椿が枯れたら(3)

 チェックアウトするので、スズミさんはホテルに戻っていった。あたりをやたら警戒していたようだが、チカさんがいないか確認しているのだろう。

 しばらくスズミさんを待っていたが、


「セイヤくん、何してるのっ!」


 明るい声に、後ろから肩を押された。


「!?」


 意外にも力が強かったので、バランスを崩しそうになるが僕は踏みとどまった。

 振り向くと会ってはいけない人――チカさんが無邪気な子供のように微笑んで立っていた。

 僕の心臓が止まりかけた。


 な、何でこんなとこにいるの!?


「チカさん……ホテルにいるんじゃ……」

「朝の散歩よ! 日課にしてるの」

「はあ、それは健康に良さそうで……」


 感心してる場合じゃない。スズミさんによれば僕らはチカさんから離れたほうがいいという。

 でも、純真無垢なチカさんの顔を見るとなぜか警戒感が薄れてしまう。


「さっきスズミちゃんと何話してたの?」

「え……」


 いきなり答えたくないことを聞かれ、僕は返答に窮した。


「そ、その……スズミさんが転校することになったんです」


 とりあえず、無難な答えを選んだ。スズミさんが八百を離れることはチカさんにとっても大事だろうと思ったから。


「ほんと? いつなの?」


 チカさんの顔から笑いが消え、真剣な表情になる。


「夏休みが終わったらです」

「そっか……考えてみればご家族がいないんだったね」

「ええ。どうしようもないことですけど、寂しくなりますね……」

「せっかくできた友達だったのに……」


 少し顔を俯けて話すチカさんに、僕はこくりと頷いた。

 同時に違和感が生まれていた。


――いつ?


 だけど、話を続ける。


「スズミさんの親戚との調整が終わるまで八百にいるんです」

「それが夏休みが終わるまでなんでしょ? それまでどこにいるの?」


 一瞬返答を喉に詰まらせてしまう。答えていいかわからないのもそうだけど、何より他人に言うのが恥ずかしかったから……。


「え、えと……」

「ん?」


 戸惑う僕を見てチカさんの顔が一瞬引きつる。そして、次第に固くなった表情が緩み始め、にやけ顔に変わっていく。


「ははーん、わかった。ぼっち君の言うことだから、セイヤくんの家だな?」

「……」


 思わず顔を俯けた。ドンピシャだ。ぼっちは余計だけど。


「そ、そうです」

「やっぱりね」

「すいません。まだ、家族には話してないんですけど」


 チカさんはいつもの凛とした顔に戻った。


「いいんじゃない? 今のスズミちゃんに頼れるのはあなたしかいないと思う」

「え? どういうことですか?」


 意外な答えに僕は少々戸惑った。


「女の勘かな」

「勘?」

「あなたは知らなくていいの。じきに分かると思うし。だけど」


 チカさんは少し身をかがめて僕に目線を合わせると、僕の両肩に手を置いた。チカさんの深緑の瞳は、僕を吸い込むように引き付けていた。

 心臓が内側から叩かれて跳ねた。


――絶対にスズミちゃんを悲しませないで


「はい」


 チカさんの言葉が頭の中で反響する。


「スズミちゃん、身内の人いないんでしょ?」

「ま、まあ」

「なら、夏が終わるまではスズミちゃんの傍にいてあげて? 今のスズミちゃんにとっての居場所はあなただけだから」

「……わかりました」


 僕の頼りない答えを聞いて安心したのか、チカさんは僕の両肩から手を離した。


「よかった。居場所がないって体にこたえるくらい辛いから」

「え……チカさんも独りぼっちだったことあったんですか?」

「まあね。今は慣れたけど辛かったな。あなたがいじめられてたみたいに、あたしもひどい仕打ちを受けたことあったから」

「……」

「昨日まで愛してくれた人が、いきなり敵になる。一晩で居場所がなくなる。辛かったなあ……」


 そう言って物寂しそうな横顔を見せるチカさん。潮風の涼しさとまだ弱い日差しに照らされる彼女に、思わず見とれてしまった。


「あ、でも気にしないで? 今はあたしもぼっちじゃないからさ。セイヤくんやスズミちゃんと友だちじゃん!」

「そ、そうですよね……!」


 チカさんの明るい笑いに押されたのか、僕も笑ってしまった。

 チカさんはスマホの画面に目をやると、


「あら、もうこんな時間。あたしはこれで。またね」

「これから予定あるんですか?」

「レポートまとめに図書館にね。じゃあね」


 チカさんは手を振ると、ホテルから反対側に歩いて行った。僕も彼女に手を振っていた。心の中に生じた、新たな疑問を抱えながら。


***


 少ししてスズミさんがやってきた。彼女は走ってやってきたので、息を切らせていた。


「お待たせ! 意外と時間かかっちゃった」

「大丈夫」

「とりあえず行こっか」


 僕の家までは電車を乗り継いでいくことになる。最寄りの駅まで歩いていく最中だった。


「ねえ、ひとつ聞いていいかな」


 いきなりスズミさんが足を止めた。


「どうしたの?」

「さっきだけど……チカさんと話してたよね」

「え? そうだけど」

「窓見たらキミとチカさんが砂浜で話してたからさ。何話してたの?」


 とりあえず差しさわりのないことを話した、と伝えた。もちろん、スズミさんが転校することもだ。

 同時にチカさんの発言に疑問を持ったことも話した。


「話しちゃったんだ。私が八百から出ること」

「ごめん……」

「いや、いいの。それより、キミが言ってたこと気になるなあ。普通、どうしてって聞くでしょ?」

「うん」


 最初に転校理由でなく、八百を離れる時期を聞いてきたからだ。

 スズミさんはいろいろ考えていたが、何か気づいたようで。


「……やっぱり、チカさんの目的ってキミなんじゃないかな」

「……!」


 なぜか、心の奥底から寒気がした。

 チカさんが……僕を?


「どうして……?」

「まだ私が調べた範囲でしか話せないし、本当にチカさんが何を考えてるかはわからない。だけど、キミとチカさんには共通点があるの」

「共通点?」

「キミ、うっかり人魚の箱開けちゃったでしょ。でもなんともなかったでしょ?」

「うん」

「そして……多分、キミの家系も関係してると思うんだけどセイヤくん――」


 スズミさんは真剣なまなざしで僕を見る。僕は見えない力に体を縛られたようで、動けない。


「なんなの……スズミさん」

「驚かないで聞いてほしいの。キミは――」


――人魚の肉を食べる適性がある


 その言葉だけ、異常にゆっくりと耳に響き、僕の身体を内側から震わせた。


「て、適性って……」


 僕の口はわなわなと小刻みに震えていた。

 人魚を食べる……適正?

 ショックで何もできず、棒立ちになっていた。


「人魚の肉を食べられることが適正。それを、キミとチカさんは持ってるの」

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