第26話 耳の奥の魔王
毎日昼寝とセックスばかりする生活は心身ともに悪い。こういう「何もしない」生活を続けていると、不思議と「何かを為さなければならない」という気概が湧いてくるのだ。
しかしながら、具体的な目標までは考えつかないのが、清太郎君たちだ。
「やっぱり、こういう暮らしをしていると、何か働きたくなってくるね」
雛子さんは全裸でベッドに横たわりながら呟いた。うつ伏せになって、足をパタパタさせている。セクシーな光景ではあるが、清太郎君にとっては何百回と見てきたものだ。特に何の感想もなく、清太郎君は雛子さんの隣に寝転び、妻の表情を窺った。
「日本人は『目標を掲げる』ことを美徳にして生きていたからね、こういう『何もしない』生活は意外と難しいかも」
「でも、ずっと契約やら予定やらに縛られるのも嫌なんだよね」
「分かります、分かります」
雛子さんも清太郎君も、日本にいた頃は仕事に体力と時間を奪われ続けてきた人間だ。ずっと仕事を怠けていたいが、それだと不安になる性質を持っている。
「また近々ギルドに行こうよ」
「そうだね。運動不足になっちゃうからね」
「思い切って、ゴブリンの巣穴に囚われた女性たちを救いに行っちゃう?」
「僕らじゃ戦力不足じゃないかな? 前はエルフのお姉さんがほとんどゴブリンを片付けてくれたからよかったけど、いつまでも寄生プレイはできないよ」
スライム以外のモンスターを倒そうかとも考えた清太郎君たちだが、その場合を立ち回り方を知らないので却下した。心配性な清太郎君は、先人の見本なしに物事を進めたくない。かと言って、口下手な清太郎君は他人に見本を求めることが可能なほど会話能力もない。
スライム討伐から抜け出せない原因の一つだ。
現実に起こる問題には、常に様々な理由が重なっている。
それを見極め、一つずつ原因を排除していくことが当事者に求められるのだ。それを見極められないと、いつまでも悪循環から抜け出せず、最終的には致命的なダメージが生まれてしまう。
「勇者っぽく魔王を倒そうか」
「そもそも、この世界に魔王なんているの?」
「知らなぁい」
「僕も知らないなぁ。もし、そんな存在がいるなら、とっくに僕らの耳に入ってきてもおかしくないと思うけど」
「魔王が清太郎君の耳に入るの?」
「ダンゴムシみたいに小さければ入るね」
「……耳の話をしてたら、耳掃除したくなってきた。多分、かなり汚くなってると思う」
「今からしてあげようか?」
「お願ぁい」
雛子さんは清太郎君の話を半分くらいしか聞いていない。妙に二人の会話が釈然としないのは、そのせいである。
清太郎君は雛子さんに膝枕し、綿を固めて作った綿棒で耳掃除を始めた。小さな耳垢が無数に集まっている。清太郎君は穴の奥へ綿棒を入れないように注意しながら、大量の耳垢を絡め取っていった。
「あぁ~気持ちいい」
「それはどうも」
「やっぱこのまま働きたくな~い」
雛子さんは全身の力を抜き、だらりと清太郎君の膝に体重を預けた。
「やっぱり私たち、冒険者に向いてないのかもね」
「今さら?」
「えっ、清太郎君は気付いてた?」
「うん……スライムばっかり倒している時点で、『何か違うなぁ』って感じてた」
大量の耳垢を採取しながら、清太郎君は冒険者ギルドに入会した頃のことを思い出していた。初々しさと期待を胸に門を叩いた冒険者ギルド。当時の「依頼を沢山こなしていくぞ」という決意はどこへ消えてしまったのか。
否、そんな決意が本当に存在していたのかすら、今となっては疑わしいが。
異世界転移Web小説で、よくある展開として「冒険者ギルドに所属する」というものがある。主人公のチート能力を見込んで、周囲の登場人物が「じゃあ冒険者ギルドにでも行ったら?」などと誘うのである。
清太郎君はそんな小説のテンプレートに倣って、冒険者ギルドに登録してみた。
しかし、清太郎君の能力値は日本にいた頃とほとんど変わらないデフォルトのままなので、あまり難度の高い依頼は受けていない。上のランクへ昇格しようとは思わないし、それに見合う実力もない。
いきなりランクを飛ばして未知のダンジョンを探索したり、ギルドマスターが直々に面接して勝負したり、巨大モンスターを倒しに行くようなことはなかったのである。ギルドマスターも、清太郎君に構っていられるほど暇ではない。
一応、清太郎君は冒険者ギルドに加入する前、受付嬢から適性検査を受けたことがある。(またしても唐突な場面転換)
「それでは、この水晶の上に手を置いてください」
Web小説でよくある「魔力鑑定装置」だ。水晶の中に映る光の色によって、当人がどんな属性の魔法を使用できるのかを調べられる、というテンプレート。
清太郎君が水晶の上に手を置いてからしばらくすると、中にポツポツと淡い光の球が現れ始める。
「ああ、はい。もう大丈夫です」
「どうでしたか?」
「あなたの使える魔法は、火と、水と、土と、風の四属性ですね」
後々判明したことだが、世界人口の25パーセントくらいが四属性の魔法を使えるらしい。「すごーい!」とか「これは珍しい!」などというキャバ嬢のような反応を示すには微妙なラインである。
「それって、凄いですか?」
「まあ、凄い……ですね。普通の人は二、三属性くらいですから」
「そう……ですか」
「……」
「……」
「……はい」
「……はい」
「ただ、魔力量が極端に低いですね。あんまり強力な魔法を使うことは避けた方が良いかもしれません」
清太郎君は、ガソリンの代わりに生活排水を入れた高級車のような、沢山のアイテムを持っているのに使わずして終わるバトルロイヤルゲームのような、宝の持ち腐れを引き起こしていたのである。バトルロイヤルゲームに向いていない清太郎君は、データをアンインストールした。
それから特に魔力量を増やすような特訓をしたわけでもなく、清太郎君はだらだらとスライム討伐を続けてきた。ギルド内のランクも最低のまま。農業の方面でも大した実績もなく、今は雛子さんの耳垢を収穫している。
異世界転移した当時、まさかこんなにも肌密度の高い生活が待ち受けているなんて、清太郎君は思いもしなかっただろう。否、実は少し予感していたかもしれない。オーバーに言い過ぎた。
「冒険者ギルドの最高ランク目指しちゃう?」
「それこそ本当に煩雑で道のりが長すぎるよ」
「でも、達成感とか凄いと思う」
「達成感を味わいたいのなら、他にも色々な手段があるような気もするけど。もっと実用的で、今後の生活に役立ちそうなこととか……」
「ああ。そうだね、私も実用的なことが良い」
実用的なことで達成感を得たい夫婦である。
この世界へ転移した理由や目的は、特にない。「魔王を倒せ」とか「世界を救え」とか「日本で得た知識を見せびらかせ」とか、そんなことは一言も聞いていない。
漠然と異世界転移したから、清太郎君たちは漠然と過ごしている。それだけのことだ。
「雛子さん? 耳掃除、終わりですよー」
「……」
いつの間にか、雛子さんは眠っていた。
こうして、二人はいつもの穏やかな午後を手に入れましたとさ。
めでたし、めでたし。
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