6.デーフィの祠(1)

 ヤハトラの神官が俺達を地上までフェルティガで運んでくれた。

 急に眩しい光が目に入る。空を見上げると、真っ白だ。


「こっちの空は、白いんだな……」

「……」


 水那は返事をしない。パラリュス語だからだろうか。


『日本語の方がいいか?』


 俺が日本語で聞くと、水那は少し考えたあと、コクンと頷いた。


『了解』


 俺は背負っている荷物から地図を取り出した。

 今いる場所はヤハトラの真上だから……ジャスラの最南端だ。

 ここはデーフィという国だな。西に進めば祠があるはずだが……。


『……すごい山道だな』

『うん』

『まぁ、仕方ないか。……行くぞ』


 俺たちは西に向かって歩き始めた。

 ネイアによるとデーフィは高山地方で主に放牧と狩りで生活をしているらしい。気のいい人間が多く、闇も少ないので「必ず最初に行くように」と言われていた。

 まず、デーフィの領主に会って話を聞いて来るのがベストの選択らしい。

 確かに空気が澄んでいる気がする。ネイアが言っていた闇は、今のところ何も感じない。


 こちらも今は夏らしく、かなり気温が高い。

 暑いが日焼けすると酷そうなので、上着を着たまま山を登った。

 水那はずっとヤハトラの一室に閉じ籠っていたせいか、あまり体力はないようだ。しばらく歩くとゼイゼイと息を切らし始めた。


『……大丈夫か? 休むか?』


 振り返って声をかける。水那は首を横に振った。しかし足元は少しフラフラしている。


『……無理しなくてもいいぞ』

『足手……まとい……なりたく……ない』


 そうは言っても女だしな。俺より持久力がないのは仕方がないことだし。それは、水那に限ったことではないだろう。


『……大丈……夫……』

『でも……』

「ちょっとー! そこの人! どいてどいて!」


 急にけたたましい女の声が聞こえた。

 咄嗟に振り返ると、俺たちのすぐ脇を何だかでっかい生き物が走り抜けた。


『何だ……?』

「そこだ!」


 元気のいい女が急に現れて、ビュッと何かを投げた。……ナイフだ!


「うおっ! 危ねぇ!」


 水那を庇ってその場に伏せる。俺達の脇をナイフが飛んで行く。

 少し先から、「パオーン!」という鳴き声が聞こえてきた。

 さっき走り抜けた生き物の悲鳴だろうか。


「よっしゃ、当たった!」


 女が勢いよく走って行く。


「あとトドメを……わきゃー!」


 女が山道の脇に走って行った途端、急に姿を消した。

 驚いて近寄ってみると、大きな穴があった。どうやら、この穴に落ちてしまったようだ。


「イタタ、もう、何でこんな穴……あっ! そこの人!」


 覗き込むと、女が俺達を見上げて指差した。


「……俺のことか?」

「他にいないじゃん。ねぇ、チャイはどうなった!?」

「チャイ?」

「あたしが追っかけてた獣!」


 見ると、あのでっかい生き物は何だか苦しみながらも少しずつ遠ざかっている。


「……怪我はしてるが、逃げ出そうとしてるな」

「えーっ! せっかく捕らえたと思ったのにー!」


 よくわからんが……狩りをしているのか?


『水那、荷物からロープを出してこの女を助けてやれ。片方をそこの樹にくくりつければいいから』

『……うん』


 俺は水那に指示を出すと、弓矢を背中から下ろした。

 距離は二十メートルない。多分、いけるだろう。


「おい、女! 奴の急所はどこだ?」

「えっ? えーと……首の付け根! 真後ろ!」


 真後ろ……ね。

 俺は弓を構えた。意識を集中させる。

 ここは森の中で、弓道場でも試合会場でもないんだが……不思議と、俺に合っている気がする。


 矢を放つと、風に乗って唸りながら飛んで行った。見事、首の付け根に命中する。

 暴れていた獣は一瞬ビクンッと飛び跳ねると、ばたりと倒れた。


「仕留めた……かな?」

「すごーい……」


 声がして振り向くと、さっきの女がロープを使って穴から這い上がってきたところだった。


「何? 弓? でっか! その弓矢で仕留めたの?」

「お……おう」

「カッコいいじゃん!」

「……どうも」


 女はハッと我に返ると、水那に「ありがと!」とお礼を言って倒れた獣の方に走って行った。


「……元気な女だな」


 俺は矢を回収するために女の後から歩いて行った。

 女は獣のまわりをぐるぐる回って何かを調べていたが……やがて頭を抱え出した。


「しまったー! でっかすぎて持ち帰れない!」


 何だか忙しそうな女だな、と思いつつ、とりあえず矢を抜いた。

 先端に血がべっとりと付いている。その辺の草で一応拭いてみたが、あまり汚れは落ちなかった。

 どうしようもないので、仕方なくそのまま矢筒に戻した。

 獣を見ると……額に角があってサイみたいだ。鳴き声は明らかに象だったのに……。


「……これ、持ち帰ってどうするんだ?」


 不思議に思って、頭を抱えている女に聞いてみる。


「食べるに決まってるでしょ。チャイの肉は乾かすとかなり日持ちするから、非常食になるの。内臓も薬になるし……角も骨も丈夫だし。全部、使えるんだから」

「へぇ……」

「ねぇ、あんた……」

「俺に持てと言われても無理だぞ」

「そんなこと言わないよ」


 そう言うと、女はじっと俺を見た。

 赤毛の髪をポニーテールにしている。目は茶色で、ノースリーブに半ズボンという出で立ちだ。

 俺よりちょっと年上、といったところだろうか。

 肌はこんがりと小麦色に焼けている。身長は……俺よりちょっと高いかな。

 出るとこは出てて引っ込んでるところは引っ込んでるし、足もほどよく筋肉がついてすらりと長い。

 イイ身体してるなー、自信があるから露出も高いのかな、とかどうでもいいことを考えた。


「何て名前?」

「ソータだ。……で、こっちがミズナ」


 ロープを仕舞い終えた水那がこっちに来たので、ついでに紹介する。


「あたしは、セッカ。ねぇ、二人は恋人なの?」

「違うぞ。幼馴染だ。……で、旅仲間」


 水那に下手に意識されても困るしな。きっと距離を置かれてしまう。

 水那はピクッと身体を震わせたが、特に何も言わなかった。


「ふうん……」


 セッカは俺たち二人を眺め回すと、ニッと笑った。


「あたしさ、仲間を連れてまた戻ってくるから……それまでこいつの番してて!」

「えっ?」

「おねがーい!」


 セッカはそう叫ぶと、あっという間に走り去ってしまった。

 ……まったく、断る隙もないじゃないか。


「勝手な女だな……」


 でもまぁ、いいか。水那も休めるだろうし。


『仕方ないな。ここで待つか。領主のことを知ってるかもしれないし』

『……』


 水那はちょっと俺の顔を見上げると、黙ってコクンと頷いた。



 しばらく待っていると、セッカが若い男を三人引き連れて戻ってきた。

 どうするつもりだろうと思って眺めていると、いきなり解体を始めたので、俺は水那を連れてその場を離れた。

 さすがにそんなグロテスクなものは見慣れてない……。

 小さな泉を見つけたので顔を洗い、さっきの矢も奇麗にしておいた。


「――あ、こんなところにいた」


 ボケッとしていると、セッカがひょっこり顔を出した。


「何? 獣、駄目なの?」

「解体が駄目だな。見たことないし」

「……あんたたち、ひょっとしてラティブの人間?」


 セッカがちょっとムッとしたように言った。

 ラティブって……確か、この国の少し北にある平地の国だっけな。農作物で潤っているっていう……。


「違うけど」

「……なら、いいけどさ。ラティブの連中、あたしらのこと、獣で生活してる野蛮な民だって完全に見下してるからさ。腹立つんだよね」

「ふうん……」


 確かに国同士の仲はあんまりよくないみたいだな。……これも闇の影響か?


「とにかくさ。今日は、チャイのお礼にあたしの家に招待するよ。行こ!」


 そう言うと、セッカは俺の腕を取ってぐいぐい引っ張った。


「だーっ、引っ張るなよ。俺の意思は無視か」

「ご馳走するし、泊めてあげるからさ。ミズナも早く来なよー」

「離せっての!」


 俺はセッカの手を振り払おうとしたが思ったより力が強く、そのまま引きずられるようにして連れて行かれた。

 水那が少し困ったように小走りで俺の後をついてくる。


「あぁ、もう!」


 俺はやっとの思いでセッカの手を振り払った。

 セッカは振り返ると、ちょっとムッとしている。


「何よ、嫌なの?」

「その前に、人の話を聞け」

「……」


 セッカは頬を膨らませてこちらを睨んでいる。

 ……子供かよ、全く。容姿と全然釣り合ってないぞ。


「俺とミズナは目的があって旅をしているんだよ。あんまり道草できないんだ」

「何の旅?」

「四つの祠を巡る旅だ」

「えっ……」


 セッカの顔色が変わった。


「あの……三百年ぐらい前の? ……そうか。そうなんだ」


 何だかうんうん頷いている。どうやら何か知っているようだ。

 知っていることを教えてくれ、と言おうしたが、セッカは

「じゃ、やっぱりウチに来た方がいいよ」

と言って俺の腕を取り、またぐいぐい引っ張って歩き出した。


「だーかーらー、人の話を……」

「聞いたって! だって……ウチ、デーフィの領主だから」

「へっ?」


 思わず抵抗する力が緩む。


「あたしの父親が、デーフィの領主のダンなの。……ね? 来る価値あるでしょ?」

「確かに……」


 領主と話をしろって、ネイアも言ってたよな。


「というわけで、どんどん行こー!」


 そう言うと、セッカは再びぐいぐい引っ張って歩き始めた。

 確かにセッカの言う通りなので、俺は仕方なく引っ張られるまま歩いて行った。

 その様子を、水那は少し困った顔で見つめていたが――慌てて走ってついてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る