第35話 アレンの法則

 その日、清太郎君たちは久し振りにエルフのお姉さんの依頼に同行した。


 その理由は簡単で、今回も彼女から「一緒に依頼に行きませんか?」と誘われたのである。誘いを断る術を知らない清太郎君は、それを引き受けた。


 ここまでいつものパターンなので、かなり省略させてもらう。

 ちなみに、今回も依頼の内容は「ゴブリン退治」だ。またしても、多くの女性が攫われてしまったらしい。また出産シーンを見ることができるのではないか、と清太郎君の胸が躍っていたのは確かである。


 清太郎君たちは馬車に乗り込み、騒ぎが起こっている現場へと向かう。


 清太郎君はまた一人、メンバー同士の会話に混ざれず、馬車の端っこで景色を堪能していた。

 もちろん、他のメンバーも彼に話しかけることはあるのだが、会話が長続きしない。清太郎君の「はい」とか「そうです」という言葉で会話のキャッチボールが終了し、沈黙が続くため、他の面々も気まずさを感じてしまう。清太郎君に雑談を長続きさせる方法を、誰か教えてやってほしい。


 そんな中、武器の手入れをするエルフのお姉さんが、清太郎君の視界に入った。

 亜麻色の髪を垂らした横顔が美しい。やや鋭い視線を手元の武器に落としている。エルフの特徴である尖った耳が、ピンと横に張っていた。


 このとき、ふと気になった。


 なぜ、エルフの耳は長いのだろうか、と。


 考えられる理由は二つ。


 周囲環境の音を集めやすくするため。

 それと、放熱のため。


 説明しよう。

 肉食のモンスターが多い世界では、いかに早く周囲の状況を察知できるかが生き抜く鍵となる。そのために、エルフは聴力を発達させる進化をしてきたのではないだろうか。


 それと、生物には「恒温動物において、同種・近似種の間で、生息する地域の気温が高いほど、耳など末端の突出部が大きくなる」という傾向がある。


「アレンの法則だ」

「どしたの、急に……?」

「だから、アレンの法則だよ」

「誰よそれ」

「アレンだよ」


 人間やドワーフと比べて、エルフは本当に体毛が少なく、肌の露出面積が広い。エルフの耳が大きいのは、体温を放熱するため、という説を清太郎君は推していきたい。


 エルフのお姉さんには頭部以外に体毛を確認できない。腕も脛も白く、スベスベ。唯一、エルフのお姉さんの生殖器付近の体毛は確認できていないが。

 とにかく、エルフは生まれながらに全身の無駄毛処理が済まされている。これは、体の放熱効率を上げるためではないだろうか。


 一方、ドワーフは長い期間を地中の洞窟で過ごしていた。狭い洞窟内に適応し、身長が小さく、体温維持のために体毛が多い傾向にある。

 これが地中ではなく普通の寒冷地の出身だったら、ベルクマンの法則で身体の体積が大きくなっていただろうに。清太郎君はツキノワグマより巨大なホッキョクグマを思い出した。


 恒温動物は生息地息が寒いほど、体温を逃がさぬよう身体の体積が大きくなる傾向にある。


 もしかしたら、この世界の寒冷地にはとんでもない巨体を持つ種族がいるかもしれないな。

 清太郎君はまだ見ぬ寒冷地に思いを馳せる。尤も、そんな場所に行くつもりなんてないが。


「さて、そろそろ休憩にしましょう」


 エルフのお姉さんは馬車を停め、パーティの面々に休憩を指示した。何人かは馬車を降り、その場で背伸びをする。狭い馬車内に何時間もいては、体が凝り固まってしまう。


 現場まではまだまだ距離がある。到着するのは明日になりそうだ。


「じゃあ、お弁当を食べようか」

「そうだね」


 何と、いつもは二度寝する雛子さんが珍しく早起きし、今日だけは自宅でお弁当を作ってくれたのだ。


 清太郎君は鞄を広げ、雛子さんが作ってくれたお弁当を取り出そうとした。


「あれ……?」

「どうしたの?」

「お弁当がない……」


 そう。

 清太郎君はお弁当を家に忘れてしまったのだ。

 あらまあ、なんてこった。


 元々、清太郎君は小学校時代からよくお弁当を家に置いて来た。友達のいない清太郎君は同級生からお弁当を分けてもらうこともできず、そういう場合は昼食抜きで過ごすか、購買で安いパンを購入するのが普通だった。


 なぜか登校前・出勤前に、お弁当のことをすっかり忘れてしまうのである。

 この忘れてしまう背景には様々な原因があり、清太郎君は脳内演算機能をフル回転させ、自分の身に何が起こったのかを振り返った。


①朝は眠い。

 起きたばかりの清太郎君は、なかなか頭がはたらかない。お弁当を鞄へ入れる工程を忘れてしまうのである。


②お弁当を作ったのが他人。

 清太郎君は他人のペースに自分を合わせることが苦手だ。他人が作ったお弁当は忘れやすく、自分の作ったお弁当は必ず忘れない傾向にある。「お弁当を持っていってほしい」という他人の意思を汲み取れない。


③少食。

 清太郎君は少食だ。朝食のトースト一枚で満腹になるため、脳が「今はこれ以上の食べ物は必要ない」とお弁当の存在を拒否している。


④冷えた料理が苦手。

 料理は作りたてが一番美味しい。作ってから時間の経過した料理を食べるなんて、絶対冷えて不味いに決まっている。清太郎君にはそういう強い拘りがある。


⑤衛生的に警戒している。

 お弁当に雑菌が繁殖していないだろうか。作りたて・加熱したてが一番安心できる。時間の経った料理を食することを脳が恐れているのだ。


⑥お弁当へのトラウマ。

 昔、清太郎君の母親が彼に作ったお弁当は不味かった。冷凍食品が入っていたのだが、ところどころ凍っていて、添加物の味がした。遠足中、それを食べた清太郎君は嘔吐したのである。馬鹿舌でも、それだけは誤魔化せなかった。


⑦料理に飽きている。

 雛子さんの料理はレパートリーが少ない。ほとんど同じ料理がお弁当になるため、清太郎君は飽きている。


⑧お弁当を鞄に入れるのが面倒くさい。

 興味のない分野に関して、清太郎君は極度の面倒くさがり屋だ。お弁当の存在など、彼の眼中にないのである。


 以上が、清太郎君の推測した理由だ。


 昔、母親の作ったお弁当を忘れずに持ってきてしまった場合、こっそり中身をその辺に捨てて、何も食べずに過ごすのが普通だった。

 せっかく作ってくれたお弁当を捨てることに、別に罪悪感はない。だって、あんなものを食べたら体調を悪くしてしまう。不味いものを食べなければいけないくらいなら、何も食べない方がマシ。あんなお弁当を作る母親こそ、罪悪感を覚えてほしいものだ。


 このように、清太郎君のサイコパスは幼い頃から順調に育っていったのである。


 結局、その日も清太郎君は昼食を何も食べずに過ごした。

 普段から少食な彼は、お弁当を食べなくても特に問題ないのである。


 もちろん、雛子さんには怒られたが。

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