番外編② 揺らぎ

「幹彦、お前は本当にそれでいいのか? 」 

深々と音も無く雪が降り積もる。世の中を否応なく包む真白のベールは去山高校をも包んでいた。職員室と思しき部屋の中に佇む一人の男子生徒を除いて、他の生徒は皆帰ってしまったようだ。

「それはつまり、まだ関わってくれるかもしれない人達の優しさを自分たちの手で拒絶してしまう事になるんだぞ? 」

生徒の前に立つ一人の先生は眉間にしわの寄った真剣な表情だ。幹彦と呼ばれた少年を見据えている。声からはえも言われぬ威圧感が感じられた。

「それはそうかもしれませんけど……もういいんですよ。みんなからの優しさなんてどうせあって無いようなものですから。」

「優しさ」ってなんだろう。正直言って今の僕には分からなかった。少なくとも今の周りの人々にはそんなものは感じられない。あるのは拒絶と偏見だけだ。自分でもこんなことでやめてしまうのは如何なものかとは思う。いつもの腹痛がまた胸を刺した。相変わらずの鋭い痛みに思わず顔をしかめるが、今の俺にはどうする事もできない。厳しい顔で清水先生を見つめ返すことしか。

「そうか……。クラスのことはクラス替えとか席替えとかで何とかできるかもしれないけど、本当にしてもらわなくていいのか? 」

「ええ。そんなことをしてしまったらまたいじめめいたものが露骨になるかもしれませんし、何より、それで迷惑かけるよりは僕一人がここを出た方が早いかと。」

先生の顔が深刻さを深めるものになっていく。自分の思いそのままではあるし、きっと事実だ。担任もクラスで孤立気味の僕の状況を全くわかっていないわけでは無いだろう。しかし、次の一言で僕の胸は良くも悪くも大きくなった。

「クラスのことはわかった。ここからはこっちのほうが問題だとは思うが……部活のことだ。国之はお前とは一番仲もいいじゃないか。部活のことを考えたら、辞めるわけには行かなかったんじゃないか? 」

刹那、脈略もなく胸が大きく大きく弾んだ。名前を聞くだけで反射的に笑みが出そうになるのを慌ててこらえる。これも今となっては毒々しいあの頃、まだ普通にやれていた頃の残滓だ。結局のところ僕もまだ今の現状を本心から受け止められてはいないということか。風も出てきたのか、窓の外枠が軋んでいく。

「いえ、ある意味部活のことが一番の問題でもあるんです。」

無論僕の口からはたとえ裂けても国之のことが好きだなんて言えない。クラスの連中にはまだ言ってすらいないこの段階で散々に言われているので言った暁にはどうなってしまうのか検討もつかない。部活の人達や清水先生に言うのでは、流石に同業者なので職務に影響が出かねない。それだけは避けたいのだった。既にあいつにはさんざん影響を与えてしまっているのだが。清水先生は疑問というように表情を動かして問いかける。

「一番の問題、というと? 」

「はい。国之を始めとする人達、と言うか特に国之にはほんとにものすごい迷惑をかけているんですよ。だから、これ以上僕のことで迷惑をかけたくないんです。それに、きっと彼らにとっての僕はただの同業者なんですよ。きっと、この部活で出会わなかったら一生話さなかった縁。仕事仲間だからわざわざ話してくれている。きっとこんな感じなんです。だから、さっきも言いましたけどこれ以上迷惑をかけたくないんです。少しでも離れてしまいたいんです。同じ学校にいたら思い出してしまうことも会うかと思うので……。」

「はっきり言ってしまおう。お前は馬鹿なのか? 」

「え? 」

僕の長広舌は清水先生の一言で遮られた。いつにも増して険しい顔が僕に詰め寄ってくる。

「お前がなんで転学するかなんてもう今更聞いたりしない。クラスで辛いことがあるって言うのもわかる。だけど、最後の方が問題だね。幹彦、お前は本当に国之がお前をただの同業者だって思ってるって言い張るのか? 」

「はい。」

「じゃあ、今までのお前と国之との仲のよさはなんだ? ただの同業者と思ってる相手とクラスでまで一緒にいようと思うか? クラスでも部活でもずっと一緒にいようと思うか? 俺は絶対に否だと思う。」

「でも、今はどうかなんてわからないじゃないですか。現に、そんなことはここ数ヶ月無いですよ? 」

「それはお前が勝手に壁を作ってるからだ。国之は国之で、どうしても素っ気なくなってるお前に迷惑をかけたくないと避けてるんだ。よく言うのは、周りの自分に対する言動は自分の相手への気持ちの裏返しって言うことだね。きっと、幹彦が同業者って思い続ける限り向こうの態度も変わってはこないんじゃないか。もし、そのことが転学の一因にほんの少しでも関係してくるなら、俺はすごくもったいないと思うぞ。」

「そうですか……。でも、ここまで来たならどうしようもないので。」

言葉が意思でも持つように僕の心に突き刺さる。体が無意識の強制力で俯けられ、顔をあげられなくなる。きっとこれも、多少なりとも先生の言葉が正鵠を射ているからだろう。風はさらに強くなっていく。でもやっぱり、まだ僕には国之が僕を本当に受け入れようとしてくれてるとは思えなかった。なのになぜだろう。途轍もない後悔にも似た重い感情が僕の中に流れ込んでくる。

「そっか……。でもまぁ、結局は転学を決めたのは幹彦なわけだし、尊重するよ。向こうでも頑張れよ。」

急に先生が相好を崩した。何とか変なことを言わずに済んだようだ。

「はい。それじゃあ、例の紙は近々書いて出します。ありがとうございました。」

「おう。そんなに礼を言う事でもないけどな。あ、幹彦。」

礼をして職員室からはけようとした俺に後ろから声がかかった。

「はい。」

「人間関係のコツは、相手のしてほしいことを見極めることだぞ。サインを見逃さないようにな。」

「え? はい……。」

最後になぜか意味深な発言を残すと、彼は大手を振って僕を見送ってくれた。その顔にはなんとも言えない穏やかな表情が浮かんでいた。

 その日、僕は吹雪の中を歩いて帰った。先程からわけもわからぬ感情に支配され、頭の中はぐるぐると低徊を続ける。ポケットの中の退学届が濡れたのは吹雪で滲んだためだけではなかった。

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