二回戦第2試合

 黒宮治棘は元々、ごく普通の女子高生だった。どこにでも居る、少しだけ恋愛ゲームが好きな女の子。物静かで友達は少ないが、しかし誰から嫌われているというわけでもない、ごく普通の人間。それが彼女だった。


 学校ではクラスメイトと友好な関係を築き、平均的に言って恵まれた生活を送り、家庭環境も特に変わっているというわけではなく、親や兄弟との関係も良好、十分すぎるほどの愛情を受けていた。

 そして何よりゲーム。これが彼女の人生を、豊かなものにしていた。


 ごく平凡な自分。典型的な脇役モブキャラクター。しかしゲームの中では、そんな”普通”過ぎる彼女は、主役になることが出来た。目立つことが出来た。


 恋愛ゲーム。彼女がそれに執心していたのは、ある意味で、平凡すぎる自分の生活に対する反動だったのだろう。


 あるときは、主人公である男の子の幼なじみのヒロインとして、

 あるときは、主人公を陰ながら見守るヒロインとして、

 あるときは、本心とは裏腹に主人公に嫌がらせをしてしまうヒロインとして、

 あるときは、叶わぬ恋と知っていながら、血の繋がらない兄に思いを寄せるヒロインとして、


 そんな、現実の彼女から遠くかけ離れたヒロインとして、黒宮治棘は『平凡すぎる自分』から目をそらすように、ゲームにのめり込んでいた。


 実際には、自分がそんな人間になれないことはわかっている。そんな『主役』になんてなれないことは。たとえ逆立ちしても、自分という人間はただの脇役モブで、目立たない女だということは。十分にわかっている。


 しかしわかっているからこそ、ゲームの中で、現実では出来ないようなことを出来てしまう自分に、胸躍らせた。


 あまりにも平凡。しかし、平凡な自分が好きではない。本当は目立ちたい。物語のような恋愛をしてみたい。でもそれは無理だから、ゲームをそのはけ口とする。それが黒宮治棘という人物だった。


 けれどそんな彼女の平凡な人生は、ある時をさかいに、酷く異常で、そしてある意味で彼女が望んでいたストーリーへと変貌を遂げることとなった。


 かつて日本で発売され、その恋愛ゲームとは思えない程の凄惨な内容から、ゲーマー界隈でカルト的人気を持つ伝説のゲーム、『College Weeks』。

 そのゲームをプレイしていた彼女はある日、そのストーリーに登場する“とあるヒロイン”の役として、ゲームの中に取り込まれたのだ。


 ここまでは、まあ良くある話だろう。現実に鬱屈していた少年少女が、ゲームの中に取り込まれ、その登場キャラクターとして生きていかなければならない。小説や漫画でありきたりな展開だ。

 そしてさらにありきたりだったのは、彼女が転生することとなったキャラクターというのが、俗に言う『悪役令嬢』の属性を持っていたと言うことだ。


 主人公が通う大学の同級生で、実家が名家のお嬢様。そして、ご多分に漏れず性格が陰険。

 黒宮治棘が転生したのは、そんなメインヒロインを引き立てるための『噛ませ犬』のようなキャラクターだったのだ。


 普通の神経の者ならば、この「悪役令嬢に転生してしまった」という状況は、嬉しいものではなかっただろう。それも当然だ。

 多くの者は確かに、こういう具合に『ゲームの中に取り込まれる』という経験を一度はしてみたいと夢想するものだ。

 しかしそれはあくまで『ゲームの主人公として活躍したい』だとか『カッコよく世界を救いたい』だとかそういう意味であって、決して『ゲームに登場する悪役になりたい』とか『かっこ悪いキャラクターになりたい』とか、そういう意味ではない。

 殆どの者が憧れるのは『ゲームの中で活躍する』と言うことなのだ。脇役や盛り上げ役のモブになりたいわけではない。


 その観点から言って、黒宮治棘の身に降りかかったこの『悪役令嬢に転生してしまう』という事象は、とても嬉しいものとは言えないだろう。なんせ『悪役』なのだ。彼女が転生してしまったのは。


 正義に負けることが決められた、決してハッピーエンドにはたどり着けない、ある意味ゲーム内で最も不遇なキャラクター。それが、悪役令嬢という属性。

 よほどの変わり者でも無い限り、こんなバッドエンドを運命づけられた人間になりたいとは思わない。

 が、しかし。黒宮治棘は変わり者だった。


 ごく平凡な自分。彼女はそれが嫌いだった。

 確かに、誰からも恨まれず、家族には愛され、生活にも困窮していない。そんな人生は、不幸ではない。しかし物足りなかった。刺激。彼女が欲していたのはそれだった。


 誰かに恨まれても良い。家族に愛されなくても良い。生活に困窮しても良い。”普通”でさえなければ。


 常人からしてみれば、異常とも言える、そんな彼女の欲望。普通から脱却したいという願い。しかしこの『悪役令嬢に転生する』という体験は、そんな彼女の欲望と完全に合致していた。


 確かに、出来るならば悪役令嬢ではなく、例えば主人公の幼なじみのような、メインヒロインになれた方が良かった。しかし平凡な脇役モブになるよりはマシだ。それが、彼女の本心だったのだ。


 故に彼女は、この『悪役令嬢になってしまう』という事態を歓迎した。普通なら『元の生活を返して!』と要求するところを、彼女は感謝すらしたのだ。


 ……が、しかし。これから訪れる、非日常を夢想していた黒宮治棘に、彼女を転生させた者が告げたルールは、一瞬で彼女を恐怖の底に叩き落とした。


『主人公の心を自分のものに出来なかったら貴方は死にます』




 悪役令嬢とは、報われない属性である。『悪は滅びる』という、誰が言い始めたかもわからないような格言もあるように、あらゆる悪役は正義によって滅され、駆逐され、行き場を奪われる。それこそが、全ての世界物語に共通する、唯一無二にして絶対の規則ご都合展開だ。

 故に。黒宮治棘に課せられた、この『悪役令嬢として主人公の心をものにせよ』という命令は事実上、実現不可能なものであった。なにせ、滅ぼされるべき悪が、主人公と結ばれるなんてハッピーエンド、許されるはずがないのだから。


 もちろんそうはいっても、『主人公をものに出来なければ死ぬ』と余命宣告を受けた黒宮治棘が、ただその運命を指をくわえて見ていたかと問われれば、決してそんなことはない。むしろ彼女は、恐るべき程の生への執着から、最大限の努力をした。


 主人公と出来る限り接触し、言葉を交わし、ハニートラップと非難されてもおかしくないほどのボディータッチすら厭わず、さらには自分の思いを伝える恥も忍ばず、衆目の前で主人公との関係を宣言して既成事実を作ろうと目論見、あげくには主人公のことを襲う暴挙にすら出た。


 しかし。どれだけ主人公の気を引こうとも、どれほど目立とうとも、どんなに愛を告げようとも、どれほど気持ちを押しつけようとも。その思いは伝わることがなく、受け止めてすら貰えなかった。


 物語の設定上、絶対に主人公には愛して貰えない。理解して貰えない。努力すら認めて貰えない。出せる手を全て出し尽くした黒宮治棘に最後に突きつけられたのは、そんな『どうしようもない負けヒロイン』のレッテルだけだった。


 そして、戦いが始まってからおよそ半年が過ぎた頃。ようやく黒宮治棘は理解する。『もう運命は変えられない』と。


 黒宮治棘は知っていた。彼女が悪役令嬢として取り込まれたこの『College Weeks』というゲームの本来のストーリーでは、これより二日後、主人公が幼なじみの清純ヒロインに告白し、二人が結ばれて終わりエンディングを迎えると。そして同時に、自分の人生もまた、終わるのだと。そのことを知っていた。


 黒宮治棘は、ゲームに取り込まれる前までは、どこにでもいる普通の女子高生だった。当たり前の日常を当たり前に生き、平和な世の中で命の危険もなく暮らしていた。

 そんな彼女に突きつけられた、唐突な死の運命。それを前に彼女が、恐怖しないわけがなかった。


 死にたくない。自分が何をしたというのか。単に自分は退屈な日常に嫌気がさし、非日常を夢想していた。ただそれだけだったのに。何故今、こんな罰を受けさせられようとしているのか。自分の望んだ非日常は、こんな理不尽なものではなかったはずだ。もっと輝いていて、色づいていて、美しいものだったはずだ。なのになぜ、こんな薄暗くて、色あせていて、穢れている、そんな日常を過ごしているのか。


 怖い。恐い。死にたくない。生きたい。退屈でも良いから、ただ生きていたい。殺されるくらいなら、つまらなくてもいいから平穏な日常を過ごしていたかった。死にさえしなければ、今はそれで十分だ。非日常なんて、身の程知らずなものを高望みしたりはしない。


 死を目前に、彼女は恐怖に震え、そんな事ばかりを願うようになった。しかし、その願いは待てど暮らせど叶うそぶりすら見せなかった。

 死の運命が、すぐそこまで迫っていた。




 恐怖は人を狂わせる。そして死への畏怖は、人を狂気に苛む。

 逃れられぬ死に怯えていた黒宮治棘は、ふと。あることに気がついた。


『主人公の心を自分のものに出来なかったら貴方は死にます』


 そう言われた。しかし待て。心とは何だ? 心を自分のものにするとは、どういう意味だ?


 心とは愛情のこと? 主人公の愛を、自分のものにしろと言うことなのか?

 いいやまて、そんな愛なんて形のない物を“自分のもの”に出来たかどうかなんて、一体どうやって判断するというんだ? それこそ、世に不倫やら二股が多いことからも、誰かの心を、愛情を、自分だけのものに本当に出来たかどうかなんて、わかるべくもないのではないだろうか? そもそも、誰か一人だけを絶対的に愛している人なんて、この世に存在しているのか? し得るのか?

 博愛精神とも言うように、誰しも少なからず、不特定多数の誰かを愛しているものなんじゃないのか?


 もしかして…ここで言う『心』とは、そんなあやふやな移ろいやすい物ではなくて、もっとこう…わかりやすくて、形のある、確固たる物質なんじゃないだろうか? 

 そう、例えば…”心”臓とか。





 次の日。つまり、主人公が幼なじみに告白する、その前日。黒宮治棘は彼を呼び出した。そして…殺した。殺し、男の心臓をえぐり出した。かつて愛されようともがいた、そして今なお愛している、その男の心を。自分だけの“もの”にした。


 そうして彼女は…生き残ってしまったのだ。





 《控え室》


「……」


 黒宮治棘が控え室に入ると、そこには先客がいた。

 その先客の名はヴァイス。仲間に裏切られ骸骨として蘇った男だ。そして、一回戦で当たったキリヤによって人を信じる素晴らしさを『刷り込まれ』、しかしその事実を知り、再び絶望するに至った、憐れな死者だ。


 ベンチに座り、頭を垂れる一体の骸骨。その背中に驚きつつも、しかし黒宮治棘は「こんなのがいてもおかしくないわよね」と心で呟く。


 彼女は一回戦で既に、ベルモット・アンダーグラウンドという名の魔王と相対し、そして彼女を殺している。なので、いまさらスケルトンを目にしたところで、さして恐ろしくもない。いやむしろ、魔王を既に殺しているからか、こんな『如何にも雑魚モンスター』といった風貌をしている骸骨程度、可愛いものだ。


 そう、殺した。彼女はベルモット・アンダーグラウンドという魔王を。元人間を。既に殺している。能力で彼女を操り、心臓をえぐり出させ、殺害している。


 悪役令嬢として転生した彼女。一切の戦闘力を持たない彼女に、戦いのための能力として与えられたのは『鞭で攻撃した相手を洗脳できる』という、そんな力だった。


 ベルモット・アンダーグラウンドは、幾多の強者との戦いを経て、強大な力を手にしていた。それこそ、何人なんぴとたりとも彼女に傷を付けられないほどの、絶対的な力を。

 しかしながら、いくら百戦錬磨のアンダーグラウンドといえど、洗脳されてしまってはどうしようもなかった。彼女の身体がどれほど強固で、あらゆる攻撃を無効化できようとも。他ならぬ自分自身の攻撃だけは、どうやっても防げない。だから死んだ。殺された。


 実際の所、もしあそこでアンダーグラウンドが相対していたのが別の相手…そう例えば、偽りの不死を手に入れたティムシーや、30万年の時を生きたヴィーラが、ベルモット・アンダーグラウンドに相対していたとしたら。アンダーグラウンドはあれほど容易く、死んではいなかっただろう。ある意味、アンダーグラウンドにとって唯一の鬼門であったのが、黒宮治棘だったと言っても過言ではない。


 しかしながら。これほどまでに強力な洗脳能力を与えられながらも、黒宮治棘の心持ちは暗かった。


 この能力を与えられたとき。彼女が思ったのは「なんて皮肉が効いているんだろう」ということだった。


 黒宮治棘はかつて、自分が救われるために、一人の男を自分のものにしようと苦闘した。そして結果、その願いは叶わず、最後は男を殺すことによって、男を自分のものにした。

 そんな彼女は今、相手が誰であれ“少し鞭打つだけ”で自分のものに出来るという、そんな力を与えられている。なんとも嫌味な展開ではないか。この能力を得るのがもう少し早ければ、自分はあんな苦労も、挫折も、恐怖も、苦しみも、憎しみも、悲しみも、後悔も、慟哭も。せずにすんだというのに。


 何を憎めば良いのか。誰を責めれば良いのか。なぜ自分はこんなにも、苦しまなくてはならないのか。どうすれば自分に、救いは訪れるのか。

 男を殺し、自分のものにしてからは、そんなことばかり考える日々だった。


 何故生きているのか。何のために生きているのか。どうしてあの時、自分は死にたくないと願ったのか。今はこんなにも、死にたいのに。死にたいくらいに、辛いのに。

 そんな思いに苛まれる日々だった。


 何度後悔したかはわからない。何度死のうと思ったかはわからない。何度懺悔したかはわからない。そしてそのたびに何度、“自分のものにした”はずのあの男が、遠くに感じたかも。もうその回数は数える事すら出来ない。


 彼女は死ぬつもりだった。あの恐るべきゲームをクリアし、解放された後。自らの犯してしまった取り返しのつかない罪を前に、黒宮治棘はその償いとして、自ら命を絶つつもりだった。遠くに行ってしまった彼と同じ場所に、自分も行くつもりだった。



 そして…そんなときだったのだ。彼女がこの『主人公最強決定トーナメント』に招待されたのは。


『優勝者はどんな願いでも叶えることが出来る』。あの声だけの存在は、確かにそう言った。もしそれが事実なら…出来る。生き返らせることが。自分が殺してしまった、あの人を再び、この世に呼び戻すことが出来る。

 そして…彼の心を今度こそ、“自分のもの”にすることすらも。



 黒宮治棘は一回戦で、対戦相手であるベルモット・アンダーグラウンドを殺した。かつて彼女が、愛する人にやったように、心臓をえぐり出させて。しかし今回は、罪悪感こそあれど、そのことに対する後悔は一切なかった。


 他の何を犠牲にしてもいい。誰を殺すことになったとしても構わない。私は…私はただ彼と、もう一度やり直したい。ただそれだけ。

 その願いが叶うなら私は“悪役”にだってなれる。

 私はかつて悪役令嬢として、愛する人を殺してしまった。なら今度は…悪役令嬢として、あの人を生き返らせるんだ。それが私に出来るせめてもの償いだから。


 黒宮治棘はそう決意し、そして、このトーナメントに臨んだのだ。他の何に替えてでも、目的を達することを胸に誓って。それがいずれ、新たなる後悔の源となることにも気づかずに。

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なろう系主人公最強決定トーナメント 鷹司鷹我 @taka1gou

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