第六章 求婚劇・その1

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「ね、あなた、大野裕樹っていうんだって?」


 と、島崎晶ちゃんが声をかけてきたのは、二年前の始業式、クラスで自己紹介をした、すぐ後の休憩時間だった。笑顔をむける晶ちゃんに、ユウキちゃんもつられて笑い返す。


「うん、そうだけど。あなたは、なんていう名前だっけ?」


「私は島崎晶。で、名簿、見たけど、こういう字でいいの?」


 晶ちゃん、机に人差し指で『大野裕樹』と書いて見せた。ユウキちゃん、うなずく。


「そうだけど?」


「へェ、おもしろいね。偶然にしても」


 晶ちゃんがニヤついた。ユウキちゃん、訳がわからなくてキョトンとする。


「あのさ。あなたと、そっくりな名前の男子、私、知ってるよ。同い年で、この学校にきてるんだけど。上の名前は、大小の『大』じゃなくて、金太郎の『太』で、太野。下の名前は、まったく同じ。読み方、ヒロキだけどね」


「――男の人で、私と同じ名前の人がいるの? なんか、変な感じね」


 眉をひそめて言うユウキちゃんだが、これはもっともな反応だった。何しろ、ユウキちゃんは花も恥じらう女子高生である。いくら偶然でも、嫌悪感が皆無なわけない。男で同じ名前の奴がいるなんて、キモいだけである。


 ただ、好奇心も皆無というわけではなかった。


「どんな人が、私と名前が似てるの?」


「あ、興味持った?」


「うん。ちょっと、見たいかも。どんな人なんだろ」


「じゃ、紹介するから。結構おもしろい奴だよ」


 言い、晶ちゃんがユウキちゃんを教室からつれだした。雲ひとつないくらいのいい天気である。晶ちゃん、ユウキちゃんを隣の隣の隣のクラスにエスコートした。その時点でヒロキくんは、べつのクラスからやってきた津村と後藤――のちのクルクルパーズ――と、


「あ、おまえ、D組だったのか。俺は~」


「このあと、どうする? 俺、ちょっと調べたけど、格闘技愛好会的な部活、レスリング部はあったけど、打撃系はなかったな。中学のときみたいに、俺たちで勝手につくっちまうか?」


「悪い。俺パス。そういうのは中学で卒業だ。興味あるなら、俺なしでやってくれ」


「え、なんで卒業するんだよ格闘技?」


「生涯かけて格闘技に打ち込む根性なんてねーよ。餓鬼の頃に格闘技をTVで見て、ちょっとかぶれてやってただけだし。大体、俺とおまえたちじゃ、勝負にならねェじゃん。ほかの強い連中はべつの学校に行っちまったからな。もうやらね」


「そりゃー勿体ねーなー。俺たちのなかで、一番強かったのに」


「やるときはみっちりやる。辞めるときはスパッと辞める。中途半端が一番よくねーぜ」


 なんて話をしていた。晶ちゃん、軽く笑ってから息を吸い込み、


「太野裕樹!」


 叫ぶような声に、ヒロキくんが、なんだ? って顔で振りむいた。雷鳴が轟いたのはこの瞬間である。ただし、ユウキちゃんの脳内にだけ。相変わらず、外はいい天気であった。


「なんだ島崎? いきなりフルネームで。俺のことは太野って呼べばいいだろが」


「それが、これからは、そういうわけにもいかなくなってねー。えへへへへ」


「なんだそりゃ?」


 言いながらヒロキくんが近づいてきた。晶ちゃんの隣に立って、茫然としてるユウキちゃんにも気づく。


「へェ。もう新しい友達ができたのか? 相変わらず友達つくるのうまいな」


「まァ、そのへんは、ね。ほら、私、あんたたちみたいな硬派とは違うからさー」


「俺はべつに硬派じゃないぜ。それから、こっちの人も、こんにちは。俺、島崎の、中学のころからの同級生で、太野裕樹ってもんだ。太野って、呼び捨てでいいから」


「――いや、あの。私も大野だから」


「へェ?」


「あんたの字じゃなくて、大小の『大』で、大野だけどね。ちなみに下の名前はユウキ。漢字はあんたと同じだよ」


 と、これは晶ちゃんのフォローである。驚いた顔で、ヒロキくんがユウキちゃんをながめた。


「ふゥん。そりゃ妙な偶然だな」


「うん、すごく、妙な偶然だね」


 夢うつつみたいな感じでユウキちゃんが返事をした。――ユウキちゃんは、ヒロキくんに一目ぼれしていたのである。たまにある事態であった。


「じゃ、しょうがないな。区別しなくちゃいけないし、俺のことは、ヒロキって、下の名前で呼んでもらうか」


 と、ヒロキくんが言ったものの、夢遊病みたいな状態のユウキちゃんは聞いてなかった。


「ロミオと出会ったジュリエットって、こんな気分だったんでしょうね」


「は? 何を言ってるんだ?」


「あ! ううん。なんでもない。ちょっと、考えてたことが口にでちゃって」


「へェ。少し、天然なんだな」


 ヒロキくん、ユウキちゃんをながめて、笑いかけた。


「でも、そういう女の子って、かわいくていいんじゃないか?」


「ううん、私、天然なんかじゃなくて――」


 反射で言いかけ、ちょっと考えてから、ユウキちゃんもヒロキくんに笑いかけた。『そういう女の子って、かわいくていいんじゃないか?』。だったら演じなければなるまい。


「天然ボケじゃなくて、えーと、なんて言うのかな。そうだ。天然真珠の反対は養殖真珠だから、私は天然ボケじゃなくて、養殖ボケだと思ってね。かわいくない言葉だけど。というか、思ってほしいってお願いするくらいには、私も情熱を持ってボケるから、そこに付き合ってくれると嬉しいなァって考えてしまうような気持ちで自己紹介します」


「はァ」


「はじめましてヒロキくん。私、大野裕樹って言います。ユウキって呼んでくださいね」


 この学校でのユウキちゃんのキャラクターが決定した瞬間であった。男に笑顔をむけるボケ聖母。要するに、上っ面だけの話だったのである。


「へえ。ユウキって、天然ボケだったんだ。あ、そうそう、私、あなたのこと、ユウキって呼んでいい?」


「うん、かまわないわよ、晶ちゃん。それから、天然ボケじゃなくて、人工だから。養殖ボケだから」


「しかし、名前が似てるなんて、これ、からかわれるんじゃないかな。いまはべつのクラスだからいいけど、同じクラスになったら大変だぜ」


 独り言でつぶやいたヒロキくんに、ユウキちゃんが笑いかけた。


 精一杯の、ボケボケーっとした笑顔だった。


「そんなの、言わせておけばいいじゃない。あ、そうそう。これで私たち、結婚したら、本当に同姓同名になっちゃうわね――」




「お、目を覚ましたか」


 突然のリアルなヒロキくん声に、ユウキちゃん、一瞬、訳がわからなかった。過去の記憶を夢で見て、そのつづきかと思ったらしい。にへーっと笑いかけ、手を伸ばす。


「私たち、結婚したら、同姓同名になっちゃうわね。うちに手紙がきたとき、どうしようか?」


「何を言ってるんだユウキ? 天然ボケに寝ボケがブレンドしたのか?」


「え?」


 と返事をしてから、ここは夢の世界じゃないと気づいたらしい。慌てた顔でユウキちゃんが身体を起こした。場所は河川敷のサッカー場のベンチの上。夕暮れ時で暗いが、ヒロキくんが心配そうにのぞきこんでいるのがわかる。


「あ、あのね、ヒロキくん? 私、あのね――ていうか、どうして私、こんなところにいるの?」


「ま、いろいろあってな。説明してる暇がない。このまま、まっすぐ帰れるか?」


「それは――べつに、かまわないけど。ここがどこだか、わかるから。でも、ヒロキくん、送ってくれないの?」


 事情のわかってないユウキちゃんが、ここで少しデレようとしたが、付き合ってる場合じゃないヒロキくんであった。ユウキちゃんから目を離して背後をむく。そこに立っているのはアズサとザクロである。ユウキちゃんの美貌がこわばった。理由は説明するまでもない。


「じゃ、行くぞ。ユウキはもう大丈夫だってよ」


「あ、あの、ヒロキくん? そっちの、綺麗な人と、中学生くらいの――」


「なんでもない。気にすんな。じゃァなユウキ」


 ヒロキくんが言い、カバンを脇にかかえて走りだした。一言も発言しなかったアズサとザクロが一緒に走りだす。死神は結構足が速い種族らしい。和服のふたりとヒロキくんがサッカー場から姿を消した。あとに残ったのはユウキちゃんひとりだけである。


 サッカー場から消えたヒロキくんを見ながら、ユウキちゃんが、悔しそうにつぶやいた。


「綺麗な女の人と女の子、また増えてる――」

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