22.俺はシィナを、元気づけたい
シャロットの言葉に、俺たちは互いの顔を見合わせた。
ウルスラの人間であるはずのシィナとマリカも、不思議そうな顔をしている。
「――闇?」
「そう、闇」
俺の問いに、シャロットは深く頷いた。
「母さまに巣食う闇なんだ。最初はわからなかった。でも、ある日突然視えるようになったんだ。でも、オレにしか視えなくて……誰かに相談したかったけど、どう説明したらいいかわからなくて……」
「……」
「そしたらすぐに、母さまはオレを遠ざけた。もしかしたら……母さまの中の闇がオレを嫌ったのかもしれない。オレ、視ること以外に闇を浄化する力があるんだ」
シャロットが自分の部屋を見渡した。
窓からはさんさんと光が差して、俺たちが座っている辺りを明るく照らしている。
「この部屋は闇に侵されてない。だから、明るいんだ。シルヴァーナ様とトーマ兄ちゃんは気づいてたよね」
「ああ……廊下は妙に薄暗かったからな」
「そんなに違うの?」
ユズが不思議そうに言う。俺は力強く頷いた。
「全然違う。あっちは、何だか薄暗くて辛気臭いというか……」
シャロットは満足そうに頷いていたが……ふと、膝を抱えて俯いた。
「オレがもうちょっと頑張って立ち向かっていたら、ここまで闇も広がらなかったかもしれない……」
まだ3、4歳の子供が、恐怖の対象でしかない闇に立ち向かえる訳がない。
シャロットが責任を感じる必要はないように思えた。
「まだ小さかったんだから、しょうがないだろ」
俺はそう言って励ましたが、シャロットは
「そうだね……」
とだけ言って俯いた。
このときばかりは、シャロットが年相応の子供に見えた。
「闇のせいで、大半の神官や兵士も、自分の欲についてしか考えなくなってる。コレットも女王になるためにって必要以上に教育させられてて……いつか、潰れちゃう。このままじゃ、ウルスラという国自体が駄目になってしまうと思うんだ」
まだ小学生ぐらいなのに……今、このウルスラに何が起こっているかを独りで調べて、そしてどうすべきかを独りで考えていたのか。
俺がこの部屋に辿り着いたのも、皇女の加護とやらで導かれたのかもしれない。
「この闇は、母さまの執念にとり憑いてると思うんだ。だから……」
シャロットはシィナを真っ直ぐに見た。
「シルヴァーナ様が時の欠片を継承して女王になれば、目的を見失って消えるんじゃないかなって思ってるんだ」
「……」
シィナは俯いて黙ったままだった。
顔が見えないので、何を考えているのかわからない。
ユズの方を見たが「シィナが拒絶してるからわからない」と小声で俺に囁いた。
そして
「目的を見失って闇が暴走する、という可能性はないの?」
とシャロットに聞いた。
「あ……そうだね……。その可能性もあるね。やっぱり、闇を抑える方が先かな」
シャロットがポリポリ頭を掻いた。
「あのさ。女王って、欠片さえ継承すれば、すぐなれるのか?」
どうやらウルスラの戦いというのは、欠片……つまりユズ争奪戦だということはわかったけど、どうもしっくりこない。
「いや? 正式には、先代女王から女王の証を継承しなければならないはずだよ」
「先代女王ってどこにいるんだ?」
「……王宮の奥深くの女王の間……。あ、そうか」
シャロットが何か思い出したように手をポンと叩いた。
「イファルナ女王は10年間、ずっと眠ってる。でも、その時が来たら目覚める、と予言されていたらしいんだ。今がその時なら目覚めておられる……かも」
そして空中に手を翳した。その場に霧が沸き上がり、白いスクリーンみたいなものが現れる。
「ずっと
しかし、スクリーンはビィンと鈍い音を立てて消えた。
「やっぱり、弾かれた。まだみたいだ」
「闇の問題は今ここにいる人間が解決しないといけない。……それが、その時ってことじゃないのか?」
俺がそう言うと、シャロットは
「そうだよね。それが女王の血族の使命なんだよね、きっと」
と、力強く頷いた。
これからどうすべきかを考えるために、強い想いを口にするシャロット。
一方、シィナは……ベッドで上半身を起こしたものの、まだ俯いたままだった。
記憶が戻ったばかりで、まだ現実に向き合えていないのかもしれない。
でも……シィナ自身がどうすべきかちゃんと考えないと、この問題は解決しない気がした。
俺はすっくと立ち上がると、ベッドにいたシィナを抱え上げた。
「……っ……」
「トーマ!?」
傍についていたマリカが慌てたような声を出す。
ユズも驚いたように、俺の顔を見た。
「シャロット。シィナと二人きりで話したいんだが……あっちの扉の奥、使っていいか?」
「あ……うん」
「サンキュ」
俺はシィナを抱えたままずんずん歩くと、扉を開けて隣の部屋に入った。
入った瞬間、目の前の本棚に圧倒されて、一瞬「おっ」となって引いてしまった。
たくさんの本棚が並んでいて、どの棚にも紐で閉じられた紙の束や古そうな書物でいっぱいだ。本棚と本棚の間は人一人がやっと通れるぐらいの通路しかない。
ちょっと首を曲げて奥を覗いてみると、どうやら少し空いたスペースがあるようだった。
シィナを両隣の本棚にぶつけないように気を付けながら、とりあえずそこまで行ってみる。
すると、3畳ぐらいのスペースがあって、その半分ぐらいを黒塗りの大きな机が占めていた。机の上には左側に3冊ほど本が積まれており、真ん中には何か書き物をしていたような跡がある。
シャロットがいろいろ視たり調べたりしたことを書き綴っていたんだろうか。
「シィナ……何を考えていた?」
俺はシィナを下ろすと、単刀直入に聞いてみた。
しかしシィナは、黙って首を横に振るだけだった。
「とりあえず、思ったことを全部吐き出してみろよ。ちゃんと聞いてやるから。でないと、一歩も前に進めないぞ」
記憶が戻る前のシィナは、無邪気で積極的な性格だったように思う。
ウルスラでの記憶が戻ったとたん、こんなに自分を抑え込む感じになるなんて……。
それだけ、皇女の重圧があったんだろうか。
「……トーマ」
シィナは小さな声で俺の名を呼ぶと、そっと俺の服を掴んだ。……でも、まだ俯いたままだった。
「私ね、女王になりたくない、ウルスラに帰りたくないってそんな気持ちでいっぱいだったの」
「うん」
「殺されるかもしれないって思って……咄嗟に、トーマ達を呼んでしまったの」
「……うん」
シィナは、後悔している。――俺たちをウルスラに連れてきてしまったことを。
それに気づいた俺は、そっとシィナを抱き寄せた。
――呼んだのは、必要だったからだろ? 俺が。
そう伝えたかったから。
「でも、全部思い出したら……そうした私の我儘がどんどん事態を悪化させてるんじゃないかって……どうしたらいいかわからなくなって……」
「……うん」
「真剣にウルスラのことを考えているシャロットに対して、恥ずかしくて……」
そこまで言うと、シィナは子供のように泣き出してしまった。
俺はよしよしと頭を撫でてやった。
……シィナはしばらく泣いていたが、やがてスンスンと鼻をすするぐらいまで落ち着いてきた。
そして俯いたまま
「……トーマ」
と俺を呼んだ。
「ん?」
「考えることいっぱいあってまとまらないとき……トーマはどうするの?」
「とりあえず目の前のことを片付ける」
「……?」
シィナが不思議そうに俺を見上げた。
「例えば……シィナが降って来た時は、とりあえず風呂に入れようと思った」
「……ふふっ」
シィナがちょっと笑って、目尻に残っていた紫色の雫を拭った。
その笑顔は、俺の知っている笑顔にはほど遠かったけど……少し何かを吹っ切れたようには、見えた。
「女王云々はちょっと置いておいて……まず、シャロットが言っていた闇を祓うためにどうしたらいいかを考えてみないか?」
「……うん」
シィナが俺に抱きついてきた。
「ねぇ、トーマ。……ぎゅってして」
「へ?」
「元気出るから……ね?」
そう言って俺を見上げるシィナは……金髪で紫色の瞳に変わっていたけど、一緒に暮らしていた頃のシィナの顔だった。
改めて言われるとちょっと緊張するもんだな、と思いながら、俺はぎこちなくシィナを抱きしめた。
「……ありがとう」
シィナが俺の首に腕を回してキスをした。そしてぎゅっと抱きつく。
「トーマに会えて……よかった」
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