第五章 命・その6

「もう決着はついた。俺の勝ちだから命令を聞け」という宣言をはしょってヒロキくんがアズサにつぶやいた。少ししてアズサが口を開く。


「名前が似ているというだけで、とりたてて関係もない娘のために、まっとうな生を投げ捨て、自分は不死者に成り果てるというのか?」


「俺も冗談じゃないけど、人が殺されるのを黙って見てる趣味もないもんでな」


「それが、本当に赤の他人でも、そう思ったか、貴様?」


「――なんだと?」


 アズサの口元に、新たな笑みが浮いた。まだ勝負は終わっていない。――そういう表情が、美しき死神の瞳を彩っている。


「自分の考えに、自分で気づいていない。――いや、あえて封印しているのか。これは恐怖が原因だな。いま以上に近づこうとすることで、現在の関係を壊したくない、か。人間の世界では、確か草津の湯でも治せないと言ったかな。これはおもしろいものを見た」


「なんだと――」


「冷静に考えてみろ。貴様、そもそも、なぜ、その娘のために、そこまで死にもの狂いになれる? 本当に、死ぬ運命だった人間を助けたかっただけか?」


「それ以外に何がある?」


「言っていいのか?」


 嘲笑混じりのアズサに、ヒロキくんが口をつぐんだ。本人も気づいたらしい。いや、心の内で否定した。――そんな筈はない。二学年で同じクラスになったとき、俺は同じ名前だってことでからかわれるのがいやだった。むきになって嫌いなふりをするのも大人げないから我慢していたが、夏休み前まで周囲の嘲笑を無視し続けて、沈下したときはほっとしたものだ。


「そんな筈はない」


 口にしたものの、ヒロキくんの言葉に力はなかった。――あの娘は、生まれついての天然だったらしく、屈託なく俺に話しかけてきてくれたが、だからなんだというんだ。俺は普通に接していたが、それは、あの娘がボケボケな言動ばかりとるからだ。俺は彼女が心配だったのだ。ほかの連中とは段違いに。


「そう。段違いに心配していたんだ、あの娘だけを。貴様はな」


 アズサの言葉はヒロキくんの臓腑をえぐるものだった。


「貴様の心、丸見えだぞ。――さっきまでの、あの心の壁はどうした? 武道の精神修養で身につけた技も、こうなっては形無しだな」


「悪かったな。俺が出入りしてた道場でも、俺は素質があるほうじゃなかった」


「冗談でごまかしても、動揺は見えるな。正直に言ってしまえ。――しかし、人の身体に手をだすような男のくせに、意外にかわいいところもあったのだな。まさか、そんな理由で、ここまで命懸けになっていたとは」


「そんな理由で命懸けになるわけないだろう。決めつけるな」


「いまの私に嘘など通用せんぞ? すべてお見通しだ」


 まさにそのとおりだったのだが、それでもヒロキくんは認めるわけにはいかなかった。このへんは男の意地である。


「話を変えよう。くりかえすけど、さっきの取引、俺は断る。どうする?」


「ありとあらゆる手段を使って、貴様の想い人を学校中に言い触らす」


「おい!」


「それがいやなら、不死の魔人が存在すると当局に密告する。貴様はどこぞの施設に幽閉され、実験台として一生を終えることになるな」


「もっとおい!」


「というのは冗談として、貴様のいない隙を突いて、閻魔姫様を地獄界へつれ帰る。それだけだ」


「実力行使ってわけか。そんなこと宣言して、いま、俺が何もしないと思ってるのか?」


「貴様は、私に暴力を奮う機会が何度もあった。が、一向に行動してないな。ザクロを相手にしたときも似たようなものだったと思うが?」


 ヒロキくんが沈黙した。勝てるはずの口論に屈したと認めたのである。やはり、こういうやりとりに強いのは女性であった。


「ま、今回は、これで終わりにしよう。どうせ貴様は殺しようがない」


 すい、とアズサがヒロキくんから離れた。


「せっかく、いい取引を持ちかけたのに、貴様は突っぱねた。後悔しないようにな」


「安心しろ。『反省はしても後悔はするな』って師範に教えられてる。けど、相手が女だからって、格好つけるもんじゃねーなー」


 やけくそ気味に吐き捨てるヒロキくんであった。あたりまえである。ハードボイルドの美学なんて、腐るしか能のないゾンビがこだわるものではない。


「ま、とりあえず、今日くらいは静かに眠りたいもんだ」


 ゾンビにも多少は睡眠が必要らしい。後ずさるアズサから目を逸らし、ヒロキくんが、ユウキちゃんの寝ているベンチまで歩いていった。


「アズサ姉様、ここにいたんですか?」


 と、ここで声がした。アズサとヒロキくんが顔をむけると、ザクロが近づいてくる。落ち合う場所まではアズサと取り決めてなかったらしい。そのザクロがヒロキくんを見て、何故か、少し嬉しそうにした。


「こんばんは。まだいたのね」


「まァな。たったいま、口喧嘩でアズサさんに負けたところだ。もう俺には何もできねーよ。ユウキをつれて、ここから離れる。いないもんだと思って無視してくれていいぞ」


「へェ。さすがはアズサ姉様」


「いくら不死者とは言え、相手は人間だからね。同じ過ちなど、そうそう繰り返すような無様な真似はできないわ」


 少し誇らしげに言うアズサであった。姉様と慕ってくれるザクロにはいいところを見せたいらしい。


「それでザクロ? 何かあったの?」


「あ、はい。さっき、遠くから閻魔姫様を見守ってたんですけど、ボタンと一緒に人間の家に戻りました。それから、また、ボタンが結界を張ったから、私、近づけなくなっちゃったんですけど」


「やっぱり、ボタンの結界術は邪魔よね。この男はおとなしくできたけど、あっちもなんとかしないといけない、か。ありがとう、何か、手を考えるから」


「え? じゃ、あの男、アズサ姉様の知り合いじゃなかったんですか?」


 予想外の言葉をザクロが口にした。アズサが怪訝な表情を浮かべる。


「あの男って、誰?」


「知らない顔だったけど、普通の人間じゃありませんでした。私が声をかけたら、閻魔姫様を迎えにきたんだって笑って言うから、アズサ姉様の知り合いで、閻魔大王様の命令で人間界にきた死神だと思って、任せておいたんですけど。私と違って、ボタンの張った結界にも、簡単に入って行ったから、結構な実力者なんだろうなって思って」


「は? ちょっと待ってくれ。それ、おかしいぞ。男の死神は姫の前に顔をださないはずだ」


 これはヒロキくんの言葉だった。


「姫に悪い虫がつくといけないから、男の死神は姫と会わせないっていうのが、閻魔大王様の教育方針だったはずだぞ。ボタンさんが言ってたんだから間違いない」


 ヒロキくんの説明に、アズサもうなずいた。新米のザクロは知らなかったらしい。


「――だったら、あの男、何者だったの?」


 ますます面倒なことになってきたようである。

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