第三章 破壊<1>

「まあせっかく経費は向こう持ちなんだしよ、せいぜい仲良くやろうぜ、首をちょん切られる日まではな、ワハハハハ! だから、そう泣くなって」

「俺、泣いてませんけど……まだ」

 こちら側のみ大混乱に終わった拝謁式のあと、エルリフは武器庫の一室に与えられた“作戦室”にて、初対面の中年男に馴れ馴れしく肩を組まれていた。

 白の地の呪術師、自称“土曜生まれのサンドール”とやらは、エルリフがみたところ火酒で身体と脳髄をおかしくして身持ちを崩した怪しい風来坊でしかなかった。国籍不明、無精ひげを生やした浅黒く剽悍な顔は複雑な混血を思わせた。大柄ではないがイタチ毛の外套を袖に腕を通さずに羽織っているせいで着膨れて見える。黒い帽子をかぶり、首回りには真鍮と動物の牙で作られた頸甲を嵌めている。

「百歩、いいえ千、いいえいいえ、一億一千万歩ぐらい譲って、協同で事に当たれっていうのは納得してもいいわ。でもなんで?! 何考えてるのよこの国は!」

 一方、閉じ込められて気が立っている動物そっくりに歩き回っているのはすらりと美しいアルハーン美女である……見かけは。

“シャティ”と呼ばれていた護衛の姿はない。むしろ今は、この女錬金術師から自分たちを護って欲しいぐらいである。

 バン! と壁に手を叩きつけた彼女がこちらを睨んだ。明るい銅のような色合いの髪が、白く整った勝気な顔と強い緑色の瞳を引き立てている。

「なんであたしが、遠路はるばる泥くさい道を耐えて来たあたしが、あんたの助手扱いってことになってるのよ、毛帽子!」

「オレ様にいたっては付録みたいなもんだぜ、うっしゃっしゃっしゃ」

 そういいながら、グビグビと、得体のしれない古瓶に入った液体を飲み干す。

「あの主馬頭、物腰がいいからって油断したわ……もっと突っ込んで聞けばよかった」

 この二人も、王や主馬頭の前では殊勝に振舞っていたに違いないが、フタを開ければこの通り。壁に監視穴がついてることは明白なのに。

「すげえ美男だしなぁ、あれじゃあ誰でも騙されるわな、特に女は。あんたも気が……」

「ないわよ。いくら美形でも、既婚男なんて対象外!」

「えっ、ダニーラ様って結婚しているのか?」

 エルリフはつい口を挟んだ。ダニーラに伴侶や家族の気配を感じなかったせいだ。

「ええ、大公筋のご令嬢と、らしいわ。ま、当然よね、元は王妃の弟だもの」

「あのカローリもたいしたもんだぜ。能力と、やる気があるもんを見抜く力がある。あんないかがわしい黒服どもやら”カワイ子ちゃん”を白昼堂々はべらせて泰然としている君主なんざ、いやーおもしれえ、おもしれえ!」

「どっちがいかがわしいのよ、オマケ。確かにあのお姫様は物凄く可愛かったけど。黒服といえば、生意気な“花畑”もてっきりいるかと思ったけれど居なかったわね……」

(気がつかなかったのか。目の前で見ておきながら……)

 あの完成度と混乱の中では無理もないが。エルリフが敢えて口を噤んでいると、

「おい、伝説の鍛冶師のせがれにしちゃあ、あんた皮膚病の犬みたいにおとなしいじゃねえか。筋肉の塊みたいな兄貴を想像してたから良かったがよ、暑苦しくなくて」

 サンドールの妙な誤解にも、一理ある。鍛冶屋は筋骨逞しい男がやるものだと思われがちだが、半分しか当たっていない。ろくに太陽にも当たらず、暗い作業小屋の中、火床から上がる灰やガスを吸い込み続けている生活のために腕や足腰は強健でも顔色は青白く、むしろ不健康な者がほとんどだ。小屋が暗いのも炎の色や鍛造中の鉄から上がる火花の色を見るためなのだが、そのせいで魔物と住んでいるなどと中傷されることもある。

 また古瓶の液体を飲んでいる彼に、エルリフはぎこちなく笑い返しながら言う。

「俺、サンドールさんみたいな呪術師にだって、初めて会います。みんなもっと……」

「そうだろな、俺も毎日、新しい自分に驚かされるんだ。それからサンドールさんなんて敬語はやめて欲しいぜ、あんたはオレらの棟梁(ボス)だしな! 魔法使いの呼び名なんてェのはまるで意味がねえ。かまどの火も聖堂が配る聖火も罪人をあぶる炎も、ただの火なのとおんなじよ。オレ様は一流だから安心しな」

「長々とまどろっこしい、あんたの言いたいことを錬金術の洗練された言葉で教えてあげましょうか? 命の炎(アニマ)っていうのよ。あたしの理論は式に書けるわ、けど呪いには真理がないじゃない」

「君、喧嘩腰はやめるんだ……」

「気安く君、なんて呼ぶんじゃないわよ、あんたが変態であるという過去は消せないのよ」

「おっ、何、何よ今の? ヘンだと思ったら、お前らすでにデキあがってるのか?!」

 ちがうわよ! と疑惑を瞬殺した彼女はエルリフから目を逸らし、サンドールに尋ねた。

「興味があって訊くというより単なる確認だけれど、さっきから貴方何を飲んでるの?」

「……命を護るためだ。理由は、誰にも言いたくない」

 急に、恐ろしいほどの真顔になった。

「……と、とにかく、俺は引き受けたからにはやり遂げる。あんたたちもそうだと願いたい。エルの大祭まで二ヶ月半しかない」

「ま、オレはどちらかというと保守担当だからな。難儀な所はあんたらに任せるわ」

「保守って?」

「つまり事前処理と後始末、よ。妖精の業物ってのはどえらい魔力を秘めてるから、使うのも壊すのも大仕事だ。こいつのせいで気の弱い宮廷人が狂死だの、落雷や魔物で宮殿が消失だの、さすがに困るんだろ? そういう方面を処理するのがオレの役目さ」

「魔鉄(マギスタリ)のこと、あんた知ってるか?」

 エルリフだって昨日知ったばかりなのだが、そのあたりは言わずに二人に説明した。

「う~ん……ま、難儀な代物だってことは重々承知だがよ。なにせかかってるのはカローリの魂ってのが、な……バカ高い報酬に釣られたもんは仕方ねえ」

「魔鉄だろうと呪いだろうと、関係ないわ。そんなもの、あっというまにバラバラにしてあげる……アルハーンの錬金科学(アルキミテカ)の力でね。もう鍛冶屋さんたちじゃ手に負えないからこそ、錬金術師のあたしが呼ばれたんですもの。エルリフさん、貴方は鉄塊を溶かして射掛け直すところからでいいわ。鍍金(めっき)は、出来るわよね?」

 わざと、返事はせずにエルリフは隅の机に向かった。

 自分はただの無学な鍛冶屋だ。自分にやれることをやるだけだ。彼らの方法のほうが優れていたとしたら、その時はその時。決して自分の名声を追い求める仕事ではない。

 置いてあった自分の荷袋を紐解くと、ダニーラに貰った高価なベルトを外して大切に仕舞う。そして、ウーロムの仕事場から持ってきたごてごてしい作業用ベルトを取り出す。鎚(かなづち)、やすり、焼けた鉄を掴む鋏(ハシ)が数種類ずつ収まっている。腰に巻き付けると、馴染みの重みのために仕事場での自分が戻ってくるようだった。

 火護りの刀を、仕舞いこむ前にもう一度眺めようとした時だ。

「それ、何? ……きれいね」

 誉めているらしいのに、なぜだか不機嫌そうなイズーが肩越しに歩み寄ってきた。

「……鞘は俺が作ったんじゃない。刃だけさ」

 自分でもよくわからないが、サンドールに対するのとは違って、とげとげしい声になっている。刃を見せてと言われる前に布をかけて手早くくるむと、袋の中に入れ直した。

 振り返ると、イズーはまだそこに立っていた。

「謁見の場から、あたしに言いたいことがあるんでしょ?」

「君の方こそ、届かない獲物に爪をひっかけようとして飛び上がってる猫みたいだ」

「何よ、それ! ……ねえ。ゴルダって、あの鉄細工(ゴルダ)のことなの?」 

 驚き、目を見開いたエルリフにイズーはちょっと面食らったように続けた。

「知らないの? アルハーンでは工芸愛好家の間でとっても人気があるのよ。まさか、貴方のお父さんの名前だとは思わなかったわ」

 エルリフだって、ミロスがそんな風に売り出していたなんて初耳だった。

「あんたも、つくるわけ?」

「……ちょっとだけ。知り合いの商人のつてで、時々アルハーンに卸していたけど」

「凄いわね」

 さらりと褒められ、エルリフは、ついにこやかになりかける表情を慌てて引き締めた。

「君も、持ってるのか?」

「持ってないわ。高いし。あたしは、ぜいたく品を買うお金があったら文献や新しい実験器具につぎ込んできたんだもの」

 なぜかそう言って、胸を張る始末だ。まだ何か言いたげでもあった。

 高い、と感じたということは、欲しいと思ったということではないだろうか。

 このやりとりをじーっと見ていた呪術師がとうとう口を挟んだ。

「あのーすみません棟梁(ボス)、いい感じになるのはそりゃ結構だがね。ともかく、曰くつきのその黒狼とやらを見せてもらわにゃ」

 もっともだ、と立ち上がるエルリフをよそに、サンドールがイズーに耳打ちした。

「こいつはなかなかの者(モン)だぜ、嬢ちゃん。普段はヘタレでも“職人”になったとたん顔つきが変わりやがった。優良物件の可能性大アリだ。もっと大胆にいったら?」 

「硫酸ぶっかけるわよスケベ親父。あたしが女扱いされて喜ぶタマだと思ってるの?!」

「こ、怖……っ! た、タマって……女のあんたが言うのかよっ?!」

 彼女は腰に手を当て、恐れおののく男二人を順繰りに睨み付けた。

「いいこと、あたしはこんな後進田舎王国に長居する気はないし、本当は協力者も男も必要ないの。この仕事だって、悪いけど研究の踏み台に過ぎないのよ!」

                  ※

 武器庫には工房も隣接しており、そこにはヴァルーシ王国で最大の加熱炉があった。

 初めて足を踏み入れて、まず目に入ったのはその巨大さだった。並の大人なら立って入れるほどの窯だ。送風口は、城内水路の水車を利用しているということだった。

 広く整然としており、大きくとられた窓は高価なガラス窓で、それぞれに開閉が出来るようになっていた。壁には所狭しと工具が並び、中央に置かれた樫の巨大な作業台には椅子に座った金工職人が日頃の作業を続けていた。金床の上で鉄を叩いている者もいる。小作業用の中型の石造りの炉が随所で稼動し、こちらは手動のフイゴの風で火床が赤々と燃えている。

 足元を確かめて、エルリフは戸惑った。自分の鍛冶場は土間だった。ゴルダが仕事をしていた時から降り積もった灰や鉄の粉、鍛錬の過程で出たクズ鉄がほどよく足元を固めてくれていた。金たらいみたいな丸いものを作るのには土間で打つのが一番よく衝撃を吸収してくれていた。ここの床はきれいな敷石だ。

「ふうん、さすが炉だらけだな。表から見たときや、特に煙突だらけにゃ見えなかったが」

 熱気にはやくも息苦しそうなサンドールが頚甲をかちゃかちゃといじった。

「壁の中に煙道が通ってるんだ……民家も、王宮も、同じ仕組みってことだ」

 ここの暖気を、城の中を暖めるのに使っているのだろう。

 鍛冶職人たちがエルリフがやってくるのを見ると手を止め、整列しようとした。

 自分が鍛冶としては駆け出しの青二才であることは自覚している。十代の棟梁も、戦乱で親方が死んでしまった工房などではありえない話ではないものの、普通は修行中の身だ。

 と、灰色混じりの髪の小柄な老人が進み出てきた。背筋はかくしゃくとしている。

「お会い出来て光栄です。わしは一時、ゴルダ様の元で働かせて頂いておりました、ボルドスと申します。もう引退して職人横丁に引っ込んでおりましたがこのたびモルフの若殿様に説得されましての、貴方様を助けてやって欲しいと……このような老骨がゴルダ様のお弟子を助けるなど、おこがましいというものですじゃ!」

「お会い出来て、嬉しいです! 父さ……ゴルダの知り合いの方なんて、初めてです!」

 新棟梁を注視していた職人たちは、ボルドスにてらいのない笑顔を向けたエルリフをある者は安堵したように、またある者は見切ったような表情をそれぞれに見せた。

「よし。まずは……さっそく、黒狼をここに運ぼう」

 にわかに、緊張が走った。それは前にもやりました、とボルドスが教えた。

「けれど、焼き鏝を当てようとした途端ものすごい振動を始めて、壁にかかっていた工具が全部、落ちてしまいました。窓ガラスが割れて、まるで狙いすましたように鍛冶師の背中に……火事にもなる寸前だったんです。それからは、あちらに戻してあるんで」

 職人の中には、前任の鍛冶師の悲惨な有様をじかに見てしまったものもいるという。彼の目の中に、エルリフは恐れを見た。ためらいが生じたその時。

「アルハーンではここよりもずっと大きな高炉が何基も稼働しているわ。昼も夜も、絶えずね。もしかして、溶けないのは単に温度が上がりきれていないからじゃないの? むしろそちらが橇(そり)を連ねてアルハーンまで頼みにくるべきだったんじゃないかしら?」

 エルリフは振り返った。ひるんだ彼女の腕をそっと掴んで、壁際に引っ張り込み、言う。

「ここにあるもので、なんとかする。いいな? 俺のことはどう言ってもいい、けど仕事中は、この国と職工たちのことは敬ってくれ。彼らが、君のことを異国人だとか女だからとか言ったら、理不尽な気分にならないか?」

 頬をわずかに上気させたイズーが、腕を振り払った。

「……分かったわよ! でも、理不尽な気分、なんて、余計なお世話だわ!」


 武器庫の鍵と“黒狼の間”の鍵はすでにエルリフの預かりとなっていた。

 扉を開けると、黒い獣は、光なき眼(まなこ)でエルリフを出迎えた。

「これか! 確かにおっかないな。これが戦場に出てくりゃ蛮族だって逃げ出すわなぁ!」

 サンドールの声が、冷え切った薄闇の中に熱く響く。

「けど、特別にデカイってわけでもないな。西で万能芸術家が作ったっていう青銅の獅子像を見たことあるけどよ、あれのほうが何倍もデカかったぜ。ここの天井を突き破るくらいにな! ま……あくまで単なる青銅製だったが」

「これがカローリの肝いりじゃなきゃ、あたしだって魔鉄の存在自体を信じなかったわ」

 いい研究対象だわ、と笑う彼女は、先ほどの意趣返しとばかりに威圧してみせた。

「我々のアルハイル鋼(こう)よりも硬い鋼など存在しない。持ってきたから、あとで試させてもらうつもり。こうしている間にも、色々、下準備を進めさせているのよ」

 そういえば、門の前で会ったとき、彼女は付き人らしき数人の男たち、それに山のような“機材”を運び込んでいた。だがまさか、噂に名高いアルハイル鋼まで持ち出されるとは思っていなかった。そっと布を落とすだけで切れるという鋼剣を生み出す伝説の鋼だ。その製法は門外不出とされている。エルリフは、不安の裏返しから思わず反論した。

「魔鉄は別に世界一硬い鋼ってわけじゃないと思うぜ」

「不安になったのは分かるわ。誰だって、自分の師にして父親のシゴトを他人に、それも異国人の女に壊されたくはないでしょうから。こうしない? まず貴方のお手並みを拝見、それから、あたしが好きに料理をさせてもらう」

「……これは競争じゃない」

 そう弱気に言ってみはしたが、条件を呑む以外、選択肢は無いのだった。

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