第42話 さよなら二人の世界

 穏やかな春の日差しを浴びながら、私は微睡まどろんでいた。

 ホカホカと暖かく時々土の香りがする。


「奏、風邪ひくぞ」

「ん」


 亮太、何か言った? 眠気に勝てない私は瞼を開けられなかった。


「しょうがねえな」


 確か、少し広い畑を近所の人に借りて土作りに亮太と来て、あまりにも眠たくて車の助手席でボーッと見ていたはず。



 ー*ー*ー*ー


 細く長い真っ直ぐな林道を、光を頼りに前に進む。眩しくてなかなか目を開けることが出来ない。


「りょーたー!」

「奏。こっちだって、遅えなぁ」

「待って、亮太」


 亮太は今までにないくらい穏やかな笑顔を見せてくれた。そして直ぐに背中を見せてしまう。亮太は誰かに手を振り走って行ってしまった。


「やだ、行かないでっ。亮太!」


 キャハハと楽しげな笑い声が聞こえた。

 私はそこに居ない、なのに嫌じゃないこの感覚は何?

 私は落ち着いた足取りで、彼らに近づく。



 ー*ー*ー*ー



「んっ。あ、寝てた。夢?」


 どれくらい寝ちゃったんだろう。亮太のジャケットがかけられて、ほんの少し窓が開いていた。亮太って、こ言うところ気が利くね。

 全部締め切らないのは、熱中症にならないようにと言う配慮かもしれない。さすが警察官。


 私はゆっくり起き上がって車から降りた。亮太は畑の端っこに座って、ならした畑を眺めていた。


(ふふっ。すっかり田舎の人だわ)


「りょーたぁぁ!」


 大きな声で愛する人の名前を叫べるなんて最高。私の声に気づいた亮太は「かなでー!」と呼び返してくれる。

 そう、満面の笑みで。出会った頃の仏頂面はどこにもない。その顔に会いたくても、もう会えない。彼は生まれ変わったみたいに変わった。


 亮太のもとに歩いていくと、亮太も歩み寄ってくる。

 その真ん中でどちらともなく抱擁を交わした。


「やっと起きたな」

「ごめん。凄く眠くてっ。全然手伝えなかった」

「お陰で捗った」

「もうっ」


 あははと笑う亮太を見ると苛々が消えてしまう。そんな亮太がスッと表情を戻す。なんだろう。


「なあ、体調が悪いとかじゃないよな」

「どうして」

「最近いっつも眠い眠いって言ってるし、疲れやすくなってるぞ」


 そう言われるとそんな気がする。お風呂から上がると亮太を待たずに寝てしまっていた。だからこの頃は起きがけが不機嫌なんだ。


「春だからね。生理前だからかな?」

「それならいいんだ」


 亮太がそっと私の頭を撫で、そのまま頬まで手を滑らせる。その無骨な親指で優しく撫でるその仕草が大好き。


「猫みたいにしてんじやねえーよ」

「猫!」

「夕方は冷えるからさ、帰るぞ」

「うん」


 とても穏やかな休日を過ごした。




 その晩、私は体調を崩した。


 お風呂から上がって、ソファーでいつものように寄っかかっていたら急に血の気が引いて行った。動悸が酷く、息が浅くなり苦しい。


「はっ、はっ、はあっ。なに、これっ」


 ソファーから降りて床に手をつき頭を垂らす。ちょうどその時、亮太がお風呂から戻ってきた。


「奏?」

「っ、あ、はぁ、はぁ、りょ......た。うっ」

「奏!」


 亮太が駆け寄って私の顔を上向かせ、目を見開く。


「奏っ、どうした! 顔色が悪いぞ」

「なんか、苦しっ。あ、はあっ、……吐くっ」

「え! 待て、おい」


 亮太は私を抱え上げてトイレのドアを開けた。背中を擦りながら叫ぶ。


「吐けるなら吐いてしまえよ!我慢すんなよ」

 

 でも結局、吐くことは出来なかった。


「もう、大丈夫」

「横になるか?」

「うん」


 亮太の肩を借りて、ベッドに横向きに寝た。仰向けになるとまた、具合が悪くなりそうで怖かったから。亮太は心配そうに眉を下げ、私の手をずっと擦っている。


「なあ、夜間診療行くか」

「ううん。さっきよりいいし、車に揺られる方が今は辛いかな」

「分かった。我慢するなよ? 俺、奏に何かあったら生きていけないんだからな。覚えとけよ」

「私って、凄い」

「バーカ。良くなっても明日は病院だ! 分かったな」

「はい」


「心臓に悪りぃよ」と口は悪いけど、その晩はずっと私の手を握ってくれていた。僅かな変化も逃すまいと言う、そんな気持ちが伝わってきた。やっぱり疲れが溜まっていたのだろうか。

 亮太の為にも自分の為にも、明日は病院に行こう。



 翌日、仕事を休み町の内科医院を訪れていた。一人でも大丈夫だと言ったけど、亮太は半休を取って一緒に来てくれた。


「亮太まで休ませちゃってごめんね」

「当たり前だろ。大事な家族が具合悪いってのに、仕事なんか行けるかよ」

「ありがとう」


 三十分ほど待って私は名前を呼ばれた。診察は一人で行くと断って、診察室の扉を開けた。


「え、先生、それって」

「僕は専門ではないから確約は出来ないけど、その可能性は大いにあります。だから、投薬はしません。直ぐに専門の先生に診てもらってください。違ったらまた僕のところに来て。それからでも遅くはない」

「分かり、ました」


 その可能性を聞かされた私は少し震えていた。

 情けない。

 亮太になんて言おう。


「ふうっ」と長い息を吐き、心配そうに首を長くして待つ亮太のもとにゆっくりと戻った。

 何も言わない私に気を遣ってか、亮太からは聞いて来なかった。ただギュッと手を握りしめて。


「亮太、連れて行って欲しい所があるの」

「え?」


 一瞬、眉を寄せた亮太は「いいよ、何処」と言いながら私を車に乗せた。亮太は前を向いたまま、唇を噛み締めていた。


(言わないと、このままにしていたら亮太は......)


 私は彼の耳に唇を寄せて目的地をそっと告げた。


「え! っ、え?」


 激しく動揺する亮太に「まだ。分からないから」と補足もした。亮太がハンドルを握る手に力がこもる。


「行くぞ」

「お願いします」



 * * *



 結局、亮太も一日有給休暇を取ってしまった。お昼過ぎに自宅に帰り着くと、壊れ物を扱うように彼は私を抱きかかえて家に入った。そして、ソファーにそっと降ろされる。

 亮太は私の足元に膝を付いて私に抱き着いてきた。


「俺っ、俺っ!」

「うん?」


 私は亮太の柔らかな髪を何度も梳くようにして撫でる。心無しか涙声の亮太は顔を上げてくれない。


「亮太、顔を、見せて?」

「やだ!」

「ふっ。何でよ、お願いだってば」

「俺、ダメなんだ。こんな顔見せられねー」


 困った人。でも、よくここ迄我慢して運転をして帰ってきたと思う。それは本当に心から褒めてあげたい。私なら動揺してハンドル握れないもの。


「亮太っ。りょーたパパ?」


 そう言うとガバッと顔を上げて私を睨みつける。

 そう、それが亮太。

 私の大好きな亮太。


「くそっ! 俺、泣いてるんだぞ。めちゃくちゃ嬉しくて泣いてるんだ! そんな時にパパなんて言葉を出すなよっ」


 実は体調不良は妊娠の兆候だったらしく、問診で気づいた内科の先生が産婦人科の受診を勧めてくれたお陰で今に至る。

 妊娠八周目。

 小さな小さな命が、私のお腹の中に宿ったんです。


「ごめん、ごめん。けど、これからもっと悪阻が酷くなって亮太に迷惑かけるかもしれない」

「バカ迷惑じゃねえよ。いっぱい甘えろよ。一人で頑張るなよ。約束しただろ? 二人で乗り越えるんだ」

「うん」


 森川亮太 三十歳

 森川奏 三十二歳


 翌年の二月には親になります。


「奏。ありがとうな。俺の家族になってくれて、俺の家族を連れてきてくれて。絶対に護るから、絶対に」


 亮太。これで終わりじゃないよ?

 もっと、もっと、家族を増やそうね。

 煩くて堪んねー! って、叫びたくなるくらい。

 あの夢はこの子が見せてくれたんだね。 

 ママ、早く気づいてって。


 駅から始まった二人の物語は次の世代へと続きます。



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駅から始まる物語 佐伯瑠璃(ユーリ) @yuri_fukucho_love

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