エピローグ

エピローグ

「優人くん。今日はずっと外見てるね、どうしたの?」

 休み時間に頬杖をついて窓際を眺めていると景が声を掛けてくる。

「んー、今日もちょっと調子悪くてさ……妖精さんがわがままなのさ」

「そのネタはもう飽きたよ。男の子の癖に」

「女性にとってのお月様とは周期や巡りも違うけど、あるんだよ。つまりさ……男は狼なのよ、気をつけなさい~♪ というわけよ」

 全くやったことがない狼の真似をするが、イメージしたユーモアが伝わらない。授業開始のチャイムが虚しく鳴ると、景は微妙な表情のまま自分の席へ帰っていった。

 ギャグのキレが悪い、ただその理由はわかっていた。

 作戦終了してから一週間後、優人は事件の後処理に追われる他のメンバーよりも暇で身を持て余していた。

 リーダーである陽香が一番忙しいのは言うまでもなく、丸雄も補佐として動き回っている。

 マコトは二人程の忙しさではないが、オーダーで記録した内容を別部隊と共有をするために情報整理をしていた。

 鷹志に関しては優人と同じ前線での役目が主なため事務的なことはしないが、普段は丸雄担当の雑務を進んでこなしているようだった。

 つまり完全に手持ち無沙汰なのは優人だけだった。

 授業が終わって放課後になっても落ち着かない感覚は変わらない。しかし学校の友人と過ごしても気分が変わるとは思えず、ひとまずプラザホテル二十五階の司令室に行く。

 二つ目のドアをノックしても反応がなく、一声断ってから入るが中には誰もいない。

 もし隣の私室に陽香がいるなら気づいて壁越しに声を掛けてくるがそれもなく、パソコンもゲーム機も動いている様子はなかった。

 いつも通りソファに座ってからふと疑問が浮かぶ。

 自分は何をしにここに来たのだろうか。

 もし誰か来たら何と答えれば良いだろうか。

 何か仕事を手伝いたい、そう言えば誰かが仕事を振ってくれる。おかしな話ではない。

 但し、それは協力ではなく気を紛らわすことが本音であり、子供の迷惑な頼みですらある。

 やはり誰にも見つからない内に帰るのが良いだろうか、そう考えていた時だった。

 背後から廊下のセキュリティ解錠音が聞こえ、すぐに二つ目の扉が勢い良く開けられる。

「あー、疲れたー、寝てないわー、死ぬわー、愛しのコーラちゃん、今飲んであげ……」

 陽香は恥ずかしい独り言を口ずさみながら入ってくるが、優人の存在に気づくのがやや遅れ、口が半開きのままその場に凍りつく。

 とても間抜けな姿だった。

 しかし今はラフなワインレッドのジャージ姿ではなく、同じ色でオーダーメイドのフォーマルスーツを着ていた。外での仕事をこなして疲れているのは本当のようだ。

 固まっていた陽香は数秒後に再起動するとデスクの上に鞄を置いて隣の私室へ行き、両手で二つの缶コーラを持って戻ってきた。

 黙ってはいるが「飲め、だから忘れろ」と言いたげに顎をしゃくり、非常に怖い笑顔で左手のコーラを口封じ変わりに突き出してくる。

 優人は恐る恐るそれを受け取り、彼女と同じタイミングで蓋を開けた。

「気持ち悪いわね」

「何が、ですか?」

 陽香は一息つくようにデスクの前面に寄り掛かりながらコーラを一口飲み、缶を置いてから背後にあるパソコンの起動ボタンを押す。

「優人のことよ。あたしが醜態を晒したら、いつもならラインを超えない範囲で容赦なく失礼なこと言ってくる癖に。それどころか何も喋らないなんて」

「まっ、まあ……あれから忙しいですか?」

「そりゃ忙しいけど出掛けるのは二日に一回程度、一般のサラリーマンや学生に比べれば少ないわ……それでどうしたのよ、あんたにしては余裕のない顔してるわ」

 これ以上虚勢を張るのは無理だった。

 それに隠すことにも意味はない、陽香にはすでに見抜かれているのだから。

「一週間前に対空レーザーを潰した後、リーダー格の男と少し話したんです。こんな世界は間違っている、お前達に正義はあるのか、って主張されました」

 あの作戦の後からずっと、度々思い出してしまう。

 調査班に移送されるときの男は、拘束されているのにも関わらず満足そうで、去り際に優人へ向けた表情は勝ち誇っていながら軽蔑の眼差しを含んでいた。

「その訴えに僕はまともに答えることができませんでした。わかっていたんです。自分の方が浅くしか考えていないから、本心で向き合えば話し負けてしまうと。だからまともに答えず、銃で威嚇して相手の非を突く正論で押し潰すことしかできなかったんです」

 中途半端に言葉を受け答えしたことも後悔している。

「対応自体は間違いではなかったと思います。でも……彼の言い分も正しいと思えました」

 項垂れながらそんな女々しいことを喋ってしまう。

 すると陽香はデスクから離れ、ソファに座る優人の隣に腰掛ける。さらに何も言わず、自ら手渡したはずの缶コーラを細長い指で摘み取ってテーブルに置く。

 その手際があまりにもスマートだったせいか呆気に取られ、何をするのかと隣へ振り返る。

 すると、視界を掠めていくのは陽香の横顔。

 さらに艶やかな黒髪が頬に掛かると、背中に腕を回されてギュッと抱き寄せられる。

 突然のことに息が止まり、心臓の鼓動が急激に高まっていく。

 ジャケットに染みた微かな香水と、外にいたせいか少し汗ばんでいるうなじの芳しい匂いが混ざり、それが仄かな甘さとなって鼻腔をくすぐる。

 予想外の状況に、頭を鈍らせていた靄が吹き飛び、全身の力が抜けていく。

 それにエージェントである自分にとっての目標であり、強くて遥か高みにいる彼女の体がこんなにも細く柔らかいことが、とにかく不思議だった。

 さらに陽香は感触を確かめるように、より強く抱き締めて優人の頭に頬を擦りつける。まるで子供をあやすように。

「本当にあなたは優しいね。いつも人のことばかり考えてる。それが悪人であったとしても、フェアに接することを止めない。自分が傷つく事なんか御座なりにして、ただ優しい」

 耳元に細い吐息が触れたあと、薄い唇から囁くような声が続く。

 いつもの野蛮な陽香と違い優しく温かい母性に満ちていた。

「それはとても不器用で苦しいやり方よ。でもこれから成長して大人になっても、その優しさは捨てずに強くなって欲しいな」

 最後に陽香は、腕の中の優人を放し、労わるように両肩を撫でる。

 そしてデスクの奥にある愛用のメッシュチェアに座った。

「作戦前に約束した話をするわ。長いけど順を追って話すから、付き合ってね」

 それから陽香はデスクにある卵型オブジェを拾い、片手で横回転させながら約十秒程度考えて内容を整理すると、再びオブジェを元の位置に戻す。

「荒川和義、今回の《光の柱》事件の首謀者。まだ調査中だけど、かなり以前から準備を進めていたみたい。FROCの存在には、この世界では生産制限がある天体望遠鏡を使った実験の矛盾から気づいたそうよ。普通の空とFROCが作る偽物の空の違いが見えたんでしょうね。でも《リング》に関しては憶測の域だったみたいで、空には何かが隠されている程度の認識だったらしいわ。ただそれ以上に上層部が問題視していたのが、あれだけの銃器や協力者を確保した方法よ。具体的な経緯をはっきりさせるには時間が掛かるけど……まあ、単純に言えば彼にはカリスマ性があって、惹かれた人間が大勢いたとのことよ。荒川オプトロニクスの社長は彼の親にあたる人だけどいわゆる傀儡社長で、実権は息子に握られていたらしい。元々仲が悪いところ、息子に乗っ取られたようね」

 そんな報告を聞いただけで、事件の首謀者としてあの男がどんな思いだったのか察する。

 周囲の人間を巻き込み、何年もの積み重ねを駆使した上で行動していたのだ。

「優人も知ってる通り、世間で《空飛ぶヒトデ》と言われてるFROCは、再帰性投影技術で自らの周囲とその背後にある物体を透過させる一種の光学迷彩よ。自己修復機能を備えた十五メートル級のユニットが無数に浮かんでいて、それらが偽物の空を作っている。このFROCの光学迷彩を無効化したくて連中は周波数や強度等を調整した光、つまり《光の柱》を打ち上げていた。でも彼らがあの光学迷彩を無力化することは技術レベルが足りなくて不可能。場所を変えてゲリラ的に行っていたのも実験のためだったみたい。さらに発生装置はあたし達に奪われ、後が無くなった彼らは試作品の対空レーザーでFROCを破壊するという暴挙に出た。でもそれだけでは、彼らの最終的な目的である《リング》を世間へ認知させることはできない」

「他に、心理的な意識誘導もあります。各映像メディアにはサブリミナル効果が巧妙に張り巡らされていて、いくつもの形式で『普通の空が見える』という無意識下の刷り込みが民間には浸透しています。一般家庭だったり街中であったり至る場所にある。しかもオーダーが管理しているからその事実が露呈する心配もない。確実に人間へ影響が出るものではないし、日常的にネットやテレビに触れない場合は効果が薄い。でもFROCの効果と合わせれば強力な隠蔽方法になります」

「光学迷彩と意識誘導、この二つで空にある《リング》は隠されてる」

「そういえばFROCが《空飛ぶヒトデ》であるって噂が世間でありましたけど、あれはどういう経緯で広まったものなんでしょうか?」

「あれは実際にFROCの存在を察した人間は少なくて、犯人達がそういう都市伝説的な話を人伝に地道に広めていったそうよ。事実よりも情報が先行してたんだと思うわ。そんな苦労をしてでも、FROCや《リング》を世間に知らしめたかったのね」

「あとそれに関してなんですが、空に浮いてる人工物が《リング》と呼ばれている物でとてつもなく巨大、その程度しか僕は知らないんです」

「いいわ……でも、ここからは突拍子もないことの連続だから、割り切って聞いてね」

 覚悟があるのかと、優人の姿勢を見定めてから陽香は話を続けた。

「あれはこ……この国を隔離するための巨大装置。幅が二百メートル、長さは北海道から九州まで伸びているほど長大で、主に日本の本州を覆っているものよ。それがアーチ型の形状をしている事から《リング》と呼ばれているわ。どんな技術が使われてるのかあたし程度には知る権利が無いんだけど、いわゆるオーバーテクノロジーで稼働しているのは確か」

 そこまでは任務をこなしてきた中で得た断片的な情報から想像はできていた。

「その目的は……人類という種の保存」

「えっ?」

 驚くのも無理はないか、といった様子で陽香は優人を一瞥する。

「まず《リング》に隔離されたこの内側の世界を《インサイド》と呼ぶわ。《インサイド》は他の大陸から遮断された状態なの。技術者から聞いた話だけど、オーバーテクノロジーの効果で日本列島を覆う空間に位相差が作られて、外側と空間の連続性が絶たれた状態らしいわ。だから船や飛行機で外へ出ることすらできないそうよ。でもそのおかげで《リング》がない空に関しては、実物の太陽も月も見えるそうよ」

「どうしてそんなことを……《リング》の外側はどうなってるんですか?」


「戦争してるんだってさ」


 遠過ぎる何かを見つめるような眼差しで陽香はあっさりと言う。

 それは果てしない響きのする透明な声だった。

「外側の世界は大規模な戦争を繰り返しているそうよ。文明が進んで強力過ぎる兵器がいくつも使われていて、地球環境が危ういどころか人類が滅びる恐れすらあるらしい。そこで戦争の行く末がどうなっても人類という種が絶滅しないように、比較的平和な国を隔離して守ろうという考えで選ばれた国がこの日本で、それを実現するために作られたのが《リング》なの」

 優人はスケールが大き過ぎる内容を咀嚼することで手一杯だった。

「そんな事情だからさ……今は西暦何年なのか、正しく把握してる人間は僅かと言われている。上層部ですら把握してない人間ばかりだと思うわ。だから色んな想像ができる。

 あたし達が住んでる《インサイド》は二十一世紀初頭に近い世界だけど、実は《リング》の外は何千年も後の時代で生態系が大きく変わっていて、人類だったものがすでに別の姿になっている可能性だってあるわ、マンアフターマン的なイメージね。それ以外にも、戦争の影響で人類どころか全ての生命がすでに絶滅していて荒廃した世界である可能性もある……けどそれはないかな」

「どうして、ですか?」

「あたし達が利用してるオーバーテクノロジーは《リング》の外から流入してきた科学技術らしいけど、それが遠過ぎない技術だからよ。

 例えばオーダーは量子コンピュータだけど、二十一世紀初頭では汎用性のあるチューリングマシンはまだ作られていない、でも限定的な最適化問題を解決できるものならある。ネリーに搭載されてるリアクターはパラジウムを改良した元素を利用した小型の常温核融合炉、これもこの時代の技術水準を考えれば存在するのがありえないけど構想自体はある。FROCの再帰性投影技術は実験レベルで民間でも成功してるわ。

 つまり想定すらもしてない遠過ぎる未来の技術じゃないから、千年とかそこまでのレベルで中と外の文明の差は開いてないと思う。例えば明治時代の人達が仮想現実やクラウドネットを想像できない、みたいなものでさ。だから、まだ《リング》の外には人がきちんと生きてるんじゃないかな」

「じゃあキャスターは、あれはどんな技術なんですか?」

「あれは魔法のアイテムよ」

「あの……陽香さん。今はおふざけなしですよ」

「おふざけなんかじゃないわよ。あれは正真正銘、魔法の力らしいよ」

 陽香の言い方は冗談には思えなかったが、的を得ない言葉に優人は首を傾げる。

「さっき外の世界は戦争を繰り返してるって言ったけど、主に二つの勢力が争っているそうよ。一つ目は、従来の科学技術の延長によって反映してきた勢力。二つ目は、形而上学的な魔法だとか神秘に類するものを高めていった勢力らしいわ」

 そこまで真面目な表情で話し続けていた陽香が突然鼻で笑う、まるで自らの話を馬鹿にするように。

「いろんな人達から話を聞いたけど、さすがにあたしでもそこまでは信じられないわ。魔法だなんて何を言ってるやら。確かに『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない』って名言があるし、その逆もあるかもしれない。けどいくらなんでもね……とは思うんだけど、キャスターの見るとそんな話も否定できないでしょ?」

「はい。僕にはむしろ科学なんかより、魔法と言われる方がしっくりします」

「実はあたしもそう。アタッカー時代にキャスターを使ってる時はそう思えたわ。だからって《リング》の外に魔法で発達した文明があると言われても納得はできない。ただ、あたし達の知る科学とは違う技術体系で作られたものには違いない。正体なんてそんな理解で十分だと思ってる。

 そんな得体の知れない代物だから、銃やナイフとか普通の道具を扱うセオリーが全く通じない。だからキャスターを使い熟すには何度も使って慣れるしかない。強いて言うなら、あたしがワルサーと一緒にキャスターを使い続けた影響か、あの拳銃と相性が良くなったみたいなの。作戦前に他の銃じゃなくワルサーを薦めた理由はそれもあってのことだったの」

 これまでの話とレーザー照射装置を貫いた時の現象、その二つが頭の中で絡み合っていく。

「先輩ながらこんな情けないアドバイスしかできなくて、ごめんね。ただ優人も感じてる通り、キャスターには使用者の心や考えに同調するような意思みたいなものがある。だから、道具としてじゃなく相棒と考えておくのが良い」

 今度から任務でキャスターを使うときは今の話を思い出すことにしよう。

 これからあれを理解していく事が、任務と同じくらい重要な義務に思えたからだ。

「わかりました……あと一つ気になることがあって、聞いてもいいですか?」

「うん、何?」

「外の世界の事情はわかりました。ものすごく進んだ世界があるんじゃないかっていうのも、オーダーとか《リング》とかキャスターみたいなものが存在してる事からもわかります。

 ただわからないのが内部の世界、僕らが住んでる世界のことです。今の話からすると、外の世界に対して僕らが住んでるインサイドは技術水準とか文明のレベルが遅れてることになりますよね? 時代に差があるのはどうしてなんでしょうか? 種の保存とかが関係あるのかもしれないですけど」

「簡単に言えば、その方が制御しやすいからよ」

 陽香は再び卵型オブジェを手に取り、少し考えてから話し出す。

「まず種の保存をする上で、日本が選ばれた理由が二つあるわ。一つ目が地理的な都合。日本は島国なこともあって《リング》で空間を切断すると、その境界が海上にできるから一般人が異常に気づき難いメリットがある。あとは北海道と九州が《リング》を設置するのに都合が良かったらしいわ。二つ目が、国民性の都合ね」

「国民性……ですか?」

「うん、簡単に言えば性格かな。種の保存なんて大義名分があっても実際は大勢の人間を騙すことだし、悪く言えばモルモットみたいなものよ。だからできるだけコントロールしやすくて大人しい人種が好ましかった。そんな条件に、二十一世紀初頭の日本人は噛み合ってたのよ。秩序を大切にするし、宗教への意識も少ない。逆に言えば、自己主張が弱くて、愛国精神も薄い、おまけに意思決定が苦手で、臭いものに蓋をする癖が強い、そんな日本人は統制がしやすいわけだ。特に二十一世紀初頭はそんな傾向が強いとされたの。だからあたし達の世界はこの時代に設定されたんじゃないかしら」

「理由はわかりました。でもどうやってそれを維持するんですか? 外の世界から見たら過去の時代を意図的に作り上げるみたいな話になりますよね」

「ごめん。そういう世界を操作する具体的な手段は完全に機密扱いだからあたしもわからない。ただ優人も知っての通り《インサイド》には嘘を隠すための仕組みが沢山ある。

 一番重要度が高いものは《リング》とFROCね。細かいところだと危険な情報が広まらないようにテレビの報道規制はもちろん、ネットのホームページ開設とかは役所の許可制になってるわね。他にも、海外への意識が強まらないように長距離の旅行だとかは少ない仕組みになってて料金も高い。きっとそんな小さな対策が無数にあって、一般の人間の目を欺いてるんだと思うわ」

「でもそこまで作り物でできた世界なのに……なんか自然過ぎる気がします。普通ならもっと歪でギスギスした世の中になりそうですが。例えば犯罪の取り締まりが厳し過ぎるとか」

「多分リアリティ優先で、想定した時代と極力同じにすることを目指してるのかも……つまり、リスクを覚悟でゆとりや自由を残してるんだと思う、逆にその方が真実を隠し通せる可能性が高い気がするわ。ある意味、人の強さや可能性を信じたやり方とさえ言える。いわばこの世界は理想的なディストピア、極めてアナログな仮想現実とでも言えばいいかな」

「僕は、今まで何も知らなかったんですね」

 今までもこの世界の妙な部分には気が付いていたつもりだった。

「優人はまだ若いしさ、むしろ知るのが早いぐらいよ……じゃあ、あたしからも聞きたいことが一つ。この世界に住む人はなんだか精神的に弱い人が多い気がするの。困難や危機を乗り越えられない人が多い気がするのよ。外側の世界の人達もそんなものなのかもしれないけどさ、どう思う?」

「僕らを基準に考えたら一般の人達は覚悟無くても仕方ないんじゃ」

「それにしても弱いなって感じるのよ。引きこもってるあたしなんかより人と会う機会が多い優人なら、実感してるんじゃない? 学校とかでさ」

 優人は普段、人を気遣うことはあっても、心の内面を掘り下げて考えようとはしない。

 しかし陽香の問い掛けもあって思い返してみると――浮かんでくる人達がいた。

 失踪した幼馴染へ過剰に依存する者。

 いじめを見逃し追い詰められた同級生を助けず傍観する者。

 学校とは関係ないが、バンドのリーダーに依存しどんな意思決定からも逃げる者。

 どれも一ヶ月以内に見た人達の姿だった。

「首謀者の荒川が協力者を増やした方法がそこよ。人の弱みではなく、人の弱い心を利用することで、脅迫の類はなしであくまで友好的な協力者を増やしていったらしいわ。きっと彼の本心と巧妙な誘導、その両方があったと思う。だから協力者達も自主的に動いてあれだけの銃器を用意できたのかもね。構造としては悪徳宗教に似てるわ。もちろん《インサイド》の人間誰もがそんなに弱いわけじゃない。けどあたしには多過ぎる気がするわ……だから《リング》はきっとあたし達を認めてくれないんだわ」

「認める?」

 陽香は座ったままメッシュチェアを回転させ窓のブラインドを上げると、夕焼けで茜色に染まってきた空を見上げる。

「《リング》の役目が本当に人類という種の保存なら、もし閉じ込めることが目的じゃなく、人類を絶滅させないことが目的なら……《リング》はいずれ《インサイド》を開放するかもしれないと言われているわ。もちろんこれはただの仮説よ。でも、窮屈過ぎないこの世界を作った者の意図を考えれば、条件さえ揃えば人間を隔離することを止めて、開放するはず……条件を満たせばね」

 陽香の視線は空に向いているが、その想いは遥か先にある。

「その条件が仮にあるとして、想像してみると大きく分けて二つある気がするの。

 一つ目は外の世界がある程度平和であること。いきなり出ていっても酷い戦争が続いているとしたら、大勢が死んじゃうだけ。

 あたしが意識してるのは二つ目、外の世界に出ても《インサイド》の人間達が暮らしていける程の強さがあること。仮にいくら外の環境が整っていても、様々な問題が出てくるに決まってる。それに対応できないなら《リング》に閉じ込められている今のまま方がいい。そして今の《インサイド》に住む人達は、そんな急激な環境変化に耐えられないでしょうね。

 それでもこの二つの条件が揃う事を《リング》は待ち続けてるって、あたしは思う」

 自分の知る世界が急に酷く脆いものに思えた。

 自分の知る人達は弱くないと信じたくても、陽香の言い分が正しいと納得できてしまう。

「今回の事件。彼らもそんな事情を知っていたら、行動を起こさなかったかもしれない。けど、この世界の歪みを世に知らせるのは間違ってる。人々へ急に認知させたところで意味はない。真実が最善とは限らない。前進のない混沌が待ってるだけ。だからFROCも《リング》もあたし達が守り抜かなきゃいけない」

 窓の外を眺めながら話していた陽香が、椅子ごと半回転して優人へ振り返る。

「なーんってね、そんな重たいこと、このあたしが年中心掛けてると思う?」

 しかしその表情は何かを楽しむかのようにニヤけたものだった。

「毎日そんな大義名分を志して生活できるほど、あたしは器大きくないし真面目じゃない」

 さっさきまでの口調と違って緊張感など欠片もない。

 それは優人が知るいつもの陽香だった。

「さて、ここからはあたしのスタンスの話ね。あたしは運に任せたやり方っていうのは嫌い。そのときだけ成り立てばいいというやり方は、あとに何も残さず成長もないから。彼らが今回やったのは運任せの革命だと思う。確かに成功すれば現体制に影響が出ていろんな事が変わるかもしれない。でもその後、人々がどんな道を歩むのか全く予測できないわ。仮に偶然良い体制が確立されても、押しつけの平和に過ぎないから、人々は成長しない。偶然訪れた平和なんてものは偶像。人が勝ち取るものでなければ、そのありがたみも意義も知らず、空虚なものとしてすぐに崩れ去るだけよ」

 再びメッシュチェアから離れて、デスクの前面に寄り掛かる姿勢で優人を見下ろす。

「だったらさ、遅々とした変化でも、少しずつ人々が変わって着実に成長していく方がよっぽど意味があるし、正しいと思う。それはあたし達エージェントの生き方だって同じ。世界を守るんだとかわけわかんない思いでやっていくのはよくないわ。

 かっこ悪くてもいい、ダサくてもいいから、目先の事を一つ一つこなして毎日一生懸命生きていく方がいいと思う。それをあたし達だけじゃなく《インサイド》に住む人々みんなが続けていけば、いずれ《リング》は認めてくれる気がする。そうすれば、何年、何十年、何百年先かわからないけど、こんな偽りの多い世界からいつか人々が脱却できる気がするの。だから突拍子もないことする奴らを、あたし達が抑えないとね」

 陽香はデスクのコーラを一口飲むと、その漆黒の瞳で揺れる優人の眼を捉えた。

「でもこれはあたしの考え。優人には自分だけの別の考え方を見つけて欲しいの」

「えっ、そんな……陽香さんの考えに背くなんてできませんよ」

「別に無理に異論を唱えろってことじゃないのよ。仮に結論が同じでも、優人が自分で導き出した信念をいつかは勝ち取って欲しい。ただあたしの言うことだけ聞いてるお利口さんなんていうのは、あたしに劣る者にしかならないし、どっかの悪い奴の影響を受けかねない。まだいないけど、未来の後輩もあなたの言うことだけを聞いてたら、あなたに劣る者にしかならない……おっと」

 雑談の声が聞こえてくる。

「マコちゃんが来たわ、おまけに男二人までいるわね。そろそろ区切りにしよっか」

 IDカード持つ関係者しか入れないこの廊下に、話し声は良く響く。

「最後に……今まで話した事を一人きりで悶々と考えて向き合っていくのは難しいし、つらいことよ。だから優人にも、あたしにも――」

 陽香は缶コーラを持ったままの手で、優人の額を目掛けて真っ直ぐ指差す。

「――このチームが必要なのよ」

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チーム・リングス 伊瀬右京 @ukyou_ise

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