第三章 破壊<2>

 火の気のないところでは、鍛冶は何も出来はしない。車輪付きの台に乗せた黒狼が工房に運び込まれてくると、広かったはずの作業場がにわかに手狭に感じられた。

 前に立ち、エルリフは自分に言い聞かせた。ようはでかい鉄細工だと思えばいい。

 まずは分解する。魔鉄の焼き戻しに関してはそれから考えればいい。

 皆が新参の棟梁の最初の挙動を見守っている。

 大きな窓から差し込む明かりの中で見ると黒狼の造形がよりよく分かった。まず自然界の狼を忠実に模したものではないということだ。全体長に比して、頭部がずいぶんと大きい。体つきも狼というより獅子に近いかもしれない。

(……父さんが、形にしたもの)

 でも、物を作るとき、果たして、憎しみに狂った心だけで作り出せるものだろうか?

 初めて黒狼を目にし、父の作だと知らされて触れた時には衝撃とおそれを感じただけだった。こんな風に、造り手の思考まで辿ろうとはしなかった。

 高まる心臓の音に耳を澄ませながら、手のひらを謎めいた金属の硬質な輝きを帯びた表面へと近づける。怯みそうになる心を瞬間、無にした。やはり、熱い。

 熱いのに、意識は冷えていく。まだ”拒否”されている……?

「何やってるの? ねえ」

 周囲の声が遠ざかっていき、魔鉄に触れた手の痛みと自分の意識だけの世界になる。

 このまま自分が手の先から鉄の中へと溶け入りそうだ。自分の血、遠い昔から受け継いだ血、血の中にある鉄、固く結びついた鉄と心……森羅万象の中に行き渡る血(てつ)。

(魔鉄(おまえ)も、俺と同じで……怖いのか?)

 瞬間、痛みが消え去った。あるいは、驚いた小鳥のように中のモノが、飛び去った。

 はっと、我に返る。手はまだ置いたままだ。けれどもう熱くはない。

「どうです、か?」

 まず、神妙な顔つきで尋ねたのはボルドスである。

「わからない……でも、この前触った時みたいにはならなかった」

「真の妖精鍛冶師は、鉄と語らうことが出来るといいます。貴方のまなざしはゴルダ様にそっくりでした。今まできたどんな鍛冶とも違う。皆、最初から、鋸や鑿(のみ)、やっとこを振りかざして、こいつに跳ね返されてばかりだったのに!」

 ボルドスの言葉がエルリフの不安を和らげ、自尊心をくすぐった。

「こういう細工はまず各部分がバラバラに作られたあと、あとからはんだ付けや鋲打で留めるものなんだ。特にこいつは可動型だから、鉄の板が何枚も留められている。だから俺は”中”から少しずつ解体するのがいいと思うんだ」

 途中まで期待感たっぷりに聞いていた職人たちの顔つきが一斉に不安にかげる。

「こいつの中に入る、ですって?」

「皆は火を起こして待機していてくれ。まずは、下調べだ」


 胴体側面の出入り口を押し上げる。蝶番いっぱいまで開き、つっかえ棒で固定する。

 口に釘抜きをくわえ、ボルドスが用意したカンテラを左手で受け取る。エルリフは頭を暗闇の中へとつっこみ、ほとんど這うような姿勢で足も引っ張り込んだ。闇が縮んで押し寄せ、ちょうどよくなったような妙な”居心地”の良さを感じる。

 本当に中は空(から)だ。いかなるからくりも無いのにこれが王の意思ひとつで動き出すとはにわかには信じ難い。

 頭を前方にし、そのまま仰向けになった。腹の上においたカンテラがまるで魚のウロコを思わせるような体腔内の作りを明らかにした。一目見て、エルリフは青ざめる思いがした。これを、ゴルダはすべて一人でつなぎ合わせたのか?

 くわえていた釘抜きを手に持ち替え、試しに頭上、首のつなぎ目部分と思われるわずかに傾斜した鉄板の間に工具を差し込もうとする。だが、まったく隙間がない。

(つなぎ目が見えないくらい完璧に密閉されてる……)

 灯りを近づけようと、仰向けの姿勢のまま上半身を引き揚げた時だった。

 ガタン、と重々しい音とともに、真っ暗になった。何が起こったのかわからなくなる。出入り口の蓋が閉じたのだった。つっかえ棒が外れたのか。エルリフは膝で押し開けようとした。びくともしない。風もないのにカンテラの火が消えた理由も不明だ。血の気と平常心が、さあっと引いていく。外の世界では皆が怒鳴りあっている。もう一度今度は扉を蹴りつけた。そこに扉など最初から存在しないようにぴったりと接合されている。閉じた真っ暗闇の中、自分の呼吸の音が荒くなる。触れている魔鉄が心なしか熱くなってきた。

 こんなところに閉じこめられたまま、蒸し焼きにされるのか。

 助けてくれ! 叫びだそうとする自分を必死に押しとどめる。だが、逃げ場はない。

 ボルドスたちが木槌や鎚(かなづち)で叩きまくり、なんとかこじ開けてエルリフを救い出そうとしている。しかしそれらはどこか遠い世界から来るくぐもった反響音にしか聞こえない。ぬるい闇、暖かさ、鉄琴の調べのような音……意識が次第に遠のいていく。

《エル………エーリャ!》

 誰かの声が聞こえた気がした。ぐったりと、エルリフが誰だ、と答えようとしたその時。

 ズガアアアアアァァン! という桁違いの金属音が、エルリフの閉じかけていた世界をかち割った。頭が割れそうに痛んだ。扉に糸のような明かりの線が走った。歯を食いしばりながら、ブーツの先で思い切り蹴りつけた。扉が開いた。無我夢中で這いだそうとするエルリフを、すぐさま職人たちが手助けし引きずり出した。

 汗だくで石床に落ちたエルリフを、職人が慌てて毛布でくるみ助け起こす。

「大丈夫か、生きてるか! 瞳孔よし、呼吸よし、脈は……手の震え、ありと」

 かがみ込んだサンドールがてきぱきとエルリフを診た。

 黒狼の横に、異彩を放つ騎士が飄然と立っていた。蜜蝋色の肌の妙齢の美女でありながら、金色の豊かな髪をきりりと一つに結い上げている。薄黒色の長衣の上に革と合金の胴当てをつけ、反り返った半月刀を掃いている。彼女が片方の肩に担ぎ上げているもの……工具の鎚の形で、先端突起の一方が大鴉のくちばしのように鋭い。差し渡し二ミーツァ以上に達しようかという歩兵や騎士が用いる長柄斧(ポールアックス)だ。

 あれで叩いたのか。あの鉄の色はなんだ。見たことも無い青黒い鋼に走る、幻光めいた不思議な光沢。命拾いしたことも忘れてエルリフはその輝きに見入った。

「アルハイル鋼の騎士に救い出された気分はいかが? 妖精くん」

 かつかつと靴音をさせて、女騎士の背後から腕組みした女錬金術師がこちらを見下ろす。

 しかし、本来なら勝ち誇るべきイズーの顔つきは、険しかった。

                      

「壊れたのは蝶番だけ。結局、魔鉄にはかすり傷しか付かなかった」

 いまだ呆然としたままのエルリフを囲み、サンドール、イズー、それに女騎士シャティ……どうやらイズーとは主従というより親友に近い関係のようだが……を交え、話し合っていた。イズーは今回の結果が不本意で仕方ないらしい。

 エルリフにはわかった。彼女はアルハイル鋼の下、一撃で魔鉄がへこみ、引き裂かれる光景こそ期待していたのだと。

 だが職人たちの反応は違った。黒狼の”意志”を阻んだ金属は、初めてだというのだ。

「思ったより厄介な代物だということは、認めなきゃならないわね。あれは、人の道具で簡単に壊せる硬度じゃないってことよ」

「手、痺れました。ひどく。あんな堅い、初めて」

 シャティは片言でもヴァルーシ語をたしなんでおり、武人らしく率直に語った。

「騎士の貴女に出来なければ誰にも出来ない、魔法がかかっているんだわ。サンドール、あんたの出番じゃないの、こういう時こそ」

「それはいいが、それより彼女、何歳? 独身?」

 真顔になってサンドールが続けるので、一瞬エルリフもイズーも反応が遅れた。

「私、イズーの元侍女です。年は二十四。一度結婚して暇を貰ったけれど、ある日、大サソリ、私の夫、食べてしまった。私、彼の剣、手に取った。強くなりたかった。それから、騎士の修行、励んで、なった。剣の腕、イズーがまた呼び戻してくれた」

 なぜか当のシャティだけが律儀に相手をする。

「サソリかあ……。問題ねえ、何一つ全然問題ねえよ!」

「問題はあんたでしょうが!」

「問題じゃなくて本題ね、本題。結論を言えば、無理だね! 例えばさっき話した青銅の像に誰かが動く魔法をかけたってんなら、たぶん解ける。しかしこいつは血と鉄と、それに怨念を混ぜて造られたんだろ? ガッチリ結合しちまってて呪術でも解きほぐせたもんじゃない。カローリ様の直観通り、バラして高温で溶かす以外に方法はないぜ、きっと」

 その時、ふと思いついたというようにイズーが低く口にした。

「ねえ、ところであたしたちがこうして叩いたり、斬りつけたりしてる間もカローリの意識って……繋がってるのよね? その……」

「陛下は……どんな苦難にも耐えてみせると仰せになった。俺は、それを信じている」

 暗に示された真実に、さしもの二人も絶句している。

 エルリフは、少し休む、と言って工房をよろめき出た。誰も引き留めはしなかった。

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