番外編③-1 曇天の空

やっぱり、私は弱い。意志も体も何もかも。改めてそんなことを感じさせられた。頭と体が麻痺していくようだ。


 いつもの部室。夕焼けに染められたそこはしかし、いつもにもまして輝いて見えた。

「皆さん、反省会お疲れ様でした。しっかりと次回以降の公演にも活かしていきましょうね。これで部活を終わります。ありがとうございました!! 」

「ありがとうございました!! 」

新歓も終わり、今日こうして反省会も終わった。まだあの舞台から3日しか経ってないのが嘘のようだ。みんなも少し名残惜しさを感じているのか、片付ける手に少し躊躇いが感じられる。

「お疲れ様、一美。今回も頑張ってたね。」

「あ、国之。そっちこそめっちゃ頑張ってたよね。本当にお疲れ様。」

そう言い返すと彼は少し後ろめたそうな顔をして優しく笑ってくれた。話す中で思わず「それ」が目に入る。いや、入ってしまった。教室の隅の方、ホワイトボードに貼ってある名前であった。新入生が入ってきた関係で緑のプレートが4枚増えている。しかし私の目を奪ってしまったのはそれではない青いプレート、1年前から変わることなくそこに立つ「君津幹彦」の文字だった。動揺を隠しようもなくそれを凝視する私。心配したのか、

「一美…………大丈夫? 」

そう国之が声を掛けてくれた。

「いやぁ、大したことじゃない、大丈夫だよ。それじゃ、帰ろっか。」

彼は暫時私の顔を覗き込んでいたが、やがて了承したように踵を返した。それにしても、ここまで自分の想う気持ちが強く、自制心が弱いなんて考えてもいなかった。胸が一気に軋み、痛む。そこにあった今はもうない名前を抱きしめようと手を伸ばす。ネームプレートを取って思わず彼の代わりと抱きしめる。せっかく美智に散々慰めてもらったのがまるで無駄になってしまったかのようだ。なんで現実はここまで非情なんだろう。なんで私の好きになった人に限って他の人を好きになるんだろう。なんで私の想いだけは報われないんだろう。心の中での叫びはいつしか慟哭に変わった。誰もいなくなった教室で、私はひとり泣き続けた。夕焼けからも少しずつ夜の足音が聞こえてくる。

 その日はそれだけで終わった出来事。しかし、私を現実から目を背けさせてくれるほど世界は甘くはなかった。次なる事件は、その翌日だった。

「おはようございます!! 」

そう。今日は新入生が最初に部活に出てくる日、新生去山高校演劇部のスタートの日でもあるのだ。

「おはよう! 」

どうやら既にいつでも「おはようございます」と言う演劇部の掟は理解しているようで既に少し驚いた。みんなあどけない、初々しくも楽しそうな顔で4人の新しい仲間たちが入ってくる。きっともう入部届も出していることだろう。新しいみんなでの部活が楽しみだ。

「それじゃあ、1年生も入ってきて。ミーティングします。集合!! 」

部長の由香里先輩が心無しか明るい声で号令をかける。総勢13人の大きめの輪ができる。

「1年生の皆さん、去山高校演劇部にようこそ!

それでは早速自己紹介に行きましょうか。名前、クラス、中学の時の部活、趣味くらいを言ってもらえると嬉しいです。それでは、3年生からクラス順に行きましょう。」


 風のような速さで自己紹介が始まった。外からはこの時期にしては少し肌寒い風が吹き付けてくる。3年生を皮切りに自己紹介が始まった。

「僕は1年1組の志田(しだ)優磨(ゆうま)です。中学の時は野球部でした。趣味は野球の動画などを見ることです。新歓公演や見学で、ぜひこの部活で3年間過ごしたいって思ったので来ました。よろしくお願いします!! 」

最初に勢いよく突っ込んで来たのはもはやおなじみになりつつある天真爛漫キャラ、優磨だった。いつも通りの笑顔に私達も安心させられる。続いて話し始めたのは少し落ち着いた雰囲気の男子だった。その立ち振る舞いが心なしか、少しだけ幹彦に似ているような気がする。でも、きっと気のせいだろう。

「1年2組の相川(あいかわ)諭(さとし)って言います。中学では美術部でした。先天的に少し色々とあるので、配慮してもらえると助かります。趣味は絵を書くこと。特にクロッキー画が好きですね。後は音楽を聞くことも好きです。これからよろしくお願いします。」

考えてしまっているせいもあろうが、やはり、どうしようもなく似ていた。あの頃に戻りたい。4人がまだ揃っていて、何も失われる憂いなんて無かったあの頃に。でも、そんな願いなんて到底叶うはずもなく。

「1年3組の本多(ほんだ)育美(いくみ)です。中学では吹奏楽部でパーカッションとか色々とやってました。公演に圧倒されて、こんな舞台を作りたいと入ってしまいました。よろしくお願いします! 」

「1年4組の立岡(たておか)菜々子(ななこ)です! 中学ではバスケをやってました。色々と話しかけてくれるとすごく嬉しいです! 3年生の皆さんは短い間ですが、2年生の皆さんはこれから1年間、どうかよろしくお願いします! 」

やはり心は得も言われぬ暖かさのようなものに包まれていく。私ははたと気づいた。今の4人はどことなく去年の今頃の私達によく似ているのだ。諭は言うまでもないが、優磨は当時の国之、育美は私、菜々子は美智に似ている気がした。根拠はない。でも、そんな気がした。

 その日の帰りも昨日と同様、例のネームプレートに目が止まってしまった。そんな私を目ざとく見つけたのか、菜々子が声を掛けてくれた。

「一美先輩!! これからよろしくお願いしますね!! 」

「うん、私の方こそよろしくね。」

 しかし、次に彼女が放った言葉に、私は凍りついた。さしあたり言葉の刃に貫かれた。悪気もなさそうな彼女を責めることはできないが。一陣の風がまた、暮際の部室を吹き抜けていく。

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