第15話 周りから固められた
そしてようやく、仕事復帰の日を迎えた。
「あんま無理すんなよ」
「うん、ありがと。で、何処まで話がいってるのかな?」
「話ってなんだ」
「だから、私の会社の人たちは私達の関係をどこまで」
「ああ」
伏見さんは右の頬だけをクイッと上げて、意味深に微笑んだ。なぜかその仕草が妖艶に見えてしまうのは、もう何かのフィルターが発動してしまったのだろうか。
「ちょっと、怖いんですけど」
「ふん。行ったら分かるさ。俺、今夜は帰れないから鍵しっかりかけて寝ろよ」
「私、子供じゃないしっ」
「ああ、そうだった。三十のオバ……」
「言わせないからね! この
言い返したけれど、伏見さんはニヤニヤしながら、地下の駐車場に消えて行った。
(さーてと、私も行きますかっ!)
◇
「おはようございます!」
「森川さん! お帰りっ」
「森川っ! 心配したぞー」
いつもの顔が私を迎えてくれた。
「みなさん、ご心配とご迷惑をお掛けしました。これからも宜しくお願いしますっ。これ、ほんの気持ちです。休憩室に置いておくので食べてください」
私の心配をよそに、みんな以前と変わりなく接してくれたことにほっとした。
朝礼をすませてから、私は以前のように改札に立ち通勤客を迎える。そのあとカウンターで切符販売を手伝って昼食をとった。午後は掃除道具を持って、駅構内の巡回に出た。
「駅員さん! ご苦労様ですっ!」
若い鉄警さんが敬礼をしながら声をかけてくれた。見慣れない顔だったので、新人さんかもしれない。
※鉄警=鉄道警察隊
「お疲れ様です」
するとその鉄警さんは、何故か顔を赤らめてはにかむと、聞き捨てならないセリフを吐いた。
「警部の奥さんになる人は優しいなぁ」
(えっ、誰の事? 警部の奥さんって?)
私は後ろを振り向いてみたけれど、行き交う人ばかりで特にこの人と思わしき人物は居なかった。
(変なのっ)
私はゴミを掃きながら構内を一周した。すると、警乗が終った鉄警さんが改札を通ってやって来た。
そして、私を見るなり「あ! 警部のっ」と言って時が止まったように固まってしまった。
※警乗=警備のため乗車し、巡察すること。
「あの、どうかされました?」
「あーいや、ご苦労様です。元気になられて何よりです」
「やだ、皆さんにまで知られて。恥ずかしいてすね」
「今後もここで、働かれるんですか?」
「え? ええ。働かないと食べていけませんから」
「またまたぁ。警部はけっこう稼いでいると思いますけど。まあ、家に籠るよりは働いた方がいいですよね」
「へ?」
「では、失礼致します!」
彼は、いつもよりピシャリと敬礼を決めて、仕事に戻って行った。
(だから警部って誰。その人が稼いでいようが私には関係ないんだけど、わけわかんないよ鉄警隊っ)
私は意味がわからず、モヤモヤしながら休憩に入った。ちょうど、後輩の結城ちゃんも休憩中で、彼女もまた驚くべく質問を私に投げかけてきた。
「森川さんっ! 教えて下さいよ。どうやってあんなイケメン彼氏を捕まえたんですか? しかも、いつの間にか婚約までして」
(今、なんて言った⁉︎)
「え、結城ちゃん。ごめん意味が分からない」
「なに言ってるんですか。あの刑事さんですよ! 森川さんが倒れた時、彼が救急車呼んだんですよ。凄くかっこよかったんです。こうやって、お姫様抱っこして『救急車!』って」
「お、お、お姫様抱っこ?」
「はい。とっても軽々と。私は、緊急事態なのに萌えちゃいましたよー」
「いやいや、婚約者って誰から聞いたの」
「皆知ってますよ。隠しても無駄です。結婚式は呼んで下さいね! 私も警察官とお知り合いになりたいです。はぁ……いいなぁ、森川さん」
結城ちゃんが遠くを見ながら物思いにふけってしまった。しかも、皆知っていると言っていた!
(うそぉ……うそぉ‼︎‼︎)
驚き続きの退院後初の日勤が何事もなく終った。
耳鳴りも予兆もなく、仕事としては平和な一日ではあった。あくまでも、仕事としてはだ。
そして、最後の最後でとどめを刺してきた人がいる。
「森川! やっぱりおまえアイツとデキてたんじゃねーか!」
「か、河上さん。これには深ぁい、訳がありまして」
「訳もクソもあるかっ。俺は嬉しいんだよ、幸せになれよぉ」
「えっ、えっ、泣かないでくださいよ」
(ふーしーみー! 帰ったら尋問だ! 尋問っ! 伏見亮太め、覚悟しろ)
今朝、ニヤリと怪しげに笑った彼の顔が浮かび上がる。私は血気盛んに家路に着いた。
そして、帰宅してから気づく。
(あっ……今夜は帰らないんだった)
それにしても、なぜ婚約者でもうすぐ結婚するようなふうに演じる必要があるのだろう。まさか私のことが好きだなんて。
(なわけないじゃん! バカだ私)
四年も色恋沙汰から離れてしまうと、こうまでも思考がおかしくなるのか。私の心臓は勝手にドキドキと早くなり、彼のことを考えるだけで胸がキュンキュン鳴く。
いったいどうしてしまったのか、この胸のトキメキは!
(えっ、胸のトキメキ⁉︎ 私、トキメキいてんの⁉︎ これって、恋……)
「――っ!」
私は思わず口を手で押さえた。
このままでは伏見さんの顔が、まともに見れなくなってしまう。気づいてはいけないことに、気づいてしまった気がする。
「あぁ、もうっ」
私は夕飯どころではなくなり、ひとり悶絶しながら夜を過ごした。そんな中でも、睡魔はやってくる。いつのまに眠ってしまった自分には、我ながら感心するところである。
◇
翌朝、目覚まし時計の電子音で目が覚めた。
時刻は六時半。
自宅ではないのに、すっかり慣れた私のもう一つの部屋で着替えを済ませる。そして、顔を洗うために部屋を出た。
洗面所で顔を洗い、メイクをする。最近は睫すら上げなくなってしまった。ビューアーもマスカラも面倒くさくなってしまっていけない。こんなズボラな女に惚れる男の人なんていないと思う。思っていたのに……。
「ふあぁ、ダメだ。考えるのはよそう!」
鏡に映る、覇気のない顔を叱咤するようにパチンと頬をはたく。
「よしっ」
気合いを入れ、キッチンへ向かおうと鏡から顔を上げた私は声にならない悲鳴をあげた。
「ひんっ!」
なぜならば、目の前には上半身裸の伏見さんが立っていたからだ。下半身は見ていなけれど、多分タオル巻いていた。絶対に彼は、私がここに居たことを分かっていたはずだ。
(なんで、裸なのっ。うわっ、胸板……厚っ! 着やせするタイプなのね! 素敵すぎる!)
「あんた、いつまで見てるつもりだよ」
私は慌てて伏見さんに背を向けた。
「ごめん! ってか、なんで居るの!」
(なんで私、気付かなかったんだろ!)
「さっき帰って来たから、そのままシャワー浴びたんだ。一晩中、追いかけっこしてたからな。朝飯、適当に買ってきた。作ってないなら、一緒に食おう」
「……ふぁ、はい」
なんとも頼りない声で返事をしてしまう。男の裸ぐらいで、しかも上半身だけでフリーズするなんて恥ずかしい。それ以上の裸を過去には見ているし、いわゆる男女の関係だって経験している。
(というか、朝からなに考えてるんだろ……)
「集中、集中っ」
私は、コーヒーメーカーから出る湯気をじっと見つめていた。どうしてこんなに振り回されなくてはいけないのか。
「コーヒーメーカーの湯気で保湿するの、やめてくんないかな」
「えっ! 保湿っ。あ、ああ」
「おい、顔」
「顔っ⁉︎」
伏見さんは私の顔を覗き込んで来て、「真っ赤だぞ」とだけ言って離れて行った。
コーヒーを淹れるのに集中したつもりが、どうも彼の事を集中して考えていたようで、結果、私は赤面していた。
その後は何事ともなく、伏見さんが買ってきたモーニングセットを食べ出勤準備を整えた。
「あ、忘れる所だった! あのっ、伏見さん」
「なに。なんか忘れ物?」
「か、帰ったら! 取り調べするから、逃げずに居てくださいねっ! 行ってきます!」
私は玄関のドアを勢いよく開け、飛び出した。
「は? 取り調べ? 俺が、されるの? あいつに? なんでだよ。くくっ。面白い
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