第18話 外耳管の行方
ある日、清太郎君と雛子さんは近所の街へショッピングに出かけた。
食料の多くは村で自給自足できるが、それ以外の日用品は商人から直接購入した方が早くて楽に入手できる。
やはり、最終的に「金の力」というのは強い。面倒くさい手間を解決してくれる。
ゴブリン退治の報酬はまだ余っており、それを使って次々と物資を買い込んでいった。
「あっ、猫耳だ」
「えっ?」
路地を歩いていたとき、清太郎君たちの横を半獣人の少女が通り過ぎた。
彼女の大きな特徴は、頭の上部にピンと立ったネコ型の耳だ。
人間型の耳は消え、頬の横には栗色の頭髪が生えているだけ。聴覚が完全に猫耳へ移されているようだ。
白いワンピースの下からは、長い尻尾が垂れている。歩く動きに合わせて、ゆらゆらと揺れていた。
「すごーい。本当に猫の耳になってる」
「そうだね」
「多分、私たちの会話とかも聞こえているんだろうね」
「まあ、あれだけ大きな耳なら聞こえるかも」
「ピクピク動いてる。可愛い」
雑踏の中に消えていく猫耳少女を、雛子さんは笑顔で眺めていた。
一方、清太郎君はそんな雛子さんを見つめ、ぽつりと呟く。
「猫耳って、そんなに可愛いかなぁ?」
「ええっ?」
清太郎君、実は猫耳の女性を「可愛い」と思ったことが一度もない。
あらゆる異世界作品で見かける猫耳少女たち。どれだけ主人公に献身的な性格であっても、清太郎君は彼女たちに距離を置いてきた。
世間で一部の人間は猫耳をした少女を「可愛い」と言うけれど、清太郎君にはその感覚がイマイチ分からないでいる。
「清太郎君って、猫が嫌いだっけ?」
「いや、好きだけど」
「だよねぇ。清太郎君は猫派っぽいもんね」
「そう?」
「うん。大抵、変態な人は猫派だよ」
「猫派の人に失礼じゃない?」
「私も猫派だし、問題ないでしょ?」
「そういう問題かなぁ?」
「犬なんて絶対に飼いたくないもん。吠えるし、散歩もしなくちゃいけないし、主従関係を覚えさせないといけないし」
「まあまあ面倒だよね」
「そういう面倒が見れる分、大抵、犬派はキッチリした人だよね。もし犬派と結婚したら、こっちの生活まで縛られそうで嫌だったなぁ」
「そこまで言うんだ」
「結婚するなら、絶対に猫派の男性とする! って高校生のときに決めてた」
「犬派の人に親でも殺されたの?」
「何かね、自分の生活を修正されるのが恐かったんだよね。ちゃんとした人間と付き合うと、自分までちゃんとしなきゃいけないじゃん?」
「気持ちは楽ではあるけれど」
そんな駄弁を弄しながら、清太郎君と雛子さんは路地を歩いていく。
駄弁とそうでない会話の違いなんて、そう簡単に見分けが付かないけれど。
こうやって駄弁を弄することでコミュニケーションを行い、夫婦の絆が維持できている部分もあるため、全てが無駄とは言い難い。
「……ところで、何でこんな話になったんだっけ?」
「猫耳。確か、猫耳だと思う」
「ああ、そう言えば、何で猫耳が嫌いなのよ」
「別に嫌いじゃないけどさ、『可愛い』とは思えないなぁ」
「どうしてよ?」
「普通、人間の耳は頬の横に左右一つずつ存在するけど、猫耳は頭の上部にあるだろう?」
「まあね」
「だから気になるんだよ。耳の位置が違うということはつまり、内部の構造も違うわけじゃないか。『どんな風に外耳管が伸びているんだろうなぁ』って思うんだよ。本来、耳があるべき場所にないのが恐いんだよね」
「そういう理由なの?」
「じゃあ、肩に腕が付いてなくて、お尻から腕が生えている人間を、『可愛い』と思える?」
「多分、思えないかなぁ」
「僕が獣耳に感じているのは、つまりそういう感覚なんだよ。パーツにズレがあると、奇妙に見えてしまうんだ」
耳の中には、外耳管があって、鼓膜があって、耳小骨があって、半規管があって、蝸牛があって、聴神経に繋がれているはずだ。
保健の教科書で学んできたあの構造は、猫耳の場合、どうなっているのか。
頭の上部は頭蓋骨で覆われているはずだから、そこに外耳管を通すのは無理だろう。横に伸びているのだろうか。
いや。もしかしたら、猫耳の部分だけ頭蓋骨に穴が開いているのかもしれない。
しかし、その場合だと、耳周辺が致命的な弱点になってしまう。
人類が脳を守るために発達させてきた頭蓋骨の意味はどこにいったのだろうか。
清太郎君を「外耳管の行方」という名の迷宮へ誘う。
「エルフとか、ドワーフとか、魔族とか、パーツの『形』にやや違いはあるけど、基本的にホモ・サピエンスとパーツの『位置』は一緒だ。だけど、猫耳はその『位置』すらも違うからね」
「たまに、人間の耳と、猫耳の両方が付いているキャラクターなんかも見るよね」
「あれなんか、僕にとっては理解不能だよ。どちらかの耳は絶対に要らないはずなのに、どうして四つも耳があるのか分からない」
「清太郎君はそういうところを見ちゃうんだね」
「肩とお尻の両方から合計四本の腕が生えている人間を、『可愛い』と思う?」
「『便利そうだなぁ』とは思う」
「僕が耳四つ持ちのキャラに抱くのは、そういう感覚なんだよ。便利かもしれないけど、僕には『可愛い』とは思えないんだ。人為的軍事的に開発されたミュータントくらい奇妙だよ」
きっと、外側からの力によって、耳を四つに増やされてしまったのだろう。
それは黒魔術かもしれないし、高度に発達した科学かもしれないし、なぜ耳が四つになってしまったのかは分からないが。
外耳管が四本あって、蝸牛も四つあって、聴神経も四つある。
聴覚器官に重点を置きすぎて、脳の容量が少なくなっていないだろうか。
どのように周囲環境の音が聞こえるのだろうか。
清太郎君は耳が四つある少女たちに、謎の心配を抱える。
「『生物の進化』っていうのは、常に『無駄を省くこと』にあるんだ。これまで人間は無駄を省いて進化してきた結果、この体型に辿り着いたはずなのに……」
「まだ無駄があるんじゃない?」
「そうだね。きっと、まだどこかに無駄が残っているんだ。早く、無駄を取り除いた、人類の進化形を作らないとね」
そうして、清太郎君は雛子さんの肩を抱き寄せた。
すでに買い物は終えている。家に帰って、夕飯を食べよう。
清太郎君と雛子さんは石造りのアーチの上で、夕日を眺めた。
清太郎君による、精一杯のムード作りである。
今夜も、清太郎君は人類の進化を目指して頑張るのだ。
何を頑張るのか。
もちろん、セックスである。
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