第15話 蔵書点検
前回までのあらすじ。
清太郎君は山菜採りの最中、謎の少女と出会った。ボーイミーツガールな状況ではあるが、清太郎君は既婚者であるため、これから壮大な物語が始まるような展開もなく、ひたすら無駄な描写で文字数を稼いだことは否めない。
そんな最中、清太郎君は少女の正体に疑問を勝手に持ち始める。
この少女はモンスターが化けているのではないのか、と。
特に根拠はない。清太郎君の妄想だ。
仕方なく、清太郎君は少女と一緒に、自分の村へ歩いていく。
「あの、一体、何の御用でウチの村に来ようと思ったのですか?」
「えっ?」
「畑と水田しかないような小さい村ですよ?」
清太郎君は少女の正体を確かめるべく、それとなく質問を繰り出した。
口下手な清太郎君にしては、なかなか思い切った行動である。
「実は、その村に、私の知り合いが住んでいるんです」
「知り合い……ですか?」
「私と同じ種族の男性です。久し振りに、彼と会いたくなって……」
はて。
そんな人物、自分の村に住んでいただろうか。
口下手で深刻なコミュニケーション不足を抱える清太郎君は、まだ村人の顔と名前を覚えていない。覚えているのは、自分の妻である雛子さんと、宿屋の女将さんくらいだ。
自分の興味がない分野に関しては、清太郎君はあまり記憶領域を持たない。中学生や高校生の頃、清太郎君はクラスメイトや教師の顔と名前を覚えられずに卒業した。
街で「清太郎君、久しぶり」と言われても、一体誰なのか分からないので、適当に「ああ、久しぶりです」と笑って返事をする。それから「今、ちょっと急いでるんだ」と、逃げるのである。
清太郎君は必死に村人の情報を思い出そうとした。頭の中で記憶を再生してみるが、輪郭がぼやけていて、顔のパーツの位置が不明確である。
普段、清太郎君による村民への挨拶は素っ気なく、瞳の奥まで覗き込むようなことは絶対にしない。相手が落ち込んでいようが、髪形を変えていようが、顔を整形していようが、清太郎君にはあまり興味のないことなのである。自分と深い関わりのない人間への好奇心は基本的に無いに等しい。
もし清太郎君が他人に興味を抱くとしたら、「お隣の主人が珪素生物になっていた」くらいの生物学的ビッグニュースが必要である。
しかし、それは最早、現象に対しての興味であって、人物に対する興味ではない。
そんな清太郎君が村民の特徴など知るはずもなく、しばらく無言の時間が続いた。
少女と同じ種族の男性――本当にそんな人物が村に住んでいただろうか。
「ああ、あの人のことだね」
結局、清太郎君は嘘を吐いた。
清太郎君の完全敗北だ。
なかなか痛いところを突いてくる。
自分にコミュニケーション能力や他人への興味がないことを嘆いても、もう遅い。
もうすぐ、村に到着する。
わざとゆっくり歩いてみるが、口下手でコミュニケーション障害を抱える清太郎君にとっては「諸刃の剣」な作戦だ。お互い一緒にいる時間が引き延ばされるため、人見知りな清太郎君は尋常でない苦しさを感じる。
しかし、この少女はモンスターが化けた姿なのかもしれない。
少しでも時間を稼ぎ、村人の平穏な暮らしを守らなければ。
しかし、特に良い策などは思いつかず、清太郎君は少女の正体を確かめることもできないまま、村の中へ入れてしまったのである。至極無駄な時間を過ごした。
「ここまで来れば大丈夫です。ありがとうございました」
少女は清太郎君に微笑むと、宿屋の方角へ走っていく。それからドアノッカーを鳴らし、宿屋の従業員を呼び出した。
「お久しぶりです、先輩」
「おっ、よくこんな遠くまで来てくれたね」
呼び出しに応じたのは、背の高い男性。
確か、彼は宿屋の主人だった気がする。
ここで、清太郎君は理解した。
少女が会いたかった人物とは、宿屋の主人だったらしい。美人な女将さんの夫である。
清太郎君も宿屋の主人とは何度か会った気がする。以前、村の近くにゴブリンが出たときも、金髪美人な女将さんの横に、彼が武器を持って佇んでいたような、いなかったような。
記憶が曖昧だ。
これまで交配してきたメダカの種類や模様・体型は覚えているのに、不思議である。
宿屋の主人の顔を覗き込んでみると、彼の瞳孔も少女と同じく十字形をしている。肌も生気を感じさせないほど白い。
間違いなく、宿屋の主人と少女は同じ種族だ。
清太郎君は今までそれに気付かずに過ごしていたのである。
なぁんだ。
本当に村人の知り合いだったのか。
要らぬ心配をしてしまった。
図書館で借りた本の返却期限を忘れていて、数日遅れて返したつもりが、実は蔵書点検作業で返却期限が延びていた感覚に似ている。
普段から村民に興味を持っておけば、清太郎君はこんなにドキドキしていなかっただろうに。
清太郎君は清清しい気分で、再会を喜び合う二人を見つめていた。
「ほら、長旅で疲れただろう? ゆっくりしていって」
「お世話になります、先輩」
少女は清太郎君に頭を下げると、宿屋の奥へ入っていった。きっと、互いの近況報告などをして、しばらく団欒とするのだろう。
清太郎君は愛想笑いをしながら少女へ手を振り、踵を返して自宅へと戻り始めた。
このとき、清太郎君の体力・精神力はかなり失われていた。清太郎君が勝手に色々と推測したせいである。いつもの山菜採りが、勝手に村の危機になり、勝手に平和になった。
何の進歩もなく、カタルシスが微塵も感じられない、普通ならゴミ箱行きのエピソードだ。
無知とは、ときに不必要な労力を自分に与えてしまう。普段から知識を蓄え、それを活かした暮らしを続けることが大事なのである。
今回の出来事から、清太郎君はそんな教訓を学んだ。しかし、清太郎君がそれを活かす確率は、オッドアイのメダカが生まれる確率と同じくらい低いが。
清太郎君がヘトヘトになって自宅へ戻ると、雛子さんはまだ眠っていた。相変わらず、雛子さんは全裸のままである。
これぞ心象風景。清太郎君の奥深くに刻まれた雛子さんの輝き。何とも肌密度の高い生活。
「ただいまー」
「……」
起きる気配はない。
清太郎君は雛子さんの横に力なく倒れると、そのまま眠りに就いた。
昼間に眠る夫婦。見事、「明日はたっぷり昼寝をしよう」という誓約は果たされたのだ。
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