第20話 ひとなみにおごれや

「明日さ、裏の畑に新しい野菜を植えない?」


 また夕食での会話である。


 いつものことだ。

 清太郎君の異世界生活の約三割は、雛子さんとの駄弁で構成されている。残りのほとんどは「睡眠」と「セックス」で占められており、肝心の「スライム討伐」は一割にも達していない。


「えっ、育てる野菜を増やしちゃうの?」

「そうよ? 冒険者兼農家なんてどうかな?」


 一体、どういう風の吹き回しだろうか。

 雛子さんがこんな提案を持ちかけてくるなんて。


「三度の飯」より「睡眠」が大好きな清太郎君は、もちろんこの話を「面倒くさいなぁ」と思った。


 しかし、それは雛子さんも同じはずだ。

 ちなみに雛子さんは「三度の飯」より「三度の睡眠」が欠かせない。「三度の睡眠」とは、「夜の睡眠」と「朝の二度寝」と「昼寝」のことを指す。


「あの、よろしいですか?」

「どうしたのかね、清太郎君。発言を許しましょう」

「どうして急にそんなことを思い立ったのでしょうか?」

「え、いや、家の裏にある畑が余っていて、『もったいないなぁ』と思ったのよ」

「使ってない部分も、確か前の持ち主の畑だね」


 現在、清太郎君夫婦が暮らしているこの家は、元々空家だった。

 前の持ち主が老衰で逝去し、誰も住んでいなかったところを、清太郎君たちが借りたのだ。


 やや傷んでいる箇所はあるものの、手入れをすればまだ十分に住める。「ここでいいや」と思った清太郎君夫婦は、この家で暮らすことを即決した。早く落ち着いて眠れる場所が欲しかったのだ。


 そもそも、わざわざ新しく家を建てるのは面倒くさい。生活に必要なものは有りもので済ませたい清太郎君と雛子さんは、一度小説の中で生み出した世界観や人物を別の作品で何度も繰り返し使う作家ような、ヒーロー特撮でよくある再生怪人のような、そういう生みの苦しみを軽減する措置を取り入れた生活を心がけている。節約と同時に時短もできるし、そういう方面で脳のトレーニングにもなる。


 清太郎君が唱える「有りもの創作論」。

 一度試してみてはいかがだろうか。


 話題を「畑」に戻そう。


 そんな清太郎君がこの家を借りた際に、一緒に畑まで付いてきたのだ。

 この世界でオーソドックスな野菜の種を村民から譲り受け、何種類か植えてみた。


 その畑が、けっこう広い。

 何ヘクタールあるのか正確には測ったことがないので知らないが、メダカの養殖場を展開できるくらいには広い。この世界にもメダカがいれば、清太郎君は何匹も飼育していただろう。


「でもさ、管理する面積が増えて手間がかからない? あそこ、肥料を運ぶにも一苦労なのに」


 問題は、高低差があることだ。

 足腰を鍛えるには適しているかもしれないが、そんなことにあまり興味のない清太郎君は、家と同じ等高線の中にある畑だけを使っていた。そこだけでも、生活に必要な野菜は賄える。


 そのため、使用していない畑の大部分は荒れ放題。

 目立つ大きな雑草は抜いているものの、細々とした芽が次々と伸び始めている。


 育てている作物も、世話はいい加減である。

 時折、清太郎君が雑草や落ち葉を焼却した際に出る灰をパラパラと与える程度だ。

 害虫や病気の対策はしていない。そもそも、この世界ではまだ農薬が開発されていないので、高度な化学技術に頼らない農法で作物を育てるしかない。少なくとも、しばらくベトナム戦争のような惨禍が起きることはないだろう。


「この世界の農業は、まだまだ不便なとこが多いんだよなぁ。化学肥料もないし」

「日光だけじゃ駄目かな?」

「育つには育つけど、色々問題が起こるんだよ。栄養素が欠乏したり、土壌に悪性の細菌が繁殖したり。やっぱり、前の世界の農業は凄かったのを実感できるよね。化学が発展してたおかげだよ」

「そんなに化学って農業に貢献してたの?」

「うん。してた。前の世界の人口爆発の背景には、化学肥料の発達が関わっているんだ。それと比べてこの世界の人は皆、まだ『ハーバー・ボッシュ法』を知らないからね」

「何それ?」

「チッ素と水素をアンモニアにする方法だよ」

「それって凄いことなの?」

「画期的だよ」

「初めて知ったなぁ」

「え、高校の『化学』で習わなかった?」

「いや、習ってないけど」

「『水兵リーベ僕の船』は分かる?」

「ふふっ、何それ? 化学って呪文を習うの?」

「呪文じゃないけど。『ひとよひとよにひとみごろ』みたいな覚え文句だよ」

「だから知らないってば。私、文系だったし」

「そっかぁ。文系だったかぁ……」


 高校生時代、部活の男性OBから性の快楽についてばかり勉強していた雛子さんに「鉄触媒」や「無理数」の話をしても、彼女は永久に理解できないだろう。口下手な清太郎君は解説を諦めた。


「本格的に化学肥料を開発できたら、簡単に作物を大量生産できるんだけどなぁ」

「できないの?」

「実際には、設備を作ったり、膨大なエネルギーを使ったり、面倒くさいからね。僕が実践することはないと思うよ」


 今この世界で「ハーバー・ボッシュ法」を実践し、チッ素肥料やら爆薬やらを量産できるようになれば、清太郎君は大金持ちになれる。これぞ「異世界なろう系」の夢。さしずめタイトルは「ハーバーボッシュチートで異世界革命したらハーレム王になっちゃいました」だろうか。高評価・書籍化間違いなしの傑作になるはず。


 しかしながら、ノーベルやアインシュタインのような失敗を犯したくない清太郎君は、敢えて黙っていることにする。戦争に運用できる知恵は披露したくはない。愚かな振りをして面倒事を避けるのも選択肢だ。わざわざ異世界転移して重火器を発明する「なろう系主人公」の気が知れない。


「地道に灰やら魚粉やら油粕を撒いて育てるしかないかもね」


 それでも、毎日野菜スープが作れる程度には作物が成長している。質は高くないけれど。

 砂糖の入っていないシフォンケーキを素直に「美味しい」と感じる馬鹿舌と貧乏舌を併せ持つ清太郎君なら、糖度の低い野菜を食べても問題ない。


 清太郎君は今日も雛子さんの独創的な料理を食べている。


 そんな質素な生活を好む清太郎君がハーレム王になるのは、夢のまた夢の話だ。

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