23.俺たちは、戦わなければならない

「……ごめんなさい。記憶が戻って、ちょっと混乱していたの。もう、落ち着いたから」


 部屋を出て頭を下げたシィナに、シャロットは何も言わず、ニコッと笑った。

 そのとき、急に空間がねじ曲がる感じがして……


『……姉さま!』


という声と共に何かがユズの上に落ちてきた。


「うわっ!」


 いつも物静かなユズもさすがに驚いたのか、大声を出して咄嗟に受け止めた。

 ピンク色のふわふわしたドレスを着た、栗色の巻き毛の……小さな女の子だ。


『あ……れ?』


 女の子がまじまじとユズの顔を見た。紫色の大きい瞳が印象的な、可愛い子だ。


『コレット!』


 シャロットが慌てて女の子を抱き上げた。

 女の子はハッとしたようにシャロットの顔を見ると、泣き出しそうな顔になった。ガバッとシャロットに抱きつく。


『姉さま! 大変なの。母さまが……西の塔に、行くって、言って……』

『ええっ!?』


 シャロットと女の子はウルスラ語で会話をしているので、俺には何を言っているか分からなかったが……何か大変なことが起きているのだ、ということは感じた。



 落ちてきた女の子はコレットと言って、シャロットの一つ下の妹だった。

 さっきのシャロットの話にも出てきた、器をもつ王女、ということになる。

 その証でもある紫色の瞳は印象的だったけど……随分幼く見えた。

 8歳にはなっているはずなのに、俺には4、5歳にしか見えなかった。

 少し泣きべそをかいていたせいもあるかもしれない。


 コレットは母親と暮らしているので、いつもは王宮の中央の塔にいるそうだ。

 だから二人は5年以上、離れ離れに暮らしているらしい。


「コレットは、一度会った人間ならその人のいるところに瞬間移動で跳べるんだ。闇に気づいて怯えてる。それで、時々内緒でオレのところに跳んで来るんだ」

「そうなのか……」

「コレットは日本語を喋れないけど、何を言っているかは大体わかるはずだから、気にしないで喋っていいよ」

「そっか」


 俺はシャロットの隣のコレットを見た。


「俺はトーマ。よろしくな」


 とりあえず笑顔だよな、と思って俺は笑顔で挨拶をした。シィナも続けてにっこりとほほ笑んだ。

 コレットはじーっと俺たちを見つめたあと、シャロットを見上げた。


『……姉さま、あの人たちと、闇、消すの?』

『そうだよ。みんなで頑張るんだ』

『……うん』


 シャロットはコレットの頭を優しく撫でると……俺達を手招きした。

 俺とシィナはユズとシャロットの間に入った。

 コレットは俺達を見て、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。

 どうやら、怯えてはいないみたいでホッとした。


「それで……コレットによると、母さまは西の塔に向かったみたいなんだ。コレットには部屋に閉じこもっているように命じたらしい」

「西の塔!?」


 シィナがぎょっとして思わず叫ぶ。

 マリカも「エレーナ様……」と青い顔をして呟いた。声が震えている。


「私をミュービュリに送り出すときにゲートを越えるための力を貸して下さったの。その後……多分、休息されていたはずなのよ。かなり無理をされたから……」

「西の塔って、シィナが住んでいた場所か?」

「ええ。今は母さまと数人の女官がいるだけだと思うわ」

「……シルヴァーナ様が西の塔に帰ってくる可能性を考えたのかな」


 シャロットはそう呟くと、

「ちょっと覗いてみるか……怖いけど」

と言って手を翳し、スクリーンを出した。


 先ほどとは違い、今度は映像が映し出された。

 薄暗い廊下の両端には、兵士がずらりと並んでいる。

 その奥の突き当たりに、扉らしきものが見える。

 映像が近づく。

 2メートル以上はありそうな、黒塗りの頑丈そうな扉……少し、隙間が開いている。


「これが西の塔の入り口だね」


 扉を開くことなくすり抜けると、再び真っ直ぐな廊下がある。

 両側の壁には2つずつ扉がついていた。

 シャロットはそれらには全く見向きもせず、映像は真っ直ぐに突き進んでいく。

 調べなくていいのか、と聞くと女官たちの部屋だから関係ない、という返事が返ってきた。

 ……それもそうか。

 ギャレットが用事があるとしたら、シィナの母親、だろうから。 


 さらに進んだその奥に……再び扉が現れた。

 今度は普通の大きさの、茶色い両開きの扉だ。綺麗な装飾が施されている。

 その扉をすり抜けると……広い居室と、奥に窓が見えた。窓の向こうには、庭らしきものも見える。

 しかし外の奇麗な風景とは裏腹に、部屋の中には神官や兵士がずらりと控えていた。

 多分、ギャレットの部下なんだろう。

 部屋には赤い絨毯が敷き詰められ、大きなソファや白で統一された調度品などが並んでいるのがわかる。多分、ヨーロッパの貴族の邸の広間のような感じなのだろうが……この多すぎる兵士のせいで、ずいぶんと殺伐とした光景に見えた。


「何だか淀んでいるわ……私がいたときよりも……」

「……母さまが入ったからだね。東の塔よりは、マシだけど」


 シィナの問いに、シャロットが考え込みながら答えた。

 やがて映像は、部屋の隅の方を捉えた。ズームしてみると、5、6人の女性がまとめて窓際に追いやられ、ガタガタと震えている。兵士に見張られているのだろう。

 西の塔の女官よ、とマリカが説明した。

 再び映像は周りを見渡す感じになり、一番奥の壁を映した。扉が3つほどついている。


「真ん中がエレーナ様とシルヴァーナ様の寝室よ」

「……なるほど」


 シャロットは頷いた。

 確かに真ん中の部屋の前にだけ、兵士が三人ほど並んでいる。

 映像が、その部屋をすり抜けた。

 中央の大きいベッドが、まず視界に入る。そこには……中年の女性が横たわっていた。

 顔色はあまり良くないようだ。意識があるのかどうかすら、よくわからなかった。


 ――その脇に、美しい女性が立っていた。

 シィナに呼ばれて辿り着いた暗い部屋――あの場所で、ビビる二人の男に怒鳴り散らしていた女だ。

 王妃みたいだと思ったが……やはりあれが、ギャレットだったのか。


 ギャレットは、横たわっている中年の女性を冷めた表情で見下ろしている。

 女性の傍には二人の神官が控えていた。そのうちの一人は、例の赤い髪の神官だった。

 そして反対側には……中年の女官が跪いていた。青い顔をして震えている。


「母さま!」


 シィナが思わず叫んでスクリーンにかじりついた。その両肩にマリカがそっと手を添えた。


「シルヴァーナ様、落ち着いて。エレーナ様は女王の血族……傷つけられることはありません」

「そうだね。できるのは……ウチの母さまだけだね。でも、エレーナ様を傷つけても仕方ないから……」

「いざとなれば、私の母が庇います」


 傍に青い顔をして控えている女官のことを言っているのだろう。

 マリカは少し青ざめていた。自分だって母親が心配なはずなのに………シィナを気遣っているのか。


 そのとき、ギャレットの傍に控えていた神官の赤い髪じゃない方が、ギャレットに何か耳打ちをした。

 それまで取り澄ましていたギャレットの表情が、変わる。口の端が、くいっと奇妙に上がる。


『シルヴァーナ。どこかで視ているわね?』


 スクリーンを出しているシャロットの手が、びくりと震えた。

 やはり、目の当たりにすると怖いのだ。

 シィナがシャロットのもう片方の手を握った。

 すると、シャロットはシィナの方を見て、ちょっと笑った。


「……うん。大丈夫」

「……」

『あなたが来なければ……エレーナがどうなっても知らないわよ』

「……あ……」


 そのとき、ベッドに横たわっている女性の唇が微かに動いた。


「わたし……いい……継承……はやく……」


 ギャレットを警戒してか、日本語で喋っている。


『わたくしにはできないと思ってる? そんなことはないわよ』


 ギャレットはナイフを取り出すと、下に振り下ろした。

 女性の枕が切り裂かれ、中身がぶちまけられる。一緒に切られた女性の髪が舞い散った。


『ギャレット様、何を……』


 傍に控えていた赤い髪の神官が慌てふためいた。

 ギャレットのナイフを取り上げようとする。


『ナダルは、黙ってなさい』


 その瞬間、スクリーンの映像がぶつんと途切れた。



「ご……ごめん……。母さまが、想像よりはるかに闇に支配されてて……オレ、これ以上見ていられなくて……」


 シャロットが真っ青な顔をしている。


「……シャロット」


 シィナがシャロットをぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫よ。私たちがついてる」

「……うん」


 コレットも、シャロットにしがみついていた。

 姉のことが心配でたまらないという顔をしている。


「……コレットもありがとう」


 シャロットはコレットの頭を撫でてやると、深呼吸をした。

 そして俺達を見回す。


「母さまは幻惑を使うんだ。その力でまわりの兵士や神官を思い通りに動かしてる。でもその力自体も……闇にかなり浸食されてるみたいで……」

「……つまり、闇の力も幻惑も、すべてギャレットが発しているんだよね?」


 これまで殆ど黙っていたユズが口を開いた。

 シャロットはコクリと頷いた。


「うん。だから、母さまを隔離すれば、とにかくこれ以上闇が蔓延することは避けられるんじゃないかと思うんだ」

「……」


 ユズは少し考え込むと、大きい紙とマジックを出現させた。

 初めてユズの力を見たコレットがびっくりしてユズを見上げた。


『……すごーい』

『……ありがとう』


 ユズがちょっと微笑んだ。

 女の子とちゃんと話すなんて珍しいな、と思った。

 それはやっぱり、ここがウルスラで、ユズが生きるはずだった場所だからだろうか……。


「時間がなさそうだ。作戦を立てよう」


 ユズはそう言うと、さっき見た西の塔の居室と寝室の見取り図を描き始めた。

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