椿が枯れたら(1)

「それって、どういう……」


 僕は自分から沈黙を断ち切った。だけど、声はショックで漏れるだけだった。


「うん。キミも見たと思うけどあの人、すぐに傷が治ったよね」


 スズミさんは海岸でスマホを耳に当て、連絡を取る彼女に目をやった。


「キミもあの人おかしいって思わなかったの?」

「確かに……」


 考えてみればそうだ。

 何事もなかったように治った傷だけじゃない。あたかも何十年も前から生きていたような発言、そして華奢な体型から考えられない強さの力――

 いろんな疑問が浮かび上がる。

 しかし、


「警察の人、すぐに来るって。上陸した桟橋に戻ろうよ」


 彼女が戻ってきた。当然僕とスズミさんの話も打ち切られる。


「はい」


 僕の返事が漏れるが、彼女はその様子をいつもの凛とした表情で見守っていた。


***


 警察が到着したのは一時間後。僕たち三人の証言をもとに捜査が行われ、山頂付近で上司の遺体と気絶していたスズミさんの叔父が発見された。

 気絶していた男はすぐに目を覚ましたが、念のため病院で検査をするため警察のヘリで搬送された。

 僕らも同じく病院で検査を受け、警察から任意で島で起こったことを聞かれた。建前は捜査への協力ということだが、人生初めて警察を目の前に僕は身震いした。


 事件に関してはチカさんが警察に詳細を話していた。とはいえ、人魚の肉を見て死んだなんて誰も信じるはずがないので、僕らは死因を伏せつつも事実を話した。


 しかし立ち入り禁止の冠島かむりじまに勝手に入ったので、当然ながらこっぴどく叱られた。両親も呼び出され、お父さんもお母さんも頭を下げていた。

 その日の夜、僕は両親から雷を落とされた。普段は静かな仏間が騒がしくなる。いつもは優しい両親が、ドラゴンのごとく怒り狂うのは生まれて初めてだった。

 僕は反省したつもりだったが、眉間にしわを寄せ、般若の形相で責め立てる両親は見たくなかった。


 自室に入り、僕はベッドにダイブした。ぼんやりと天井を眺める。

 確かに立ち入り禁止の「聖域」に足を踏み入れたのは許されることじゃない。僕はやってしまった過ちを深く反省していた。


――勝手に入るなんて、ビクニさまからばちが当たるわよ!!


 お母さんの怒号が今も脳内でこだましていた。

 ビクニさまを信じているわけじゃないけど、神様から罰を受けると聞いただけでなぜかぞっとした。


 でも、あそこまで怒ることないじゃないかあ……。スズミさんを一刻も早く助けないといけなかったから……。

 心の奥底で本音が漏れていた。

 僕はスマホを起動してネットをいじっていた。好きなゲーム、好きな漫画……検索して気を紛らわせた。


 突然、画面に【風馬ふうま鈴美すずみ】と出た。

 なんだろ。


「もしもし、セイヤです」

【あ、セイヤくん? 今時間いいかな】


 スマホの向こうからささやくようなスズミさんの声。


「どうしたの?」

【明後日なんだけど、マーメイドビーチに来てくれない? 話したいことがあるの】

「いいけど……電話じゃダメなの?」

【ごめんね。前みたいにあんまり話せないから】

「そうなんだ」


 明後日の八時、マーメイドビーチに来てほしい。

 スズミさんと約束すると、僕は通話を切りタオルケットの中に潜った。

 話っていったい何なんだろう。頭の中で思考を巡らせる。ひょっとして、警察を待つ間に話してたことだろうか。


 とはいえ、今日はいろいろありすぎたうえに両親に雷を落とされて体は疲労ひろう困憊こんぱいだった。僕の目蓋まぶたは次第に重くなり、意識は静寂の夜に包まれていった。


***


 二日後の八時、マーメイドビーチ。朝の砂浜を太陽が照らし始め、水面は光り出す。まだ人通りが少ない道の向こうで、彼女は石段に腰掛けて海を眺めていた。


「スズミさん」


 僕の声に彼女は振り向く。一瞬だけ、垂れていたツインテールが潮風に揺れた。


「あ、おはよ」

「あの……話って何なの?」

「とりあえず座って?」


 僕はスズミさんの隣に腰掛けた。沈黙が訪れたが僕の心は内心ドキドキしていた。


 話を切り出したのはスズミさんだった。


「いきなり電話してごめんね。でも、キミに一番最初に話したかった」

「……」

「まず初めになんだけど……私、ぼっちになっちゃった。……もともと味方なんてあの家にはなかったんだけど」


 意外な答えに僕は口をぽっかり開けた。


「叔父がね、捕まることになったの」

「スズミさんにしていた暴力で?」


 こくりとスズミさんは首を縦に振る。

 警察に呼ばれたとき、彼女は自分と叔父の関係を話していた。叔父は今入院中だが、退院後に事情を聴くことになったらしい。


「あいつにいじめられてたのは事実だから、間違いなく捕まるよ」

「よかった」

「でも、お父さんもお母さんも本当にいないし……本格的にぼっちになっちゃった」


 そう言ってスズミさんは悲しげな表情で海の向こうを眺めた。水平線の向こうに冠島が浮かんでいる。


「本当にって……」

「見つかったのよ。お父さんとお母さん」


 島の捜索中、スズミさんが男性用と女性用のスーツやジャケットを発見した場所の近くで、男女の白骨化した遺体が発見されたという。

 身元は確認中だが、スズミさんが持っていた写真と衣服から考えて、本人の遺骨とみて間違いないという。


「はあ……あいつから解放されたのは嬉しいけど悲しいな……」


 潮風がスズミさんの髪を揺らした。

 僕はなんてかければいいか、頭をフル回転させて言葉を探した。スズミさんが元気になるような、言葉を。

 そういえば、僕らには “居場所” があった。僕らが友人になったときから作り上げてきたものだ。


「でも、僕やチカさんもいるから……」

「チカさんは注意したほうがいい」


 いきなりスズミさんに声を遮られた。

 一瞬、僕の身体は硬直した。まるで時間が止まったようだ。波も、潮風も、そして目の前にいるスズミさんも。

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