第11話 メダカカタログ12月号

 子宮内のゴブリンを退治した清太郎君たちは、さらわれていた人々を修道院に送り届けるため、寄り道をしていた。


 このように、ゴブリン退治は場合によってアフターケアが必要になることもある。普段のスライム討伐とは違い、色々と面倒だ。

 これが、清太郎君がスライム討伐以外の依頼を避けている理由でもある。優雅に昼寝を楽しみたい清太郎君にとって、なかなか終わらないハードワークは敵なのだ。


「彼女たちは、これから修道院で治療を受けます」

「『修道院』?」

「ほら、あの建物ですよ」


 エルフのお姉さんは馬車の進行方向を指差した。


 ギルド集会所の近くには、山のように聳える巨大な建築物がある。まるで城砦のような外観の施設。外壁に沿って、天使のような形をした石像が並べられている。


 今回、清太郎君はその建築物が修道院であることを初めて知った。

 そもそも「知る」という言葉は「知らない」という状態があって成立する動詞であり、つまり「初めて知った」という言葉は、稀に人間が記憶を消失してしまう特性があるからこそ成立するのだ。

 もしかしたら、いずれ清太郎君はこのときの記憶を忘れてしまうかもしれない。そのときは、修道院のことを「再び知った」と表記するだろう。


「ああ、この建物、修道院だったんだ」


 以前、それを何度か遠くから見ていた清太郎君と雛子さんは「あれは何の建物だろうね」と話していた。

 もしかしたら、あれは貴族の城で、アポイント無しで近づいたら逮捕される、みたいな掟でもあったら困るので調査したことはなかったが。


 この修道院は、この世界では有名な教団が運営していて、「神の加護を受けた者」なる神官たちが人々を魔術で治療するための場所らしい。

 簡単に言えば「病院」である。


 馬車を門の前に停め、修道院の中へ人々を誘導していく。清太郎君の体に疲労は溜まっていたが、「あと少しで金を受け取って、家で眠れる」という至極低い志を胸に、錆び付いた台車を力強く押すが如く自分の肉体を動かしていた。


 お産の疲労でぐったりしている格闘家ちゃんを抱き上げ、ベッドの上に移す。お姫様抱っこなんて、雛子さんにもしたことがないのに。雛子さんは「これは仕事だ」と割り切って清太郎君を見ていた一方で、彼は妻の視線が少し恐かった。口下手な清太郎君は、親しい雛子さんの本心を聞くにも一苦労だ。


「結構、女性が入院してますね」

「ゴブリンの着床率は高いですから」


 そこには、他にもゴブリンに犯された女性たちが沢山入院しており、院内の雰囲気は明るくはない。

 清太郎君は子宮が膨れた女性たちを、遠くから眺めていた。


「おおっ、そうか!」


 ゴブリンに犯された女性の共通点。

 清太郎君は自分の脳内メモリに書き溜めた情報を再読し、とある事実に辿り着いた。


「みんな、下半身が太いんだよ!」

「え、何の話?」

「ゴブリンたちは、女性の体型を基準に、交配する相手を選んでいるんだ!」


 ずっと気になっていた謎。

 なぜ、僧侶ちゃんは食べられ、格闘家ちゃんは孕まされたのか。

 その理由を解明できたのだ。


「ここにいる女性は、腰つきが良くて、腿も太いだろう? 所謂、『安産体型』ってヤツだよ」

「そうだね」

「ゴブリンは自分たちの子孫を残せる確率を上げるために、そういう体型の女性を選んで拘束しているのかもしれない」

「そういえば、僧侶の子は足が細かった気がするなぁ。逆に、格闘家の子は足がむっちりしてたね」


 ゴブリン出産のとき、清太郎君たちが見た格闘家ちゃんの足は太かった。健康的で、見ていて安心できる美脚。あの脚が、ゴブリンの目に留まってしまったのだろう。


「やっぱり、ゴブリンたちは安産しやすい人を判別できるんだよ。すごいなぁ。効率的に子孫を残すために、そういう女性を選ぶ進化をしてきたんだ」

「ほぇー」

「きっと、ゴブリンは本能的にそれを感じているんだよ。『このメスなら確実に子孫を残せるぞー』とか『このメスはちょっとリスクあるなー』とか。生殖行為から出産までの間、ゴブリンはメスに餓死しないよう食べ物を与えなきゃいけないわけだし、できるだけ安産確率の高いメスを選べば食料を効率よく回せる」

「ほぇー」


 こういうときの清太郎君は無駄に饒舌になる。

 あまり興味の湧かない雛子さんの頭には、清太郎君の喋った情報の30パーセント程度しかインプットされていない。

 しかし、「普段静かな清太郎君がここまで喋るのだから、本人にとってよっぽど楽しいことなのだろうな」と判断した雛子さんは、彼を止めるような真似はしない。


 清太郎君が自分の考察を述べることで雛子さん自身が精神的・肉体的に傷付くこともない。毒にも薬にもならない状態だ。

 そういう場合、雛子さんは彼を放置する手段に出る。清太郎君の熱が冷めるのを待つのだ。


「ほぇー……へぇー……ふーん」


 しばらくの間、雛子さんは清太郎君の話に納得した演技をする。清太郎君が一生懸命に脳内辞書で捻り出した言葉は、静岡駅を通過する「のぞみ」の如く雛子さんの耳を抜けていった。


 そんな夫婦の様子を、エルフのお姉さんは浮かない表情で見つめていた。そして彼女は軽く咳払いをすると、清太郎君に話しかける。


「ま、まあ、それをこの短時間で捻り出した観察眼は素晴らしいと思いますが、その事実はすでに冒険者の間で周知されていますよ」

「えっ」


 何と、まあ。

 清太郎君が労力をかけて導き出した新発見は、冒険者の間では「常識」だったのだ。

 普段から他の冒険者と話さない口下手な清太郎君は、そんなこと知るわけがなかった。他人とのコミュニケーションを怠ってきた結果である。


「他にも、ゴブリンは排卵日の近い女性を狙ったり、遺伝子プールを保つために何人も同じ女性に産ませない、といった習性もありますね」

「……」


 清太郎君は、ややショックを受けていた。

 長い年月をかけて交配させ生み出した新種メダカが、実はすでに他の人間によって作り出されていたような感覚に似ている。観賞魚業界に、激震は走らなかったのである。あの「メダカカタログ」を読んだときの衝撃は、今でも忘れられない。


「も、もし良かったら、この修道院には図書館もありますので、モンスターに関係する『生態報告書』も読むことができますよ?」


 エルフのお姉さんは清太郎君の心情を察したのか、彼の知識欲を満たせそうな図書館を勧めてくる。「変に気を遣わせて申し訳ないなぁ」と清太郎君は思った。他人の優しさが恐くなる瞬間だ。


 実のところ、清太郎君はエルフのお姉さんに感謝していた。「すっごーい! それは新発見ですね! 知りませんでした!」などと言う、キャバクラ嬢のような、なろう系主人公を取り囲むハーレムのような、イケメンを落とそうとするブリっ娘のような、そういう反応をせずに、事実を淡々と突き付けてくれる。

「知らぬが花」という諺はあるが、新たな種子を作るためには花弁を散らさないといけない。そんな当たり前のことを教えてくれる、小学校理科の教科書のようにありがたい存在なのである。


「ありがとうございます。今度、行ってみます」


 自慰行為を済ませた後に似た、清々しい気分だった。


 清太郎君は花弁を捨てることにした。

 実際に花弁なんて無いけれど。

 では、一体何を捨てるのか。

 それもよく分からないけれど。


 そもそも、新しい種子を作るには受粉が必要であって、清太郎君はそのための花粉を持ち合わせていない。

 一体、自分は何の比喩をしているのか。

 清太郎君自身にも、謎のままである。

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