第25話 対魚類ライフル

 異世界に飛ばされる前、清太郎君は「女性を研究したい」という探究心に飢えていた。


「おまたせ、清太郎君。今日の夕食は野菜スープがメインです」


 雛子さんと結婚した今では、その心の奥底に溜まって高濃度に圧縮された探究心を不定期に解放している。日本では我慢ばかりしていた反動か、その勢いは大国の兵器開発の如く衰えるところを知らない。いずれシンギュラリティが来るぞ。


 いつもの独創的な料理が机の上に並んだ夕食で、雛子さんは突然話題を切り出した。と言っても、話題を切り出されるときは大抵「突然」である。「今から話題を切り出すね」などと予告されることがあるだろうか。最近どうでもいい文章が多いぞ。


「清太郎君には私以外に恋人とかいなかったの?」

「いなかったなぁ」

「でも、仲の良かった女の子くらいはいるでしょ?」

「それはまぁ、いたけど……」


 自分が過去の男のことばかり話すのが申し訳なく思えてきた雛子さんは、今度は逆に清太郎君の話も聞いてあげようと思ったのだ。自分が元恋人の情報を吐き出したように、清太郎君にも吐き出させればフェアになれる。


 このままでは、自分が「誰とでも寝る女」と思われてしまう。

 ビッチの烙印を押されるのは避けたいところだ。


 そんな意識を持ったところで、すでに遅いかもしれないが。

 清太郎君も自分の妻がそんな女でも、メダカの飼育水槽に現れるモノアラガイくらいには気にならない。


「仲が良かったのは、やっぱり東堂先輩かなぁ」

「誰それ?」

「会社の先輩だった人」


 清太郎君が日本で会社員をしていた頃、彼には東堂先輩という年上の女性社員がいた。

 清太郎君よりも100ミリメートル近くも身長が上の美人である。無口でクール。やや吊り上がった鋭い目をしていた。


「その人って、どんな人だったの?」

「変な人だったよ」

「清太郎君と同じくらい?」

「うん。雛子さんと同じくらい」

「そっかぁ」

「そうだよ」


 もし雛子さんと結婚していなかったら、東堂先輩と結婚していたのかもしれない、と思えるほどには清太郎君と交流があった。清太郎君は恋愛において、あまり相手の身長や収入差を意識しないし、コンプレックスを感じることもない。彼女が運命の異性であっても、清太郎君はあっさりと受け入れていただろう。


 ある日、清太郎君は昼休み中に、東堂先輩から話しかけられた。


「ねえ、清太郎君?」

「どうしました?」

「今度、私、友達に誘われて舞浜にある遊園地へ遊びに行くの。遊園地の名前は忘れてしまったけれど」

「そうですか」


 大抵、遊園地とは遊ぶことが目的で行く場所だ。わざわざ「遊びに行く」と修飾する必要はないような気もするが。スタッフ以外の人間が「遊び」以外の目的で遊園地に入ることなどあるのだろうか。


 それにしても、舞浜の遊園地か。

 確実に「夢の国」のことを指しているのだろうが、連日コマーシャルで放送されているほど有名な遊園地の名前を覚えていないなんて、普段は随分と硬派な生活をしているらしい。


 こういう「世間との隔たり」が、稀に東堂先輩には見られた。

 いつも東堂先輩の弁当箱には魚のフライだけがぎっしりと詰まっているところも、その一部である。特に白米やサラダも付いておらず、タルタルソースもかかっていない。

 清太郎君は休憩室で東堂先輩が黙々とフライを食べる様子を、昼休みにぼんやりと眺めていた。一体、あのフライは何の魚を調理したものだろうか。鱗の処理がされていないのか、やけに鱗が逆立っているように見える。


「そこには有名な遊園地らしいのだけれど、清太郎君は知ってる?」

「いえ、名前はよく聞きますけど、一度も行ったことはないですね」


 このとき、清太郎君は心の中で「先輩は僕を遊園地に誘おうとしているのかな」なんて思った。

 それだけ、清太郎君は女性に飢えていたのだ。

 たとえ、相手がこれだけ意外性の海に溺れているような人間性を発揮しようとも、「女性」は「女性」である。


「ウチの会社を通してチケットを予約すると、特別価格で販売してくれるらしいわ」

「ああ、安くなるんですね」

「……」

「……」

「……」

「……あの」

「どうしたの清太郎君?」

「話は終わりですか?」

「ええ。終わりよ」


 結局、東堂先輩が清太郎君を「夢の国」に誘うことはなかったし、彼女と結婚することもなかった。

 単純に、会社にはそういうサービスが隠されている。それだけである。なぁんだ。


 実のところ、東堂先輩は東京の地下空洞に住んでいて、地底湖の半魚人を獲って生活しているのだ。その地底湖は井の頭公園の池に繋がっていて、東堂先輩はその水路から彼らが侵出するのを防いでいる。

 東京の平和が保たれているのは、「東堂先輩のおかげ」と言っても過言ではない。もし東堂先輩が存在しなかったら、高さ20メートルの大型半魚人が遊園地に溢れているカップルや親子連れを跡形もなく粉砕していただろう。嗚呼、対魚類ライフルが開発されていてよかったなぁ。


「へぇ……私も東堂先輩にちょっと会ってみたくなったなぁ」

「僕も久し振りに会いたいなぁ。きっと雛子さんとも仲良くなれると思うよ」


 その頃、日本では井の頭公園から大量の半魚人が現れるのも時間の問題だった。

 敵は古代鮫メガロドンをベースとした超巨大半魚人の開発に成功していたのである。高さ50メートル、腕を振り回すだけでスカイツリーをへし折る。異世界なろう系主人公にしか倒せなさそうな化け物と、東堂先輩が対峙しようとしていた。

 半魚人を長年研究してきた小長井博士も、今回の事態には驚きを隠せない。博士は急いで東京都民に向けた会見を開こうとしたが、なぜか政府からの圧力により中止させられてしまった。しかも帰宅途中に小長井博士は暗殺されてしまう。一体政府は何を考えているのか。暗躍する謎の政府機関。彼らの陰謀に踊らされる東京都民。果たしてこの事態は収束に向かうのだろうか。


 異世界にいる清太郎君たちには一切関係のない話だが。

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