第16話 スキャナーモデル
「ねえ知ってる? 宿屋に新しいお手伝いさんが入ってきたの」
清太郎君が自宅で夕食を食べていたとき、雛子さんは急にそんな話題を切り出した。
「ああ、あのシンメトリーを崩した女の子か」と、清太郎君は思った。透き通るような白い肌が目に眩しい娘である。
そもそも、なぜ白い肌を「透き通るような」と表現するのか、清太郎君は甚だ疑問に感じている。本当に透き通ったら、理科室の人体模型のように筋肉や骨格が丸見えでグロテスクになるだろうに。我々はもっと肌の色素に感謝すべきだ。
「しばらく、ここに滞在して、宿屋とか畑の仕事をお手伝いしてくれるらしいよ」
「へー」
「それでね、その子、宿屋の主人の元後輩だったんだって」
「主人の元後輩ってことは、その子も軍事関係者だったのかな」
宿屋の女将さんと主人は、元々敵同士の軍事関係者だったらしい。
確か、この話題は以前にも雛子さんの料理を食べながら話した気がした。どちらかと言うと、この事は清太郎君の興味の対象外なので、脳の記憶領域から消去されるギリギリのところで踏み止まっていたが。
清太郎君はどうにか脳内検索で当時の記憶を探し出し、海底数千メートルへのサルベージ作戦を試みる。
「あんなに可愛くて若いのに、巨大モンスターの討伐作戦とかに参加していたらしいよ」
「ふーん」
「やっぱり、あの子も『魔族』だから、力が強いのかもね」
「『魔族』?」
ここにきて、雛子さんから初耳のワードが飛び出した。
一体、何なんだ「魔族」とは。
その言葉が気になり、清太郎君の食事を進める手が止まった。
雛子さんは本など一切読まないものの、会話による情報収集は清太郎君よりも遥かに優れている。
雛子さんは高校生のとき、課題で解けない問題があったら、教科書やノートを読み返さず、頭の良い彼氏に尋ねていた。お礼は体で一括払い。余計な利息は払わない主義だ。
つまり、雛子さんの肉体はクレジットカードのような磁気を帯びており、「分割」と「リボ」という選択肢は表示されない仕組みになっている、ということだ。
今日、雛子さんは昼寝から目を覚ましてから夕食の準備を始めるまでの間、井戸端会議で宿屋の女将さんからそれだけの情報を引き出していた。
清太郎君から見れば意味のない駄弁にしか思えないが、「人間の女性」という知的生命体は井戸端会議で何かしら話すことでストレス発散と情報交換をしていると考えられており、女性独自のネットワークを裏で構築している。そこの通常サーバーには清太郎君には介入が到底不可能なほどファイヤーウォールが組み込まれ、ネットワークの中に保存してある情報を引き出すには高度なハッキングスキルが必要とされている。
そんな雛子さんが突然繰り出した「魔族」というワードに、清太郎君は目をパチクリさせる。
このワードの詳細を知るためには、清太郎君にはガードの甘い雛子さんに頼むしかない。女性ネットワークから情報を取ってきてもらうのだ。
「……」
「……」
ダイニングテーブル越しに向かい合う二人に流れる無言の時間。
清太郎君による女性ネットワークへのハッキングが開始された。
基本的に、口下手な清太郎君は、他人に何かしてほしいとき、目で色々と訴えてくる。
最初、雛子さんは清太郎君の視線に対し、「どうしてそんなに見つめてくるのよ」とファイヤーウォールを発動させていたが、徐々にハッキングが進んでいくと、「ああ、『魔族』について説明してほしいんだな」と理解した。
ハッキング完了である。
「『魔族』っていうのはね、普通の人間よりも筋力と魔力に優れている種族なんだって。凄く速く走れるし、強い魔法もバンバン使えるって」
「ほーん」
「そのせいで昔は色々と揉め事に巻き込まれていたみたいだけど、今はそういう差別とか法律で禁止されているし、そのおかげで宿屋の女将さんも魔族の旦那さんと結婚できるようになったとさ。いやぁ、めでたしめでたし」
なるほどなるほど。
清太郎君は頷いた。
「この辺じゃ、宿屋の主人以外に魔族をあんまり見ないけど、珍しい種族なのかな?」
「うん。まだまだ人間社会に溶け込むことを怖がっている魔族も沢山いるらしいし、そもそも魔族は出生率も低いんだって」
「え、出生率が低いの?」
「うん」
「どうして?」
「うーん……これ、言っちゃっていいのかな」
雛子さんは口を歪ませた。
何か、言いにくい事情でもあるのだろうか。
しかし、雛子サーバーはすでに清太郎君にハッキング済みだ。雛子さんは清太郎君の思惑通りに、女性ネットワークの情報をベラベラと喋り続ける。
元々、雛子さんは他人の秘密の保守に甘い。最新型スマートスピーカーの如く、尋ねられれば何でも答えてしまう。「同じアイドルグループの、あの子には絶倫な彼氏がいた」とか「あの子は年齢を偽っていた」とか「あの子は胸にパッドを入れていた」とか。
雛子さんに秘密を喋ったが最後、水面に放ったメダカ稚魚用の餌のように皆へ拡散する。稚魚が餌を食べやすくなるのだ。
「魔族の男性って……すっごく遅漏なんだって」
「え、そういうことなの?」
「挿入を開始してから、早くても一週間、遅いときは一ヶ月くらいかかるみたい」
「そんなにかかるの?」
「それで、パートナーの女の子も、ずっと繋がなきゃいけないらしいの。刺激が続かないと、射精してくれないんだって」
「そっちも大変だね」
「魔族の女の子も、半月以上も繋ぎ続けないと、卵子が作られないみたいよ」
魔族にはそんな性事情があるのか。
毎日射精できる人間族とは大違いだ。ホモ・サピエンスとは、意外にも簡単に子作りできる生物だったのです。
そして、清太郎君は思った。
「きっと、それは生存戦略だね」
「と言うと?」
「そうやって魔族は肉体的に優れた交配相手を選んでいるんだよ。ずっと行為を続けられる体力とか、忍耐力とかを求めているんだ。それが不足している個体は子どもを残せない。だから、普通の人間よりも強いのかもしれない」
「ふーん」
「もしくは、ゴブリンとかの影響かもしれない。過去にゴブリンの脅威に晒されていた種族が、彼らに犯されても妊娠しない肉体を求めた結果、生殖行為に必要な体力をゴブリンより上にしたとも考えられる」
目指すは、究極の生存曲線。
老衰するまで死亡率は低いまま。清太郎君はそんな魔族の生き方に、動物行動学を感じたのだ。
「まあ、つまり、宿屋の女将さん……頑張ったんだね」
「そうだね」
確か、宿屋の夫婦には、子どもが三人いるはずだ。
主人は魔族、女将さんは人間族。
この夫婦が子どもを作るには、女将さん側が魔族の射精条件に合わせる必要がある。
あの金髪巨乳美人な女将さんが、何日間も、繋ぎ続けた。
その間、食事はどうしたのだろうか。
排泄はどうしたのだろうか。
睡眠はどうしたのだろうか。
夫婦の間に様々な疑問が降りながらも、清太郎君は雛子さんの料理を食べる手を再び動かし始めた。
今夜のメインディッシュは、肉やら魚やらあらゆる食材を雑多に放り込んだスープ。やはり味はお世辞にも「美味しい」とは言えないが、清太郎君は黙々と食べ進める。
生のちくわぶを素直に「美味しい」と思える貧乏舌と馬鹿舌を併せ持つ清太郎君にとって、雛子さんの料理は高級ホテルの一流シェフ作るフルコース並みに贅沢な品であった。
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