参 私のヒーローに拍手を

第1話 唐突に幕開け

「おい! 池田、授業中に寝るな!」

 池田と呼ばれた少年はびくっとして前を向いた。

「どうした、珍しいじゃないか」

「す、すみません……」

 クラスで少し笑いが起こった。

「で、ここから大事だぞ。一三世紀はモンゴルの時代。だから元寇もこの時代に起こっていて……」


「麻乃、ちょっといい?」

 池田晴斗は窓際の自分の席から遠い、野村麻乃のもとに向かった。

「ん? どうしたん、またノート見せてほしいん?」

 麻乃はなめらかな関西弁で返してきた。

「はい、恥ずかしながら……」

「寝とったもんね。ええよ、貸したげる。はい」

 麻乃は少し大きめのノートを差し出した。

「ありがとう」

 予鈴が鳴った。

「じゃ、席戻るから」

「うん、じゃあね」


「それでさ晴斗、最近役者の仕事はどうなん?」

 二人は帰り道で他愛のない会話をしていた。

「まあ、こうやって学校に来て、一緒に帰ってるってことは……」

「やっぱり少なくなってはいる。でも学業優先って理由だから」

「晴斗人気者やもんねー」

「やめてくれ……」

「でも休日だけの稽古で舞台って出させてもらえるものなの?」

「いや、高校生ともなると夜は遅くならなかったら稽古もできるし」

 晴斗は舞台で演舞することが多い。ごくまれにコマーシャルやドラマのエキストラで呼ばれることもあるが、基本的に主要な役は劇場での演目に限られる。そして、それの練習は放課後にやってもらえることになっている。

「そっか、今から練習やもんね。疲れへんの?」

「そりゃ疲れるよ。道中とか休憩時間とか単語帳パラパラ見ておかないと小テスト落ちちゃうし、補習受けないといけないし。矢島さんなんかいつも世界史の放課後補習受けてるらしくて、話聞く限りだと絶対に役者活動に支障きたすよ」

「空ちゃんもお気の毒やね」

 麻乃の頭の中で、課題に追われている空が浮かんだ。きっと今頃世界史の補習受けてるんだろうな。

「いっつも空ちゃんの小テスト採点してるけど、ほんまに申し訳なくなってまう」

「そうだな。言い方悪くなっちゃうけど、毎週あんな羽目になるのは嫌だな」

「……役者じゃなくても、そう思う」

「うん……あっ、もうこの交差点だ」

 二人は大きめの十字路に出た。徒歩圏内の二人はいつもこの交差点で別れる。麻乃は右、晴斗は直進だ。

「じゃ、また明日」

「うん……あっ、世界史のノート。もう書けた?」

「あ、ごめん。まだ途中。明日に返すってことでいい?」

「うん、ええよ。それじゃ。稽古遅れんように行きや」

「大丈夫だって。じゃあね」

 二人はそれぞれの帰路に就いた。



「こんにちは」

 晴斗は劇場に着き、出演者の人たちに挨拶をしているところだった。もう何回かセリフ合わせをしてきたが、こうやって劇場に集まるのは初めてだった。

「監督、今日はよろしくお願いします」

「おう、よろしくな。勉強の方はどうだ?」

「なんとかついていけている感じです」

「そうか、しんどかったら少しは休めよ」

 監督は晴斗の肩をポンポンと叩き、大きな声で笑った。この人は普段はこのように気さくに話してくれる人だ。しかし、稽古になるとスイッチが入った古い掃除機のようにノンストップで指示が飛んでくる。晴斗はそんな監督に憧れ、ついていこうと決めていたのだった。

「で、晴斗。実は少し頼みたいことがあるんだが」

「なんでしょう。俺にできることならやりますよ」

「あのな、今見てもらったらわかるように主役のあいつがいないだろ?」

 晴斗はこれまで挨拶してきた顔を思い返して、確かに一人だけ会っていない人がいるのを悟った。

「そうですけど……連絡なら取りましょうか?」

「いや、いい。実はあいつ骨折してしまって、本番に間に合わなそうなんだ」

「えっ」

 晴斗の顔に戸惑いの色が浮かんだ。

「ほら、あいつもお前と同じ高校生だろ? 体育の授業で衝突したんだってさ。その拍子にふんばろうとした足を折ってしまったらしい。流石に今更代役立てるのは厳しいと思って悩んでいたんだが……お前なら経験豊富で任せられると思ったんだ。どうだ、やってくれないか?」

「き、急に言われても……」

「うーん、どうしたものか」

 晴斗の脳内に二人の自分が浮かんだ。

『ここで手に入れたせっかくのチャンス、活かさないわけないよね?』

『でも、本当にそんな大役できるのか? 今後のトラウマになったりしないのか?』

『大丈夫! しかも監督さんから直々に頼まれているんだから、応えなきゃ』

『でも学業を優先しているこの現状、役者の仕事はある程度セーブしないと後々痛い目に遭うぞ』

 二人が喧嘩しだした。晴斗は頭を横に振って無理やり頭の中から二人を追い出した。

「やっぱりやらせて下さい。俺がその役やります!」

「いや、無理しなくてもいいんだが……」

「大丈夫です! 初めての主役の機会、必ずやり遂げます!」

「そう言ってくれたか! じゃあ、よろしく頼む。今回のお前の役は足を怪我していてもできる役だから、あいつと役を交代するだけで済む。他のみんなには今から練習で伝えよう。今日は台本をガン見でもいいから、よろしく頼む」

「はい!」


 晴斗の人生初めての主役の舞台、それは唐突に訪れた。

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