第五章 命・その5

「それで? 話ってのは? ちゃんと聞いてやるから、言ってみ?」


「閻魔姫様から手を引いて欲しい」


「そういうことは姫に言ってくれ。俺は自分から姫の家来になったわけじゃなくて、運が悪くて巻き添え食ったんだ」


「そうは見えなかったがな。昨夜、私が閻魔姫様の手をとったら、貴様が自分から首を突っ込んできたのではないか」


「あれは、アズサさんが、いやがる姫の手をとって、無理に引っ張っていこうとしたからじゃないか」


「閻魔大王様の命令だったからな。私もやりたくなかったが、仕方がなかった」


「その、仕方がない、が、俺には気に入らなかったんだよ。相手が小さい子供だからって、いやがってるのに、話も聞かないで。子供にだって言い分はある。しかも、ちゃんと話を聞いたら、女に跡は継がせねえとか、時代錯誤なこと言ってるの、姫の親父さんじゃないか。悪いのは閻魔大王だ。第一、『強者なら弱者の味方をしろ』が、俺の武道の師匠の口癖だったもんでな。もちろん、姫が、自分から帰るって言うんなら、俺はなんにも言わないぜ。まァ、狩られた魂は戻してほしいけど」


 一通りしゃべるヒロキくんを、アズサが薄く笑みを浮かべて聞いていた。


「魂は戻してほしい、か。実を言うと、その言葉を待っていたんだ。どうだ? 私と取引をせんか?」


「――取引だァ?」


「日をあらため、私は閻魔姫様を地獄界へつれていく。無理矢理にだ。その点について、貴様には目をつぶってもらおう」


「はァ? ふざけてんのか?」


「まァ聞け。その見返りとして、貴様の身体に、私が魂を戻してやろう。閻魔姫様が貴様の魂を持っていることはわかっている」


「ンだと?」


「そうすれば、貴様は普通の人間に戻れるぞ。これからも不死者ではなく、人間として生きていける。いまのような不死者のままでは、いろいろと都合も悪かろう? 実を言うと、地獄界には魂の存在しない不死者や魔人を封印する釜があってな。下手をすると、貴様、生きたまま地獄界に――」


「あ、いい。そのへんの話はボタンさんから聞いてる。――なるほど。すると、俺は普通の人間に戻れるわけか」


 ヒロキくんがうなずいた。確かに、きちんとした取引ではある。


「まァ、実際、首筋に手をあてても、脈を感じるかどうかわからない生活なんて、自分でも気持ち悪いしなァ。今後のこともあるし。ちょっと確認するけど、魂の戻し方、本当に知ってるんだよな? フカシじゃねーよな?」


「安心しろ。信用できないなら、ボタンに確認すればいい」


「どうやら本当みたいだな。つか、嘘吐いて閻魔大王に舌を引っこ抜かれたくはない、か」


「前から気になっていたが、なぜ、閻魔大王様を呼び捨てにする?」


「あ、不愉快だったか。そりゃー悪かったな。じゃ、これからは閻魔大王『様』ってことで」


 アズサにとっては重要でも、ヒロキくんにとっては、どうでもいいことである。意地になるでもなく、シレっとした顔で訂正するヒロキくんに、アズサがため息を吐いた。


「地獄界にくる亡者が増えるわけだ。いまの人間はわからん」


「だろうな。俺だって、ときどきわからなくなる。それよりも、言われたとおりに様をつけて、なんでそんな罵倒を受けなくちゃならないんだよ?」


「あ、それはすまなかったな。ところで、まだ取引に応じるか、聞いてないんだが?」


「返事していいのか?」


「もちろんかまわんぞ」


「悪いけどノーだ」


 即答だった。アズサが眉をひそめる。


「どういうことだ? 悪い申し出ではなかったと思うが」


「俺もそう思うぜ」


「ではなぜだ?」


「ノーコメント」


 余計なことまで意識するな、とヒロキくんは思った。ザクロも言っていたが、アズサは相手の思考や感情が、ある程度は読めるらしい。俺が不死者であることを楽しんでいないことも見抜いていたし。この取引、俺が断った理由まで悟られたら面倒だぞ。


 アズサがヒロキくんを凝視した。


「ふむ。考えるのをやめたか。――いや、違う。奥に、何か秘めた思惑があるな。それをうまく隠ぺいしている。大した思考の制御だが、これが武道の精神修養というものか。禅で言う無我とは似て非なる境地だな。人間はおもしろい鍛え方をする」


 反応するな。心に壁をイメージしろ。表情にだすな。視線を動かすな。動揺を気取られるな。たとえ、相手が己の心を読める死神であったとしても気にするな。考えずに行動する殺人マシーンなら、敵に怯えることも、惑わされることもない――


「ふむ。かなりのものだな。ここまで思惑を閉ざせるとは」


 アズサが切れ長の眼をヒロキくんにむけつづけた。


「だが、所詮は常人だな。禅寺の坊主の域にまでは達していないようだ。わずかだが、意識の見える隙間があるぞ。完全に外の世界と思考を断ってしまえば、立っていることも、私の言葉を聞くこともできなくなるからか? そのわずかな隙間から、逆に、私も貴様の思考を読みとれる」


 アズサの言葉は挑発ではなかった。切れ長の眼をさらに細め、射抜くような視線をヒロキくんにむける。


「貴様、誰かを守ろうとしているな。――ふむ。閻魔姫様か。それはわかる。私が閻魔姫様をつれ去るときに黙秘などできない。だから取引を断った。なるほど。いままでの言動と、考えていることも一致している。正直な男だな。そこまではいい。それから。――あそこの、ユウキという娘を助けようとした、か。だから、私の言うことを聞いて、ここまできた。――いや、それだけではないな」


 アズサが、何事か気づいた表情になった。ヒロキくんの眉が微妙に寄る。心の壁が崩れかけていた。


「これは、そもそも、貴様が閻魔姫様と縁を持ったことに由来する話か。あのユウキという娘と、名前が似ていたことに関係があるようだな。――貴様、間違えて魂を狩られたのか? 本来なら、あの娘の寿命が?」


 アズサがヒロキくんから目を逸らし、ユウキちゃんのほうをむいた。その一瞬の隙を突き、ヒロキくんが心の壁を解く。崩れかけた心の壁に固執する気はないらしい。ほかにも手はある。音もなくアズサへ近づくヒロキくんの動きは古武道の運足であった。アズサがユウキちゃんにむかって目を細め、あらためてヒロキくんのほうをむく。


「そうか。あの娘、寿命を継ぎ足されて――」


「もう満足か?」


 アズサが目を見開いた。ヒロキくんが、手を伸ばせば届く間合いまで近づいていたのである。そのままヒロキくんが右手をのばした。武道で言う無拍子――事前の“兆し”がゼロだから、常人はもちろん、アズサにも避けられない。ヒロキくんがアズサの額を人差し指で軽く突く。


 これが殺し合いだったら、とっくにアズサは地に伏していた。


「これ以上、あの娘の詮索をするな。というか、詮索をする必要もないはずだ」

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