椿が枯れたら(2)

 心臓が突き破られそうな、衝撃的な言葉がスズミさんから放たれ続けているけど、今のは一番強かっただろう。


――チカさんは注意した方がいい


 スズミさんの口から放たれるなんて、天地が引っくり返っても信じられなかった。


「な、なんで……」

「私……聞いちゃったのよ。あの人、良くないこと考えてるから」


 スズミさんはチカさんと近くのホテルで宿泊している。両親を亡くし、叔父も入院しているためだが、昨日チカさんは真夜中に独り言を呟いていたらしい。


***


 真夜中、月明かりに照らされる中、スズミさんは目を覚ました。ぼんやりとした耳に聞こえる誰かが階段を降りる音。重い目蓋まぶたを横に向けると、布団がセミの抜け殻のように穴を開けて盛り上がっていた。

 チカさんは隣で寝ていたらしい。


 ふと外を見ると、誰かが外に出ていく姿が見えた。目を凝らして確認すると、チカさんだった。

 スズミさんは足音を立てないように後を追った。


 チカさんはホテルの道を挟んで反対側にある歩道の防波堤の上に立っていた。満月に近い月明かりが彼女を照らしていた。

 スズミさんはホテルの自動ドアを動かさないように、ソファに身を隠しながら彼女を観察する。


――ごめんなさい。あなたたちに辛い思いをさせるかもしれない。だけど……


 夜は静かで、波音しかしない。

 だから、彼女の声は透き通って聞こえた。

 チカさんはつぶやくと、顔を南側に向けた。その方向には卯花山がある。


――「卯花うのはな」。やっぱりあの子は……あたしの……


 しばらくして、チカさんはホテルに戻ってきた。スズミさんは気づかれぬようにトイレに行くふりをして、あとから部屋に戻ったという。


***


「うそ、でしょ?」


 スズミさんは首を横に振った。


「あの人、きっと私たちに何かしようとしてるのよ。でも信じたくない。チカさんは私たちの恩人だから」


 スズミさんは悲しそうな目で僕を見る。


 居場所を失っていた僕らに、友人になって居場所を作ってくれたチカさん。親身になって時に優しく、時に厳しく接してくれたチカさん。そして、冠島で命懸けで僕らを助けてくれたチカさん。


 チカさんは不思議なところが多々あるし、何か隠している素振りも見せていた。だけど、警戒したことは一度もない。


 でも、そのチカさんが僕らに辛い思いをさせるって……。


 ふと冠島に行く前の彼女の言動が頭によぎった。


――人によっては知るべき事実と知ってはいけない事実がある


 スズミさんが箱の中の人魚について聞こうとしたら、チカさんはそう言って断ったらしい。そして僕も人魚は知ることではないと言っていた。ビクニさまが悲しむから――。

 だが、根拠はないからただの推測に過ぎない。

 チカさん、いったい何を隠してるんだ……?


「それでセイヤくん」


 思考が現実に戻る。


「一番伝えたかったことなんだけど」


 スズミさんの顔を見ると、何かを決意したかのような強いまなざしで僕を見つめていた。

 ぴくっと心臓が脈打つ。


「その……しばらくキミの家にいていいかな」


 一瞬僕の時間が止まった。体が岩のように重く動けない。

 スズミさん。今なんて言った?


「あの、それってどういう……」

「そのままの意味だよ? しばらくキミの家に住みたいの」

「……!」


 スズミさんが口から投げた爆弾は僕に命中し、爆発した。体の中から沸騰するような熱さが僕を襲った。

 本当に爆風に吹き飛ばされたかのように、僕は後ずさった。


「え、ええーーー!!??」


 驚きで開いた口が塞がらない。

 え、スズミさんと一緒に暮らすの……!?

 やばい。内心では嬉しいけど、なんか……ああ、なんていえばいいんだ!!


 だが、スズミさんは表情一つ変えなかった。

 ふとスズミさんに聞いてみる。


「ど、どうして……」

「さっきも言ったじゃん。私、ぼっちになったって。それに……ホテルも今日でチェックアウトしないといけないし、このままだと路頭に迷っちゃうからさ」


 そう言われると、複雑な気持ちになった。


「……」

「いきなり話してごめんね。セイヤくんの事情も聞かないで」

「いや、それは大丈夫だけど……」


 一応、スズミさんがどうなるかは決まっていた。身内を失った彼女は、県外にいる親戚が引き取る方向で話が進んでいるという。


「県外に行くって、スズミさん学校は……」

「転校するの。県外の学校にね」

「そうなんだ」


 顔を俯けてしまった。影ができると同時に心も暗くなる。

 心に何か込み上げるものを感じた。

 せっかくスズミさんと友人になれたのに別れないといけないなんて。スズミさんの事情だから仕方ないとはいえ、辛かった。


 だが、スズミさんはそんな僕を察知したのか、


「あ、気分悪くしちゃった? ごめんね? すぐには転校しないから……! 夏休みが終わるまでは引っ越さないし!」

「え……」


 僕は顔を上げた。

 スズミさんは「別に何でもないよ」とでもいうように、必死で微笑みかけようとしている。

 まだ親戚との調整が済んでいないらしく、夏休みが明けるまで八百にいるという。


「でね? 夏が終わるまでキミの家にお世話になりたいの。いいかな」

「……」


 僕は返答に窮した。当然ながら家族に相談しないといけない。


「みんな帰ってきたら相談してみるよ……」

「なら私も行く」


 いきなりスズミさんは立ち上がり、僕の正面に立った。


「一緒に行ったほうがわかってもらえるじゃん」


 にっこりと軽やかに笑うスズミさん。

 朝の太陽光が、スズミさんを照らす。彼女がまぶしく見える。僕の暗かった心にも光が差し込んだ気がした。


「あと三週間とちょっとだけど、よろしくね! セイヤくん!」

「うん……!」


 どうなるかはわからないけど、残された時間は大切にしたい。僕はそう心に強く刻み込んだ。

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