喧嘩上等


 夢を見ているのだと思った。最新式か、小洒落たコーヒーメーカーがこぽこぽと音をたてている。見たことのないマシンだな。どこの国のものだろうとぼんやり考える。見たことはなくとも部屋を満たす香りが間違いなく珈琲だ。


 セレストがカップをあたためている。二人分。


「おはようミロード君。もう少しで珈琲できるよ」

「…………」

「ミルクとシュガーは入れる派?」

「……ブラック」

「よかった。ミルクは食堂が開くまで入手できない」


「と、いうかだ」


 ミロードはようやく体を起こして軽く頭を押さえた。


「コーヒーメーカーは諦めたはずだ」

「実家に頼んで送ってもらった」


「セレスト。実家を頼るな。騎士学生は自立し、単独で、己の力を培うんだ」


 朝から厳しめな意見を浴びて、セレストはしょんぼりした顔で首を傾げた。


「……じゃあ珈琲は飲まない?」

「飲む」

「飲むのか」


「珈琲に罪はない。セレストの親御殿にも感謝しよう」


 手櫛で髪を撫でて寝癖がないことを確認してから、ミロードはベッドをおりてカウンター席についた。


「親の脛をかじるのはこれきりにするよ」

「それがいい」


 用意された朝の一杯に、ミロードはうっとりと目を細めた。


「いい豆だな」


 ゆっくり味わう。


「美味い」

「ミロード君が満足そうでよかったよ」


 朝食の後は、セレストはレオンハルトのところへ行くことになっている。ミロードとは別行動だ。


「今日はお互いハードな一日になるだろうから、せめて朝くらいはいい時間になったらいいなって」

「今日だけじゃないけどな」

「慣れればそんなハードには感じない」


 いい覚悟だ。そんな言葉は珈琲と共に飲みほした。




「ミロード君。君に決闘を申し込むよ」


 それはセレストがレオとの特訓でミロードの傍にいない時だった。一人の時に決闘を申し込まれるなんて特段驚きもしないが、一応怪訝な顔をしてみせた。


「断る。何で僕が」

「ベストランカーだ、こわいものなんかないだろ」


 軽く煽ってくる。どうして、またはどうやってベストランカーに入ったかなどとはきいてこない。しかし、事実としてベストランカーであり、それ故に決闘を申し込まれたのだ。


「アレク。お前も騎士団長を名乗るつもりなのなら、誰にでもやたらに喧嘩をうるべきではない」

「君だけだよ」


 アレクは澄んだ目のまま、まっすぐミロードを見つめて笑った。


「僕と君とで、どれだけ力量に差があるのか。知っておきたいんだよ」


 ミロードは小さく息を吐くと、呆れたようにぽそぽそと喋った。


「別にわざわざ決闘なんて大掛かりなことせんでも、実技授業を繰り返すうちにクラスのヤツらにはわかるってもんだろ。それに。今の持ちポイントで決闘の場を用意出来んだろ?」


 場所だけではない。何で勝負しようというか知らないが剣でも馬でもすべてポイントがかかる。喧嘩をふっかけられたミロードが立て替えてやる道理もない。


「それはまあおいおい何とかするよ。とりあえずは君と決闘の約束だけしとこうと思って。本当は僕の実家で出来たらすぐなんだけど」


 アレクは可愛らしく小首を傾げて考えあぐねている。どいつもこいつもすぐ実家情報を漏らして無駄に身バレの危険を晒そうとする。


「おい。間違っても『実家はすぐ近くだから君さえ良ければ来ないか』とか間抜けなことは言うなよ」

「あ、えっとね。僕の実家は」

「だからそれを口外するなと言ったんだ。お前家を出る時言われなかったのか。どこの家の出か身元がわれることは危険だって。この学校にどんな敵がいるかもわからないのに」

「でも僕の家は」

「言うな。金輪際僕にも誰にも家族情報を出すな。お前はとことん間抜けだから用心に越したことはない」


「……ミロード君。僕を心配してくれてるんだね」

 お前の頭の中があんまりにもお花畑だからな! とはさすがに自重して口を噤んだ。いや、とことん間抜けとほぼ同義だが。


 その時、突如上級生と思われる二人連れが現れた。


「一年のミロードってのはどっちだ!」


 一人はすごく態度の大柄な奴で、もう一人は知ってる顔だった。お互いに「あっ」という顔をする。


「アリs」


 咄嗟に本名をポロっと呼びそうになって、慌てて、だがごまかしが特に浮かばないな。ばつの悪い顔をしたミロードに、アリスはふわりと笑った。


「そっか。きみがミロードか」

「知り合いか、アリスよ」


 大柄なほうがムムっと面白くなさそうに顔を歪めた。ていうか校長。アリスの騎士名アリスかよ。


「うん。知り合いだよ。久しぶり」

「騎士名、アリスでいいのか?」


 念の為、念を押した。


「うん。騎士アリスです。以後お見知り置きを、ミロード」


 本名はアリストテレスだが、長いのでいつも勝手にアリスと呼んでいた。あだ名がそのまま騎士名に採用されていようとは。校長の適当さが滲み出ている。


「工房から突然姿をくらましたからどこに消えたかと思ったが、まさか騎士になりに来ていたとは」

「先生はきみに何も伝えてくれなかった? っていうかきみこそ。まさかこんなところで再会するなんて思わなかった」


「思い出話はあとにしろアリス。」


 ザ・横柄上級生が腰の剣を鞘から抜き放った。あ〜めんどい。ミロードの横でアレクは借りてきた猫のように静かだ。いい子で用事が終わるのを待っている。すぐに終わりそうにないが。


「よく聞けミロードよ。俺とアリスは今年こそあのランキングに名を連ねるはずであったのだ」

「ライバルとの一騎討ちのはずがとんだ邪魔が入った、と」


 二人がランクインするのではない。二人のどちらかが、するはずだった。


「入学初日で、俺たちの二年間を嘲笑うというのか」

「別に笑う気はないんで、ただの被害妄想デスヨ」

「お前に悪意がないとして。俺の気はおさまらない」


「ちなみにおれの気はすんだよ。ミロードの正体がきみだっていうならもうそれはしょうがないよね」

「馬鹿をいえ、アリスよ。ベストランカーを逃した雪辱を何とする」

「たった初日でベストランカーに入ったということは、今の順位に関係なく、実質、事実上の最強なんだよ。三年目にもなってまだランカー入りを果たせないようなおれたちが束になったところで到底およばない。剣をおさめろよヴァリス」


 アリスにふんわりと窘められながら、ザ・横柄オブ横柄ヴァリスは悔しさからかグウゥウウっと唸った。これがぐうの音というやつだろうか。


 なんやかんや言って二人の上級生が去った後、アレクが少し放心気味に呟いた。


「ミロード君も大変だね……」







 

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