからだ。


『ぼぉぉぉぉ、ぼぉぉぉぉ……っ!!』


 風が洞窟を吹き抜けるような、空虚な恐ろしさが満ちた声。瘴気も籠っているのだろう、声が背中を叩く度に、外套が震える。

 耐性のある花守でなければ、この声を聞くだけで身動きが取れなくなるだろう。そして直ぐ様追い付かれる。


 かっかっかっと、爪が床を叩く音が遠吠えに続く。はっはっという浅く荒い呼吸が聞こえてくれば、もう直ぐそこだ。


 想苗より早くながら、祐一郎様が言う。『今回は、犬か。野犬の群れか何かだろうね、この辺りをにしていて、瘴気を吸い過ぎたのかな』


 彼らの毛並みは疎らだ。色もばらばらだし、そうでない部分は火傷のようにつるつるとした肌が露出している、ひどく不気味な姿。

 下顎は大きく開け放たれ、よだれを垂れ流したまま。同じくらいだらりと長く垂れ下がった舌は全体的に黒く変色していて、一部は虫食いの穴が開いている。


 何よりも不気味なのは、その眼だろう。


 想苗を追う野犬の群れ、その眼には誰もが見覚えあるだろう。として生きる限り、絶対に、間違いなく、見覚えがある筈だ。

 奴等の眼は――


『単なる野犬ではなさそうだね、想苗』

「その様ですね!」


 幻覚からの解りきった指摘に、想苗は自棄になって叫び返す。そうとも、解っていたとも。

 この話を受けたときから、えぇえぇ、嫌な予感はしていましたとも!


 想苗は走りながら、何故自分がこんな廃墟を訪れているのか、思い出していた。









「さて、治療に関して、花守様には絶対に御理解頂きたい事柄があるのですが」

「……治療費の話ですね」


 医者が小難しい言葉を並べる時は二つだけ、金の話題と匙を投げる時だ。

 奉仕の精神を想苗は尊重するが、世間に有り触れているとは思っていない。それは確かに黄金に似た志だ――滅多に見付からないことも含めて。


 技量には金銭が付きまとう。寧ろ、無償の方が怖いとさえ思う程だ。


「……最先端の治療とあらば、費用がかさむのは仕方がないと私も理解しています」

 まあ、とはいえ。「払えるかどうかは、別問題ですが」


 花守は、それこそ奉仕の極限だ。毎度毎度命を懸け、また他者のそれを担う割りに、充分以上の報酬を受けているとは言い難い。


「戸上の御家が健在ならば歯牙にもかけぬでしょうけれど……現状、私の支払い能力は一般的なそれと同列に考えていただけると幸いです」

 しかし、石上医師は何故だか笑った。「それは正しく話が早い」

「……と言うと?」


 流石に、想苗の声には警戒の色が強く混じった。持ち合わせの少なさを歓迎されるのは、往々にしてろくな事態ではない。

 何となく着物の胸元を正す想苗に、石上は慌てた様子で首と手を振った。


「御安心下さい! そも私、貴女に命を救われた身ですよ? 幾ら外国帰りとはいえ、そんな法外な要求をするほど日の国魂を忘れたわけではありません」

「……では、どういう?」

「何、単純なお話ですよ花守様。貴女には私が、私にしかできない技能を施します。であれば、私が望むのは――」









 腰の辺りで【金宝】がぼやく。『彼の医師殿は、そう言ったのではなかったのですか、想苗殿?』

「簡単な、依頼です、間違いは、ないですよ……!」

『何処がですか?』


 少なくとも、正当な治療費を支払うよりは容易い、筈だ。


「……何匹、ですか?」

『五匹』

 全力疾走中の荒い呼吸に、【金宝】は短く応じる。『増援の気配はありませんね』


 それは良かった。

 こうして廃墟の中を駆け回っていた理由の一つが、その確認だった――【霊魔の群れの討伐】が依頼である以上、その規模を先ず量る必要があったのだ。


 霊魔は、中でもこうして実在する動物を模した連中は、それなりに賢い。

 いざ狩りを始めたとして、当方が優勢となれば連中は隠れるだろう。そして、想苗が立ち込める瘴気にまみれ撤退した後、悠々と姿を現すのだ。

 それでは、困る。

 だからこそ想苗はわざわざ廃墟を駆けずり回り、逃げ回り、霊魔を誘き寄せたのだ。


 そしてもう一つ。

 探していたものは――


「良し、ですね」


 ブーツが絹を裂くような悲鳴を上げ、想苗の身体は急停止する。

 滑らせながら、反転。朽ち欠けた壁を背に、霊魔犬トガイヌ達に向き直る。


「此処で良い」

『えぇ、此処は良い』


 そう、これで。


 決戦の気配を嗅ぎ取ったか、霊魔たちも一度足を止め、唸りながらぞろりと並ぶ牙を剥き出す――否。


……!」


 見る者に恐怖と、何より不安を与える組み合わせ。良く良く見れば彼らの爪も、身体も、あぁもしかして。


「…………私達が、初めての来訪者ではないようですね」


 彼らの人生が、どれ程のものだったか。

 幸福だったのか、それとも不幸だったのか。

 いずれにしろ、今よりはましな人生だった筈だ――こうして霊魔に堕ちるよりは。


「戸上家当主代理の名において。どうぞ真っ当に、死を受け止めさせてあげましょう。来なさい、遺念……!!」


 宣戦布告、抜刀する想苗に、霊魔たちが殺到する。たかるように、すがるように――。

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