5.再会(5)

 ヤハトラの二人の神官が俺を水那の部屋の前まで案内してくれた。

 ……というより、「はいどうぞ!」「こちらへすぐに!」と異常に急き立てられ、まるで連行されたみたいだったが。

 水那の扱いに困ってるのかな。それとも、俺が来るのを待っていた、と思えばいいんだろうか。


 二人の神官は会釈すると、そのまま去って行った。

 その後ろ姿を見送ると、俺は扉を見上げ、ちょっと溜息をついた。


 短すぎるっつーの……。心の準備なんてできるか。

 約、9年振り……か。

 どう話しかければいいのか……。

 でも、逃げてきた事情は知らないフリをした方がいいんだろうな、きっと。


 俺は深呼吸すると、思い切って扉をノックした。


『……』


 気配はするが、返事はない。ネイアは「ミズナは誰とも喋らない」と言っていたから、仕方ないか。


『……水那、俺だ。颯太だ。……憶えてるか?』


 俺は思い切って日本語で話しかけた。


『……入るぞ』


 扉を開ける。どんな顔をしたらいいか分からないから、俯きがちになってしまった。

 そして素早く扉を閉めると……勇気を振り絞り、顔を上げた。


 石造りの壁……全体的にグレーっぽい。窓は、一つもない。……地下だからか。

 その端にある木製のベッドの上に……水那は腰掛けていた。


 この部屋に案内してくれた神官と同じ……ベージュの、ふわっとしたワンピースのようなものを着ていた。

 少し茶色い髪は変わっていない。十歳の時より長い……胸ぐらいまである。

 瞳の色は昔と変わらず、少し茶色だ。

 十歳の時も可愛い子だなとは思っていたが、今の水那はそのときよりもずっとずっと綺麗だった。

 

 思えば……俺が付き合った女って、みんな水那がベースだったかもしれない。

 水那が成長したらこんな感じかも、という思いがどこかにあったのかも。

 ――いや、そんなこと……今はどうでもいいか。恥ずかしすぎるし……。


『……久し振り。大丈夫か?』

『……ん』


 水那はコクリと頷いた。

 会話が小5のときから全く進歩してない……。

 俺、こんなに不器用だったっけ?


 何から喋ったらいいかわからなくて、俺は水那から目を逸らした。

 十畳ぐらいの部屋。部屋にはベッドと、机だけ。とても質素だ。

 床にはゴザみたいなものが敷いてあり、クッションというか座布団みたいなものがいくつか置いてある。

 ゴザの端――俺が立っている近くに、サンダルのような履物が並べられていた。

 たったそれだけ。勿論、テレビがある訳でも、本がある訳でもなく……何の娯楽もない部屋だ。


 この部屋に、ずっと閉じこもっていたのか……。


 そんなことを考えながらふとスカートから出ている水那のふくらはぎに目が止まる。

 そのあまりの細さに、ギョッとした。


 顔を上げると、恥ずかしそうな、困ったような、何とも言えない表情の水那と目が合った。


 ……水那。離れていた九年間、そんなに辛かったのか?

 今、俺の旅に一緒に連れていくことは……お前にとってはどうなんだ?


『……何か、俺は地上に旅に行かないといけないらしいんだ』

『……』


 水那は再び頷いた。

 ネイアから聞いていたのだろう。何年か経てば、俺が来ると。


『――俺と一緒に来い』

『……!』


 水那がびっくりしたように目を見開いた。

 俺は、思わず出た、何だかプロポーズのような自分の台詞に思わず赤面した。

 慌てて視線を逸らす。


『……ほら、あれだ。ここに閉じこもってても仕方ないだろう。旅をすれば、水那は浄化ができるようになるかもしれないんだ。旅の中で修行して、ネイアの役に立ったらどうだ? ずっと、心配して守ってくれてたみたいだから』


 水那の顔を見ないようにペラペラ喋りながら、こんな風に言いたい訳じゃないんだけどな……という思いがよぎる。


『えーと……ま、そういう訳だ』

『……』


 水那は少し考え込むと

『でも……迷惑かける……かも……。闇、危険だって……』

と言った。

 久し振りに聞いた声は……想像よりずっと澄んでいて、綺麗だった。


『俺の傍なら大丈夫なんだとさ。ネイアによれば』


 俺は履いていた靴を脱ぎ、ズカズカとゴザの上を歩いて水那に近寄った。

 水那はそんな俺に驚くでもなく、ベッドに座ったまま、じっと見つめていた。

 ただ、水那の痩せ細った腕をぐっと掴むと、ちょっとハッとしたような顔になった。


 ――水那を、こんなところに置いておけない。

 そんな気持ちが強くなった。

 この質素な部屋が悪い、ということじゃない。

 こんな何もない部屋で、ずっと自分の殻に閉じこもっていては駄目だ、と思ったからだ。


 ――それに……俺はまだ、水那の笑顔を見たことがない。

 この旅の中で自分に自信がつけば、もっといろいろな感情を出せるようになるかもしれない。

 そうすれば……笑えるようになるだろうか。


『一緒に行くぞ。いいな?』

『……』


 水那は立ち上がると、黙って頷いた。



 二人で部屋を出ると、控えていた神官に別の部屋に案内された。

 さっきネイアと話していた場所は闇が封じ込められている神殿だから、水那にはよくないのかもしれない。

 中に入ると、ネイアが片言の日本語で一生懸命に親父に説明しているところだった。


「……ソータ」


 ネイアが俺たち二人を見てホッとしたような顔をする。


「親父に説明してくれたのか」

「うむ。……だいたい、説明した」


 見ると、親父は腕組みをしたまま何やら考え込んでいる。


『親父、わかってくれたか?』

『……これだけ非現実的な目に遭えば、納得するしかない……』

『まあな……』

『しかし、本当にお前に全うできるのか? 弓道以外、何も真面目に取り組んだことはないだろう』

『できる』


 俺は親父と真っ直ぐ向き合うと、ニッと笑った。不思議と、体中に活力というものが漲っている気がした。


『何かさ。これが、俺の使命だったんだなって。俺のやるべきことはこれだったんだなって、ピタリと重なった感じなんだ』

『……』


 親父はふと、俺の後ろにいる水那に目を向けた。


『おお……比企水那さん……かな』

『……』


 水那が黙って会釈をする。


『颯太の父です。……しかし、年頃の男女が旅行など……』

『旅行じゃねぇ。闇を集める旅だ』


 俺が意識しないようにしてることを、刺激するなよ。

 水那も気にしたらどうするんだ。


『そして水那は修行する旅だ。そんな浮わついた感情はない』

『……ならいいが。颯太、間違っても……』

『手なんか出さねぇっての!』

『しかしお前は昔から電話だの手紙だの……』

『親父、頼むから黙っててくれ……』


 俺は溜息をつくと、ネイアに向き直った。


「ネイア。親父にパラリュス語を教えてやってくれ。こう見えて剣道の有段者なんだ。こっちでも通用するなら、誰かに指導でもさせてくれると助かる。エネルギーが有り余ってるんだ」

「……承知した」


 ネイアがちょっと笑いをこらえながら返事をしたので、俺は少し恥ずかしくなってしまった。



 その格好だと目立つ、とネイアに言われて、俺はジャスラの服装に着替えた。

 何というか……ペルーとかの民族衣装みたいな格好だ。

 水那もワンピースのような服装から動きやすいズボンに着替えていた。

 俺は頭に白いバンダナを巻いた。ちょっと気合が入る。


 跳ばされたときに持ってきた弓矢を見た神官が、それに合わせてこちらの世界の弓をいくつか用意してくれた。

 試しに引いてみたが、初めて触れたはずなのにあまり違和感がない。和弓とは勝手が違う上に、重さや引きの強さによって全くの別物になるから、きちんと自分に合わせたものじゃないとしっくりこないハズなのに。


 何でも、過去のヒコヤが使っていたものだそうだ。なるほどな、と納得しつつ、もとの和弓より一回り小さいものを選び、神官が用意してくれた装備に備え付けた。これで、背中に背負って持ち歩ける。

 ジャスラでは時々獣が暴れるらしいので、狩猟用の矢も用意してくれた。


 水那が不思議そうな顔をしていたので

『俺、中学から弓道始めたんだよ。インカレ二連覇だぞ、一応』

と説明した。

 水那は無表情だったが、コクコクと何度も頷いていたので、それなりに凄いと思ってくれたんだと思う。


「ところで、祠で闇を吸収するにはどうしたらいいんだ? 触ればいいのか?」

「祭壇に祭られておるから、手は届かぬ。勾玉の力を使え」

「勾玉の力……?」


 ネイアが自分の胸に手を当てた。


「体内の勾玉の力を意識しながら念じれば、闇を吸収するための矢が具現化する。その矢で祭壇の中央を射ればよい」

「なるほど……」

「それと……勾玉の力を意識しながら話しかければ、わらわに通じる。非常事態が起こった時に使うとよい。ただし、いずれもお前の生命力を使用することになる。乱発はするな」

「……わかった」

「お前は、これまでの生まれ変わりの中で一番若い。多分、一番ヒコヤに近い人間だと思う。……信じているぞ」

「……ああ」


 俺は弓矢を背負うと、神官から袋を受け取った。

 旅に必要なものをいろいろ用意してくれたらしい。


「……ミズナ」


 ネイアは優しい顔で水那を見上げた。


「闇は……自分を卑下する劣等感や、もっとこうありたいという欲望にとり憑く。そういう気持ちを持たなければ、とり憑かれることはないのだ。自分に自信を持って、旅をしてくれ」

「……」


 水那は深々と頭を下げた。


『2年間……ありがとうございます。きっと……役に立てるように、頑張ります』


 ネイアの役に立て、と言った俺の言葉を真に受けたのかな。

 でも……ま、いいことだよな。俯いてばかりいるよりは。


「じゃ、行ってくるか!」


 俺は親父とネイアに手を振ると、水那を促してヤハトラを出た。

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