第19話 コミュニケーション格差
街でのショッピングの続きだ。
「あ、エルフのお姉さんだ」
街中で、清太郎君は気付いた。
自分たちのすぐ前に、エルフのお姉さんたちがいることに。
エルフのお姉さんは清太郎君たちの存在に気付いておらず、冒険者向けアイテムを販売している商店の前でウィンドウショッピングしている。亜麻色の長髪を垂らした横顔が美しい。
現在、彼女は回復薬を陳列している棚の前で立ち止まっており、話しかけるチャンスだ。
ちなみに、エルフのお姉さんとは、清太郎君と同じ冒険者ギルドに所属する先輩だ。彼女率いるベテラン冒険者パーティは、高度な魔術や剣術でモンスターを次々と狩っている。
「この近辺の治安が保たれているのは、彼女たちのおかげ」と言っても過言ではない。ただし、それは清太郎君の主観による意見なので、実際のところどうなのか検証する余地が残されている。
数日前、清太郎君と雛子さんは彼らのおこぼれにあずかってゴブリン討伐の報酬の一部を受け取り、今はのんびり少しずつ散財しながら生活している。当時の清太郎君の活躍は微々たるものではあったが、それでも報酬をくれるのだから彼女の懐の深さに驚くばかりだ。
彼らのおかげで資金に余裕が生まれ、今は好きなだけ昼寝できる。
ここは一つ、エルフのお姉さんにお礼を言うべきだろうか。
しかし、清太郎君の足は進まない。
これは、肉眼では見えない高性能EMPバリアが展開されているから、ではない。
口下手な清太郎君は、他人への話しかけ方が分からないのだ。
日本にいた頃も、会社の同僚を職場以外で見かけても、知らないふりをして静かに立ち去っていた。相手が大事な恩がある先輩だろうが、相手が自分を慕う後輩だろうが、相手が初恋の女性だろうが、清太郎君は無視してその場から消えてきた。清太郎君はゴーストと変化する。
なるべく知り合いが集まりそうな場所は避けて生活し、地元の夏祭りなどには絶対に出かけなかった。
そもそも、清太郎君は夏祭りに対して「柄の悪いお兄さんが沢山いる」というイメージしか持っていないため、会場に近づくのが恐いのだ。
露店の店員は皆、金髪で、サングラスをかけていて、腕にタトゥーを入れていた。「もしかして彼らは反社会的勢力なのだろうか」と幼い清太郎君は疑った。
露店で販売されている料理が妙に割高なのも頷ける。射的の景品がなかなか落ちない細工が施されているのも、彼らなりの手法なのだろう。
清太郎君の近所には暴力団関係者が住んでいたこともあり、そんな偏見を一層強めていた。清太郎君の母親が「あのおじさんは、暴力団の副組長なのよ」とよく言い聞かせていたのを思い出す。
とにかく、夏祭りに恋人を連れて遊びに出かける神経が、清太郎君には理解できない。
結局、何が言いたいかというと、「外出先で知り合いに会うのが面倒くさい」のだ。
こんな場所で偶然ですね。
だからどうしたんだ。
という会話のワンラリーしか思い付かない清太郎君は、エルフのお姉さんに話しかけることを止め、踵を返した。
ところが、である。
「あっ、エルフのお姉さーん!」
おおっ。
話しかけてしまうのか、雛子さんよ。
清太郎君は動揺した。
自分は完全に無視する気満々だったのに、雛子さんはエルフのお姉さんの元へ手を大きく振りながら走っていく。
その光景は、なかなか感慨深いものであった。
清太郎君と雛子さんは同じホモ・サピエンスとして命を授かったはずなのに、どうしてこんなにも性格や行動に違いが現れてしまうのか。
圧倒的敗北感が、清太郎君の頭をかすめた。
これがコミュニケーション格差。
人間に与えられたコミュニケーション物質の量と質の違いだ。
清太郎君は人間以外の哺乳類や、爬虫類、両生類、鳥類、植物、昆虫を含む節足動物、菌類、細菌、ウイルスにはよく話しかけるのだが、人間にはさっぱりである。つまりほぼ独り言だ。
それと、清太郎君は「人間っぽい物体」にも話しかけることが難しい。これは小学生のとき、二宮金次郎の石像に追いかけられた過去に起因していると思われる。
一方、雛子さんは様々な人間に対し、気さくに声をかける。
人間への恐怖を感じていないのか。人間と会話することが面倒くさくないのか。
清太郎君は雛子さんの感性にいつも疑問を感じている。
やや重い足取りで、清太郎君は雛子さんを追いかけた。
清太郎君が到着する前に、すでに会話は開始されており、その内容に耳を傾ける。
「あら、お久し振りですね、雛子さん。それに、清太郎さんも」
「回復薬を買うんですか?」
「ええ、前回の戦闘で使い切ってしまったの」
「また何か、モンスターの討伐依頼に挑んだんですか?」
「北部の村が獰猛なドラゴンに襲われたらしくてね。討伐部隊に加わって、さっき帰ってきたの」
「へえ~! すご~い!」
すらすらと会話し、ついでに相手をヨイショする雛子さん。
清太郎君には決して到達できぬ奥義。これぞ、コミュニケーション能力の塊。
そんな彼女たちを、清太郎君は横で一言も発さずに見守っていた。
ああ。
雛子さんが自分の妻でよかったなぁ。
もし雛子さんが傍にいなかったら、自分は社会のコミュニティにおいて孤立していただろう。
これからはもっと雛子さんを大切にしなくては。
清太郎君が雛子さんにプロポーズした理由には、こういう自分が持っていない一面があるからだと再認識する場面であった。
清太郎君には雛子さんが女神のように輝いて見える。女神が本当に輝くかなんて知らないけれど。少なくとも、女神の銅像が勝手に輝いたらホラーではある。
帰りにお菓子でも買ってあげよう。
雛子さんはそれで喜んでくれるはずだ。
「それじゃ、お元気で!」
「雛子さんも清太郎さんも、機会があったらまた一緒に依頼に出かけましょう」
「はーい!」
会話が終了し、雛子さんが清太郎君の元へ戻ってくる。会話でストレス発散できたのか、彼女の表情は満足げだ。
「雛子さん、お腹空きませんか?」
「うーん、別に今は空いてないけど」
「でも、いずれ空くでしょう?」
「そりゃそうだけど」
「あそこの屋台でお菓子を買って帰りませんか?」
「えっ、何あのお菓子! 美味しそう!」
実は雛子さんも、清太郎君には助かっている。
清太郎君は雛子さんの好みをガッチリ捉えており、自分の好きそうな食べ物があれば報告してくれる。
こうして二人は、異世界での暮らしに浸透していったとさ。
めでたしめでたし。
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