4.再会(4)

『水那……比企水那か?』


 思わず日本語で聞き返すと、ネイアは頷いた。


「ヒキ……ヒキミズナ。確か、そうだったな」

「……知ってるぞ。昔の……同級生だ」


 ――そして、多分……俺の、初恋の相手、だと思う。

 口が裂けても言えないけど。


「やはりか。ミズナの過去に、ソータの姿があったのでな」

「ミズナに会ったのか? ミュービュリの人間なのに? 今どうしてるんだ?」

「……少し落ち着け」


 立て続けに質問する俺を、ネイアが溜息をつきながら制した。


『比企、水那……』


 低い声で、誰かが呟く。――親父だ。

 少し落ち着きを取り戻したようだ。床からゆっくりと立ち上がり、視線を右に左にと泳がせている。右手を口元にあてて、記憶の糸を探るように。


『親父、覚えてるのか?』

『ああ。あのあと施設に7年ほどいて……父親が更生したとかで再び引き取られた……はずだ』

『……マジかよ……』

『ただその後すぐに、彼女は行方不明になった……』

『えっ!』


 思わずネイアを見ると、少し頷いた。親父の話す日本語を、ちゃんと理解できているらしい。


「今から2年前のことだ。ミズナは自らゲートを開き、このヤハトラに来た」

「え……」


 ゲートを開き?

 ん? 何かおかしいぞ?

 確か、ゲートを開けられるのはフェルティガエだけだって、さっき……。


「ミズナはテスラの血を引くフェルティガエだ」


 ネイアはそう言うと、水那の過去を視たときの話を教えてくれた。


 ミズナの母親は、テスラという同じパラリュスの別の国の出身で、穴に落ちてミュービュリに来た、らしい。

 そこで金持ちの男に愛人として囲われ、水那を生んだ。

 母親もフェルティガエのはずだが、水那が物心がついたぐらいの頃までしか遡れないので、これ以上のことはわからないそうだ。


 水那は日本語とパラリュス語の両方を話せるが、母親の死後に現れたフェルティガのために、日本語しか口に出せない。

 ……というのも、水那のフェルティガである強制執行カンイグジェはパラリュス語で発動するから、らしい。

 強制執行カンイグジェとは、対象を自分の思う通りに動かす力で、フェルティガとしてはかなりレアな大技なのだという。


「パラリュスとミュービュリの血が混じることで突然変異というか……かなり大きな力を生み出す、ということのようだな。ジャスラではミュービュリの血を引く人間はおらんので、想像でしかないが……」

「どうしていないんだ? 穴から落ちてくることもあるんだろう?」

「稀にあるが……血を守るため、必ずミュービュリにそのまま送り返すことになっている。ジャスラに現れる穴はここだけ故……巫女の判断でそういう決まりになっているのだ。それに……ミュービュリの人間は闇に弱い」

「ふうん……?」


 さっきの話だと、地上の人間は闇が漂う中、普通に暮らしているんだよな。

 どうしてミュービュリの人間は闇に弱いんだろう?


 俺が首をかしげていると、ネイアは続けて説明してくれた。


「闇は女神が生み出したもの。よって女神の祝福であるフェルティガに引き付けられるという性質がある。ゆえにジャスラでは、フェルティガエが生まれるとヤハトラに集められているのだ。地上でそのまま暮らしていくのは危険だからな。だから……地上で暮らしているのはフェルティガを持たない人間だ」

「……」

「そして、闇はミュービュリにもたらされたもの。よって、純粋なパラリュスの人間よりミュービュリの人間にとり憑きやすいのだ。すなわち……ミュービュリの血を引くフェルティガエは闇にとって絶好の獲物で、それだけ闇に精神の奥深くまで浸食される可能性が高いのだ」

「じゃあ何で、水那は帰さなかったんだ?」

「過去の記憶にソータがいたということと……浄化の力の片鱗を見せたからだ」

「浄化?」


 ネイアは目をつむると……深い溜息をついた。


「先ほど言ったように……闇は消えることはない。過去何人ものフェルティガエが闇の浄化に挑んだが、誰もできなかった。恐らく、ミュービュリからもたらされたもの故、消すにはミュービュリの血が必要なのだろう。そしてミズナはここに現れたとき……わずかだが神殿から漏れた闇を祓ったのだ。そのあと倒れてしまったが……な。しかし、うまく育てれば……浄化できるようになるかもしれん」


 浄化……闇の浄化か。

 それができれば、これ以上闇が増えるのを防ぐことができる、と……。


「だから……ソータの旅に、ミズナを連れて行ってもらいたい。これが、もう一つの頼みだ」

「えっ……」


 俺はあやうく手に持っていた地図を落としそうになった。


「闇が危険なんじゃないのかよ!」

「ソータはヒコヤの魂を持つ故、闇に取り込まれない。そして勾玉が闇を吸収してくれる。だから、ソータの傍にいれば、ミズナが闇にとり憑かれることはない。

……多分」

「多分って!」

「闇を知り、闇に触れることでミズナの浄化の力が開花する可能性が高い。そうすれば、ソータの旅の役に立つはずだ。諸刃の剣であることは重々承知だが……」

「いや、いやいやいや!」


 ネイアにとっては大事なことなんだろうが、浄化の力云々のくだりはどうでもよかった。こんなことを言うと、怒られそうだが。

 水那が生きていて、会える。それは嬉しい。

 だけど、一緒に旅って……二人きりで旅って。

 それは本当に大丈夫なのか? ……主に俺が。


 そんな次元の低いことでうんうん唸っていると、ネイアが

「ソータの旅に連れて行ってほしい理由は、もう一つある」

と畳みかけるように口を開いた。


「……もう一つ?」

「うむ」


 ネイアが沈痛な面持ちで頷く。どうやらミズナの扱いについてどうすればいいか、かなり悩んでいたことが窺えた。


「日本語しか話せないミズナは、ここに来てからも誰とも喋らん。心も開かない。ずっと閉じこもっている。しかし……彼女の状況を思うと、ミュービュリに帰すこともできなかった」

「状況……?」


 ネイアは少し迷ったようだが、意を決して口を開いた。


「ミズナは……父親に娼婦として働かされそうになって、逃げてきたのだ」

「!」


 娼婦って……つまり、売春とかさせられそうになったってことか?

 クズだな、あの男……何のために引き取ったんだよ。金を稼いでもらうためか?


 思わず拳に力が入り、持っていた地図がグシャグシャになってしまった。

 いかんいかん。

 俺は慌てて地図の皺を伸ばし始めた。


「どこかに逃げたいと思った結果、無意識にゲートを開いたということだな。故郷の筈のテスラではなくヤハトラに着いた理由は……そのときにソータのことを思い出していたからだろう」

「……へ?」


 地図の皺を伸ばす手を止めてネイアの顔を見る。

 ネイアは随分年下の筈なのに、まるで水那の姉か母のような顔をしていた。


「とにかく……ミズナに会ってやってくれ」

「……まぁ、それは……」


 俺がボソボソと返事すると、ネイアはホッとしたように微笑んだ。

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